我が胸中に在り 13



 ともかくもその翌々年、
「まあこれで、私にもいずれ、和子様のお顔を拝めましょうなあ」
十六歳になった義満は、彼の正室として、大納言の日野家から業子を迎えた。いつの間にか
自分よりも背が高くなってしまった「息子」が、彼よりも七歳年上の業子を後ろに従えて一人前に
挨拶をする。優しい笑みでもってそれを見る幸子へ、しかし義満は、生母の良子に良く似た
ふっくらしている下膨れの頬を少し引き締めて、
「お母上様。人払いを」
尖った声で彼女へ言った。心得た庸子が業子を連れて別室へ去り、他の侍女達も姿を消してしまうと、
「上様には、如何なされました」
「頼之がことにござりまする」
「フム。管領家が何か」
とぼけたように言う幸子のほうへ、義満は業を煮やしたようにずい、と、膝を進め、
「お母上様は、頼之を憎んでおられるとか。まことにござりまするか」
「まあ。どこからそのようなことをお聞きやった。根も葉もない噂じゃ」
「ですが、母上様は頼之の管領職を、近々解くおつもりじゃと…そのおつもりで、
斯波を動かすのではと、皆が申しておりまする」
「ほほう。私にはそのような権限はござりませぬが」
すると幸子は、面白そうに義満の顔を見て、
「もし、そうだとしたら、上様はどうなさりまする?」
逆に問い返す。思わず言葉を失った「将軍」の顔は、まだまだ幼い。幸子は慈母の眼差しを
彼の面に注ぎながら、
「ワキのことごとくにそっぽを向かれ、演技も拙い…そのようなシテを、上様なら見物料を
払ってまで観たいと思われるかの」
「それは」
「征夷大将軍という地位はなあ、昔は『あずまえびす』を退治した、坂上田村麻呂とか仰る将軍へ
捧げられたものと聞いておりまする。じゃが、今は違う」
「はい」
「上様が毎日召し上がる朝餉、夕餉や、それ、今まとっておられる御衣装も、全て民が額に
汗して作ったもの。征夷大将軍というものは、その民を護るためにある」
幸子の言う「征夷大将軍」の意味を、違うように捉えていたらしい義満は、彼女の口から
意外な言葉を聞いて、丸い目をもっと丸くした。
「我らを生かしてくれているのは、民と、神仏じゃ。我らの政が拙ければ、いずれ民は
我らからそっぽを向くであろう。されば、見物料をもらえぬシテと同じではないかや」
そこで幸子は小さく笑みを浮かべ、次の瞬間にはそれをさっと引っ込めて、
「上様にもようくご承知のことであろうが、我らの最終目的は、南朝と北朝の一本化。
一枚岩となってかからねばならぬ時に、ワキを固めず一人突っ走り、舞台の和を乱すシテには、
管領たる資格は無い!」
日頃の彼女に似合わず、カッと目を見開いて強く言い放ったのである。しばらくは、庭の木々を
吹き抜けていく風の音ばかりが流れていき、やがて、
「たとえ管領が頼之殿でなかったとしても、のう。私はそう考えたに違いありませぬ。これまでも、
その任にあらずと思うたら、遠慮のう決断を下してきた。上様も、それを側でご覧になってきたからには、ようご存知であろ」
黙り込んでしまった義満へ、再び幸子は語った。
「たとえ上様の御父代わりであったとしても、もらった役を演じきれぬ役者同様、能の無いものは
消えねばならぬ道理。でなければ、幕府の存続は危ういし、民の生活はすぐに崩れる…初代様以来の
宿老でいられる土岐頼康殿も、一度は頼之殿にヘソを曲げられて、領国へ帰ってしまわれたであろ。
土岐殿だけではなく、京極高秀殿、帰参を許された斯波殿ご一族や、呆れたことに頼之殿によって
幕府へのとりなしをしてもろうたた山名一族…さらには、我らの帰依を受けているからと、
信教の上での心強い味方であった五山の方々も、そして上様の叔母君(祟光上皇后、頼子)や
上皇派の方々、ことごとく頼之殿からそっぽを向いておるとお思いなされ。上様には幕府を護る義務がある。
厳しいようじゃが、このまま頼之殿を庇い続けられたなら、共倒れになりまするぞえ。
『将軍』の重みをようお考えなされ。その上で、なあ」
こちらからは見えないが、戻ってきた庸子が、縁側の上でそっと膝をついている気配がする。
きっと全身を耳のようにして、自分の言葉を聞いているに違いないと思いながら、
「頼之殿の処遇を、上様ご自身がお決めなされ。その際には、情に流されてはなりませぬぞえ。ま、一番良いのは」
袂から出した扇子をハラリと広げ、幸子は己の顔を扇いで、
「上様が、誰にも口出しさせぬように、ご自身で政をされることじゃの」
なんということもないように、さらりと言ってのけた。
「それは…」
「なに、それが拙いというのであれば、形の上だけでも管領をおいておけばよろしい。ただそれだけのこと」
胃の腑に石を詰め込まれたような、重苦しい表情に変わる義満とは対照的に、幸子の顔は再び明るくなる。
「上様ご自身が政を仕切られる、つまりは上様がそれだけ強く、幸せになられればよい、こちらとて、
『ただそれだけのこと』じゃ。さすれば幕府も強うなって、敵から戦など仕掛けられることもなくなろう。
いつも幸せな上様がおられる幕府に仕えると、皆が楽しく幸せじゃと思うようになる。そうなれば、
こちらから戦を仕掛けることも出来ようが。こちらから出て行くということになれば、
京の町を灰にしてしまうこともなくなろうゆえ」
そこで、幸子は声をあげて笑い、
「さればさ、将軍なればこそ、何でも出来る。何をやっても許される。ご正室のほかに、おなごも
たんと作られたがよい…上様ご自身がいつも幸せであるようにお心がけならば、皆へもそれが伝染しましての、
幸せになれようわえ。しかめ面をしてばかりでは、幸せのほうが逃げてゆくわ」
「母上様」
いつの間にか俯いてしまっていた顔を上げ、義満は再び彼女を呼ぶ。
「はい」
「母上様は、今、お幸せなのでござりましょうか」
「まあ」
義満の質問に、幸子は切れ長の目を見張って、
「上様の目には、どう映られまするかや? 実は母自身にも分からぬのでござりまする」
逆に尋ね、それからまた声を上げて笑った。
後の豪快な彼の生き様からは想像もつかない、重苦しい表情のまま、義満が幸子の部屋を出て行くと、
入れ替わりに庸子が幸子の側へ入ってきて、両手を仕えた。
「…こなた様の夫御には、まことに申し訳ないことながら」
「仰られまするな」
さすがに声の震えた幸子へ、庸子は泣き笑いのような複雑な表情をした。
「大方様を、私は尊敬しておりまする。願わくばその日が来るまで、お側において、良きように使うて下されませ」
「…かたじけないこと」
この十年来の『友』に、幸子も素直に頭を上げる。
(その日、のう)
頼之に対する反感は、時折活火山のように噴火はするが、まだ決定的なものにはなっていない。しかし、
そう遠くないうちに本格的な爆発は起きるだろう。
庸子が「火を入れましょう」と、席を外すのをぼんやりと見送りながら、
(それでも、戦は無いものなあ)
幸子は思う。彼女にしてみれば、究極、朝廷や寺社が勝手に争っているだけで、民の生活が安定しているなら
それでいい。頼之当人は意識していないかもしれないが、京周辺から戦の気配をなくした彼の功績は、
やはり大きいと幸子は思っている。
(近江落ちの折のあの母子は、今頃どうしておるのやら…無事に生きておるのであろうか。
生きておれば、今の京を、どう思うであろう)
民にとっては、良い執政で「当たり前」なのである。今のところ、頼之に対する不満が出ているのは
結局幕府の中だけで、しかしそれは悪くすれば、(また戦になる…)可能性があるだけに、
「…惜しいことよなあ」
幸子は、庸子が燭台に火を灯すのを見つめながら、何度も嘆息したものだ。
(いつだったか、お従兄である清氏殿が、あれでは四面に敵を作ると申しておったが、まさかここまでとは思わなんだものなあ)
事態は頼之にとって、悪くなるばかりらしい。
その翌年、紀伊における南朝勢力の掃討が、将軍義満より出された。これは全く、義満が初めて一人で
下した決断であり、頼之も「上様がご自身で決断された」そのことを絶賛したのだが…。
「まずは手前どもにお言いつけ下され」
と、願い出た頼之は、己の跡継ぎである実弟、頼元へ幕府の兵を預けて紀伊へ派遣した。しかし、それは
結果的に失敗に終わり、諸将は「それみたことか」とやたら大げさに嘲笑したのである。
さらにその翌年には、斯波義将の所領内でのつまらぬいざこざが、隣り合わせであった細川頼之の太田荘
(現富山市)へも飛び火しそうになり、それについてまた頼之が、
「南朝討伐の失敗を論じるよりも、まず足元を固めてもらわねば困る」
「己の領土内の争いは、その中できちんきちんと始末をつけられよ」
などと、諸侯の集まる評定始で言ったものだから、これまで曲がりなりにも恭順を装っていた斯波義将の、
(あそこで食えぬ坊主(京極道誉)が余計な口出しをせねば、今頃は我等が管領であったものを)
という、冷たい恨みと妬みの炎をさらに煽ってしまった。
(出家したいと零すならとっとと出家すればよい)
なのに、その都度義満に懇願されては復帰する。それをたびたびやられては、
(上様と管領家の『芝居』ではないのか)
とも思えてしまうし、実際に義満と頼之の間には、そんな暗黙のうちの了解があったかもしれない。
例えば評議の場で、頼之がわざと義満の怒りを煽って、義満の将軍としての権威を高めようとしていたのへも、
「見え透いておる。芝居の下手な管領家よ。あれを大根役者とか申すのではないかの」
と、義将は唾を吐き出しながら言ったものだ。
義将はもともと、父の高経は道誉の陰謀によって失脚させられたと思い込んでいる。
(あの腐れ坊主が推した貴様なぞが、偉そうな口を利きおって)
まさに「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」というわけで、幕府へ帰参を許されてからも、頼之へ
一欠片の好意も寄せてはいないのだ。
というわけで、いよいよその化けの皮を自ら脱ぐことを決意して、土岐頼康や山名氏清、さらには
道誉三男京極高秀とも語らい、反頼之派として一大勢力を成してしまった。
そして、「管領家を恨んでいるはず」の幸子の元へ、斯波義将をはじめとするそれら一勢力が訪ねてきたのが、
のちに「康暦の政変」と呼ばれる政権交代劇が起きた前年のこと。
「おやまあ、暮れのこととて忙しかろうに、諸侯方にはお揃いで」
三条坊門邸において、幸子の住んでいる棟は、東南の一角を占めている。そこへ集まった斯波、山名、
土岐、京極など錚々たる面々は、幸子がそう言いながら姿を現すと、一斉に平伏した。
(雁首揃えてのう。これはなんとまた、むさと苦しい役者ばかりが揃った舞台よ)
それを見ながらつい思ってしまい、
(これならば、まだ頼之殿のほうが余程、男前と申すもの)
「この私ごときに、何の御用かの」
笑ってしまいそうになって、幸子は慌てて扇を取り出し、口元を覆いながら言った。すると、斯波義将が
「恐れながら」と、平伏したまま少しにじり寄り、
「管領家のことにござる。我等、細川頼之殿ご就任以来、不当な扱いを受けて、じっと偲んでまいりましたが、
それも限界。聞けば大方様にも、甥御のことや恐れ多くも禁裏の頼子様とのことで、かなりご不興とのこと」
(やれやれ。誰がそのようなことを)
思わず声を上げて笑ってしまいたいほどに呆れながら、それでも、
「ふむ、それで?」
幸子が促すと、それで力を得たように義将は顔を上げて、さらに幸子へにじり寄る。
「頼之殿は、依古の贔屓ばかりをなさる。上様の信頼を得ているのを良いことに、政権を私し、己に都合の
良いものばかりを引き立てて、我らのように諫言を致すものは遠ざける。このままでは、幕政は乱れるばかりにござる。ゆえに」
(大した「見栄」よのう。諫言、とはこれまた、まさに物は言い様、じゃ)
義将の言い分にも一理はあるが、周囲に思われているほどに頼之を恨んでいない幸子にとっては、
まさにただの役者の口上で、
(下手くそな芝居を見せられているような気分じゃ)
さらに言えば、舞台の裏を幸子は知っているのだ。何よりも上皇の一件に関しては、幸子自身が黒幕なのである。
扇の陰で必死に笑いを堪えている幸子にはまるきり気付かず、
「大方様さえ、我等の後ろについていただければ、上様のお目も醒めましょうし、無念の涙を飲んだ
上皇派の方々も皇位に就いていただくよう、差配できましょう。ゆえに、大方様が、やれ、と
一言仰ってくださったなら、すぐにでも亡きばさら殿のお役目を我等が努める用意は出来ておりまする」
義将はそこで言葉を切り、意を含んだ目を幸子へ据えたまま、再び平伏した。
つまり、幸子が亡き道誉と共に、今まで同様の地位に就いてきた武家へ下してきた「決断」を
頼之にも下せ、と、言いたいらしい。が、
「まあまあ、そこまで血道をあげずとも」
彼らにとっては意外なことに、幸子は笑いすら含んで、
「もうすぐ正月も来る。幸い大きな戦もないことゆえ、今しばし、政のことは忘れて、諸侯方も
ゆるりとくつろがれたがよい」
全く期待はずれな返事をしたものだから、勢い込んでやってきた彼らは、不満をうちにためたまま、
帰ることになってしまった。
もしも幸子が男であれば、尊氏同様、知らぬ間に反頼之派の武将達によって彼女はその旗頭に
されていたかもしれないし、そうなればすぐさま、彼らは武力でもって頼之とその一族を掃討したろう。
しかし、それがなされなかったのは、何といっても幸子が「女」だったからである。いくら力があると言っても
女を頂点に据えて、しかも武力を用いるとなるとやはり「常識外れ」も甚だしい。ために、ここでも幸子は
非難の矢面になることから免れた。彼女の幸運であったといっていい。
ともあれ、幸子もまた、反頼之派の「期待」を裏切って、なかなか頼之を糾弾しなかった。だからこそ、
「堤防」であった道誉が亡くなって六年経った現在、不穏な空気を抱えたままで年の明けた康暦元年(一三七九)まで、
「…なんとか保ってきたようなものです」
と、ようよう十八歳になった義満は言うのである。年の初めとて、少し離れた広間では、訪ねてきた諸将へ
振舞い酒が出されている。その喚きは奥の間まで聞こえてきて、時折耳をつんざくような騒ぎになる。それへ苦笑しながら、
「斯波義将などは、お母上が動かれぬゆえ我等も動けぬ、などと、私の前でも大きな声で言うて憚りませぬ」
と、彼は続けた。それに京極道誉などは、
「いや、ありゃきっと見せかけじゃ。大方様は我が父同様、まことにトボけた御方ゆえ、怒りを内に
秘めておられるに違いない。大方様は我等が味方ゆえ、いずれ動かれる」
などと触れ回っている、と、義満は大きく息をついて、幸子が注いだ酒をぐっとあおった。
「やれやれ。情けないことよのう。この母は、まるきり表へ出たことがござりませぬのに」
義満の言葉に幸子が呆れながら言うと、
「ですが、皆、お母上とばさら殿が共謀して、これまでの執事を引き摺り下ろしてきたことを知っておりまするゆえ」
義満は、むしろニヤリと笑って言葉を返した。彼のための新邸(後の花の御所)も、完成間近であるし、
彼が初めて飛ばした「諸将らはその庭において、一番の名木をわれに捧げよ」というハッタリが成功して、
ひとまずは三条坊門邸の庭にと、続々各地の庭木が集まりつつあるので、それによって自信を得たらしい。
「まあ、共謀とは人聞きの悪い」
(これなら安心)
幸子もまた、義満の「成長ぶり」に苦笑しながら、それでも自分の存在が幕府において、そこまで大きく
見られているということを驚かざるを得ない。
「上様は、幾つにおなりになりまいたかの」
そこで、幸子は分かりきった問いを発した。
「十八にござりまするが」
この『母』が、自分の年を忘れるはずがないということを、義満はよく知っている。なので、戸惑ったように彼が返事をすると、
「では、そろそろご自身で決断なさっても良い頃じゃな」
「…はい」
幸子は静かに言った。その「決断」の意味を悟り、義満は顔を引き締めて軽く頭を下げた。
(『母』は、まこと強い御方である。このお方に育てられて、己は幸せであった)
目尻に皺の増えた幸子を見ながら、義満はしみじみそう思う。もちろん彼も、彼と幸子が「なさぬ仲」
であることを知っていたが、彼女に寄せる情愛は、彼が頼之に対して寄せる信頼に負けるとも劣らない。
(一人で。『母』が守ってきたものを、これからは己が、何事も一人で)
「では、ごめん。母上様も、夜のものは温うなされて」
「お気遣い、まことに嬉しゅう存じまする。上様も無理召されるな。一人で手に余る時には、
周囲のものを遠慮のう、こき使われよ」
「はい!」
激を飛ばされ、気負って去っていく若い「息子」の背中を見送りながら、幸子は、
「…これでよいわ。私もようよう、休めるであろ」
「まこと、お疲れ様にござりました」
幸子は傍らの庸子へ、話しかけるともなく呟いた。庸子もまた、深く頷いてそれに答えたのである。
だがその半年後、
「なんと、のう…」
幸子は、またしても天を仰いで嘆息する羽目になった。


to be continued…


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