我が胸中に在り 11



こうして、細川頼之が、管領と名を変えた政所執事の役に着いたのが、義詮の死の直前。
中国、四国を経て、ついに本物の管領になったわけだ。むろん、これには赤松則祐や
ばさら殿こと京極道誉、そして幸子など「反斯波派」からの推薦があったのは言うまでもない。
実父を亡くしたこの時、跡継ぎの春王こと義満は、まだ十歳という幼さだった。義詮の
死の翌年の応安元年(一三六八年)、一月十一日の評定始において行われたのは、
彼の元服式である。この時、頼之は義満の権威を高めようと、必要以上に大げさな儀式を執り行ったという。
「貴方はまだ幼い。それに、朝廷からまだ、正式に征夷大将軍として任じられてはいない」
そして、彼の新たな「父」としても、彼は、当たり前の事を改めて認識させるように、
懇々と諭した。
「ゆえに、よりに嵩にかかって尊大な態度を取る者も多く出ましょう。私は貴方様の父として、
それらをびしびしと取り締まってゆく所存。貴方様も征夷大将軍として、褌を締め直してかかってくだされ」
「ウン。こなたは私の父ゆえ、こなたの思うようにやってくれたらそれでよい」
義満となった春王は素直に頷いた。
もともと、頼之の妻を乳母とし、実の母のように懐いているのである。その夫である頼之を
実の父のように思うのは、義満にとってごく自然のことだったろう。
同年の我が子を早世させた頼之にとっても、義満は実の子のように思えたに違いない。
滅多に笑わぬ厳しい顔が、義満を見るといつも少しほころぶ。義詮より直々に乞われて
就任した管領という役目を果たすというだけではなくて、まさに父の代わり、
子の代わりという以上の細やかな絆が、二人を着々と結んでいくのがよく分かった。
「まあ、これで一安心、というところでございましょうかなあ」
幸子が言って、一応は安堵の吐息をついたのが、義満が正式に朝廷より征夷大将軍に
任じられた翌年である。細川頼之が、俗に応安大法と呼ばれる寺社や公家側の荘園を
保護する半済令を出したとあって、
「まずは及第点ではございますまいか?」
「はは、そう思っていただけると、この坊主も彼奴めを推した甲斐があるというもの。
則祐も春王様には、何よりわが国の帝王になって欲しいと、このごろは口癖のように申しておりますわい」
そして幸子の安堵は、京極道誉や、今は領土の播磨にいるが、春王が「じい」といって慕っていた
赤松則祐にとっても同じものらしい。いつものように、近江土産を山ほど携えて訪ねてきた道誉は、
赤くてらてらと光った坊主頭を扇で軽く叩きながら、
「手前にとっても、春王様、いや、義満様は恐れ多い事ながら孫のようなもの。手前も
三代様の手足となるよう、不甲斐ない我が倅どもらの尻を一層叩かねば」
と、豪快に笑うのである。声を合わせて幸子や庸子がひとしきり笑った後、
「幸子様。実はのう」
この食えぬ坊主が、昔を思い出すように遠い目をして、しみじみとした息を吐き出した。
「貴女様は、ひょっとするとあの頼之の妻となられていたかもしれぬのじゃ」
「おやおや、それはまた何ゆえ。庸子殿もおわすというのに、今更言わずもがなのことを」
彼の言葉を聞いて、幸子はいたずらっぽく側の庸子を見る。すると庸子も幸子へ苦笑を返してきた。
「あれの父である頼春殿がなあ、こなた様の父御の渋川義季殿に懇望しておったのをなあ、
昨日のことのように思い出せる。堅物すぎるゆえに、凝り固まったところをほぐせるような、
むしろどこか漠、としておるような、そんな女性が良いのじゃとな」
「まあ、失礼な」
「ありゃ、これはしたり! 褒め言葉にござる」
言いながら、幸子と道誉は再び、声を上げて笑った。
「したが、何の因果でござるかのう…」
道誉はしかし、すぐに笑いを引っ込め、化粧っ気のまるでない、それゆえに冴え冴えとした
美しさを湛える幸子の顔をつくづくと見る。夫を亡くして髪を下ろした彼女は「大方禅尼」、
「大御所渋川殿」と呼ばれるようになっており、幕府に従う武家どもは、ことごとく
彼女の顔色を窺う有様なのだ。
幸子へ遠慮のない口を聞けるのは、この食えぬ坊主と、赤松則祐、そして、頼之くらいで
あったかもしれぬ。もちろん、幸子は周囲に恐れられていることなど、蚊の泣くほどにも意識していない。
「人が自分を評するなら、勝手になされい。やらねばならぬことの前には些細なこと。
大御所などと呼ばれる筋合いはない」
といつも彼女も言っているように、誰の前でも己の評判などどこ吹く風といった、
とぼけたような表情を崩さぬし、誰を前にしても、身分や嫌悪の情によって態度を変えることはない。
さらには、夫を亡くして悲嘆にもくれぬ。己の身の置き所について絶望するどころか、むしろ一層、
前途への闘志を掻き立てているように見える。
(大したものじゃ)
今はこの坊主も、素直にそう思うようになっている…最も、幸子の方は人が自分をどう思おうと
「どうでも良いわ」なのである。ひょっとしたら、幸子自身が本当に嫌っている人物というのは
いなかったかもしれない。
「結局、こなた様は将軍家へ嫁入られた。実のお子とのご縁は薄かったが、春王様と乙若様、
両のお子を実のお子のようにして育てられた。失礼ながら、手前」
そこで、庸子が茶を注ごうとするのへ、「や、これは」と言いながら湯のみを差し出し、
「春王様が、御方の腹から出たような気を、ふと起こすことがござる。いや」
幸子が口を開くのを抑えて、道誉は続けた。
「間違いなくのう、春王…いや、義満様は、御方の質をそっくりそのまま、受け継いでおられる。
ゆえに、義満様は御方の実のお子ではなかったかと、のう…折々に錯覚を起こす。
良子様には大変に失礼に当たるがなあ」
…もしも、あのまま伊勢邸で育てられていたら、と、彼は言いたいのだろう。
「ああ。いつか共に茶を呑みましょう、となあ。約束しておりましたものを」
幸子もまた、まことに「普通の」女人であった夫の愛人を思い出し、嘆息した。先述のように
当の良子は、義詮が亡くなってすぐ、気力を無くして枯れるようにその後を追った。確かに、
その母の膝元であのまま育てられていたら、宮中の将軍任命式において、
(齢十一にして、しかめっつらをした、いかめしい肩書きの公家どもや帝の前で、堂々と胸を張っていた…)
との評判を得たようには、大らかに図太くは育たぬ。
(人の子の親となるのは、難しいものじゃ)
幸子はそこで、亡くなった義詮を瞼の裏へ描こうとして、
(…もう思い出せぬわ。私には、人並みの情というものが欠けておるのかの)
ほんの少し、苦笑した。
夫婦でありながら、千寿王を亡くしてからというもの、肌を重ねたのは片手の指で足りる程の
回数でしかなかった。もともと、義詮との婚姻が義務のようなものであったから、
愛情はなかったのかも知れぬし、
(それゆえに、泣けなんだのかの)
尊氏、登子、実父義季、義詮…幸子に近しい人々が亡くなっていっても、何故か涙一滴出ぬ己を、
自分でも彼女は不思議がっているのだ。
「ともあれ、出来ればのう…このまま」
「はい、このまま。諸侯の贄にもならず」
期せずして同時に茶をすすりながら、道誉と幸子は頷きあった。このまま、細川頼之を管領として
留任させ続けることが出来れば、と、二人は口に出さずに意思を確認しあったのである。
(あの頼之殿と、私が夫婦になっていた可能性がある、となあ)
そこで、来客を告げられて席を外していた庸子が慌しく戻ってきて、己の夫と義満の来訪を告げる。
己の妻の案内で現れた頼之が、道誉と幸子の側へ義満を座らせ、己は低く下がって平伏しながら、
「ちとお耳に痛いことを申しあげまする」
と、道誉の服装であり、京の町民へ浸透しつつあるところの「ばさら風」を、風紀が乱れるという理由で
禁止する旨を伝えた時、
(これはなあ。無理じゃ)
「好きになされ。こなた様が管領であろうが」
と、告げながら、幸子は思わず緩んだ口元を慌てて扇で隠した。己を管領という地位につけてくれた、
いわば恩人である「ばさら殿」や幸子にすら、遠慮せずにその服装を華美だと非難する、このような
「カタブツ」は、確かに幸子には合わぬ。
「は。決定事項なれど、とりあえずは大方様、道誉殿、双方へお知らせしようと思いましたゆえ」
「ご丁寧にのう。したが、あまり民は締め付けぬが良いのではと思うが」
「服装の乱れは心の乱れに通じまする」
「…ふむ。言われてみれば、なあ」
ばさら殿といえば、二人の会話を苦虫を噛み潰したような表情で聞いている。さすがに、
「これでも考えているつもり」の己の服装を、心の乱れの一言で片付けられてしまっては、
 面白くはあるまい。
 頼之と道誉の様子があまりにも滑稽で、ともすれば吹きだしそうになるのを堪えつつ、
「まあ…気張らず励まれなされ」
幸子が言うと、頼之はまさに「気張った」声で、
「はっ。では手前、まだ片付けねばならぬことが残っておりますゆえ、これにて。
義満様、確かにお送りいたしまいた」
妻である庸子を一顧だにせず、部屋を退出していったのである。
「…なんとまあ、徹底して公私の区別をつけておいでなこと。いずれが良いのかは、
民が判断しましょう」
義満が、服を変えるために次の間へ立つと、庸子もまた、手伝いのためにその後を追った。
苦々しい顔をしている「ばさら殿」が、少し気を悪くするくらいに吹き出して、ひとしきり笑った後で、
「あのお方を勧めなさったのは、入道殿でござりましょうが」
「…左様。それゆえ、余計に複雑な心地なのじゃ。服装にまで煩いことを…あの堅物めが。
決して手前の父ではあって欲しゅうない男じゃ」
ぶすりとしたまま答える道誉の言葉には、それでも頼之への限り無い愛情が篭っている。
それを聞いて、
(父として、母として…なあ。もしも頼之殿が私の夫であったなら、とは想像も出来ぬわ。
よしんば、私のほうから妻にしてくりゃれと申したところで、頼之殿のほうから、
お断りじゃと言うてくるであろ。あの、難しい顔をさらに難しくしてのう)
思いながら、幸子はますます笑った。



to be continued…


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