我が胸中に在り 3
傷つきやすい人ほど、己の最初の思い込みを信じる傾向が強い。
(無神経で気遣いの出来ぬおなご…)
そして、第一印象での偏った見方をそのまま引きずってしまう。義詮の幸子への見方もそうだった、
というよりも、反覆極まりない周りに常に振り回されていては、無理もないかもしれない。
大げさでなく、昨日の味方が今日の敵、といった具合で、今、幕府に擦り寄っている武士どもも、
またいつ裏切るか分からぬのである。ゆえに、いつまでたっても緊張が解けぬ。
直義は確かに京を包囲した。だが、やはりそこは何と言っても「兄」の本拠地であり、加えて
彼の親族や彼を慕っているものも大勢いる。
兄の尊氏よりもよほどの情の濃い、心底「武士」であった直義は、それゆえに彼らを脅かすに
忍びなかったのだろう。攻め入ることはなく、包囲するだけに留まって、京市街へ入って乱暴狼藉を
する者は厳罰に処したという。ゆえに、直義の裏切りによって何らかの影響があったのは、
武士として戦に出ていた男どもだけであり、公家やその他武家の子女の生活までが脅かされたわけではない。
直義はこの点、兄よりも甘かった。
ために、幸子は戦を知らぬ。もちろん、小競り合い程度の戦が彼女の周りでなかったわけではないが、
あくまでも聞き知る程度のことであったため、現実に起きていることとして受け取るには甚だ実感が薄い。
(怯えもせず)
だからこそ、正月に自身が備前へ落ち延びるという経験をした義詮には、幸子のその様がどうしても気に食わない。
正室を迎えるのだからしばらく慎め、と父からの戒めもあったことだからと、紀良子に会いたいのを控えているのに、
(良子なら、涙を零して「さぞやご苦労をなさったでしょう」の一言くらいは申しおる)
同じように戦況を知っているはずの幸子には、それがない。つまり、義詮が欲しいのは共感だったのだ。
ともかく、尊氏が名目上は南朝側へ降服したので、正平、観応と二つに分かれていた元号は南朝側の
正平に統一された。観応二年は正平六年となり、南朝側もある程度は息を吹き返している。
息を吹き返したのはいいのだが、南朝はその祖である後醍醐帝とほぼ同じ過ちを繰り返した。
幕府が擁立した北朝の祟光天皇及び直仁親王は廃され、武士の職である地頭の領分取り上げて寺社や
公家へ配分するなど、まさに北朝側にとっては「腹に据えかねる…」ことばかりをやってのけている。
だが、「負けた」のは幕府側なのだ。それに降服した際に、皇家のことは皇家に任せるという条件を
飲んでしまっており、さらには三種の神器も南朝側へ渡してしまったため、こちらとしては手も足も出なかった。
じりじりしている間にも、南朝側は着々と基盤を吉野から河内の国へと伸ばし続けている。
おまけに幕府の中では尊氏側と直義側のしこりが未だに解けていない。義詮にとっては緊張の連続で
過ごしていた観応二年十月に、尊氏がついに南朝側へ「直義・直冬追討」の綸旨を貰い受けてしまったのだ。
「なんと、まあ。また戦でござりまするか」
全く、何もかもが慌しかった。幸子が嫁して、京御所により近い義詮の住まいへ居を移してから、
既に半年が過ぎ去っている。こぎれいに整えられた庭は、初秋ののどかな日差しに照らされているが、
「ああ、戦じゃ。だが、安心せい。予は京に残る」
それとは裏腹な苦虫を噛み潰したような顔で、彼女の前にどっかりと座り、義詮はそう吐き捨てた。
彼が京に残ったのは、南朝側との折衝のためである。本日も、せわしない昼食を終えて、南朝側との
交渉のために河内へ行くという。屋敷へ戻ってきたのは、ひと時の休息を得るためであろう。
「こたびこそは、京へは戦火は及ばぬであろうとなあ、父上は仰せじゃ。だが予までもが京を留守にして、
万が一のことがあっては、とのう。逃げた叔父御や、九州の直冬殿の後始末は父がするそうな」
「左様でございますか…」
先だって「仲直り」した際に、直義は義詮の後見役になっている。これでまた、兄の信頼を取り戻したと
単純に思ってしまった直義は、やはり甘い。
執事の高兄弟を殺したのも、直義にとっては
「あの兄弟が思う様、政を牛耳るようでは…」
全ては兄を第一と考えていたためであり、南朝側へ走ってしまったのも、将軍としての威厳を示さねば
自分までもが裏切るぞという、大げさではあるが兄へ「喝」を入れるためだったのであるから、
「あの直義様が、なあ…惜しいことにござりまする」
「言うな」
眉は濃く、瞳は黒く、筋骨は隆々と盛り上がり…甥の嫁を見たいからと、夏に一度訪ねてきた直義の顔を
思い浮かべながら、幸子がぽつりと言うと、義詮はぷいと横を向いた。幸子に慨嘆されるまでもなく、
叔父に「追討」されるほどの罪などないことは、彼自身がよく承知している。おまけに追討されようとしている
もう一人の人物は、父尊氏に認められていないとはいえ、彼の庶兄なのである。
だが、武家でありながら、その棟梁である将軍家に背いた罪は罪。叔父とはいえ、
「身内であるからこそ、征伐されなければならぬ」
義詮は苦々しげに言い放った。
直義の行動は、あくまで「皇室第一」であった。頂く天皇家がいないと、幕府などあっという間に
崩壊することを、彼はよく知っていたし、だからこそ、自分に対する討伐令が朝廷から正式に出されたとなれば、
淡々とそれを受け入れて鎌倉へ落ち延びていったのである。
実父尊氏へ反感を抱いている直冬ももちろん、それを聞いて九州でおとなしくしているわけがない。よって、
京を挟んで東に西に、またしても戦の火の手が上がったのである。
「直義様は、己が悪者になればよい、とお思いなのでしょうかなァ」
「何と申す」
もう一度、ため息を着きながら立ち上がりかけ、義詮は幸子の言葉を聞きとがめた。
「されば」
すると幸子は襟を正し、彼の前へ両の指先をついて、
「将軍家の弟御でさえ、背けば成敗されると…。直冬様はいざ知らず、直義様は自らが犠牲になられまいて、
おあにい様の威厳を高めようと覚悟を決めておられるのでは…でなくんば、あの戦達者の直義様が、
京をそのままにして去られる理由がござりませぬ。直冬様は、何と申されても将軍家の実の御子におわしまするゆえ、
悪いようにはなさりますまいと、なあ。形の上では賊軍であっても、心の底では、おあにい様の
肉親としての情を信じておわすのでは」
「女どもが小癪なことを」
(薄ぼんやりしておるとばかり思うていたが)
内心、意外なほどの彼女の洞察に舌を巻きながら、それでも義詮は苦々しげに、
「参る。数日は戻れぬであろう」
言い捨てて、幸子に背を向けた。
「どうぞ、お気をつけられて」
頭を下げた彼女の声に答えることもなく、荒々しい足音が遠ざかって行く。
とにもかくにも、尊氏は「討伐」のために京をあけ、義詮は残った。父尊氏が義詮へどれほどの期待を
かけていたのかは分からない。当時は生まれた順ではなくて、母親の身分や、母が正室であるかどうかで
嫡子であるか否かが決まったのであるから、尊氏が義詮を内心、どのように歯がゆく思っていたとしても、
将軍家の跡継ぎは彼しかいないのである。
むしろ、猶父であり叔父である直義に似て戦達者であった実の子、直冬のほうが、この不安定な局面を
乗り切るに相応しいと思っていたかもしれない。だが、一度「認めぬ」としてしまった以上、征夷大将軍とも
あろうものが、その言葉を翻すわけにはいかなかった。
それに、南朝に降服してしまったことが、次第に深刻な影響を及ぼし始めている。身内の「わがまま…」に
ばかり煩わされてはいられぬものをと、尊氏は内心、忸怩たる思いであったに違いない。
南朝側の力が増したため、当然ながら幕府の力は急激に衰えたと見られた。南朝はついに、摂津国住吉まで
その本拠を移し、名将と評判の北畠親房を大将に立てて、京奪還を企てたのである。
幸子が義詮の子、千寿王を出産したのは、このような落ち着かぬ状況の中だった。さらに事態が深刻になった
観応二年の十二月には、
「今一度、京を捨てねばならぬやもしれぬわ」
何度か京と住吉を往復し、一向に譲歩の気配が見られぬ南朝側との交渉に疲れた顔をした義詮は、生まれたばかりの
我が子の顔を見ながら、苦々しげに吐き捨てた。
「こなたも、その覚悟はしておけ」
「まあ…それはまた、なにゆえにござりまするか」
夫の体からは、冬の風と枯葉の匂いがする。乳母に、千寿王を抱いて去るように言いつけ、幸子は夫の側へ
少しにじりよった。すると、義詮はつと顔を背け、軽く咳をしてから、
「こなたも一応は大事な身ゆえ、あまり予に近づくな」
言って、再び咳込んだ。
(お風邪を召したらしい…)
幸子は黙って手焙りの上にかけてあった急須を取り、湯を注いだ湯飲みを差し出す。すると夫は驚いたように一瞬、
眼を見張り、湯飲みを受け取って少しだけ微笑った。
「…父が、叔父御を鎌倉へ取り込めた。それを聞いて、庶兄も少し大人しくなったそうな」
「まあ、それはよい報せではありますまいか?」
「皇家が、父の将軍職を解任すると言い騒いでおる」
ため息と共に言って、義詮は残りの湯を一気に飲み干した。
「勇将、北畠が味方であるから、皇家も強気よ。こちらとしても、我らのお味方であった祟光上皇陛下や
皇太子直仁殿下を廃されてしもうては、手も足も出ぬ。叔父御がせめて側におわせば…いや、これは
言わいでものことであったわ」
よほど喉が乾いていたらしい。空になった湯飲みをそのまま手のひらで弄びながら、夫は疲れたため息をつく。
(ぽっかりと開いてしまった直義様という穴は、大きゅうござりまするなあ)
幸子は労わるようにそんな夫を見やりながら、黙ったまま再び急須を差し出した。傾けられた急須の口を、
今度は当たり前のように湯呑みで受け、
「もしも、のう」
義詮は、妻の顔を首をかしげてつくづくと見る。
「父が征夷大将軍でなくなれば、予とてその跡継ぎではない。ただ人じゃ。こなたにも、予の周りにいる
武士どもにとっても、何の価値もなくなる…となればのう、予を見捨てても良いぞと思うて」
「まあ…ホホホ」
すると、幸子は何がおかしいのか、声を上げて笑った。
「何を笑う」
笑われて、夫がいい顔をしなかったのは、疲労感が濃いためばかりでもなかったろう。
「これは失礼致しました。あまりにもつまらぬことを仰せあるもので」
「つまらぬと」
先ほどまで冷たい風に晒されて青かった義詮の頬は、怒りを帯びてきたらしく、今はほんのりと赤い。
幸子は動じる気配もなく、
「はい、小さなことにござりまする」
むしろ慈愛すら瞳に湛えて夫を見返した。
「将軍家の跡継ぎでなくても、貴方様は貴方様で、私は貴方様の妻。否、形の上で将軍家でなくなりましても、
貴方様やお父上様を我らが棟梁なりと慕う者ども、いくらでもございましょうに」
「…ふむ…」
義詮の顔から怒気が消えた。幸子は再び空になった夫の湯呑みへ湯を注いで、また柔らかく笑い、
「恐れながら、今の皇家が考えておわすことは、己と己の周りの栄華のみのように、幸子には見えまする。
それでは集まってくるのはやはり、利に聡く、利を食らうものばかり…本物の人はついて参りますまい。
尊氏様を慕う武士どもは、尊氏様こそが皆を仕合わせにして下さると、そう信じておりますからこそ、
歯を食いしばって皇家の無体に耐えておるのでございましょう」
黙り込んでしまった夫へ、幸子は話し続ける。
「それゆえ、京を奪われようと、京からやむなく出なければならぬことになろうと、将軍でなくなろうと、
慕う者どもがいる限り貴方様とお父上がいる場所が、すなわち幕府のあるところ。幸子もなあ、貴方様とともに
いずれなりとも参りましょう。どこまでもお供致しまする」
「…そうじゃなぁ」
義詮はそこで、妻の顔を見て微苦笑を漏らし、
「お父上と、予があれば、京でなくてもそこが幕府か」
幸子の言葉を繰り返した。
「左様にござりまする。そのお心積もりでいらっしゃれば、どこへ参っても何とかなるもの。
いずこにあっても、貴方様は貴方様」
すると、幸子も大きな目をすっと細めて笑う。
「はは、これは一本取られた。まこと、こなたの申す通りかもしれぬ」
ついに義詮も声を上げて笑った。本当は、形の上であっても皇家に任じられた将軍あってこその幕府なのだが、
幸子の言うこともあながち間違ってはいない。将軍は、武士の棟梁でもあるのだ。
「僭越ながら機内におきましても私の父、細川様父子、そして近江の佐々木京極道誉様、播磨は赤松則祐様…
皆、貴方様と尊氏様の味方ではござりませぬか。殊に細川頼之様、阿波で未だに踏ん張っておられまする。
貴方様さえおわせば、幾度なりと立て直せましょう。ここで投げてしまわれては、それこそ皆の今までの犠牲は
塵と化しまする」
「うむ」
「それゆえ、なあ。一旦は落ちぶれて京より追われても、生きてさえあればいくらでも取り返しはつく。
元気をお出し下されませ」
幸子の言葉に、義詮もまた、己に言い聞かせるように何度も頷いていた。
だがこの頃、幕府の弱体化は既に顕著なものになっている。せっかく幕府によって立てられた北朝だが、
天皇と皇太子は廃され、北朝側についていた公家どももまた逼塞する羽目になったので、
「あれ、また公家さんの首吊りじゃ」
「公家さんも、生きてゆけぬ世なんじゃの」
鴨川にかかる五条大橋では、京市民どもがごく自然にそう言って行き交うのが当たり前の光景になっていた。
関白や太政大臣といった、身分の高いものですら、
「日々の糧を切り詰めねばならぬ…」
なんとかしてくれと、幕府へすがり付いてくる。そもそもそれらの人々は、幕府が立てた北朝側の
公家なのである。幕府が何とかするのは当たり前であろうと詰め寄り、しかし幕府も己を助けるだけで
精一杯だと分かって、落ちぶれたわが身を嘆くのがオチなのであるから、公家とは名ばかりの末端貴族が
「これでは生きてゆけぬ」と行く先に絶望するのも致し方ない。そもそもが、「額や手に汗して働くことを知らぬ」
人々なのである。逆境には極めて脆い。
とにもかくにも、形の上では皇家が一つになって、元号も南朝側の「正平」となったはずであったが、
年の暮れと戦と、まこと慌しい師走が過ぎ、なんとか明けて翌年二月。
「近江へ落ちる」
討議が終わり、足音荒く幸子のいる部屋へ戻ってきた義詮は、憮然とした表情でそう告げた。
「まあ…あの、では、鎌倉はどうなっているのでござりまする」
「叔父御の始末は父がつけたそうな。皇家は父の将軍職を解いた…代わりに幸坂宮(後醍醐天皇の皇子の一人、
宗良親王)が征夷大将軍に就くと」
「それは…まあ」
(まるで他人事のような)
まさに尻に火がついているこの状況で、どこかのんびりしているというか、そもそも事態をきちんと
把握しているのか、といった妻の様子に、
(少しは見所のあるおなごかと思うておったに)
好意へ少し傾きかけた天秤は、また水平に戻ってしまったらしい。常の彼にも似ず、畳の上へどっかりと
腰を下ろした義詮は、疲れたように息を吐いた。
鎌倉では、包囲した直義の始末をつけた…これには尊氏が直義を毒殺したのだという不穏な噂が流れたが…
ばかりの尊氏が、体勢を立て直す間もなく宗良親王を奉じた新田義興、義宗兄弟に攻められ、武蔵へ逃れている。
それを聞いてさらに強気になった南朝は、北畠親房を先頭に、京へ攻めかかってきたのである。既に戦の臭いを
嗅ぎ付けていた京の市民どもは、あるだけの家財道具を抱えて家族もろとも周辺へ避難していたが、
「頼春が倒れた。頼之はようよう阿波の小笠原を成敗して、こちらへ向かってくる最中であろうし、
則祐は播磨じゃ。予と義季…こなたの父だけでは到底、京を守りきれぬ」
「左様でございましたか」
義詮の言葉に、幸子の部屋へつめていた侍女たちが一斉に騒ぎ出した。それへ静まるように言い、
「それゆえ、近江の佐々木様を頼られることになさったのですなあ」
「そうじゃ。幸い、向こうから申し出てくれておる」
佐々木道誉ならば、折々この邸の庭でも見かけていた。近江源氏の血を引くのだというその顔を思い浮かべながら
幸子が言うと、義詮は後を引き取って、
「そこで予は、年号を改める。正平ではなく観応へ戻す。お父上さえ戻られたなら、また巻き返しも出来ようゆえ。
鎌倉へ、とも考えたが、南朝との対抗上、そこまでは退けぬ」
「はい…ですが」
夫の言葉のいちいちへ頷いていた幸子は、そこで首をかしげた。
「公家さま方や幕府へお味方くださっていた皇家の方々も、ご一緒で?」
すると、義詮の表情はまた、みるみるうちに苦いものになった。
幸子には内緒にしているが、彼の紀家通いは事態が紛糾するのと比例して、その度合いを増した。
どこか『無神経』な正室にはない安らぎを求めたかったのに違いない。
(私を捨て行かれるのでおざりまするか)
つい先日も、紀家邸内で良子はそう言って泣きながらかきくどいた。思わず仰いだ紀家の天井は、
煤けてどす黒い。その有様をありありと思い出してしまって、
「…こなたに答える義務は無い」
彼は素っ気無く言った。彼と良子が交わした会話まで幸子が知っているわけがないし、公家というのがすなわち、
義詮が通う愛人のことを指して幸子が言ったわけでもないということを、彼はよくよく承知しているのだが、
(己を守るだけで手一杯…)
そんな自分の不甲斐なさを、妻の言葉によってより自覚させられたような気分になってしまったのだ。
事実、細川頼春の戦死によって、力関係の強弱は決定的なものになってしまい、幕府にともかくも
味方してくれていた「元」北朝側の皇家や重だった公家の面々は、そのほとんどが南朝側に
囚われてしまっていたのである。
三種の神器がなくとも、平安の昔から続いている「皇家の実質的政権保持者」である治天の君さえ確保しておけば、
皇位継承は何とか形にはなった。我が子へ皇位を譲って自身が院政を行った白河上皇がその始まりで、
以降、朝廷の間では、天皇家において上皇、天皇が己の子らへ皇位を継承させる折には、この治天の君の裁可が
「大いに物をいう」のが慣例になっている。
よって、南朝側が「三種の神器」を保持してその正統性を主張していても、治天の君さえ幕府側にあれば、
とりあえずの大義名分を主張することは出来た。時代が下るに連れて形だけのものになっていたとはいえ、
やはり治天の君の威光はそれだけ大きかったのだ。
幕府によって北朝が建てられた時、尊氏は持明院党の光厳上皇を治天の君とし、その弟の豊仁親王を光明天皇として、
征夷大将軍に任ぜられた。ゆえに、その光厳上皇や皇太子が連れ去られたのは、まことに大きな痛手なのである。
(そのような事情を申しても、おなごには理解できまい)
「ともかく至急、近江へ参る。その支度をいたせ」
子供のように目を見張る幸子へ、義詮は苦々しげに告げた。
攻め入ってきた南朝側は、敵であるとはいっても、もともと同じ貴族仲間で親類同士なのだ。
武力を持たぬし、血を嫌うであろうから悪いようにはしまい。ゆえに朝廷やそれに近い公家らは無事であろう。
よって義詮は、
「必ず戻るゆえ、待て」
と良子に告げたのだが、もちろん、それは男の理屈である。通じないのも当たり前で、後はただ無言で
泣くばかりの良子を、やむなくそのままうっちゃって、彼は逃げるように紀家の屋敷を出てきたのだ。
(ともかくも、近江で善後策を練らねばならん)
連れ去られなかった皇族のうち、「治天の君」及び「天皇」として形だけでも立てるに相応しい人物の選出を
せねばならぬし、これからの戦局の打ち合わせもせねばならぬ…と、幕府にとってはまさに瀬戸際のこの時、
(こちらにとって利用価値のある人間以外のことを考えてやれる余裕なぞ、あるものか。説明しようとしても
理解しようとすらせず、結局は泣き崩れるのみのおなごなぞ)
追い詰められて、ただイライラと焦り、疲れてもいる義詮を責めることは出来ない。
幸い、光厳上皇、光明天皇の御母である広義門院(後伏見上皇女御、西園寺寧子)及び光厳上皇第二皇子、
弥仁親王はまだ手元にある。それゆえ、皇家の出ではないが、緊急の手段として広義門院を治天の君として立て、
弥仁親王を時代天皇にしてはどうかと、
「異例のことではあるが、致し方ありますまい」
後に「ばさら殿」の異名を取った佐々木道誉の、まさに彼らしい意表を突く提案が出され、鎌倉で交戦中の尊氏からも
「良きように…」との返事が来ている。
この頃にはもともと、夫を亡くせばその妻が家督を代行するという慣習が武士にはあった。しかしそれはあくまで
武士の慣習であり、公家社会では見られない。尊氏が承諾したのも、その慣習が根にあったからであり、
それを公家へも当てはめようとする道誉の奇策に、「やむを得ないこと」と心の中で賛同したためでもあろう。
これが、観応二年六月のことである。
門院への交渉は、しかしすんなりとは行かなかった。ある意味、南朝よりも手ごわい相手であったろう。
「上皇方や皇太子をのめのめと連れ去られておきながら」
われらを良いように利用するだけじゃと、周囲のものへは幕府すなわち義詮への怒りと不信をあらわにし、
しかし幕府の人間に対しては硬く澄んだ表情で、断る旨を厳かに告げたそうな。
門院にとっては、いずれも息子や孫たちなのである。お怒りになるのも無理はないがと、義詮や佐々木道誉、
そして幸子の父である渋川義季は、そぼ降る梅雨の中、何度も御所へと足を運んで『交渉』を重ねた。
この間、主だった武家の家族は、難を避けて続々と京周辺へ逃れている。
(物見遊山の気持ちでおればよいが)
悲嘆にくれる周囲とは裏腹に、出立する時の幸子の様子はむしろ明るかった。近頃ようよう、
伝い歩きを始めた我が子を抱いた乳母や侍女たちと共に『将軍屋敷』を出、雨の中を京は山科のはずれまで
やってきたところで少憩をとっていると、
「幸子殿。お久しゅう」
そんな声がして、彼女を包んでいた人垣が崩れる。侍女数人の姿がそこから現れて、それが幸子へ近づくと
人垣の崩れはさらに広がり、侍女に守られていた初老の貴婦人が彼女へ向かって微笑んだ。
「これはお姑様。婚儀以来、ご無沙汰いたしておりまする。こちらから折に触れてお伺いせねばならぬものを、
大変にご無礼致しました」
侍女に守られていたのは、義詮の実母である赤橋(北条)登子で、
「よいよい。こなた様も大事な御身…このたびはまた、大変なことになりましたなあ。京より出たことのない御体。
慣れぬ旅で大変であろ」
「いえ…むしろ私、楽しいとも思うておりますもの」
「いやいや、気遣いは無用じゃ。いつもなあ、こなた様とこなた様の御父上には済まぬことと申し訳なく
思うておりましたぞえ。将軍家の正室ともなると、気苦労も多いもの…私がたれよりもよう存じておりまする」
幸子が恐縮し、かつ改まって頭を下げると、この北条一族の血を引く女人はしみじみと言うのである。
「こなた様に会うのも久しぶり。これはまた、大きゅうおなりじゃなあ…ほれ、この婆が抱いてしんじょう。
こちらへおざんなれ」
優しい皺を刻んだ目を我が孫へ向け、同じように皺の刻まれた両手を差し出す祖母を見て、
少しはにかんだ後、千寿王丸は彼女に抱きついていった。
「おお、重いこと」
登子の柔らかい声音と千寿王の歓声に、張り詰めていたその場の空気が少し和む。
この女人もまことに苦労人で、尊氏へ嫁に入って間もなく、当時は健在であった鎌倉幕府によって
赤子の義詮と共に人質にされているし、後に夫が鎌倉幕府へ反旗を翻すと、父や兄弟全てを鎌倉幕府に
よって討たれてしまっている。
だが、登子の口からそのことについての夫への恨みが出たことは絶えてない。五十の声を聞くには
未だ間があるのに、カラスの爪あとを刻んだ目元でもって、ただ微笑むのみである。
「千寿殿が大きゅうなられる頃には、この世も治まっておればよいのじゃがなあ」
「…まこと」
その言葉に、幸子もまた心から頷く。辛酸を舐めているだけに、またそれを普段は一切表に出さぬだけに、
姑の言葉はさすがに楽天的な幸子の胸にも重く響くのだ。
「御覧なされ」
孫を抱いたまま、登子は白い指を翻して京の街を示す。ここから窺うことの出来るその町並みの、
あちらこちらから今も黒い煙が上がっており、
「あちらにはなあ、今この時も逃げることすら叶わず、ただ怯えておるのみのこなた様らに似たような親子ばらが
まだいるのではないかと、それを思うと胸がつぶれそうになるのじゃ」
たまさか、そこへ雲の隙間から柔らかい日差しが射す。いつの間にか雨は止んではいるが、
「戦は、止みませぬなあ」
「まこと愚かなことにござりまする」
姑の述懐に幸子が返すと、
「ほんにその通りじゃ」
姑も深々と頷くのである。京の東の外れである山科へ、そして近江へ…その道中も、埃にまみれて薄汚れた
貧しい者どもが、形ばかりの家財道具を手押し車に乗せて逃れていく。夫を失い、行き場を失って、
ただ呆然とするのみといった様子の母親に抱かれた乳のみ子もいる。
(初めて見た…私の認識はまこと、甘いものであったわ)
登子に言った、「楽しい」という言葉もあながち嘘ではない。だが、
(逃れ逃れて…あてはあるのじゃろうかなぁ)
物見遊山、などという気分は、屋敷を出た瞬間吹き飛んだ。表情を失ってさ迷う難民を見るにつけ、
今まで己が、どれだけ恵まれた身分で幸せに育てられてきたか、初めて思い知った彼女なのである。
(戦は、男によって起きるもの)
そしてその認識だけは改まらないどころか、むしろ確信となって彼女の胸にある。
「お姑様。お恥ずかしい話ですが、私が戦というものを知ったのは、これが初めてにござりまする」
我が子を姑の手から抱き取りながら、幸子は登子を見つめた。
「ですが戦のたびに、お姑様は、このような様をご覧になってこられたのですなあ」
「…はい」
「まこと、迷惑なこと。戦など、人がおらぬところで存分にすればよいものを」
幸子の言葉に、登子は一瞬、目を見張ったが、
「仰るとおり」
目を伏せて頷いた。
(迷惑千万じゃ)
その姑から目を逸らし、幸子は京の街を見下ろした。御所周辺には、さすがに武士も攻め入る度胸はないらしい。
そこだけがぽつりと昔の町並みを残しているのが、反って現在の京の町の無残な有様を際立たせていた。
to be continued…
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