沙ニ抗ス 12



喬家当主の喬致庸は、宗棠と同じように先帝に対して限り無い同情を注いでいるという噂である。
宗棠も自分と同じように人一倍先帝に対する愛惜の念が強く、愛国心が強いと見たからこそ、
喬は協力する気になったのに違いない。
しかし、分かっていても持ち前の頑固さと意地でそれを言わないところが、なんとも宗棠らしい。
口にするとなると、どうしようもなく照れてしまうのだろう。そしてそんな宗棠だからこそ、
「先生。私でできる事があれば、何なりとお申し付け下さい」
年に似合わず頬をうっすらと赤く染め、「フン」などと言ってそっぽを向いてしまったその横顔に、
劉は微笑ましく思いながらそう言うのである。
すると宗棠は、
「金積堡の奴らを、何とかできないか」
ため息と共に正直に漏らす。こんな時、宗棠贔屓の人間は、「たまらなく彼が好き」であることを改めて認識するのだ。
「甥(錦棠)を伴うことをお許しくださるなら、私が行きましょう。まずは霊州を落としたいと思います」
よって、劉松山もそう申し出た。何せ相手は、同治四(一八六五)年正月に、
「相互の平和を誓う」
と言って、清側の役人と内部で反発している人間を同時に招いておきながら、その場でそれらの人々を
殺してしまうような過激派である。
宗棠が総督を拝命してこちらへやって来たのは、それから五年も経っていない時分だったのだから、
当然ながらそのようなわずかな年月で、馬化龍らジャフリーヤの考えが変わっているとは、到底思えない。
「なるほど、先生がここに来られて数年にしかなりません。しかし」
ためらう宗棠に、劉は相変わらず愛嬌たっぷりに笑って、
「先生の外堀作戦は確かに効いているはずです。主将格の馬はともかく、立てこもっている他の
兵士たちはどうでしょう。私は先生のところへ来るまでに、先生のお言いつけどおり、私は陝西の綏徳県を回って、
そこに立てこもっている回民どもを征伐してきたわけですが」
言うと、宗棠は先を続けろというように、再び無言で頷いた。それを見て劉も頷き、
「周辺住民たちは皆、先生と先生の率いる軍隊を慕っていました。戦をするだけではなく、住民の生活を
考えてくれる大将であると。未平定のこの蘭州でも、霊州でも、恐らく噂は伝わっているでしょうから、
その評価は変わらないと思います。正直、私も最初は、屯田すると先生が決めて、それが朝廷に容れられた時、
いつもなら素早く断を下すはずの先生らしくないと思いました。ですが、今回は何と言っても異民族が相手。
遠回りなように見えた先生のやり方が、実は一番近かったのだと、今では皆が認めています。よって」
そろそろ決断の時だ、と結んだ。 
「うん。俺も奴らを征伐して、もっと西へ進みたい…太古より、我が国へ異国の文化を運んできた陸路を、
生きているうちにこの目で見てみたいとも思う。だが、何故か今は、単純に攻め入ることには気が進まん」
劉に言われるまでもなく、宗棠も、なかなか金積堡へ攻め入らない己自身を不思議に思っているのである。
馬化龍が生きている限り、金積堡はいつまでもジャフリーヤの本拠地である。彼らと手を結んでいた捻軍を掃討し、
その勢力を削いで、彼らによって占拠された都市を清側へ着々と奪い返しつつある。勢いに乗って金積堡まで
攻め入ってもよいのだが、
「虫の知らせ、というものかな。今少し、時間が欲しいような気がするのだ」
「ははは、それこそ先生らしくない。金積堡も、これまで我々が相手にしてきたような城と、
似たようなものではありませんか」
科学を信奉しているはずの宗棠にしては、珍しく非科学的なことを口にする、と、劉はそこで声を上げて笑った。
「傾きかけた清帝国を立て直すために働く…先生の理想は、私の理想でもあります。むろん、私ごとき、
先生の足元にもおよびませんが、それでも先生の理想を果たすためのお手伝いをさせて頂きたいのです。
どうぞ私と不肖の甥へ一軍をお授け下さい。その折には、先生も後ろから応援してくだされば、私としても安心です」
「君もなかなか口が上手い」
(やはり、俺の後、福建の海軍を任せるならコイツだろう)
そこで宗棠もようやく笑った。甘粛へ来て早数年、現地住民たちから募った兵士たちへも、十分な訓練を施してある。
(民族統一…非業の死を遂げられた先帝陛下のために。我々の理想を果たすために)
「よし、では行こう、金積堡へ」
そう考えて、彼にもやっと重い腰を上げる決心がついた。心の中で密かに頼りにしていた劉が来たから、
というのもあるし、(いずれはやらねばならぬこと)と、改めて自分へもカツを入れた結果でもある。
一度決断すると行動が素早いのも彼の持ち味。総督府を出発すると、瞬く間に霊州を奪い返し、
ついに甘粛省北部、ムスリム過激派ジャフリーヤの本拠地である金積堡へ迫った。この間、わず
か数ヶ月しかかかっていない。
素早く行動できたのは、もちろん宗棠が地元産業の発展に力を入れたためもあるし、先ほど彼の話の中で
ちらりと出てきた喬家の援助も大きい。
喬家は、陝西省東隣りの山西省において、一番の豪商であると認識されている。ことに当主の喬致庸は、
先だって援助を確約したのは言葉だけではない、ということを示すためにわざわざ総督府に宗棠を訪ね、
「これも先物投資ですよ」
と言いながら、財産のほぼ半分の白銀を宗棠のために投げうった。
いわゆるシルクロードの一部であり、貿易というだけではなく、文化の交流においても重要な国際通路である
河西回廊の安全が、もしか宗棠によって確保されたら、彼らも安心して商売に精出せる。
「そうなれば、総督への出資など軽く取り戻せましょうから」
恐縮する彼に、商売敵に陥れられて死んだ父親による、莫大な借金を抱え込んだこともある、苦労人の
喬致庸はカラカラと笑った。
多大な負債を負い、破産寸前になりながらそれでも喬は諦めなかった。太平天国の乱で途絶えてしまった
茶の販売路を再開拓し、ロシアへ輸出することで再び巨万の富を築き上げたのであるから、これもただの
「世間知らずな二代目の若旦那」などではない。
さらには、
「販売のために大量の銀をいちいち運ぶのも、危険で非効率的であるから」
と、現代の為替手形に近い証書の全国流通を目指し、票号(銀行のようなもの)を独自に開設したいとさえ目論んでいた。
「とはいえ、そのためにはまだまだ総督には働いてもらわねば、ロシアともイギリスとも安心して貿易は出来ませんが」
と、そこで喬は言葉の中にちくりと針を含ませた。己と貴様は対等の立場だということを忘れるな、
というわけである。この点、やはり転んでもただでは起きない商人らしい。
事実、当時は同じように蜂起して、今は馬化龍よりも力を蓄えたヤクブ・ベクという人物が、イギリスや
ロシアの援助を受け、新疆地区、特にカシュガルを占拠していた。清帝国としても、喬致庸個人としても、
最終的にはヤクブを取り除き、新疆地区を清側の手に取り戻すという点において、目的は一致していたといえる。
ともかく、宗棠が陝甘総督として赴任した頃には、その管轄下にあった前任のイリ将軍が回民を抑えかねて
自殺させられ、恵寧城や恵遠城などが回民軍の支配下に落ちていたという、清側にとってはなんとも
厳しい状況だったのだ。
その上、老獪なロシアは、清政府が回民の反乱鎮圧のために援助を申し出てもハッキリとした返事をしなかった。
もしかすると回民の反乱が成功し、清と自国との国境の間に新しい国が出来るかもしれない。
その場合に成立する、「新たなご近所」との関係に配慮したためである。ロシアやイギリスに限らず、
結局はどの国も自分の身だけが可愛いのだ。
(とはいえ、俺の戦いに今、ロシアやイギリスが介入してこないだけでもありがたいと思わねばならんか)
金積堡を見上げて、今日も総攻撃の命令を下しながら、宗棠は苦笑いを漏らしていた。
彼が金積堡へ到着し、馬化龍とその側近どもを包囲できたのが同治八(一八六九)年である。
それから一年と四ヶ月あまり、
「落ちませんね。なかなかしぶとい」
城壁から砲弾を浴びせるなど、未だにしぶとく抵抗を見せ続けているムスリム教徒たちを見上げながら、
劉松山もまた、ため息を着いていた。
「そうだな。我等が陸路を断っているのだから、諸外国とも連絡は取れん。したがって弾丸や食料もそろそろ
尽きる頃ではないかと思うのだが、厄介だな」
(特に、ロシアに来られたら、まことにややこしいことになる)
考え考え、宗棠は答える。
彼が警戒しているのは、動向のはっきりしないロシアが、いつ何時北から攻めかかってくるかの一点であり、
(そうなっても、十分に対抗できるだけの策はあるが)
そう考えながらも、彼にしては珍しく気弱になっていることを宗棠自身も認めている。
なぜなら、心のよりどころである宗教で団結している人間ほど手ごわい敵はいない、ということを、
先の太平天国で嫌というほど知っているからだ。
そのことは、包囲してから一年以上経っても、未だにジャフリーヤたちが頑強な抵抗を見せていることでも
明らかなのである。そしてそれも、宗棠がなかなか馬化龍へ手を出せなかった理由の一つだったのだ。
宗棠ほどの人物であれば、金積堡を包囲するだけならば容易かったろう。しかし、問題はそれからなのである。
繰り返すが、硬い団結力を誇る相手を降服させるのには、何と言っても時間がかかる。
「ロシアが来る前に、ケリをつけたい」
だもので、彼は繰り返しそう零した。先ほどの条約締結の際にロシアが見せた老獪さは、清人に決定的な
ロシアへの不信を植え付けた。加えて、清側が要請した回民鎮圧援助に対して、ロシア側が渋りを
見せていることもある。どんな形にしても、ロシアが介入してくることだけは避けたい。
「夜にまぎれて突入しましょう。主将の馬さえ捕らえれば、何とかなるのですから」
まだ四十歳前の劉は、じれてついにそんなことを言った。
「私と甥にお任せ下さい。決死隊を率いて攻め入ります。今ならきっと、大丈夫です」
「…君は」
「先生は、清のためにまだまだ必要な人です。こんな戦で失うわけにはいきません。先生が失われたら、
我々はそれこそ多大な罪を負うことになります」
己の前に膝を付き、真摯な眼差しで見上げてくる劉に、宗棠は思わず言葉を失った。
(ここへ来るまでに、ずっと感じていた不吉さはこれか)
悪くすると、劉松山は命を失うかもしれない。そのことは劉とて百も承知なのだろう。しかし、劉はもう、
宗棠にとっては大事な後継者である。
(失うわけにはいかぬ)
その迷いを見て取ったのか、劉は、
「私は武人です。戦場に死場を得ることほど、名誉なことはありません」
にっこり笑ってそう言うのである。
武人、というその言葉に、
「そうだな。そうだ」
(俺も、武人だ)
老いた宗棠の体中の血が、かっと燃え上がった。
「…よろしい。君に、頼む」
彼が言うと、再び劉松山は白い歯を見せて笑ったのである。
そしてその翌日、宗棠は物言わぬ彼と対面することになった。劉の猛攻は、敵の勢力をかなり削いだが、
「敵の砲弾を受けました」
自ら叔父の遺体を担いできた劉錦棠は、むしろ淡々とそう告げた。
「敵の砲弾を受けました」
自ら叔父の遺体を担いできた劉錦棠は、むしろ淡々とそう告げた。
「よって僭越ながら、私がその後の全軍の指揮を取りました。緊急のこととはいえ、越権行為に
当たることをしてしまい、まことに申し訳ございません、先生」
「臨機応変に事に当たるのが、軍の大将とそれに近しい者の勤めだ。君には何の罪も無いよ。
むしろ混乱を食い止めながらの帰還を、俺は高く評価する」
横たえられた遺体に取りすがって号泣したいのを辛うじて堪えながら、
「劉松山配下の者どもは、これよりそのまま錦棠を将とするように」
宗棠は命令を下した。それを聞いて、甥の錦棠ならばと、故劉松山の部下の誰もが安堵しながら
休息を取りに散っていった後、
「すまなかった」
劉松山の遺体が、戸板に載せられてどこかへ運ばれていく。その部下達の姿をじっと見送っている錦棠へ、
宗棠はそう言って頭を垂れた。
「そんなことは止めて下さい、先生。叔父は息絶える前に笑っていました。先生の手伝いをもう
出来ないのは残念だが、敵の勢力はかなり削いだはずだ、先生の理想の礎になるなら本望だと」
「笑っていたか」
錦棠が言うのを聞いて、宗棠は喉の奥で小さく呻く。
「…松山の官位は、君が全て継ぐように。朝廷へは俺から話を通しておこう」
それ以上は何も言えず、宗棠は野営の天幕の中へ引っ込んだ。
(これが、現実だ。理想を追いすぎて足元を固めるのを忘れたか。口先だけの阿呆め)
床机へどっかりと腰を下ろし、深々とため息を着きながら、彼は己を嘲笑った。
彼としてはこれまでも、なるだけ己の配下の兵たちを損なわないよう、傷つけないような戦を
してきたつもりである。だが、己の後継者と見ていた人物を失って、さすがの宗棠も
今回ばかりはかなり堪えた。
(ジャフリーヤのヤツどもも、無駄な抵抗は命を失うだけだと何故分からない。分からないから戦をするのか。
太平天国の奴らもそうだったが、宗教のために戦えば、それらの神とやらが救ってくれると
本気で思っているのか。現実は違う)
老いて節くれだった両手で、彼は己の顔を乱暴にごしごしと擦る。金積堡を包囲し続けて、気が付けば
同治九(一八七〇)年の十二月が間近である。大陸北西の晩秋の風は、頬どころか体中に突き刺さるかと
思えるほどに冷たく、天幕の裾を時折乱暴にはためかせる。
(これも、現実だ。劉は死んで、老い先短い俺が生きている。まだまだやらねばならぬことが山ほどあるのに、
反乱一つ制せず、俺はまだ、このような場所をうろついている)
天幕が跳ね上がる音がして、ひときわ大きな風が吹いた。それに釣られて彼がふと顔を上げると、
「先生、どうかあまり思いつめないで下さい。叔父の死を悼んで下さるのは、親族として大変光栄ですが」
火を入れに来たのだ、と言い言い、錦棠が松明を左手に持って近づいてきた。
どうしても風が強くて、すぐに消えてしまうのだと苦笑しながら、松明の火へ右手を大事そうにかざし、
天幕の中央へ積み上げてある焚き火へとその火を移す。
「私にとって叔父は、親以上の存在です。その叔父が、唯一尊敬していた人間が左宗棠です。その先生
が間違ったことをするはずがありません」
「…うむ」
二十四歳とまだ若い錦棠の真摯な眼差しを、しかし宗棠は受け止めきれずに俯いた。
「どうぞ先生、総攻撃を私へお命じ下さい。私ごときが先生へ申しあげるのも僭越ながら、敵を叩くのは、
敵が弱り切っている今です。叔父が作ったこの機会を、どうか逃さないで下さい。あとわずかできっと、
金積堡は落ちます。そしてそれが何よりの、叔父への供養になります」
「そうだな」
錦棠は決して宗棠を罵らなかった。むしろ逆に励ますのである。そこに宗棠は、亡くなった劉松山が
己に寄せていた深い信頼を改めて感じ取った。
(若造に諭されるとは…湖南の今臥龍が情けない。やらねばならぬ)
考えて、老いた頬に苦笑が浮かぶ。
「よし、それでは君に総攻撃を任せよう。俺もゆく」
こうして宗棠は再び立ち上がった。
(清帝国を立て直すことが出来る人間の一人に、俺がいる。俺がおらねば、西方は混乱したままだ。俺しか出来ん)
そう考えることは、たとえようもなく傲慢であり、他人に漏らせば反ってくるのは失笑ばかりであることなど、
十分自覚している。彼はいつものごとく、敢えてそう考えることで、己の心を奮わせたのだ。
そして同治九年も明けて、翌十(一八七一)年。
再びの猛攻撃を受けて、金積堡内は大変に混乱した。ここに立てこもっている人々も、もともと、
正規に軍隊としての訓練を受けていたわけではない。よって、戦い方としては流賊に近かったのである。
それでも曲がりなりにも今まで勝利を収めていたのは、ひとえにイスラムを信仰する人間達の団結力のおかげで、
その人間達も先だっての劉松山の攻撃を受けて半数以下に減り、さらには食料、弾丸も尽きかけているのだから、
「口先だけのきれい事を並べおって」
と、今まで抑えていた不満が爆発するのも致し方ない。何よりも、文字通り「腹が減っては戦は出来ぬ」
のである。劉錦棠の献言は、偶然とはいえ当たっていた。
なにより、親以上に慕っていた叔父を殺された錦棠の攻め方は、まことに凄まじかった。弱っている相手を
とにかく力押しに攻め、金積堡の城壁を破壊した上で、ついに同治十年三月、ジャフリーヤの主将であった
馬化龍を捕らえたのである。
「…貴様が馬化龍か」
(こいつも、確か俺とそう変わらない年だったはずだが)
縄打たれ、自分の前に引き据えられてきたジャフリーヤの主将を見下ろしながら宗棠が問うと、ほぼ全てが
白い髪の毛を震わせて、馬化龍は彼を見上げた。
「いかにも。俺が馬化龍だ」
ろくに食っていなかったのだろう。薄汚れている頬はげっそりとこけ、目ばかりがただ、憎しみに光っている。
「俺は、清帝国の法にのっとって、貴様を処刑せねばならん」
その目をまっすぐに見つめながら宗棠が続けると、
「するならとっととすればよい。処刑しようとする人間に、なぜいちいちそのようなことを断る」
フン、と、鼻を鳴らし、馬化龍はその目に軽蔑の光すら湛えて言葉を返す。
「貴様に問いたいことがあるからだ。何故、フフィーヤのようになれぬ。命を無駄にする」
「俺が戦ったのは、貴様らに俺達の信仰と自治を認めさせたかったからだ。俺に賛成する人間が多数いたが、
そんな人間も、貴様らと戦うことで命を惜しんだことはない。何故、貴様らにそれが分からん。いや、
分からんだろうな」
宗棠の問いに馬化龍はそう答え、声を上げてひとしきり笑った。そして、
「貴様らから見れば、西方の、ほんのちっぽけな土地だろう。そんなちっぽけな場所に住む人間が、
ささやかに信じているものを、何故貴様らは認めようとしない。俺は、俺の信じるもののために戦った。
貴様らにただ、俺達のことを認めさせたかった。だがその小さな理想さえ果たせずに失敗した。
それだけのことだ…悔いはない」
再び目を光らせて彼は宗棠を睨みつけ、自ら首を差し伸べたのである。


to be continued…


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