イランカラプテ 6



さて、少年に近づいてきた数人のアイヌの大人は、シャクシャインを燃えるような目で睨みつけ、
「小僧、またお前か。我らに断りもなく川に入り、我らの相談役につながるシサムを
傷つけるとは、一体何事だ」
怒鳴った。
(後からやってきて、シベチャリ上流に勝手に住み着いたくせに)
シャクシャインは思いながら、そのアイヌ達をじっと見つめ返した。大人ばかりだと思っていた
その中には、何度か彼が対峙したことのある、
(オニビシめ)
彼より二、三ばかり年上の大柄な少年も混じっていて、シャクシャインを馬鹿にしたような目で見下ろしている。
オニビシは、シュムクルの次期酋長に一番近い者であるらしい。シベチャリの守護神を気取っているらしく、
一日に二回、朝晩必ず槍を手にして川を徘徊しては、川のものを採りにきたメナシクルアイヌを
追い払っていると聞いているため、
「傷つけてなどいない。それにこの川はお前達のものでも、シサムのものでもない。この川にあるものは、
俺達メナシクルに川の神と鮭の神が下さったものだ。川を汚すことは、神を汚すことだ」
憎しみを込めてシャクシャインが言い返すと、いきなり拳が飛んできた。
少年がこんな風に殴られるのは、先ほどの商人たちの言葉にもあったように、実はこれが初めてではない。
シュムクルアイヌの者達と最初にこのような諍いを起こしたのは、彼が周囲の大人の目を盗んで
静内川上流の鮭を採りに行った三年ほど前のことである。その時にも彼は、シュムクルアイヌの大人
―その折は一人だったが―に背を蹴られながら、彼の背丈の半分ほどある鮭を両手でぐっと抱き締めて
離さなかったものだ。
当然ながら、さすがに和人よりも体躯の大きいアイヌの大人だと、腕の長さも違う。オニビシが繰り出した
拳を避け切れずに、つい左の頬に受けてしまい、転倒した少年を取り巻いて、
「お前はこの間もそう言って、鶴を獲った我ら部族の物をその弓矢で撃ち殺した。我らは川上のチャシから
ちゃんと見ていた。生意気な餓鬼め」
シュムクルアイヌが言うように、二度目の諍いは、メナシクル部族の生活圏へ入って鶴を取ろうとした
シュムクルアイヌを、シャクシャインがその弓で射殺したことで起こった。その折も、共にやってきていた
もう一人に散々に蹴られ殴られているから、これで三度目である。
普通の少年ならさすがに懲りて、立ち向かう勇気など萎えそうなものなのに、
「お前達が俺達の領地を侵すからだ! 俺は群盗を追い払っただけだ」
大人たちの足の下から、なおも少年は叫ぶのだ。
するとその叫びで、より一層血が上ったらしい。
「俺達が川上に住んでいるからといって馬鹿にするな」
「川下のお前らばかりがカムイ・チェプを獲るものだから、我らのところにまで川の神が来られない。
鶴の一羽や二羽で騒ぐな。不公平だ」
オニビシを含むシュムクルアイヌたちは、口々にそんなことを言い合いながら、まだ成長途上にある
幼い身体を蹴ったり殴ったりし始めた。もともと前記の理由で争いの絶えない部族同士だったから、
自分たちが傷つけている相手が子供であるということを、つい忘れてしまっているのだ。
しかし、どんなに蹴られ殴られても、シャクシャインはうめき声一つ上げなかった。生きとし生きている、
あらゆる物に共通の弱点である腹を庇うように身体を丸め、大人たちの暴行に耐えているうち、
「シャクシャインを助けろ」
その声が川の向こう岸からしたかと思うと、どっとばかりに矢が降り注ぐ。
するとシャクシャインを取り巻いていたシュムクルアイヌたちは、オニビシに促されて悔しげな顔をし、
彼を打ち捨てて駆け去っていった。弓の腕では、蝦夷一を誇るメナシクル部族に勝てるわけがないのである。
彼らが駆け去るのと入れ替わりに、メナシクル相談役の一人である越後の庄左衛門がやってきて、
シャクシャイン少年を抱き起こす。
「商場からの帰りに、貴方を見かけたのだ」
当時は彼も、少年よりも十数歳ばかり年上の、まだまだ若い商人だった。使い慣れぬたどたどしい
アイヌ語で言って、
「お体に大事無いか」
さらに労わってくれるのだが、
「お前には関係のないことだ」
シャクシャインはぷいと顔を背けた。
(和人ごときに助けられた)
庄左衛門は、他の和人とはどこか違う。先ほどの言葉も同情ではなく、真心から発しているのだ。しかし
そのことを感じ取っていても、こんな時にはやはり、アイヌとしての矜持が傷つけられた、という思いのほうが
強く出てしまう。
さらに庄左衛門は、自ら積極的にアイヌ語を習得しようと努め、それを実際にアイヌとの交流に使っている。
そのことから分かるように、アイヌとの交易のためだけに言語を使用する他の和人商人とは、また違う意味で
勤勉なのだ。メナシクルへやってきてからもうけた息子へも、アイヌと和人の生活慣習を分け隔てなく教えている。
従って、メナシクル部族のアイヌ達も、
「彼は他のシサム商人とは違う」
最近では彼へかなりの親しみを抱くようになっていた。
当たり前のことだが、異文化を理解しようと思えば、まずその言葉から理解せねばならない。庄左衛門は、
「憎たらしい和人が使う言葉など、覚える必要はない。全ては我らの神が護ってくれる」
と、頑なに異文化の理解を拒むアイヌの人々とも誠実に接しようとしていたし、それが同情から来るものでは
ないことが分かるだけに、
(ひょっとすると、俺達よりも余程優秀なのではないか…)
少年には余計に癪に障るらしい。
さて、いつも温厚な笑みを浮かべている長、カモクタインは、部族の者に担がれてコタンへ戻ってきた少年を見て
顔をしかめた。さすがに三度目ともなると、その表情も険しさを増している。
「庄左衛門殿にきちんと礼を言ったか」
他の者から事情を聞いたらしく、詰問する声も厳しい。
(また長ったらしい説教をされる)
シャクシャインは痛さを堪えて、(優柔不断な…)と自分勝手に思っているこの部族長を見上げた。
彼の父は、彼が幼い頃に既にシケカムイ(熊)を仕留め損ねて亡くなっている。その後はカモクタインが
彼の父代わりになってくれた。少年の目から見ると、少し頼りないほどに温厚で、決断するのに
時間がかかりすぎる部族長ではあるが、
「俺はお前に期待している」
二度目までの説諭と違って、カモクタインはまずそう切り出した。
もとより、シャクシャインのほうも第二の父として彼を慕っている。その上にそんな風に言われると、
自分の心の中に少し突き出た、少年時代独特の反抗の芽はすぐに治まってしまう。中年を過ぎてやっと出来た
自身の息子よりも、シャクシャインのほうへより強い愛を注いでいるのが、先ほどの言葉でもはっきりと分かるのだ。
さて、その覇気ある少年を、長のカモクタインはじっと見下ろして、
「何度も言うが、あまり西方の者といざこざを起こすな。それでなくても和人の国から、キリシタンという、
よその国の神を信じる者達も流れ込んできているのだ。我々の暮らしは、いよいよどう転ぶか
分からなくなっている。そうですな」
と、傍らに神妙に控えている鷹待、庄左衛門を振り向いて言った。
実際、この頃松前藩に潜入して、知内川上流一帯に滞在したカルワーリョ神父は、当時のアイヌと松前藩との
交易の模様を、
「毎年三百隻以上の大船が松前に集まり、知行所ではラッコの毛皮や鮭、ニシンなどが取引される。
蝦夷に渡った砂金堀の数は一六一九年には五万人…」
などと記している。かの神父が蝦夷に滞在できたのは、慶長十九(一六一四)年に発布された幕府の
禁教令を軽視して、松前藩がキリシタンの活動を認めていたためである。
神父が記載していたように、渡島の大千軒岳で、金山が発見されたことは先に述べた。この金山目当てに
青森や盛岡などから出稼ぎのため、多量の和人がやってきている。ちょっとしたゴールドラッシュ、
といったところであろう。金だけでなく、珍しい獣の皮や鷹狩りに重宝される鷹が蝦夷で獲れると
いうことが分かってからは、庄左衛門のような「鷹待」と呼ばれる商人も、大量にやってきた。
キリシタンのほうはといえば、いよいよ厳しくなってきた異教弾圧の手を逃れるためにやってきたのである。
大千軒岳の番人小屋には、現在も白く大きな十字架が残されている。朝な夕な、これを拝みながら神の恵みを
願ったのであろうか。
神の恵みを祈る、といった点では、アイヌの人々も同じである。ただ、その神というのは彼らの生活に
直接関わるありとあらゆるものであり、人々と対等の立場である、という点で大きく異なっていた。
アイヌの人々にとって、自分たちの役に立つもの全てが神なのである。その神を大事にして木幣(イナウ)
まで捧げ、祈ったのだから、願いを叶えてもらうのは当然のことであり、もしもその願いが
聞き届けられなかった場合、人々は、
「ここまで貴方を大事にし、捧げものまでして祈ったのに、どうして貴方はその役割を果たそうとしないのか」
と、罵る権利さえ持っていた。ちなみにイナウは、本州にある神社において、一般的に見られる御幣に
良く似た形をしている。
顔の下半分を濃い髭で覆い、そのイナウを納めた幣棚を背にして立っているカモクタインは、その温厚な風貌どおり、
部族の者どもを怒鳴りつけるといったことをあまりしない。よってこの時も、昨年、父を亡くしたばかりの
この少年へ向かって、じっくりと諭したわけだが、
(これはやはり俺の跡継ぎだ)
「お前は聡い。カムイから与えられた命を大事にせよ」
部族の中で誰よりも弓が上手く、勇気がある上に頭も良いシャクシャインを、心の中では認めているのだ。
長の言葉に、シャクシャインはまだまだ幼さの残る紅い頬を膨らませながら、不承不承頷く。少年のほうも、
長が己に注ぐ期待と慈愛の眼差しを感じているし、
(キリシタンとやらもやってくるのか)
カモクタインが和人から得た情報を元に下す冷静な判断を、彼なりに尊敬してもいた。しかし、
それを認めてしまうのが何となく癪で、
「何度も言うが、庄左衛門殿にも礼を言っておけ。分かったのか?」
「分かっている」
問われて、すぐにぷいと顔を背けてしまうのだが。
さて、傷ついたシャクシャインが自分の家に運ばれると、彼の母親が慌てて出迎える。その際にも、
傷口にはアイヌの人々が長年の経験から得た知識で作った薬が塗られる。例えばこの時シャクシャインが
受けた打撲傷には、オオバコの葉を焙ったものを張る。傷にはハスの葉を揉んでつける、といった具合だ。
母一人子一人で暮らしている家の中に入ると、そこはやはり少年らしく、どっと気が緩んだ。
気が緩むと、今頃になって殴られた痕が痛み出す。薬に浸された冷たい葉が傷に沁みるたび、堪えきれずに
うめき声を上げながら、
(シサムをこの蝦夷から全て追い出さなければ、俺達の未来はない)
まだ少年であったにも関わらず、シャクシャインの考えていたことは、まことに凄まじい。
この点、和人たちや隣人のシュムクルと、上辺だけではあっても何とか折り合いを見出し、あくまで
波風立たぬように付き合おうとする現長、カモクタインとは一線を画している。
シャクシャインの考えによれば、和人に「媚びている」のは、シュムクルだけではない。青森に近い
内浦湾西岸部に居住している、アイコウシ率いる部族もそうである。
(アイツらは、当てには出来ない)
同じアイヌであっても青森に近い、つまり松前藩に距離的にも近く、従って和人を積極的に受け入れている、
というよりも受け入れざるを得ない部族であるから、いざとなると確かに当てには出来ない。
床に転がっても、傷が疼くせいと、発熱のせいで良く眠れぬ。目を閉じたまま横になっていると、
イソ・アニ・カムイまたはクンネレキカムイとも呼ばれる縞梟が、家のすぐ近くの森で鳴いているのが
聞こえてきて、さらにはそれを聞いたアイヌの大人たちが「何かが来ているに違いない」と興奮しながら言いつつ、
森へ向かう気配がする。梟が鳴いている方角に、鹿か熊が来たのかもしれない。
熱でぼうっとした頭でそのざわめきを聞きながら、
(なぜ負ける。和人と俺達との力の差は何だというのだ)
少年は考え続けた。
シャクシャインも、件のコシャマインの戦いぶりと、その最期について散々に聞かされている。
当時の敵側の和人で蠣崎氏の祖である武田信廣が、わざと怯えるフリをして森の中へ逃げ、それを追った
コシャマイン父子が、待ち構えていた軍勢に弓で撃たれて死んだことも聞いた。
しかしそれでも、
(一時は和人を追い詰めたことさえあるのだ。要は戦い方だ。コシャマインは、卑怯な騙し討ちで死んだのだ。
和人に騙されてはいけない。いつかきっとまた、和人と戦う時が来る。和人の言うことを鵜呑みにしてはならない)
シャクシャインは「その時」に備えて、ただそのことばかりを考え続けていた。弓の鍛錬を怠らなかったのも、
そのためである。
アイヌが住んでいた場所から和人を追い出す、ただその一点のみを念頭において、彼は少年時代を過ごした。
まことに凄まじい精神力の持ち主であるとしか言いようがない。
そしてそのためには、彼の部族だけではなくて、
(蝦夷全域のアイヌが立ち上がらねばならない)
とも、聡い彼は考えていた。
となれば当然、隣の西方人と争っている場合ではなく、一日も早く仲直りをして団結力を深めるのが
不可欠なのだが、事が人間の基本生活に関わる問題であるだけに、どちらも譲ろうとしないのだ。
静内川、新冠川の流れる日高は、蝦夷の中でも比較的温暖な地域である。彼らが食糧のひとつにしている
鹿やその他動物も、雪を避けてこの地方へやってくる。だから、その争いは他の地域に住む
アイヌ同士のものよりも激しかったのだ。シュムクルが「よそからやってきた川上人(ペナンペ)」といって
、川下人(パナンペ)であるメナシクルに無条件に嫌われていた、ということも一因であったかもしれない。
アイヌに伝わる民話の中でも、ほぼ全ての場合、川上人が悪者なのだ。なぜかというと、蝦夷地では一般に
川上は他国から流れてきた群盗が住んだ所とされており、その群盗が、時折人里に下りてきては
悪さを働いたからだという。
(俺は強くならねばならない。強くなって、アイヌを守る)
そればかりを考えながら、シャクシャインがたくましい若者に成長したある年、彼らが見たこともない病が流行った。
病に冒されたアイヌたちの皮膚に出来た小さな斑点は、やがて膨れ上がって破れては膿を出す。熱が下がらず、
苦しげな呼吸を繰り返した挙句に死んでしまう。メナシクルでも部族の三分の一ほどのアイヌが亡くなった時、
「病人に触れるな、近寄るな。死ぬぞ。バイカイ・カムイ(疱瘡神)がやってきたのだ。皆、シベチャリ
(静内川)の奥へ逃れろ」
カモクタインが珍しく、厳しい口調で命じた。和人の暦で寛永元年、夏のことであると記されている。
静内川の奥には、こういった流行り病を逃れるための避難所のようなものが作られていた。カモクタインは、
この病が蝦夷地でも約一五〇年ほどまえに流行った疱瘡であることを、庄左衛門らから聞き知ったのだ。
一五〇年ほど前というと、あのコシャマインが和人と戦った頃であるが、この病はその折にも流行している。
今回同様、和人感染者と接触したためにもたらされたのであろうか。
一度流行ったことがあると言っても、いかんせん古い記憶であるし、例によって文字で記録に残すことも
されなかったため、治療の手立ても伝えられていない。よって治療も後手に回ってしまい、病の種類に気付いた時には、
「村の人間が次々に疱瘡神に連れて行かれる」
といった具合になってしまったというわけである。
シャクシャインの家でも、母親が感染した。しかし、母親の感染が明らかになっても、
「俺はここにいる」
ようやく二十歳になったかならないか、という年だったシャクシャインは、苦しむ母親の寝床の側から
動こうとしなかった。先に述べたように母一人子一人の家族であったから、
「俺は母の側にいる。俺は疱瘡神などには負けない」
言い張って、彼は母親が亡くなるまで見守り続けたのだ。
アイヌの人々は通常、流行り病に冒された病人が出た家は、病人を残してその小屋の門や窓を全て閉じ、
神が護る場所、つまり山奥などに作られた避難所へ逃れた後、病の神を追い払う儀式をする。つまり、
聞こえは悪いが、治療法がないのでやむなく見殺しにする、という方法しかないのだ。
しかしシャクシャインは「死ぬぞ」と言われながらも母の側に居続けて、彼女を自らの手で葬った。
アイヌの習慣にのっとって、閉じられた本来の戸口の側の壁を破り、足のほうから遺体を運び出す。
ニワトコの木をT字型に交差した物が墓標である。
「無事であったか」
やがてようやく病が収束したと思えた秋になって、部族の者を引き連れたカモクタインがメナシクルの砦に
戻ってきた。病魔に冒された小屋を取り壊し、自分で新しいものを建てているシャクシャインへ、
(疱瘡神に打ち勝ったか。さすがは)
思いながら、
「シュムクルでも、長が死んだらしい。後を襲った者はオニビシだ」
カモクタインが声をかけると、
「オニビシか」
シャクシャインはその名を呟きながら頷く。
「お前も知っているだろうが、オニビシは、前の長よりも激しい性格をしている」
母を失った彼ヘ慰めの言葉を一切かけることなく、カモクタインはわざとそんなことを言った。
悲しんでばかりはいられないぞ、と発破をかけたのだ。
「そのためにも嫁を迎えろ。子を成せ。お前は俺の跡継ぎなのだぞ」
言われて、シャクシャインは再び頷いた。疱瘡神によって奪われた命は、また新しく生み出さなければならぬ。
それが人間としての勤めでもある。
メナシクル相談役が、オニビシが正式にシュムクルの部族長になった、との話をもたらしたのが、
それから半年後の冬のこと。シャクシャインが新しい家を建てて妻を娶り、子を成し始めたのとほぼ同時期である。



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