我が胸中に在り 5



二 羅刹の心
 
ともあれ、北朝側にとっての危機は再び去った。細川頼之は戦死した父の代わりに
正式に阿波の守護代に任ぜられたし、近江の佐々木道誉もその地位を保ってどっしりと近江一帯に勢力を張り、
赤松則祐もまた、播州白旗城へと戻って行った。
京を奪われ奪い返され、まことに煮えきらぬ両皇家の戦いは、結果的には尊氏が幕府を
創設してから約六十年は続くのである。
「またいつなと…」
己を頼れ、と、勝楽寺を去るときに幸子へ告げた佐々木道誉の言葉は、初めて彼女が京を離れた
実に九年後、再び現実のものとなるのだが、ともあれこの時は、
「やれ良かった。向後は京を動くまいぞ」
尊氏ともども、京へ戻った義詮や武士どもらが口々に言うように、北朝へとりあえずは忠誠を
誓っている者ども全てがそう思っていたに違いない。このように争いが続くのは、
「やろうと思うのなら、徹底的に叩かねばならぬわ」
今の北朝側では強硬派である斯波高経らも常々吐き捨てていたが、南北朝双方が「もともとは
親族であるから…」と、変に遠慮をしていたからではないか、とも言える。
それほどに皇家は未だ、人々の心のどこかで畏れられているのだ。広義門院が治天の君と
なることに難色を示した公家らへ、
「尊氏が剣となり、良基が璽となる。何ぞ不可ならん」
つまり、たとえ女性が後ろ盾となっても、三種の神器がなくても、尊氏が草薙の剣であり
己自身が勾玉である、それで何が悪いと啖呵を切った二条良基の言葉が効いたのも、天皇に
一番近い関白であるからこそだった。となれば、
(公卿の官位を得る…なるだけ上の官位に就くことも大事)
京に戻った折、父の義季から全ての経緯は聞いている。己の膝元で無邪気に戯れる我が子を見ながら、
(女であればこそ、それが出来る。皇家の近くに仕えている方々へそれとのう、しっかりと
繋がりを持つことが。女は女同士、というからのう)
男であれば目立つであろうことでも、女の身で成せばさほど目立たないし、女性特有の仲間意識とでも
言おうか、いざとなれば男同士の繋がりよりも強い絆が出来る。恐らく佐々木道誉はそのことを暗示したに違いなく、
(この子の後ろ盾として、政に関与することも可能ではないか)
しかも、己は次期将軍の正室である。となれば不可能なことではなさそうだ、と、幸子は考えていた。
無論、そこには我が子の栄達を願う母としての気持ちも働いていたろう。そのためには何よりも、
将軍家が強くなければならぬ。先に二条良基が切った大見栄は、
(自分の保身のためとはいえ、まだまだ朝廷の力は侮れぬ)
関白という地位を保持したいがためであったとしても、今時の公家において、まだこれほどの
度胸がある人物がいるということを幸子に強く認識させた。
言うまでもないことながら、まだまだ足利幕府の足元は危うい。実際、将軍弟の直義を除いたとはいえ、
その養子であり尊氏の庶子である直冬は未だ九州に健在であった。これも反尊氏派である山名時氏や
大内弘世らと語らって文和四年(南朝では正平十年。西暦一三五五年)には再び実父尊氏を追い、
京を制圧しているが、尊氏派の反撃にあって間髪を入れずに京を追われている。よって将軍邸はもとより、
公家屋敷や御所へもその時には大した被害は無かったのだが、
「力を落とすな。子などまた、すぐに儲けられよう」
「…はい」
将軍邸を訪れた父の慰めに、幸子はかすかに顎を引いて頷いた。初めての近江落ちで風邪をこじらせ、
それから健康がすぐれなかった一粒種の千寿王丸が、五歳で夭折してしまったのだ。
「こなたも二代様もまだ若い。気落ちいたすな。これからじゃ」
攻め入り、攻め入られ、落ち着かぬ情勢下での慌しい葬儀を終えて、
(手持ちの駒をひとつ、失うてしもうたわ)
呆然と庭を眺めながら、そのような考えを持ったからこそ罰が当たったのかもしれぬと、幸子は寂しく苦笑した。
当然ながら、娘の密かな心積もりを知らぬ父義季は、
「子はまたすぐ得られる。今はなあ、初代様も具合が思わしくないのでお忙しいのじゃ」
と、幸子にとってはどこか見当違いの慰めを続けている。
(父上は知らぬのじゃなあ)
子供のいない居室は、一気にしんと静まり返る。子がいなくなったというばかりではなく、
そもそも夫である義詮が、京へ帰還してからまともにこの屋敷へ帰ってきたことはないのだ。
父の言うように、尊氏の健康はすぐれないし、それゆえに義詮がより忙しくなったのは事実だが、
(順徳帝の御血を引くとかいう、紀良子殿の元へ通うておいでじゃろ)
自分の娘が、とっくの昔にその夫の愛妾の存在を知っているということを、父はどうやら知らぬらしい。
得てしてそういう情報ほど、周りで召し使っている女どもから早く伝わるものなのだ。男というものは、
かほどに「どこか間が抜けている」もので、
(まあ、よいわ。それでも希望は捨ててはならぬ)
夫が「息抜き」に興じている間に、やらねばならぬことは山ほどある。子を亡くしたことが
悲しくないといえば嘘になるが、
(将軍家正室として出来ることをせねば)
幸子の脳裏には、近江落ちの際に見た貧しい母子がいつもあるのだ。
(あのような母子を、二度と作ってはならぬ。母の手から子の命を、理不尽に取り上げられるようなことが
あってはならぬのじゃ)
そのためには、せめて北朝側の皇家や公卿らの覚えをよくしておくことであり、「粗暴な」と陰で
罵られる武家が官位に容易に食い入るための下地を作っておかねばならぬとまで、彼女は考えていた。
(そのためには、子じゃ。子を作らねばならぬのじゃが)
義詮は、几帳面な性格ではあったらしい。千寿王丸が生きていた間も、夫としての責任は間をおかず
律儀に果たしていたのが、幸子に一向に懐妊の兆しがなく、加えて尊氏が病に起き伏しするようになってから、
我慢が出来なくなったようなのだ。
こればかりは、
「致し方ありませぬ」
この時、幸子にも挨拶をと訪ねてきた細川頼之も、苦笑いして言ったものである。
「先ほど、こなた様も妻を娶られたそうな」
ごく身近な者だけが残った部屋で、生真面目に平伏している頼之と幸子が会い見えたのは、
千寿王丸の喪が明けた文和四年の晩秋のこと。先だって男山で南朝を追い返したり、直冬からの
京奪還に加わって功を挙げるなどして、頼之がまだ京に滞在していた時である。
襖には、傾いた日差しに照らされた紅葉の陰が映し出されており、
「おめでとうござりまする」
聞けば、夫義詮と同い年らしい。その親しみもあって幸子がそう言うと、
「ご正室様ともあろうお方が、臣下のささいなことにまで気を遣われまするな」
気遣い無用、と、ばっさり切って捨て、
「それよりも我ら、二代様の和子を切に所望しておりまする。我等の基を成すものが危ういようでは、
我等も落ち着きませぬ。僭越ながら、御方様には御方様のなすべき役割があるはず。それを果たしていただきませぬと」
これにはさすがの幸子も苦笑いを漏らした。初対面の者が、しかも次期将軍の正室に言うことにしては、
無礼としか言いようがない。周囲もざわめいたし、同行していた彼の従兄である細川清氏も、
慌てて年下の頼之の袖を引いた。
「こなた様とこなた様のお父上様のご忠誠、まことに嬉しく思いまする」
幸子はしかし(これはこれで興味深い殿方じゃ)と、むしろ、あくまで生真面目な彼の様子におかしささえ
覚えながら言葉を返して、
(幕府のことのみを思うての苦言であろうが、己より身分が上の者にも物怖じせずズバズバと申される。
これでは敵も多かろうの)
女性らしい直感でそうも思った。
「世継ぎの問題はのう、私ではのうて、他のお方が解決してくれるやもしれませぬゆえ」
幸子が自虐もこめて続けると、
「は、確かに…こればかりは致し方ないものも」
頼之もまた苦く笑った。もちろん、彼も「二代様の愛妾」の存在は知っているだろう。どうやら周囲には
格好の話題の種になっているらしい。身分の高い貴人が愛人の一人や二人、持つのは常識であったから、
他の者ならば問題にもならぬことだが、義詮だとそうはいかないらしい。次期将軍の跡継ぎ問題に関わることでもあるし、
「お子をあげられぬご正室様は、密かにお怒りなのでは」
「良子様はご正室様のお怒りを恐れて日々すくんでおられるそうな」
などというくだらぬ憶測が周りで飛び交うのは、むしろ当然の成り行きだったかも知れぬ。
「御方様、まことに失礼ながら我ら、これにてお暇を頂きまする」
そしてその二、三言を交わしただけで、頼之はさっさと立ち上がる。
「お忙しいことじゃなあ。わが一族のことながら、手数をかけまする」
「いえ、これも責務のうち。御方様にはどうぞ、われら男どものなすことで御心を煩わされることのないよう」
戸口で再び頭を下げた頼之へかけた幸子に、返ってくる彼の言葉はあくまで硬い。まだ座っていた清氏は苦笑して、
「あのような分からず屋ではありますが、根は全く持って良い男。それゆえ、なにとぞお怒りになられませぬよう」
幸子へ平伏した。
「いえ…今はまだまだ尋常ではない時。あれでよいのでござりまする」
幸子が言うと、恐縮したようにもう一度深く頭を下げ、清氏もまたあたふたと従弟の後を追った。
京から追われたはずの直冬は未だに虎視眈々と京を狙う計画を立てていたのである。頼之が父から受け継いだ
自領である四国へ帰っていなかったのは、このことにもよる。
さても、将軍邸となっている屋敷の廊下へ出て、何やら怒ったように大股に歩き去っていく従弟の後を、
「頼之、待て、待たぬか、こら!」
清氏は慌てて追いかけた。
「兄者。何です」
「何です、ではないわ。仮にも御方様に対してあのような大それた」
「私はただ、『それぞれの者が果たすべき役目を果たさぬのは、ただの怠惰である』と申しあげたまで」
元を辿れば、足利も、幸子の実家である渋川も、清氏と頼之の細川も、そして道誉の佐々木も皆、同じ源氏の血を引いている。
「上に立つものが怠慢では、下も惑う。それが道理。幕府が強くないのはそれもある。誰ぞがそれを直言せぬと」
「確かに正論ではあるが」
清氏は、吹き出物の出た丸っこい鼻の上へ汗をためながら、天井を仰いだ。
「貴様は少し頭が固すぎる。確かに将軍家世継ぎの問題は重大ではあるが、われ等が口出ししても
どうにかなることでもあるまい」
「しかし世継ぎは本来であれば、ご正室様の腹から出ることが望ましい」
どうやら清氏は、次の政所の執事になりたいらしく、しきりにその旨を義詮へ働きかけている。
政所の執事ともなれば、幕政の最高責任者であるから、思い通りに政を動かせるのだ。当時は細川、畠山、
斯波の三家が交代でこの任務につくのが慣習になっていたし、ゆえに清氏がそう考えていてもあながち
実現不能な夢ではないのだが、
(これだから今の幕府はいかんのだ)
結局は人間、誰しも己のみが可愛い。北朝側であるとは言っても、そちらにいればいずれは甘い汁が
吸えるという期待からであり、吸えねば吸えぬで敵対している南朝側につけば、いくらでも厚遇してもらえると
思っている…と、憤っている頼之にしてみれば、
(この従兄にしてからがそれじゃ)
男として、政を己の思うように存分に動かしたいという気持ちは分からないでもない。だが、
結局はそれも私利私欲であり、同族であるがゆえに一層、この従兄をも苦々しい思いで見ざるを得ぬ。
が、当面の彼の怒りは、
「…確かにこればかりは天からの授かりもの。将軍家ご夫婦のご家庭の問題。しかしそのお役目を
果たされようとしていない御方様はやはり怠惰である」
将軍正室、幸子に向けられているらしい。
「貴様、此度はそれで怒っておるのか」
「まあ、そういうことだ。直冬殿がまたぞろ京を狙いだしておるし、山名一族も六分の一衆などと呼ばれて
良い気になって、それに加担しておる気配もする。このような時なればこそ、一つでも我らの不安要素を
消さねばならぬ…よって、怒っておったのだが」
言い掛けて頼之は、大げさにため息を着いている従兄の表情が、
(ひょっとこのような…)
河原者によって創り上げられ、能とほぼ同時に一気に広まった狂言とやらの、ひょっとこ面に似ていると
思ってしまい、やや口元をほころばせた。
「怒ってばかりもおれませぬな」
「左様左様。毎度毎度、よくも怒りの種があることよ。どうも貴様は四角四面に物事を考えすぎて、無用の敵を作りすぎる」
滅多に笑わぬ頼之の口元がほころぶと、なんともいえぬ男前の顔になる。近頃蓄えだした鼻の下の髭がまた、
それに良く似合っていて、
(この硬ささえなければ、俺に劣らぬ男ぶり…)
自尊心の甚だ強い清氏は、己よりも少し背の高い従弟の目に映る自分の姿を見て、負けじとそう思うのが常なのだ。
「上に立つものは、我が身をすり減らしても下々のことを考えるべきなのじゃ」
(また始まった)
清氏はため息をつくのみでそれに答えず、彼と共に将軍屋敷の門を辞去した。馬に乗りながら、
「政は私するべきではない。武士たるもの、ただ己を信頼してくれる尊き方へ忠誠を捧げるのみ。
だが、その方々でも時には成す間違いを正すのもまた、臣下としての勤めじゃ」
熱を持って語る従弟の顔をつくづく見、
(これがあの、「ばさら殿」に何故かように気に入られているのか皆目分からぬ)
佐々木道誉が何故己ではなく、この「真面目一点張り」で「面白いところも何も無い」「人のささいな間違いを
許せない」頼之を政所執事にと強力に推しているのか、理解に苦しんでいるのである。
裏を返せばこれも、まだ三十には間がある若さゆえの一途さ、頑なさの表れと言えるかもしれないし、
頑固者が多いとされる三河者特有の一面でもあったかもしれない。とにかく、「すれていない」のだ。
幼い頃、生まれ故郷である三河から京に出でて共に夢窓国師の教えを受けながら、国師の説くところに
より強く傾倒したのは、どうやら頼之のほうらしい。昨日は東に今日は西にという戦続きのなか、
その間が無かったせいもあるかもしれないが、
(愛妾の一人や二人、作っても世間は何も言わぬものを…どうやらまことに「正室一本槍」で生涯過ごしそうじゃの)
娶った妻のみを大事にする、と公言して憚らぬ従弟なのである。
「貴様はほんに、面白みのない男よのう、頼之」
直冬「征伐軍」は、義詮を筆頭に続々と集結しつつある。その中で伊予への発向を命じられた頼之へ、
少しの皮肉をこめて清氏が言うと、
「別にそれで結構。私も貴方を面白がらせるために生きているのではない」
元の渋面に戻って、いつものごとく頼之はそう受けた。顎できっちりと烏帽子の紐を結わえたその水干姿には、一糸の乱れも無い。



to be continued…


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