我が胸中に在り 7
結果的にはその一ヵ月後、義詮が二代目征夷大将軍として尊氏の後を無事に継ぎ、斯波高経が
その補佐に就くことになった。その就任式を終え、「祝い」と称して山のような近江土産を抱え、
幸子の住む将軍御所へその宵、訪ねてきたものがある。
「おお、これはお久しゅう。ますます男ぶりも良うなられて」
「ははは、御台所様にも女ぶりが上がられましたぞ! いや、お美しゅうなられた」
形は出家でも墨染めの衣は性に合わぬとて、瀟洒な縫い取りで飾った衣の袖を広げ、佐々木「京極」道誉は笑った。
「年を取られて、ばさら振りがいよいよ板につきましたなあ」
「ははは、戦続きゆえ、せめて装いだけでも愉しい気分にならねば、やっておられぬ」
「ほほほほ。ほんに申される通りですなあ。一々仰ることが憎い」
ひとしきり笑い合ったところで、彼はすっと真面目な顔になり、「人払いを」と言う。幸子も頷いて、侍女を遠ざけた。
「貴方様のことゆえ、ただの『お祝い』に来て下さったのではない事、すぐに分かりましたえ…あの折も、
こうして貴方様のお話を伺いましたなあ」
「左様。ほんにお懐かしい」
夏もいよいよ本格的になってきている。山に囲まれているゆえに、涼しい風もはるか上空を通り過ぎる。
盆地特有の、まさに「鍋の底」のようなジリジリした暑さは、日が暮れても変わらない。
にもかかわらず、襖を締め切って蝋燭の乏しい火を挟んで向かい合うと、
(ほんの少し見ぬ間に、変わったのう)
改めて幸子を眺めて、道誉は思った。一見すると頼りない、漠とした表情であるところは変わらない。
だが、彼を見つめてくる切れ長の瞳は、「食えぬ」道誉でさえハッとするほどの鋭さを湛えていた。
それが一種の凄みとなって、幸子の顔に冷たい美しさを与えているのである。
「…斯波殿のことにおざりまする」
「…はい」
蝋燭が、風も無いのにわずかに揺らいで音を立てた。それを皮切りに道誉が話し出すと、
幸子は促すようにまた頷く。
「斯波の三男、氏頼は、未だ十二、三の小童。しかし父に似ず素直で頭も良い。このまま育てば
見所はある男になろう…そう思えたゆえ、手前、娘を嫁がせようと約した。決して政略の上から、
というだけではござりませぬ」
「さもあらん。貴方様ならそうでしょう」
幸子は両目を閉じて、道誉の語るところに聞き入った。
「二代様の補佐…細川頼之は年若く、僭越ながら手前が後ろ盾をすると言うても、未だその任に
相応しからずと固く辞するゆえ、手前もやむないと思うて引き下がった。それならばというので、
氏頼を推したのでござるが」
斯波高経は、氏頼を補佐とし二人で後見しようという道誉の意見を無視して、四男である義将を
補佐にし、己がその後見につこうとしているというのである。
「義将は未だ七つにもならぬ。後ろ盾も何もあったものではないわい」
道誉の言うことなど聞かず、父である高経の言うままになるのは分かりきっているし、
「ようよう意味ある言葉を話し出したばかりの幼子に、政務が取れるのか、むさい大人どもに
囲まれて、逆に母の乳房を恋しがるのがオチじゃと言うと、さすがに高経も黙ってしまいおったのじゃが」
そこで道誉は失笑した。
「頼之への説得は続けておりまする。何せ本人が頑固者ゆえ、手前が諦めねばいずれは
折れようが時間がかかる。誰ぞ、つなぎでもよい。代わりになる適当な者はおらぬものかとなあ。
つなぎゆえ、適当な人物でよいのじゃ。幕府へもほどほどな忠誠心があって、たとえ専横が
目立ったとしてもさほど大した騒ぎにはならぬような…いざとなった時には、こちらの手で
すぐに始末できる、そのような『つなぎ』が」
「ふうむ。つなぎ…適当な、でござりまするか」
つなぎ、という表現と、道誉によるその意味するところは、失礼というよりも、あまりにも冷酷すぎる。
だが彼が口にすると、それがまた何ともおどけたものになって、(しっくり来る)と思えてしまい、
幸子もまた失笑を漏らして目を開けた。途端に飛び込んできた蝋燭の光が、ひりひりするほど妙に眩しく見える。
「…御台様には、お心当たりがあるのでは」
「そうですなあ」
おどけた表情ながら、道誉の目は少しも笑っていない。幸子は微笑しながら、
「道誉殿ご自身が補佐くださる、というわけには参りませぬのかや」
「ありゃ、手前がそれを? いやはや恐れ多いことにござりまする。出家には幕政参与権は
ござりませぬゆえ、考えたこともありませぬなあ。そうでなくとも、手前のような武一辺倒、
癖のある出家を引き出しまいたら、幕府の舞台にはたちまち穴が空きまするぞ」
「ほほほ、これはまた」
(武一辺倒とは、また心にも無いことをさらりと言うてのけて、それがまた憎いほどに
嫌味の無い…これも一種の人徳なのかのう)
幸子はまた、笑ってしまった。年老いてなお、精力胆力共に余りある彼が、一度たりとも己の手で
政権を握ることを考えもしなかったわけがない。しかし同じ言葉でも道誉の口から出ると、
夜の闇に沈んでゆく周囲の景色に映える彼の派手な装いとあいまって、ただ心憎い冗談にしか思えぬ。
自分は表に出なくとも、後見という形で政に関わることができるし、物を教えるということで自尊心も
大いに満足するという醍醐味のほうを、この食えぬ坊主は取ったのだ。いつも道化ているように見えながら、
「長老殿に引き受けてもらえぬとあれば、致し方ない。実はなあ、貴方様がお察しのように、
私のほうに一人ばかり心当たりがござります」
「ほう、して?」
そこでずいっと膝を進めて聞き逃すまいとする態度から分かるように、話のツボもまた憎いほどに
心得ていて外さぬ。笑いを出しながら要所要所で道化を引っ込めて、相手の話へ一応は真摯に耳を傾ける
道誉だからこそ、彼の敵側にいる者も、彼には敬意を示してきたのだろう。ただの権謀詐術だけでは、
この争いばかりの世の中を上手く泳ぎ渡れるわけが無いのだ。
「先だっての初代様の葬儀で、本人ともちらと話したことがござります。細川の、清氏殿では如何」
「清氏なあ。なるほど、なるほど」
「道誉殿にもご存知でありましょうが、彼には野心がある。じゃが、適度な利を食らわせてあれば
御しやすいといった程度のものと見ました。いざとなればなあ、貴方様の仰るように、また誰ぞへ命じて
始末することも出来ましょう。清氏殿には野心はあっても、周囲の信望を築き上げられるほどの度量や、
政を仕切ることの出来る力はない…私も政にはまるきり関与せぬ身でありますれば、人のことは言えませぬがなあ、ほほほ」
「ふむ。それで?」
幸子がそこで笑っても、道誉は難しい顔を崩さぬまま頷き、先を促す。それで幸子も笑いを引っ込め、
「ゆえに清氏殿の『治政』は、もって…数年、四年程度と私は見まする。じゃがそれだけの年月が経ちましたら、
義将殿も一応は元服できるお年頃になっていよう。その時は斯波の義将殿へ任せるからと高経殿には
前もって言い含めておれば、『お父上』も不承不承ながら一応は引っ込むのではありますまいか。
高経殿も、聞くところによれば到底、政所執事後見の器にあらず…いずれは専横で非難を浴びようゆえ、
格好の口実を自ら作ることになりましょう。これも、もって数年。こうなればいよいよ適当な人物がおらぬゆえ、
貴方様が推す頼之殿へ頼みやすくなるのでは」
「…いやはや、失礼ながら、大したものじゃ」
幸子がそこで口をつぐんで、再び道誉をじっと見つめると、彼はさも感服したように吐息をついて、
「女子供じゃからとて馬鹿にしてはならぬ、が、手前の座右の銘ではあったが、御方様には敵わぬ。
大いに参考になり申した」
言いつつ道誉がその扇で彼の坊主頭を叩くのを見ながら、
「私がこれほどに物を考えるようになりましたのは、貴方様のおかげにござりまする」
幸子は静かに言った。
「幕府を強うする。そのために成せばならぬことは?とそれだけを考えてゆきますとなあ、
自ずと道は見えてくる。それに、私が今、申しあげた程度のことならば、道誉殿が腹中にも
既にあるはずにござりますれば、のう?」
「…フム」
「それに、貴方様ともあろうお方が、誰でも彼でもこのような話をなさるとは到底思えませぬ。
それをわざわざ私の元へお訪ねあり、問われた。ということは」
そこで幸子は道誉を真似ていたずらっぽい目つきをし、
「私は女ながら、貴方様のお眼鏡に適うておる、と自惚れてもよろしゅうござりまするか」
「…尊氏殿の創られた幕府を強う。手前の願いはただそれだけにござる。」
道誉もまた、渋い微笑でもってそれに答えた。
「手前が心底ほれ込んでおりましたのは、失礼ながら尊氏殿のみ。尊氏殿の苦悩も、目指しておったことも
手前、全て知っておる。それゆえに、今の幕府をこのままで終わらせぬためにも、御方様のような人間を
手前の目の黒いうちにたんと見出し、育てねばならぬと思うておる。じゃが、この世は羅刹ばかり…
尊氏殿の目指されたところには程遠い。羅刹に対するには、不本意じゃが羅刹にならねばならぬ。
そう思い切れる人間をなあ」
「はい。まさに。私も貴方様に頂いた教示がなくば、かのように考えることはございませなんだ。
ぜひにまた、私や義詮様に教えを垂れてくだされ」
「ふむ、それはもう、この坊主でよければ…さても奥方様」
そこで顔を見合わせ、にっこりと笑い合った後、道誉はきらびやかな衣装の袖を大げさに左右へ広げ、
「羅刹にならねばと申したが、やはり人間、時には楽しいことをを作って楽しまねばならぬ、
己が楽しくなければ他人もまた楽しめぬ、これもまた道理。一度なあ、この坊主に付き合うて下され。
狂言をやる者どもをなあ、京の我が屋敷へ招くつもりなのじゃ」
と、口を尖らせる。どうやらひょっとこの真似をしているらしい。
(己が楽しくなければ、他人も楽しめぬ…)
つまり、己のみの幸せを追求するのもよくはないが、さりとて己自身が幸せでなければ、己の周囲の人間も
不幸な気分にさせる、と、彼はそう言いたいのだろう。
「能ではござりませぬのかや?」
「能はいかん、能は。美しいかもしれぬが肩が凝る。将軍家には失礼じゃが、一度見て、
手前の性には合わぬと思うてしもうたゆえ」
こうして、この侠気たっぷりの傑物が、「手前も一度狂言とやらを習うべきか」などと言って
幸子を笑わせつつ、彼女の元を辞した二週間後には、この時の話は現実のものとなっているのである。
道誉は道誉で、幸子を、
(おなごにしては珍しく、冷徹に物事を見ることの出来る人物)
只者ではない、と新たに見直していたし、幸子の方は、
(己の手をなるだけ汚さず、相手の心を読んで巧みに煽り、自滅させる…こういったところは、
大いに学ばねばならぬ)
道誉の陽気へ十分に好感を抱きつつ、その一方で彼の食えぬところをどこか冷めた目で見ていた。
二人の結びつきは彼ら自身の言うように、「足利幕府を強くする」のただ一点から発していたし、
道誉もまた、幸子がただ将軍正室という地位に甘んじているだけの女性と見れば、ここまで
彼女に肩入れはしなかったに違いない。
細川清氏が、「意外な人選…」と、周りを驚かせながらも、本人の希望通りに二代義詮の補佐につけたのは、
道誉と斯波高経の二人が強力に推したのが原因である。道誉にもその腹案はあったとはいえ、それが彼の中で
決定事項となったのは、やはり幸子の言葉があったからだといっていいだろう。無論、清氏本人や斯波高経らは
幸子と道誉の「密談」を知らぬ。ともあれ、
「清氏は、意外に頼りになる」
清氏が就任して三ヶ月あまり、義詮は至極ご満悦の表情で、幸子へもそう言うようになった。自らも義詮へ
働きかけていたということもあるし、何よりも大物二人が自分を推したというので、清氏も張り切っているのだろう。
それに、
「良子殿、無事に出産なされまいたとか。健やかな男子だとのこと。おめでとうござりまする」
「…うむ」
夫が「ご満悦」なのは、ひとつにはそれもある。彼の愛妾である紀良子が男の赤子を出産し、
一応は跡取りが出来たという安心感であろう。しかし幸子が夕餉の膳で酒を注ぎながら祝いを述べると、
義詮はさすがに複雑な顔をした。
幸子が嫉妬や恨みという、人間の負の感情をどこかに置き忘れているような女であることは、夫である
義詮自身が良く知っている。だが、
「春王丸様、と名づけられましたそうですなあ」
「ああ…うむ」
「義詮様」
曖昧に頷く夫の前で、幸子が白い指を揃え、
「その赤子の訓育、私にお任せ下されますまいか」
そう言った時には、さすがに義詮が手にしている杯が震えた。
「無論、すぐにとは申しませぬ。赤子には母の乳房が必要。ゆえに乳離れなさってからで十分。
私には、恐らく貴方様のお子はもう望めませぬゆえ」
ついに杯が膳の上に転がった。義詮は思わず正妻の白い顔を見つめ、
(この女は、なんと淡々と)
唸る。女は子を産む道具である、とまではさすがに義詮も言わないが、女にとってデリケートな
問題であるはずなのに、他人事のように言ってのけられるのは大したものだ。この点でも、
冷静にならねばならぬ政治上のことで、つい感情的になってしまいがちな己を自覚している義詮は、
感心しながらも首をかしげるのが常なのである。
自身で子は産めぬと告げるその表情は、いつも見慣れている幸子の漠としたそれ。表面上は妬み、
嫉みとは程遠い妻の顔を見つめて、義詮は腕を組んだ。
冷静に考えてみれば、確かに幸子の言うように、側室の子として育つよりは形の上だけでも
正室の子として育ったほうが、子にも箔がつくし、周囲にも軽んじられぬ。
(良子とて、普通の女人ではないのだが)
愛妾である良子も、遠くは皇室の血を引く公家、紀家の出である。血筋の上では決して卑しくはないが、
やはり「愛人」の子は愛人の子。正室の子とは比べ物にならないほどに、その価値は低い。いくら先に生まれていても、
正室の腹から生まれた子が家督を継ぐのが当たり前で、愛人の子はその家来となるのが当たり前とされているのだ。
このことは、古くは北条八代執権時宗と、その庶腹の兄であった時輔の関係からもよく知られているし、
何より義詮自身とその庶兄、直冬との確執もまさにそれが原因なのだから、
(良子は嘆こうが)
「よう分かった。赤子のためにもそれが良かろう」
だもので、義詮もまた、淡々と決断を下した。紀良子にとってはこの上なく残酷な決断であったろう。
「お聞き入れ頂けまいて、まことにありがとうござりまする。誠意を持って、春王丸様の訓育に当たらせて頂きましょう」
(愛妾から子を取り上げる正室…羅刹と呼ぶなら呼べばよい。これも幕府を強うするため)
道誉の言葉を思い出し、幸子はかすかな笑いを口辺に浮かべながら、畳に額をこすり付けんばかりにして
夫へ頭を下げた。、こうして彼女は、後の義満となる春王ばかりでなく、後に良子から生まれる乙若丸(満詮)
兄弟の養母になったのである。
(子を持たぬ正室の立場は弱いが、愛妾の子を己の子として育てられる権利を持つのは正室だけ)
幸子の脳裏には、葬儀の折の登子の言葉が常にあったに違いない。内には次期将軍の母として
幕府の政に陰ながら参与し、外には皇家や公家との結びつきを着々と進めてゆけば、
(武士どもの足並みも揃おう。幕府が強うなれば、我等が崇める北朝の権威とて高まる)
こうして幸子が少しずつ、幕政の表舞台へ足を踏み入れ始めて三年後、張り切っていたはずの細川清氏が、
こともあろうに南朝側と組んで乱を起こしたのである。
元々彼を良く思っていなかった斯波高経はむろんのこと、道誉でさえも時には「張り切りすぎじゃ」と
苦笑を漏らすほどに、清氏の政治の進め方は強引だった。
その最たるものが、「半済」である。
これはもともと、年貢の半分を免除するという意味で、観応三年に幕府から出されたのが最初である。
戦乱続きで近畿やその周辺は年貢の徴収率が激減していたので、百姓の負担を軽減する狙いがあった。
だが、いつの間にやら守護が、戦のための現地調達ということで、公家や寺社の荘園の半分預かるという意味になり、
最終的にはそれらの領土を武士が蚕食していくことになる。
混乱を防ぐため、一旦は幕府がそれを撤回したにもかかわらず、力をつけた守護はそれを不服として、
相変わらず公家や寺社領土への侵入をじりじりと続けていた。
清氏は、彼の領国として与えられていた若狭でそれを堂々と強行したのである。己の領土内で、己に仕える
武士どもの人気取りのためとはいえ、これが寺社や公家からの反発を招かぬわけがない。
そして、延文五年(南朝元号正平十五年。一三六〇年)五月、清氏は昨年に自ら計画していた南朝討伐のため、
畠山国清と共に河内へ軍を進めた。しかし、鎌倉制圧へ向かった国清とその途中で別れて、彼だけが京へ取って返した。
清氏の政敵であり、幕府の立役者の一人でもあった仁木義長の罷免を義詮へ強要するためである。
南朝を討つための軍勢で迫られては致し方ない。さらには、鎌倉を己らの手中にするように、畠山国清とも
示し合わせてあるとまで言われて、義詮はやむなく、父尊氏の股肱の臣を罷免したのだが、これにはさすがに、
「あの若造が、増長しおって何をやり出すやら」
清氏をこそ討つべし、排除すべしと、斯波高経ら「宿老」は言い騒いだ。
「まあまあ、これではまだ討つには弱い。今少し、今少し」
道誉や幸子が、ほぼこうなるであろうと思い描いていた筋書き通りであるとはいえ、
(清氏がここまで愚かとはなア。彼奴めをちと良い気にさせすぎたかの)
彼らをなだめながら、さすがの道誉も苦笑いするしかない。
「討つのであれば、今少し待たれよ。畠山国清が鎌倉を征伐したという知らせもまだない。ことを起こすなら
彼奴めを説得して、こちらへま一度、向かせてからでも遅うはない」
道誉が言うように、幕府のほぼ半分の軍勢が清氏配下にあるのである。これでは戦力のほとんどを提供した
『居残り組』に勝ち目があるはずは無く、
「それに、清氏がまだ警戒して京に居座っておるのでは、どうもやりにくい」
義詮から南朝討伐の命を改めて受けたところで、仁木義長の「引退」をしっかりと見届けて、己の手へ完全に
政権を握ったと思えるまでは、京にいるであろうと道誉は加えた。
なだめられて「清氏排除派」はしぶしぶ矛を収めたが、一番の目の上のコブを除いたと思った清氏は、
ますます傲慢になってゆく。将軍である義詮も、「今しばらくのご辛抱を」と道誉や赤松則祐に聞かされているからこそ、
細川清氏の僭越な振る舞いへ何も言わずに堪えて、さらに一年余りが過ぎているのだが、
(全く、男どもとはほんにしょうことのない。己の身のことばかりではなく、少しは戦のたびに泣く
民や女子供のことを考えてみればよいものを)
季節はまた、蝉の声を聞く夏になった。本日も、幸子はそれらとはまるで関係がないといったそ知らぬ顔で、
訪ねてきた女人達の愚痴の相手をしている。それら女人に「気さくな奥方」として評されているように、
彼女は己を訪ねて知己を得ようとする人物を拒まなかった。なぜなら、
(男どもが「世間知らず」と密かに思っている彼らの愚痴にこそ、世の中の動きが全て秘められているゆえ、
大事にせねばならぬ)
将軍邸奥深くに居ながらにして、今や朝廷女官どころか公家、そして武士の女房たちとも太い繋がりを
持つに至った幸子には、自らが動かずとも、世間の情勢が伝えられて来るのだ。彼らは幸子にとって、
貴重な情報源であった。
そんな彼女は、あの我の強そうな清氏が必ずまた何かしでかすと見て、
(今一度、落ちねばならぬかもしれぬ)
とまで、考えている。道誉からは清氏を「始末する」計画が着々と進んでいると聞いているし、
清氏そのものは彼以外のほとんどの人間が思っていたように、大した人物ではない。しかし始末されるとなれば
清氏は恐らく、これまでの武士がしてきたように南朝側について京を占拠しようとするに違いない。
(その場合、近江ではいかぬ。冬でも暖かく、食料の豊富な場所)
夫や息子、そしてジリ貧に陥って行く生活の惨めさなど、愚痴を零し続ける彼女らを慰め、帰りには土産と
証して何がしかの金品すら持たせると、どこぞの参議の妻である今日の客は、それらを押し頂くようにしながら
退去していくのである。
(子を育てるために、子を護るために必要なものが揃っておる場所)
遠ざかっていく客の行列を見送りながら、幸子はそのことばかりを考えていた。
(良子殿から無理にお預かりしたこのお子を、私の過失で再び失うわけには断じてゆかぬ。
失ってしまえば、それこそ私は羅刹じゃ)
昨年、邸へ正式に引き取ったばかりの春王と共に客を見送りに出て、彼女は小さなその手を
思わずぐっと握り締めた。顔を合わせた事もない夫の愛人は、寵が深いゆえすぐにもまた懐妊しようし、
その子で気が紛れようと無責任な世間は言うが、子に何人恵まれようとも、「我が子を取り上げられた」
母の哀しみと恨みは癒えぬことを、誰よりも幸子自身がよく知っている。
(…赤松殿のおられる播磨の白旗城とやらならば。それにしても人というものは)
考えつつ、彼女は口の端をわずかに持ち上げて笑った。
…人間というものは、虐げることのできる相手が一人でも居れば、それを叩き潰すために、
常から仲たがいしている相手とでも手を結ぶことができるものらしい。
(道誉殿を嫌いぬいておるらしい斯波殿でさえ、参与しておられるとはのう。現金なこと。
じゃが、これで学んだわ。武士どもの不満をそらして足並みを揃えるためには、贄を常に用意しておくことじゃ)
弱い幕府の現状に不満だらけの武家諸侯をまとめるための、それも一つの手段であると幸子は
そこまで思い切っているのである。そこでふと、
「お母上様」
舌足らずの小さな声がかかった。
育てられていた文官の伊勢貞継邸から引き取られる時には、身を裂かれるような声を上げて泣いた春王は、
今年二歳、数え年で三歳になったばかりである。このところ、ようよう幸子を「母」と呼ぶようになった彼へ、
「はい。何でござりましょうや、春王殿」
たちまち甘い母の表情になり、幸子は答えた。その怯えた表情に気付いてハッとし、
「おやおや、これはいけませぬなあ。母は怖い顔をしておりました。お手々も痛うござりましたなあ、すみませなんだ」
(そうじゃ、再び母となれた私は『幸せ』であった。この上は母という役をなるだけきちんと演じ切らねば)
彼女は慌てて小さな手をそっと握り直しながら、さらに笑顔を作る。ホッとした顔になって笑う
春王を促し、邸内へ戻って、
(羅刹を討つには我が身も羅刹に。じゃが、我が身がこのように幸せでなければ、周りの人をも
幸せにすることは出来ぬ…か。難しいが、これは忘れてはならぬなあ)
己に言い聞かせながら、赤松則祐本拠の白旗城までの道程をもまた、幸子は脳裏に思い描いていたのである。
to be continued…
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