沙ニ抗ス 6



(翻せるとするなら、駱秉章殿の人柄だろう)
胡林翼はこの頃、太平天国撲滅の総大将である曽国藩直属の指揮下に入っていた。であるから、
他の将帥とも顔見知りであり、今度湖南へやってくる駱秉章のことも良く知っている。
駱秉章は胡、宗棠の二人よりも二十ほど年上の、学も深く大変に温和な人物である。
雰囲気的にはどことなく、先だって亡くなった林則徐に良く似ていた。
(彼ならばきっと宗棠の才能を引き出せるし、宗棠自身を認めてくれるに違いない)
そう考えると、胡も後世、名政治家と呼ばれた者らしく、行動は早い。
(湖南に宗棠は絶対に必要だ)
頭からそう信じているので、彼は早速、巡撫に着任したばかりの駱秉章の元を訪れて、
「閣下にもお聞き及びでしょうが」
と、熱っぽく彼の友人のことを語った。さすがに胡の説くところは、実際にあの攻防を
目の当たりにした者らしく、現実味がある。
全てを聞き終わった後、
「私は実際に、その戦いをこの目で見たわけではないが」
駱秉章は大きく頷いて、
「彼の噂はよく聞いている。惜しくも田舎に引っ込んでしまったというが、私からもぜひ、
私の元で働いて欲しいと要請するつもりだったのだ」
と言った。
個人の戦功が大げさに喧伝され、結果、噂だけが先行するのは、今も昔もありがちなことである。
だが、今回の場合、宗棠には実際に大きな功がある。曽国藩に付き従っている将なら、
誰もがそのことを知っていた。
しかし功績を立てた宗棠自身、正式な政府の役人ではなかったということも災いして、
何の褒章も得ていない。宗棠の方も(俺が何を言っても、また「今更」などと思われる)と思って、
日頃の彼に似ず、大げさに言い立てるのを好まなかったから、
「彼への評価は、大変に不当である。私も個人的に気の毒だと思っていた」
駱秉章は、義理ばかりでなく、心からそう思っている様子で胡に告げた。素直な気質の人間の元には、
やはり似たような素直で大らかな人間が寄ってくるものらしい。
「彼の力は必要だ。すぐにでも私の元へ呼び寄せる。決して悪いようには扱わない」
繰り返しそう言う駱秉章を見て、
(これならば)
胡は思い、ホッと胸を撫で下ろして、彼の新たな赴任先である湖北省へ向かっていった。
とりあえず、かつての陶?邸へ身を寄せた宗棠のもとに、「再び湖南のために働いて欲しい」という
駱秉章からの使いがやってきたのは、それから間もなくのことである。
「先生にはさぞや不快なこととは存知ながら、駱巡撫閣下は先生のお出ましを切望しております。
どうぞ曲げてお越し下さいますよう」
と、床に這いつくばるようにして使者が頭を下げるのを、苦笑しながら止めさせて、
(これは胡が何か言ったな)
カンも良い宗棠のことだから、すぐにそう察した。ついで(アイツは相変わらずお節介焼きだ)
とも思ったが、胡林翼が常々彼に向かって、
(君を野に埋もれさせておくには惜しい)
と告げている言葉を思い出し、自分へ寄せてくれている友情と信頼は、ここまで重いものであったかと考えると、
「分かりました。どこまでお役に立てるかどうか分かりませんが、力を尽くしましょう」
長年の胡の知己に応えるため、そう言わざるを得ない。
その答えを聞いて、使者もまた安心したような顔をして去っていくのを見送りながら、
(さて、駱秉章とやらの人物を見てやろうか)
宗棠は自分を奮い立たせるためにも、そのような傲岸不遜なことを敢えて思った。
元々失うものなど無い自分である。息子達はそれぞれの書院へ通っていて、引き立ててくれる人物もいるし、
娘もついに陶の息子に嫁いだ。四人目の子を身ごもった妻、周夫人も、散逸していた文学書の編纂に着手した。
どうやらそれを自らの生涯の仕事としているらしく、自分に夫としての役目を期待している風でもない。
強いて言うなら、子供が無事に生まれてくるかどうかだけが心配ではあるが、
(俺がいなくとも、他の者がなんとかしてくれるだろう)
そう考えると、決断はいつもの事ながら早い。家族へ別れを告げ、宗棠が再び進士の帷幕へやってきたのは、
彼が初めての功績を挙げた三年後、咸豊五年のことだった。
「これは、左先生でいらっしゃるか」
そして駱は、宗棠が長沙へやってきたことを知ると、飛び立つようにして省庁から出て、
「貴方のおいでをお待ちしておりました。貴方の武勲は、胡林翼よりつぶさに聞き知っております。
先ほどの戦ではかくも功績を挙げられながら、不当な取り扱われよう。まことに気の毒に思っておりました」
二十も年下の「若造」へ向かって、慇懃に腰を折った。これには、さしも不遜な宗棠もいささか慌て、
「貴方のような年長者が、私ごときへそのような丁寧な礼は」
少年のように、髭の中の頬を赤くした。それを見て、
(なるほど、少々偏屈ではあるかもしれないが、根は素直なのではないか)
駱秉章は思った。彼とて太平天国の乱の平定を任されている、いっぱしの政治家である。宗棠が、
自分を値踏みにも来ていることくらいは百も承知であるから、
(一度、全権を任せてみようか。どのような働きをするか)
と、大胆なことも考えた。これが駱の、一種の人物試験のようなもので、自分の帷幕に新たに加わった
見込みがありそうな人間には、一度自分の仕事の全権を委任し、試しにやらせてみた上で、実際に
その人物がどのような部署で使えるかを見るのである。
もっとも、これはある面で職務の怠慢ということにもなるが、今までに駱のお眼鏡に適った人間は
現れたためしはない。そしてこれも当たり前かもしれないが、今までに彼に紹介され、または彼を訪れた客は、
大きな口を叩く割に、それぞれがそれぞれに得意とする分野でしか能力を発揮できず、
「この人物なら、この仕事が適当…」
確実に任せて安心と、駱が判断した以外の仕事はさせてもらえないか、口先ばかりで全く役に立たないと
判断されてしまい、そもそも客としては迎えられなかった。
したがって、これまでに駱の帷幕に迎えられている人間は、いわゆる糧秣担当なら糧秣担当、
苦情担当なら苦情担当と、その人間のこなせるそれぞれの分野でのみ使われていたのである。
もっとも雇う側の駱秉章やその他、帝国に「雇われている」進士にしてみれば、今はまさに
国家存亡の際である。一地方に生じた小さな傷によって、いつ何時国家全体にヒビ割れが走るか
分からないのだから、滅多な人物に重要な仕事を任せるわけにはいかないのだ。大雑把どころか、
むしろある意味、非常に冷静で公平な人物評の物差しを持っていたと言えるのではないか。
というわけで、
「貴方には、しばらく私のお仕事全体をお任せする。ご自身で考えられ、ご自身の良いように治めてくださればよい。
もちろん他の人間にも、貴方の命令には絶対に従うよう、私から申し渡しておく」
初対面で彼は、いつも新しく帷幕に迎える人間にするように、
(この方は気前がいいのか、それとも)
さすがに「変人」宗棠も目を丸くするようなことを告げた後、続けて、
「失礼かもしれないが、それによって、貴方がどういった分野に適しているかを拝見させていただくし、
その結果いかんによっては、客としては迎えられぬこともあるかもしれない。そのことは、
先生にも十分ご承知おき頂きたい」
至って真面目に、ずばりと本音を言ってのけた。
(この人物は張亮基とはまた違う)
宗棠もまた、駱秉章に対する見方を改めると同時に、亡くなった林則徐に通じる懐かしさを彼に感じた。よって、
「湖南を護るため、先だって太平天国を追い払ったという先生のお力を、ぜひ私にもお貸し頂けますまいか」
駱が改めて腰を折り、頭を下げるのへ、
「誓って犬馬の労を厭わず尽くしましょう」
むしろ奮い立ってそう答えたのである。
果たして駱秉章は大いに喜び、湖南巡撫の官印を彼に預けた。もちろんこれは、湖南における反乱掃討の全権を
宗棠へ委ねたということで、
(これは冗談ごとではない。これまでのように、ただ策を立てて、それを上役に実行させていればよい
というものではない)
 手のひらへ載せられた小さな印のその重みに、宗棠は改めて責任の重大さを感じ取り、口を結んで
  鼻の穴から大きく息を吐き出した。
官印を預けられたということは、実際に反乱掃討の指揮を取るのは宗棠であり、実質的な権力は
宗棠にあるということを、湖南人へ強く印象付ける一方、本来の巡撫である駱への敬意と権威を
損なわせないように気を遣わねばならないということである。
要するに、大きな功があるからといって、客が本来の主にとって代わって、大きな顔をしていいものではない
ということだ。
兵力はあくまで主のもので、客はその兵力を借りて己の才能を実現するに過ぎず、成功したとしても
その功績は全て主に帰するものでなければならない。一人の客が、「己の功だから、己が主に代わって
褒美を受けるべきだ」と主張してしまえば、後から加わった客もまた、それに倣って主を軽く見ることになり、
ひいては新たな混乱の火種になる。
張亮基もひょっとするとそのことを心配して、敢えて己に褒賞を与えなかったのかもしれぬ。
そのことに考えが及ばなかったわけではないが、宗棠は改めてそう思い直し、自省するとともに、
副次的な災難を避けるためにも、
(駱秉章に功を立てさせつつ、大いに敬わねばならない。果たして俺にそれができるか)
己が仕事を上手く裁量できるかどうかよりも、むしろ己の世渡りの下手さを心配した。
もともと彼は「俺ほど才能のある人間はいない」と、周囲へ常々言っていた人間であるし、四十歳を越えた今も
、いささかもその自尊心に変化はない。
実際に彼は、頭と舌、二つながら回転が非常に早かったから、たとえ教養は深くても響きの鈍い人物を相手にすると、
もう尊敬する気持ちをなくしてしまう。つまり、自分が心から敬服出来る人間でないと、敬うというポーズさえ
出来なくなってしまうのだから、
(俺という人間は、本当に厄介だ)
張との場合を思い出して、彼は苦笑した。しかし幸い、初対面での駱秉章に対する彼の印象はさほど悪くない。
どちらにしても、彼にとって才能発現の機会が再び巡ってきたのは喜ぶべき事で、
(やれといわれたのなら、俺の才能の限りを尽くしてやらねば)
彼は再び褌の紐を締め直すつもりで事にあたったのである。
吹き付ける風が次第に冷たくなる頃、宗棠がいわば巡撫代行として、再び湖南の護りについたのと同時期に、
再び太平天国が長沙に攻め寄せてきた。
この時もまた、宗棠は民兵を組織して、正規軍とともに大いに戦わせている。結果、十二月初旬には太平天国も
ついに長沙の攻略を諦め、その北の武漢へ矛先を変更した。宗棠は再び長沙及び湖南省を護りきったのである。
「貴方は噂どおりの人物だった」
果たして駱秉章は大喜びで、
「これからも貴方に任せておけば安心だ。私もやっと安心して楽が出来るというものだ」
と、宗棠に向かって冗談交じりに言った後、
「官印は貴方に預け置く。私の代理として大いに働いて欲しい」
とまで告げた。
駱の人物試験は、この時点で終わったはずで、それなら官印は、ここで宗棠から返却を命じねば
ならないはずのものである。
それさえあれば、湖南省の政治一切を牛耳ることが出来るほどの重みがあるものを、宗棠に
預けっぱなしにしておくということは、駱秉章が宗棠を大いに気に入り、その人物を見込んだということになろう。
駱ももともと、胡林翼から宗棠についての良い噂を散々に聞かされているから、宗棠に対して悪い先入主は
全く持っていなかった。その上、彼の不遇についても大いに同情していたから、
(「挙人風情」で、官位を持てぬ身なのだから、せめてこれくらいはいいだろう)
と考えて、己の仕事のほぼ全部を宗棠に任せたのかもしれない。
こうすれば功績は駱秉章のものにはなるが、実際に湖南のために役に立っているのは宗棠なのだと、
広く民衆に知らしめることが出来る。そうなると宗棠も多大な敬意を彼らから受けることになるわけで、
少しなりとも宗棠に、というよりも、彼の智謀に報いることが出来るかもしれない、と、
駱秉章は純粋な好意から思ったのだ。
いったいに智謀の士を自認する人間にとって、他の人間にその才能を認めてもらえることほど嬉しいことはないし、
それによって生じる褒賞などは、まさに付加価値に過ぎない。つまり、「金や地位などは二の次三の次」なのだ。
ましてや宗棠の場合、喉から手が出るほどに切望していた才能発現の場を、駱がぽんとばかりに
与えてくれたのである。よって、
(この人のためならば)
ここで良い意味での彼の単純さが再び顔を出した。
そこまで自分と自分の才能を信頼してくれる駱秉章と、湖南のために、今臥龍である己の智謀の限りを尽くそうと
奮い立った結果、太平天国はついに長沙ばかりでなく、近くにある大都市の一つだった桂林もまた、
落とすことを諦め、ついに六省から去って湖北省武漢から北へ去った。よって、駱秉章の功績は
さらに大きくなったのだが、これはあげて、左宗棠の働きのおかげである。
「胡林翼ではないが、やはり湖南には先生ならでは、と、私も言わせていただこう。さすがは今臥龍だ」
そのように、駱が宗棠へ寄せる信頼はいよいよ大きくなった。
それからも、この二人はそういった、息の合うコンビとして湖南省を護っていったのだが、当然、
それを見ていて面白くない人間も出てくるもので、
「これは問題ではないか」
張亮基の後、湖広総督として新たに就任した官文が、そう言って二人を弾劾したのがそれからほんの
一年半あまり経った咸豊十(一八六〇)年のことである。
官文は旧満州出身の人間で、漢民族ではない。中央政府から派遣されていながら、漢民族である彼らほど、
太平天国掃討にはかばかしい成果を上げられなかったという焦りや、左宗棠のようなブレーンが
自分の左右にいないという嫉妬もあったろう。
「駱秉章殿は職務怠慢、その客の左宗棠殿は越権行為に当たろう」
ともかく、官文がそんな風に政府に上奏までしてしまったものだから、
(官僚はこれだから)
それを湖北で聞き知った胡林翼は、自分も官僚の癖に、舌打ちしたい気分になって慌てた。
国の内外に敵がいるというのに、今はつまらない妬みで官僚同士、足を引っ張り合っている場合ではない。
胡の理屈からしてみれば、
(湖南省だけでなく、長江一帯における太平天国に対するには、左宗棠でなくば)
一日たりとも宗棠という駆除薬は欠かせないのだ。
よって、弾劾されている当の二人よりも、むしろ胡のほうが焦り、
「あの二人が弾劾されています。お聞き及びでしょうが」
と、早速、太平天国掃討の総大将である曽国藩を訪れた。実刑が確定してからでは遅いし、
事実、駱も宗棠も、そういった政治的駆け引きに長けているとは到底言い難いから、
(ここは、やはり私が骨を折らねば)
「あの二人はこれまで私腹を肥やしたこともありませんし、また、そういったことをそもそも
考えもしない人物です。事実、湖南省の民は宗棠が賊を追い払ってくれたというので大喜びしているくらいです。
一体何の罪があるというのでしょうか。ここでお上が宗棠を罷免なさるようなことがあれば、
再び反乱が起きるでしょう」
半ば脅しとも表現すべき物言いで、胡は曽へ申し述べ、宗棠の弁護を強く要請した。

to be continued…


MAINへ ☆TOPへ