蒼天の雲 8





二部   古河 

  1 

「姉上様は、遠くへお嫁に行きやるのか」 
「そうじゃなア」 
「左衛門じいが申しておったゆえ。姉上はご自身から何も申されぬし、父上や母上も子供には
関係ないからと教えてくださらぬ。ならば千代自らお聞き致しまいたほうが早いと思うて」 
さて、志保が遠く古河へ嫁ぐことが決まると、北条家の身辺は再び慌しくなった。彼女の衣装や
古河殿へ奉じる大枚など、父氏綱と継母の近衛氏があれこれ指図するのを尻目に、志保は今日も早雲寺へ
詣でる。手をつなぎながら石段を登り、鳥居をくぐると、小さな弟が、はや、つぶらな瞳に涙をためてこちらを見ている。 
「姉上様が、遠くへ行きやるとなれば、お千代はどうすれば」 
「お千代殿はそのようにご心痛か」 
京では天皇の代替わりがあり、年号もまた永正から大永に変わった。その大永元(一五二一)年、
彼女の同腹の弟はようよう、数えで七ツあまりになったのであるが…。 
「ふむ…」 
答えに詰まって差し俯く彼はまだまだ幼い。志保は苦笑しながらその顔を覗きこんだ。 
北条の姫に恥ずかしくない、しかし故入道の「二十一か条」に背かぬよう、華美過ぎぬ嫁入り支度をと
周囲が張り切っているうちに、境内の桜の葉がいつの間にかまた赤く色づき、時折吹きすぎる風が
それを境内の砂利の上へ散らせたりしている。 
「そうじゃ。姉が参るのはの、下総の古河という所にござりまする。ここからはずいぶんと遠いのう」 
数日来の雨が去ってまた高く青く澄み切っている秋空を見上げ、小さな手を握り直しながら志保は遠い目をした。 
彼女が嫁ぐことになった古河公方家の情勢は、どんなものであったろうか。 
関東公方が古河へ移ることになった原因は、先だって述べたとおりである。早雲入道の義兄の
父にあたる今川範忠によって鎌倉を追われた公方家には、御料所(主に公家、天皇や将軍などの直轄地をさす)
が当代公方高基の祖父、成氏のころには鎌倉周辺の相模と、下河辺荘一帯の二つあった。古河はそのうち、
下河辺荘の中心都市である。 
そこから上がる「収益」は、鎌倉府を追われたとはいえ、関東公方やそれに従う者たちの胃袋を常に
たっぷりと満たすことが出来たという。また、渡良瀬川や利根川など水上交通の便もよく、
少し移動すれば公方家にとっての味方である岩松氏や佐野氏とすぐに連絡を取り合うことが出来る。
さらには、当時辺りに散らばっていた大小の湖沼や湿地などが、いわば天然の要害となっていたし、
これらの水の流れを関宿城で主に制していたのが、これまた公方家の重臣である簗田一族だったのだ。 
よって、成氏がここへ本拠を移したのは最もな考えであると言えよう。古河へ腰をすえた成氏は、
その後の内紛を経てようやく文明一四(一四八三)年、幕府と和睦、『古河公方』として正式に
成立し得たのだ…。 
だが、そんな危うい橋を渡ってから半世紀も経っていないことをケロリと忘れ、政氏と高基が
争い続けたことも先に述べた。原因は、親子二人の政治路線の違いなのである。 
関東管領山内上杉を政氏は支持し、高基は伊豆にあって着々と力をつけてきている新勢力の
北条を利用しようとした。目指すところは同じ古河公方の権威と名誉回復ながら、後者がより
積極的な革新の方向を目指していたのは、たれの目にも明らかである。 
簗田高助や、正室の父である宇都宮氏を当初は頼った古河高基であったが、いかんせん父政氏には
やはり代々培ってきた管領上杉家との繋がりもさることながら、他の重臣、小山氏との密接な関係もある。
ゆえに、一旦は北条のことを「所詮は成り上がりよ」と言い捨てはしたものの、公方家の中ばかりでは
味方は増やせぬと見たのであろう。志保の祖父入道、早雲が扇谷上杉縁故の三浦氏をも滅ぼして、
着々と基盤を広げていくのを知り、一転してもとより北条へ好意を抱いていた簗田高助を仲立ちに、
「つきあい…」を求めてきたのが志保の生まれた永正元年のこと。 
その後、ほぼ三年おきに公方家で内紛が起きていたことも述べた。結果的には子である高基が父を追い、
古河城へ入ることで正式な三代目古河公方となったのであるが…。 
「どうして古河へ参られるのが、姉上でなければならぬ」 
「ウン…」 
 弟の手を握ったまま、志保は喉に何かが詰まったように頷く。それきり黙ってしまった志保と
  つないだままの手をゆすってお千代殿が再び言った。 
「お千代は、嫌じゃ。寂しゅうござりまする。古河へ行かれたら、もうそれきりこちらへは戻っては
こられぬのではありませぬか?」 
「そのようなこと…」 
弟と同じ目の高さにしゃがんで首を振りながら、しかしあり得ぬことではないと志保は思う。 
 三浦氏と北条が繰り広げていたあの戦いの間に、古河政氏は小山氏の支持を失って扇谷朝良を頼り、
  武蔵国岩付城へ遁走したという。あれから三年、高基の弟である義明にも兄弟結託して背かれて
  、朝良死去の後は武蔵久喜館へ引っ込んだそうな。 
(親子で相争うとはなア。それこそ寂しいことよ) 
 いくら考えが違うからとは言って、実の父を居城から追い落とすような真似が、果たして己にできようかと
  、志保は思わずわが身と比べて嘆息した。 
『違いよ、考えの違いじゃ』 
 かつて祖父をなじった父を、祖父が笑って許したのが思い出される。父とて、決して本気で祖父を
  なじったのではない。祖父と父の間には、まごうことなき「親子の間の信頼」がずっしりと存在していたし、
  それはまた、今の己と父の間にもあると、志保は確信を持って言えると思っている。 
なのに古河公方家では、結託して父を追い出したはずの兄弟が、兄が古河公方の地位に着いた途端、
その兄弟の間でまた争っているのである。高基の弟、義明が兄を支持していた千葉家重臣の原氏から
下総小弓城を奪い、そこへ居座って「小弓公方」と称し、兄の地位を脅かしているのだ。 
小弓公方は扇谷上杉や安房の里見氏、常陸の小田氏や多賀谷氏など、関東公方を支持する豪族の大半を
味方につけ、古河側の根木内城や小弓側の名都借城などで激戦を繰り広げた。一旦は簗田高助の居城である
関宿城まで迫る勢いであったそうな。 
ゆえに、簗田高助は北条の力を借りようと、しゃにむに志保を自身の娘分としたがったのである。
政略的にはともかく、父氏綱がそのような「戦のるつぼ」へ、自分の娘を送り込むことを限り無く
躊躇したのも親子の情として無理もない。 
(源氏の血を引く将軍家とその連枝は、よくよく肉親で争うことの好きなお家柄と見えるの…) 
だがそこへ、血族の端々にいたるまで大事にした平氏の血を引く己が入れば、と考えて、
志保は体中が熱くなるのを感じた。 
(いにしえより、身内を大事に考えるのが平氏の血ゆえ、もしか私が争いの架け橋となれたなら…
これが、「おなごの戦い」なのであろう) 
 関東公方の重臣が名指しで北条の助けを求めるようになったということは、父の言うように、
  関東における北条の力がいずれの豪族諸氏にも無視できぬほどに大きくなりつつある、ということではないか。 
 相模湾へ流れ込む河より採れる豊富な金も、北条の力を大いに伸ばした。城下町としての面目を
  改めだした小田原にも上方より続々と人は集まり、戦は北条の領土のはるか外側を描く弧の向こうで
  起きているようなものである。小田原だけでなく、北条の治めるほかの地のいずれにおいても、 
「北条殿が必ず守ってくださる…」 
と、人々は信じて平和を満喫しているように見えた。 
「姉はなあ」 
 しかし、戦が起きるところに民の悲劇もまた必ずある。かつて己が参加した戦の折、飢えた民を
  瞼に思い描いて志保は再び言った。 
「我らの治める地でばかりではなくて、公方様のもとでも、皆が幸せに暮らせるように…こなた様の
おじじ様と約束しまいたゆえ、古河へ参りますのじゃ。約束はの、必ず守らねば成らぬものじゃによって」 
「…ウム」 
「大丈夫。もしも公方様のところからも争いがなくなりまいたら、いつでもこなた様のお顔を
見に戻ってまいれましょう…アア」 
 ぷっと膨らんで紅い弟の頬を、白い両手で包んで彼女は笑う。 
「戦の無い世の中に…それはなあ、父上やこなた様次第かもしれませぬがなア」 
「はい…?」 
「それゆえ、もしも姉にまた、こうやってお会いになりたければ、こなた様が偉くおなり下され。約束して下さるかの」 
要領を得ず首をかしげる弟の様子に、昔の己が被る。微笑を刻んだまま、志保は口癖になった言葉をそんな弟へ告げた。 
「なります。きっとなるゆえ、姉上様も」 
「おお、お約束いたしましょう。お千代殿が偉くなられまいたら、また小田原へ戻ってこようとなあ」 
(そうじゃ。約束は守らねばならぬ)  
小さな小指へ、細く長い小指が伸ばされる。その姿を夕日が照らして、境内の砂利へ二人の長い影が伸びた先へ、 
「おひい様!」 
小さな髷を変わらぬ調子で降りたてながら、松田左衛門が現れた。 
「じい」 
「いつまでお待ちしましてもお戻りがないゆえ、じいが参りまいた。さあさあ、
冷えるゆえ、お千代様も。籠を用意してござる」 
 まるで実の孫のように、志保の背を己の手で覆わんばかりにして、左衛門は二人を
  石段の下へ待たせてある籠へと導く。 
(じいも年を取ったのう) 
 嫁入りは、霜月吉日である。いよいよひと月あまりのちに古河へ輿入れするとなって、
  改めてこの宿老の姿を見やれば、 
(心労ばかりかけたゆえに) 
皺も増えた。志保が幼い頃にはところどころにあったはずの黒髪は、いつのまにか全て白髪に変わり、
その白髪もめっきり薄くなった。 
 だが、左衛門は己の年をものともせず、今でも古河公方や小弓公方との折衝に心を砕いている。
  特に彼が苦労しているのは、志保が古河へ送り込まれる道中、いつ小弓公方側の豪族の襲撃を受けるやも
  しれぬというので、その護衛の兵を選び出すことらしい。 
「おひい様。このじいも古河までお供致しますぞ」 
 志保が揺られる籠の外から、左衛門が声をかけた。 
「何、古河まではこのじいが幾度となく通い慣れた道。確かに遠くはござりまするが、目をつぶっていても
ご案内できまする。ご安堵くださりますよう」 
「ふふ」 
 古河公方側からも護衛の兵を出すと言ってきてはいるが、その古河そのものが常に臨戦状態なのである。
  花嫁御寮のために割ける兵はいかばかりであろう。実質、あてにならぬと思っておいたほうがよいかもしれぬ。 
(もう、他国同士の盟約など当てに出来ぬ時代になってしまっているのかもしれぬのう)  
そう思い、志保は思わず失笑した。 
(それを『当てにさせる』ために、私は古河へ嫁ぐのではなかったか…『約束』は守らねば、とのう) 
 齢十八。麗質が多い一族の血を引いたせいか、瞳は大きく涼しげである。笑うと左の頬にはうっすらと
  笑窪が出来る。顎から肩にかけての線は娘らしく細く、一見、穏やかそうではあるが、その実、
  男顔負けの激しい気性を秘めているとは、初めて志保に接した人間はたれも思うまい。幼い頃、祖父入道が
  似ていると言った彼女の祖母、小笠原氏の肌の白さと、祖父の力強い意思の宿った瞳を彼女は受け継いだらしい。 
「おひい様。古河へは船を使って参る予定にござりまする。真理谷海軍も護衛に加わりまいたゆえ、お心安う」 
「…フム」 
 籠の中で志保は頷いて、その大きな目を伏せる。真理谷海軍とは、かつて三浦義意と姻戚関係にあった
  真理谷氏に属する海軍であり、三浦氏滅亡の後は北条へ下った。 
「まずは、簗田殿の関宿城を目指しまいて、相模湾から江戸へ、そして川へ入り、逆川を遡りまする。
なかなかに良い眺めにござる」 
 左衛門が得々と話し続けるのをなんとなしに聞きながら、 
(義意様) 
志保は初恋の人の姿を思い描いた。その正室は三崎城が陥落する寸前に城外へ落とされ、 
早雲入道の前に引き出されたが、 
「…そのままお届けいたせ」 
との彼の言葉により、実家である真理谷氏の元へ丁重に送られた。義意との間に子は無かったらしいが、
義意戦死後は髪を下ろし、泣き続けて枯れる様にこの世を去ったという。 
(そのような世にせぬために…戦の無くならない世であれば、せめて泣く人間が少なくなる世に近づけるために…おじじ様) 
「逆川沿いの関宿城からは、古河城はほんの目と鼻の先。簗田殿とのご対面の後は、存分に関宿で疲れを
癒されまいて後、古河へ向かわれたがよいと」 
「左衛門」 
「は」 
 周囲の人のざわめきが、小田原城に近づいてきたことを彼女に教える。古河への道のりを思い描いているらしい
  左衛門へ、志保は籠の窓を少し開けて話しかけた。 
「まだひと月は先のこと…じゃが、これからひょっとして言う折もないやも知れぬによって、先に申しておく。
…今まで世話になりまいた」 
「おお?」 
 すると馬上の左衛門は、驚いたように皺深い目を丸くして二、三度しばたたいた後、 
「おひい様らしゅうない。突然何を申されまするやら…この老いぼれに勿体無うございます」 
「否」 
まだ飯時にはずいぶんと間のある時刻である。だが、もう秋の夕闇は小田原城の周りまで迫っており、
藁を焼いたような香りがつんと志保の鼻をつく。大手門の前で自ら籠を降り、弟の手を握りながら、 
「志保はなあ、こなたを第二の祖父とも思うておる」 
後につき従う左衛門へ彼女は語りかけた。 
「…は…いやはや、なんとも」 
すると左衛門は、いよいよ恐縮して、懐から出した手ぬぐいで額の汗を拭うのだ。 
「古河に参るまで、今少し面倒をかけまするが、よろしゅう頼むぞえ」 
「それはもう、何におきまいても…はは、は…」 
そこで、左衛門はふと、志保から目線を外して藍色の空を仰いだ。 
「…年を取りますと、涙もろくなっていけませぬなア」 
「なんの」 
 いつでも正直な彼に、志保も思わず微笑を漏らしながら、 
「ほれ、まだまだ手間のかかるお千代殿もござるのじゃ。こなたにはもっと長生きしてもらって、
おじじ様の代わりにお千代殿も見てもらわねばのう」 
「おお、おお。まこと、左様でござりまいた。まだまだ踏ン張らねばなりませぬな」 
歩きながら話している間にも、夕闇は濃く彼らを包んでいく。西日へ向かって三羽ばかり、
飛んでいくのは雁の親子でもあろうか…。 



…続く。