我が胸中に在り 9



会議場であった部屋へも出られず、簾をかけた向こうで医者に支えられ、辛うじて上半身を起こしている義詮へ、
二人はこもごもそう言って慰めたのであるが、そのいちいちにも「左様か」としか答えない将軍を見つつ、
(ありゃ、長くない…)
道誉は思って、並んでいる斯波高経からは見えぬように扇子で己の顔を隠し、吐息を漏らした。すると
義詮の側に控えていた幸子とも目が合い、期せずして二人は苦笑する。
このところ、鎌倉の抑えにと同地へ派遣し、初代鎌倉公方と称せられた義詮同腹弟、基氏が、
「兄はあまりにも頼りない…」と言い騒いで、反抗の構えを見せているという知らせもあるし、
病は気からとの言葉のごとく、崩した体調が戻らぬのは風邪のせいばかりではなかったろう。
ただ、そちら方面だけは世の男性と同じように機能するのか、紀良子に二度目の懐妊の噂もある。
だが、それとて義詮の心を明るくするものには到底なりえず、さらには、もともと彼の体はさほど丈夫ではない。
ことによると、
(俺や則祐よりも先に天に召されるかも知れぬの)
自分の主であるというのに、この食えぬ坊主は妙に冷静に…というよりも、「斜めに」物事を見ている。
これは将軍正室である幸子にもどこか共通していて、だからこそ彼は自分の子供らではなく幸子に、
(俺の考えを継ぐ人物の一人…)
と期待しているのであるし、
(気の毒ではあるが、いかさま、頼りなさ過ぎる。なまじ頭が良いのも、考えすぎるゆえに困りものじゃのう)
と、息子のような年齢の義詮を見ずにはいられない。
義詮は、彼自身も思っているように、教養は深いがその分神経質すぎ、ゆえに到底将軍の器ではない。
父尊氏から引き継いだ幕府の地盤があまりにも不安定すぎて、常に「天皇を追うた反逆者の子」としての
汚名がつきまとったのには、同情すべき点もある。
己が将軍職についても、南朝との争いだけでなく、幕府内でも諸侯同士の争いが耐えぬ上に、
身内の弟までもが将軍に相応しからずとして兄を責めているのであるから、義詮があれこれ思いつめて
病を得るのも無理はないとも言えるのだが。
「…なにとぞ気を強う。われら、上様のために身を投げ出して働く所存」
「御心を安んじられて、われらにお任せあれ」
斯波高経と同時に平伏しつつ言い、退出しながら、
(もう少し、どっしりと構えておればよかろうものを。そうでないから、母御の登子殿にも心労をおかけするのじゃ)
と、道誉は幸子へも軽く頭を下げて思う。古くなって、あちこち「ガタ」の来ている将軍邸を
懐かしく見回しながら、
(そういえば、三条坊門の邸宅の建設は進んでいるのかの)
彼は額や首筋に流れる汗を懐の布で拭った。将軍家の新しい住まいとして建設中であるその邸が完成すれば、
少しは義詮の気も紛れるかもしれない。
「では、これにて失敬」
「ご苦労でござりまする」
廊下を曲がると、道は左右に分かれる。高経と道誉はそう言って軽く頭を下げ合った。
(なんにせよ、「お守り」は大変じゃ)
道誉がため息を着きながら、やけつくような夏の空を見上げたその時から二年後の貞治四年
(一三六五年)三月、三条坊門の邸は完成した。これにより、義詮は「坊門殿」と呼ばれるようになる。
当然ながら、正室である幸子や、将軍の母である赤橋登子も一緒にそちらへ移ったのだが、
それから二ヵ月後、今度は登子が体調を崩した。なんといっても、もう齢六十であるし、義詮と基氏の
「喧嘩」は未だに続いている。南朝側との和睦も一向に進まぬし、幕府の行方はどうなるのかと、
それやこれやが重なったが故の心労かもしれない。みるみるうちに容態は悪くなり、
「まさかとは思っておったが」
と、枕元へ呼び寄せた嫁の幸子へ、力なく微笑むのみになってしまったのである。
「いけませぬなあ…もうしばし長生きして、春を見たかった」
「お姑様。そのような気弱なことを」
「幸子殿」
痩せ細った姑の手が、布団の上で探るように動いて、幸子の手を思いがけない強さでつかむ。
げっそりとこけた頬に、目だけをぎらぎらと輝かせ、
(これがあの、お優しくて儚げであった姑であろうか)
幸子ですら、思わず見つめなおすほどに、登子の表情は鬼気迫るといったそれであった。
「私の願いをなあ。どうかお聞き届けくだされ。どうか、のう」
「…お話くだされませ。伺いまする」
まさに幽鬼のようなその手を握り返し、幸子は頷く。すると登子も頷き返し、
「義詮と基氏…私の腹を痛めた子らが、兄弟で争う…これはなあ、二人を私が引き離して
育ててしもうたからじゃ。いずれ一方は将軍となり、一方はその家来となる。そう思うたゆえのこと。
しかしそれは誤りじゃった。その結果が兄を兄とも思わず、弟を弟と思わず争う…源家の血を引くものの、
それが宿命じゃと言われてしまうには口惜しい。聞くところによると、紀家の良子殿は、
再び男の赤子をあげられたそうな」
「…はい」
逆らわず、幸子は再び頷く。側室の紀良子が、のちに満詮となる子を産んだのは、昨年の七月六日のことで、
これでいよいよ幕府も安泰じゃと周囲は無責任に騒いだものだ。
「兄弟を別々のところで育ててはなりませぬ。お分かりじゃなあ。公家に育てられたなら、
どう育てられても武家の子にはなれぬ」
「…お姑様、それは」
「待ちなされ。今一つ」
問いかけた幸子を遮って、登子は続ける。
「あの折のお答えを、まだ聞かせていただいてはおりませぬ。こなた様がどう仰せあっても
仇には聞かぬゆえ、どうか申してたも」
尊氏の葬儀前夜、二人で話したことを姑は言っているに違いない。側には侍女どもも控えており、
その話を聞かれても良いものかと幸子はためらいつつ、
(私に…出来ようか)
幸子がこれまで道誉に言ってきたこと。それはあくまでも「傍観者」としての立場からの
ものでしかなかった。政治を動かしているのは、あくまで男どもであり、女である自分は口を挟める
立場にはないはずである。だが、事態は恐ろしいほど、幸子が予測していたように動く。道誉も高齢ではあるし、
もしも彼が亡くなれば、
「いやでもこなた様の存在は注目されましょう」
と、登子は言うのである。
どんな状況にあっても己は己、人は人。時には平然と人からの批判を受け止め、跳ね返す度量が
将軍には必要で、義詮にはまるきりそれが欠けている。諸侯の顔色ばかりを窺って、機嫌ばかりを取るような彼は、
母である登子の目にも…否、母であるからこそ、余計に不甲斐ないと見えるらしい。
「こなた様には、それがおありになる。己は己、人は人。京から二度追われた折も、こなた様は己を見失わず、
むしろ置かれた状況を楽しんでおられた。私には到底真似できぬ…そういう人間をこそ、
人間は頼もしいと思い、ついてゆくのじゃ」
(なんとかなるであろう、と思うて過ごしてきただけなのじゃが)
「お姑様は、私めを買いかぶりすぎにござりまする」
幸子が困ったように言うと、登子はかすかに笑った。
幸子は、やはり「仕合わせ」に育てられてきたのだろう。どんな時でもなんとかなる、という楽観性は、
幼い頃から置かれた状況が不安定なゆえに、神経質に育った人間には到底、持ち合わせることは出来ぬ。
「買い被りと思われるなら、それでもよい。じゃが今、私が一番に頼みにしておりまするのは、
こなた様だけじゃ。ゆえに、のう」
そこで再び、登子は幸子のそれを握っている手に力を込めた。
「こなた様の手で幕府を強く。戦を失くして下され。将軍家正室でありながら、私が出来なかったことを、
こなた様が、どうか…こなた様への私からの願いじゃ」
苦しいほどの静寂が、しばらくの間その部屋を支配した。やがて、
「…やってみましょう」
後頭部に、熱い鉄串を指されたような心持ちで、幸子は姑へ頷いた。
実にこの時から、幸子の運命ははっきりと決まったといっていい。
(人は人、己は己。人から何と言われようとも、私は幕府のために私が良いと信じるところを成そう)
だが、もちろん彼女は彼女であることを忘れておらず、
(…やはり肩が凝るのう)
その一週間後の五月二十五日、登子は亡くなった。幸子に向後のことを告げたいがために、
必死で生きていたのだろう姑の葬儀に出ながら、
(それはそれ、これはこれじゃ。お姑様も、このように大仰な葬儀を望んでおられたのかのう。
私ならば、ごくごく親しい方たちのみで、ひっそりと送って欲しいと思うが)
いつものこととて、やはり小さく欠伸などを漏らしていたのである。
仲の良かった母を亡くしたとあって、最前列に並んで座った夫、義詮の肩は
これ以上ないほどにガックリと落ちていた。
「基氏様には?」
「お知らせしてはおるが、鎌倉から参られるには日数がかかろう」
道誉と幸子は、それを尻目にボソボソと話し合う。
さすがに今日の道誉の「衣装」は墨染めで、
(遠慮なさらずともよいものをなあ)
登子ならば、己の死で悲しまずに、むしろ賑やかに送って欲しいと思ったのではないかと、
幸子は少し微笑しながら、
「良子殿は、何処においでなのですか」
「…あちらにおわす」
隠してはいなかったことなのだから、登子のいまわの言葉は、誰もが知っていた。幸子が問うと、
道誉も心得たように、義詮側室、紀良子の席を目で指した。良子はこれまで一度も登子に会ったことはないが、
さすがに姑の葬儀とあっては「出ねばならぬ」と、説得を受けたらしいのである。
(これはまた、義詮様が好みそうな線の細い御方じゃ)
道誉の目を追った先には、抜けるように色の白い、申し訳無さそうに体を縮ませて座っている公家の娘がいた。
「お呼びしてもらえまするか。別の間にてお待ち申しあげておりまする」
「心得た」
幸子が言うと、道誉もそっと席を立つ。読経の間から少し離れたところに用意されていた客間へ、
先に幸子が入って待っていると、
「お連れ申した。よろしいですかな」
道誉の声がして、すらりと襖が開いた。
「お初にお目にかかりまする。渋川家の幸子にござりまする。一度二人のみでお話したいと思うて、
失礼ながらお呼び致しました。お許しくだされ」
「…これはご丁寧な挨拶を」
幸子が畳へ手を着き、頭を下げるのを見て、相手は少し狼狽したらしい。
しかし、
「二人目のお子、乙若殿の薫育も、私にお任せ下されませぬか」
幸子が二言目にそう切り出すと、良子はさすがに俯いて、その白い顔を一層白くした。
「…ご兄弟が、別々のところで育てられていては、意思の疎通もままなりませぬ」
口をつぐんで俯いた「夫の愛人」の顔をじっと見つめながら、幸子はわざと
彼女の葛藤に気付かぬ風を装って、
「それについては私のほうから申しあげずとも、身近な例をご存知のはず。兄弟仲は、
やはり良いに越したことはない…それゆえ、お二人目もこの私がお引取りさせて戴きまする」
言われて、良子は唇を噛んだ。自分の実家の懐具合と、母としての感情の狭間で、
激しく心が揺れ動いているのが、蒼白になったその表情からよく分かる。
幸子の援助の手は、公家だけではなく今や皇室にも及んでいる。幸子とて自分の腹を痛めてばかり
いたわけではない。現将軍正室であり、三代将軍の後見であるからというので、
「私には要らぬものじゃ」
と、守護大名らが媚びて贈ってくる様々なものを「転用」もしている。皇家へも無論、義妹に当たる
崇光前帝皇后、頼子の縁でもって幕府からのそれとは別に、兄嫁としての純粋な誠意から、様々な贈り物を
し続けているのだ。よって、頼子は見たこともない義姉へ、多大なる好意を寄せるようになっている。
もちろんそれには、皇室とはいえ苦しい経済事情をそれとなく考慮しつつも、「援助」という名前はついていない。
あくまで幸子からの「贈呈品」としてであり、これも幸子ははっきりとは言わないが、
(武家どもが好き勝手に振舞うことへの『点』が、少しでも甘くなれば)
との含みもある。半ば形骸化しているとはいえ、皇室やその取り巻きに対する「崇拝精神」は、
庶民ばかりか武士の間にもまだまだ生きているし、いずれ武士どもが朝廷の地位をより占めるように…
それが容易くなるように、と彼女は考えていた。幸子に言わせれば、それもこれも、幕府を強くする、
ただそれだけのためである。
当初は、「我らの地であったものを、我が物顔に簒奪する武家側のものが今更」と、良い顔をしていなかった
公家どもらも、幸子があくまで低姿勢を崩さず、慇懃かつ丁寧に己らを扱う様子なので、
むしろ彼女を頼りにしている風さえ見える。
結局は皆、それほどまでに貧しいのだ。当たり前だが、公家であるという誇りだけでは、到底生きていけるものではない。
衣食足りて礼節を知る、の言葉どおり、これは良子の実家である紀家も同じで、「将軍の側室」という名目でもって
幕府から経済的に援助を受けているだけでは、到底足りない。よって、
「同じ公家の方々ゆえ、分け隔てなく…」
といった幸子の「援助」を今ではありがたく受けている始末だったのだ。そこのところは、さすがの紀家でも、
「よく出来たご正室」
と、認めざるを得なかった。夫の愛人の実家へも、「それとこれとは別じゃ」と、自腹を切って援助するなど、
並の精神を持った女性に出来ることではないからである。
ために、良子はしばらくの間、返事が出来なかった。幸子には心外であったろうが、すでに朝廷側には
「渋川幸子派」とも言うべき徒党が、何となく出来上がりかけている。何せ頼子后がその筆頭なのだ。
実兄の義詮ではなく兄嫁の方を、「頼りに出来るし話せる人物」と、これも女性らしい直感で頼子は思っているし、
「元皇后」がそう思っているのだから、
(もしも断れば、私だけでなく紀家までもが非難の矢面…)
良子だけでなく、他の公家も恐怖とともにそう考えるようになってしまっている。ここで幸子の言葉を
はねつけてしまえば、紀家への援助も打ち切られてしまうだろう。どちらにせよ、正室の命令となれば、
我が子をまたしても手放さねばならぬ。側室はあくまでも正室の雇い人だという認識は、この時代、
常識として人々の心に根付いていた。
少し湿り気を帯びた風が、寺の境内の木の葉をかすかに鳴らす。それに耳を傾けながら、
(春王様もこのお方の元で、次代征夷大将軍らしく、大らかにのびのびと育っておられると聞く…)
もしもあのまま自分の膝元で育てていたなら、春王は今のように、周囲の期待を注がれはしなかったかもしれない。
(もう一人のお子も、側室の子より正室の子として育ったほうが、やはり良いには違いないゆえ)
そう考えて、良子は長く重いため息をついた。
「よしなにお願い申し上げまする」
幸子よりも白く細い指を畳につき、深々と頭を下げる彼女へ、
「感謝いたします。きっと、のう。春王殿の支えになる、頼もしい方にお育て申しあげまするゆえ。
貴女様のご決断、決して無駄には致しますまい」
幸子は柔らかい微笑でもって答えた。
「…幸子様を信じまする」
言うと、良子はそのまま畳に突っ伏し、声を殺して泣き出す。
(これも、幕府にとって必要なこと)
幸子はただ、その様子をじっと見つめていた。黙ったまま、同室していた道誉もやはり
無表情なままで沈黙を守っている。
(じゃが、またこれで私の評判は下がろうなあ。ま、致し方ないことじゃが)
そう思うと、幸子の口元は苦笑いに歪む。が、
「堅苦しいお話を致すと肩が凝ること。なあ、良子様」
幸子はそこで立ち上がり、普段の調子で言いながら肩をぐるぐると回した。涙をそっと袖で拭い、幸子を見上げる良子へ、
「全てが…そう、全てが終わりましたら、二人のお子とこなた様と私、のんびり茶でも飲みたいものじゃとなあ、
私は思うておりますのじゃが」
少しの茶目っ気とともに話しかけると、良子も思わず微笑い、
「その時にはぜひとも、お供させて下さりませ」
そう答えたのである。だが、この誘いは結局実現はしなかった。良子は義詮が亡くなると共に
気力を失って痩せ衰え、これも夫の後を追うように亡くなったからである。


to be continued…


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