蒼天の雲 3





「確かに嫁げば先方様にあるのは、こなた様にとって敵ばかりとなろう。それによって、
こなた様が不幸になるのは分かりきっておったのにのう。これは爺の黒星である。お天道様の意志に
背いたということじゃ。一人も千人も、その幸せの重さは同じ。ならば、爺は、誰より大事なこなた様の
幸せをも考えねばならなかった。お聞きお呼びであろ。この爺がこなた様の名をつけたとの」 
「はい」 
志保が頷くと、祖父は空を仰いで大きく息を吸い、 
「志を、保つ。…我らが一族の…」 
そして鼻の穴を膨らませながら、ゆるゆるとそれを吐き出した。 
「全てはお天道様の思し召し。この、蒼い蒼い、どこまでも広がるお天道様の、のう」 
つられて見上げた蒼い空には、鳶が大きく輪を描いて舞っている。 
「志保どの」 
 しばらくその動きを無言のまま目で追った後、 
「…ご自身でよう考えて、これ、と思われた殿方へ嫁がれよ。なに、公方様とのご縁があるなら、
こなた様が無理に公方様へ嫁がずとも、他の形でいずれはそうなろうでの」 
やがて祖父の口から出た言葉に、志保は大きく目を見張った。 
「ですがのう。志保どの御自身で選ばれて、嫁いだのであれば、我がままは利きませぬぞ。踏ん張って、
そして…幸せになられよ」 
「…おじじ様」 
「やれ、ちとお喋りが過ぎまいたの」 
 再び顔をつるりとなで、祖父はそっと彼女の手を離して前を歩く。 
「しょう様!」 
そこへ、後ろから新たに声がかかった。振り返ってみれば、 
「八重。市右衛門も一緒であったのかや」 
志保が幼い頃は遊び相手として、長じては家臣として付き従っている「友」の姿がそこにある。
たちまち、身分も年の差も関係なく他愛ない遊びに打ち興じた日々が志保の脳裏によみがえった。 
「お拾いに出かけなされたと聞き、我ら、若輩の身ながらお迎えに参じました」 
市右衛門と呼ばれた、志保よりも二、三年上の若者と、最初に志保へ声をかけた娘が共に微笑を含んで
地面に片膝をつき、慇懃に頭を下げた。この松田左衛門の孫息子は、今年の正月に元服を済ませたばかりである。 
「次の戦にはなあ、我らも大殿についてゆこうと、市右衛門は張り切っておるのでございますよ、しょう様」 
乳姉妹である八重もまた、笑って後を引き継いだ。彼ら二人は彼らの主である志保を、幼い頃からの癖で、
シホと発音できずショウと呼ぶ。 
「市右は次の戦が初陣。それゆえぜひ名のある敵の首を挙げまいて、帰りましたら大殿や我らがお祖父に祝言をお許し頂こうと」 
同い年の彼女が頬を染めて告げるのを、志保は羨ましく聞いた。 
 幼い頃は、男も女もなくただ交わり遊んでいたものが、いつの間にか互いを異性として意識して、
  好意を抱き始める…。 
(たれかを好きになるというのは、きっと蕩ける様に甘く素敵な気持ちなのであろうのう。
市右に八重も、きっと幸せに違いない) 
まだ恋をというものを知らぬ胸のうちで、志保はそのように二人の気持ちを忖度してみたりもする。  
 市右衛門と八重ならば、たれが見ても身分の上からも年頃からも申し分のない組み合わせと映るだろう。
だが、志保は一国の領主の娘なのだ。祖父は「嫁ぐ相手は自分で決めよ」と言ってはくれたが、周りは納得しまい。 
 二人の「友」とわが身を引き比べながら、 
(領主の一族というのは、何不自由ないように見えても不自由だらけなものじゃ。恋する相手とて見つからぬ) 
 志保はそっとため息をつく。もっとも、彼女自身はそういった相手を未だに必要とはしていないのだが…。 
「次の戦はなあ、いよいよ三浦との合戦じゃ。これに勝つか否かで我らが伊勢の、武蔵野への足がかりが
得られるかどうかが決まろうと、家中もっぱらの噂にござります。上は我らが祖父、松田左衛門ほか
筆頭家老荒木兵庫様、下は足軽一兵卒に至るまで具足を磨いて香を焚き込め、張り切ってござるとのこと。
無論、私も同様に張り切りまいておりまする。いよいよ大殿が見られた夢が…三島大明神が告げられた
ご神託が真になりつつあるとのう」 
市右衛門が気負い立った言葉を吐くのへ、 
「それは、なあ」 
(私も八重も、それに市右も、戦というものを本当には知らぬゆえ何とも言えぬが) 
志保はあいまいに頷いて、八重のほうを見やりながら、 
「待ってござる者もおるのじゃ。生きて帰って参れよ、市右」 
「それはもう」 
彼ら若い者三人がいつしか並んで歩きながら交わす会話をその背中で聞きながら、少し前を歩いている
志保の祖父は何と思っているのか…いつしかその間はかなり離れており、志保は慌ててその後を追った。
市右衛門と八重も、同様に続く。 
「おじじ様」 
「おお」 
志保が呼びかけると、皺深い顔がにこにこと振り返った。ごつごつと節くれたその手を何よりも頼もしく、
愛しいと思いながら、自らその手をつないで志保は呟くように祖父へ言う。 
「お天道様がござるあの蒼い空…頂はいずこでござりましょうなあ」 
今よりもさらに幼い頃、祖父へ出した問いを、今一度繰り返す。 
「そうじゃのう」 
 白い指先が、翻って蒼天を指差す。同じように被っていた菅笠を少しかしげて空を仰いだ祖父の目も、
  それを映してまた蒼い。 
「おじじ様は、何でもご存知でおわしまするゆえ」 
「これこれ、そのように持ち上げなさるな。しかしのう、それは」 
祖父は、彼女の少し冷たい手をぐっと握り締め、 
「この爺の、志保どのへの『宿題』としておきましょうぞ。お天道様は、どこまでもどこまでも…いかなる地へも
つながってござる。願わくはのう、志保どの」 
にこ、と笑って、同じように蒼天の隅を空いた手の少し曲がった指で示した。 
「ほれ、あすこにぷかり、ぷかりと浮いてござる白い雲のようにのう、のんびり過ごしたいものよのう」 
祖父の好きな、早春の雲。四人の目が一斉に見上げた、蒼く晴れた早春の空に浮かぶひとひらの白い雲を、
自らの僧号とするほどに彼は愛したのだ。 
小田原城への道を辿りながら、やがて祖父は、 
「…したが、なあ、志保どの。市右に八重も聞きや」 
「はい」 
「謹んで伺っておりまする」 
孫娘の家臣たちもまた、神妙に頷くのを見て、 
「お天道様は遠いようで近く、近いようでまだまだ遠いわとのう、この爺は思うておる。ワッハッハッハ」 
謎のようなことを言い、笑った。 
「おじじ様、それは」 
「あ、あアッ」 
問いかけた志保の手ごと虚空へ上げながら、祖父は大きくあくびをして、 
「さあて、少し急がねばの。皆がさすがに心配しておろうよ」 
答えを紛らしたのである。 
いつしか日は傾きかけていた。手をつないで城へ帰る祖父とその孫娘、そして彼らに従う後の二人を、
やはりあふれんばかりの好意でもって領民達は眺めている…。 

    2 

 先の話は、三浦半島の先端にある三崎城にて未だに頑強に抵抗を続けていた三浦導寸、義意父子を、
  伊勢平入道やその一族が陸上、海上とも封鎖し始める少し前、永正十二年三月末頃の出来事である。 
それ以前の永正七年七月、入道があの手痛い敗北を喫した時から、三浦氏との戦いは既に始まっていたのだ。
彼らは入道晩年の最後にして最大の敵であったといえよう。 
入道が三浦道寸を岡崎から追い落として住吉城へ敗走させ、さらに住吉城も落として道寸をその嫡子である
三浦義意の守る三崎城へ追い詰めたのが、永正九年八月。その三崎城をも落とすために鎌倉周りの玉縄へ、
入道の次男、氏時へ命じて城を築かせ始めたのが同年十月のこと。 
また、関東公方家側でも永正六年より、長らく続いていた政氏、高基父子の争いに、永正九年、山内上杉顕実、
憲房の家督争いが加わった上、顕実を政氏が、憲房を高基が支持したために、規模は大きいが傍から見ればただの
親子喧嘩に過ぎなかったそれが、管領家にまでまたがる内紛にまで発展してしまっていた。これは結局、扇谷憲房が
その父顕実の本拠である鉢形城を落として彼を追い、さらに顕実が逃げ込んだ先の関東公方の拠点、古河城からも
公方本人である政氏と共に追い落とすことで一応の決着を見るのだが、つまるところ公方家も、山内上杉家も、
自分の家から出た火の始末をするのに必死で、伊勢氏と三浦氏の争いに構うどころではなかったのである。 
そしてそんな双方の「忙しさ」がゆえに、古河公方との縁談の話は一時、なんとなくたち消えたような形になってしまった。 
だが、戦は続く。扇谷縁故の三浦一族と入道の一族との戦模様を、 
「女子供には聞かせても」 
と、たまさかに小田原へ寄ることがあっても、祖父は決して語らなかった。 
「勝ちにせよ、負けにせよ。我らが無事の帰還が、何よりの報告になろうよ。万が一負けまいたら、必ずや
急の使いを差し向けようゆえ」 
女子供だからと言って決して粗略にするのではないが、戦のいちいちについて細かく告げてもただ案じさせ、
いたずらに騒がせるだけ…その考えはずっしりと長氏の心に根づいていたのだ。 
 さても、永正十二年秋。彼が玉縄の平野で扇谷上杉と戦を繰り広げていた折、 
「大殿。まっこと、相済みませぬ」 
言って、今しも玉縄城で夜の床につこうとしている彼の部屋へ、転がるように駆け込み、手をつかえたのは松田左衛門である。 
「いきなり何事じゃ」 
「は、それが、その」 
言いよどんだ左衛門の後ろから、慌しい二、三の足音が響いたかと思うと、 
「おじじ様。志保がお訪ね致しました」 
ついに、いてもたってもいられなくなった志保が、玉縄を訪ねてきたのである。それは山の木々がすっかり
その葉を赤く色づかせ、しかし未だに異様な暖かさが続いていた頃だった。 
「おお、これは…志保殿か。またなんと」 
 今日もようよう、扇谷の軍勢を追い返したばかりとはいえ、まだ戦渦のさなかである。その中を、市右衛門や
  その他、小田原に残されていた若者たちを従えて、昼夜駆けてきたのだと彼女は簡潔に述べて左衛門の隣へ
  同じように手をつかえた。 
「志保も、おじじ様に従い、戦へ出とうござりまする。お許し願えませぬか」 
「フム」 
すると祖父は、強張った孫娘の顔を見ながら、その無礼と無鉄砲を咎めるどころかにこにこと笑い、 
「ちょうど良かった。これ、この爺の背中をな、掻いてくだされ。戦がてら玉縄のお城の具合を見ておる最中にな、
暑うなったからともろ肌脱いで油断しておりまいたら、見事にこれ、この真ん中辺りを季節外れの蚊に喰われて
しもうてのう。いやはや、痒い痒い」 
畳の上へどっかとあぐらをかいて、それぞれの膝へ左右の手を載せながら、よっこらしょとばかりに志保へ背中を向ける。 
「…『また』、にござりまするか」 
「おお、『また』じゃ。ほれ、ちゃっちゃと掻いてくだされ」 
此度ばかりはきっと祖父は叱るだろうと思っていた孫娘は、その言葉に少し苦笑する。その拍子に、
強張っていた頬が少しほころんだ。 
膝を突いたまま祖父のそばへにじり寄ると、 
「この爺の背に触れるのは恐れ多いと皆が申しての、たれも掻いてくれぬ。爺の背中を思う存分掻いて下さるのは、
志保どのだけじゃ。偉くなるというものは不便なものよのう」 
「おせなの、どこがお痒いのでござります?」 
彼女が物心ついたときから、入道はこのように彼女を「使って」きた。それだけ彼はこの初孫を愛し、
かつ甘えて心を許しているのである。それは志保のほうとて同様で、香のすがすがしい匂いの染み付いた
祖父の体臭を常に嗅ぎ慕い、一族や老臣どもが畏れ敬う彼と一つの襖に包まって眠ったことが幾たびもあるのだ。 
「…おじじ様」 
「おお」 
しばらくして、志保は動かしていた手を止めた。祖父が頷くと、彼女は改まって畳に手をつかえ、つ
いた膝をさらに祖父のほうへ進めた。彼女の顔は緊張に強張っている。 
「…戦の中を、よう来られたの」 
口を開きかけた彼女に先んじて、祖父は言った。驚いてその横顔を見つめた志保へ向き直った祖父の顔は、
もう笑ってはいない。 
「お願いにござりまする。ま一度、聞いてはいただけませぬか」 
「聞かせなされ」 
「はい」 
祖父が静かに言いながら、脱いでいた寝巻きを着直して襟を正す。それが終わるのを待って、 
「志保にも、初陣のご許可を下さりませ。志保も他の男どもに劣らぬ働きが出来まする」 
そこまで彼女が言いかけると、ふすまの外の廊下で慌しい足音が聞こえて、月の光を背にした
二、三の人影がすらりと部屋のふすまを開く。 
「志保っ」 
「お父上様」 
ちょうどそこへ帰ってきていた父が、八重の祖父である多目権兵衛を従え、顔をしかめながらそこに立っていた。 
氏綱は先だって、長氏に命じられていた大庭城攻略をやっと成し終えたばかりである。 
大庭城は一族の「敵」、扇谷朝興の持ち物であった。朝興は三浦道寸へ好意を寄せてい、ために道寸を
かの城に入れたなら、朝興は必ず出てくる。そうなると、前後を敵にはさまれることになって甚だ厄介である。
それではこちらに不利だというので、長氏は先手を打って氏綱へこの城を落とすよう命じていたのだが…。 
「馬鹿を申さず、こなたは小田原へ帰るのじゃ! 未だにこの父だけでなく、お爺殿までも煩わせるか」 
「父上は私の気持ちなど分かっては下さらぬ。じゃによって、ここまで来たのでございます。お叱りは、
重々…ですが三年前、鎌倉にておじじ様が詠まれたというお歌を、何度も胸の内で繰り返しておりますうちに、
たまらなくなりまいて」 
「…フム。そうか、そうか」 
静かに微笑んでいた祖父が、そこでつるりと顔を撫でる。照れている彼へ、 
「『枯るる樹に また花の木を植え添えて もとの都に なしてこそみめ』でございましょう。齢八十を越えて
尚、意気お盛ん…繰り返し詠じまいて、体中が熱うなりまいた」 
孫娘は目を輝かせてさらに言うのである。 
鎌倉は、鶴岡八幡宮様を中央に据え、若宮大路がまっすぐに伸びている街である。その鎌倉の様子が、
長氏が噺に聞いていた昔の鎌倉の街とはまるで違っていたのだという。頼朝が開いた幕府があるのと
ないのとでは、かほどに違うものか…。 
故に、自分の手で花の木を植えなおして、元のように賑やかにしてやろうではないか、と、その心持ちを
祖父は詠んだらしいのである。 
「それゆえ、志保もおじじ様とご一緒に、その夢を見たいと願ったのでござりまする」 
「女子供を戦の真っ只中へ連れて行けるものか。小田原を出立する折にも何度も申したであろうが。控えよ」 
決して引かぬ娘へ、氏綱はいらいらと扇を弄びながら怒鳴るように言う。 
戦の前に女人に触れるのは不吉であるとされていた時代である。父の言い分ももっともであったし、
何よりも城主の娘とはいえ、女の姿が戦場にあれば兵士たちの士気が緩もう。 
「邪魔にはなりませぬ、私だとて槍や剣はふるえる。そこらの男どもに負けぬ働きが、きっとできまする」 
「志保! 我がままも大概にさっしゃい!」 
「氏綱どの」 
孫娘を思わず怒鳴りつけた息子の名を、祖父が静かに呼んだ。皆が、はっと『一族の棟梁』を振り向く。
その視線を受けながら、 
「申しあげたであろ」 
祖父は再び、にこ、と笑う。 
「そのようにつけつけと言うては、聞いてもらえるものも聞いてもらえぬとなあ。それに、このように
志保どのをお育て申し上げたのは我らじゃ。まあこちらへお座りなされ」 
「は…」 
手で差し招かれて氏綱は、間口近くの畳の上へどっかと腰を下ろし、荒々しく鼻から息を吐き出した。
二人の家臣はそのまま、襖の向こうの廊下へ神妙に手をつかえ、控えている。 
「志保どの」 
「…はい」 
「…女はのう、お家を守るのがお役目じゃ。なるほど、こなた様も武芸は他の者に劣らぬ。だがそれは
守るために役立てるもの。万が一我らが倒れた場合、こなた様が我らに代わってまだ乳呑み子のお千代殿をなあ、
守らねばならぬのじゃが」 
志保と「お千代殿」氏康の生母であった氏綱の正室は、氏康を生んでまもなく亡くなっており、
その後に継室として氏綱の室へ入った今の母は、正室と同じ京の公家である近衛尚道の娘である。 
この時、その腹になる為昌や、後に川越城を半年間守り通した綱成の妻となる大頂院殿などの異母弟妹らは、
当然ながらまだ生まれておらず、よって「おじじ様」や志保の父にとっては、志保とお千代殿だけが「子」だったのだ…。 
「こなた様はまこと、勇敢なお子じゃ。おなごでありながら戦へ出たいと思わっしゃる、その意気、
また良し。古の巴御前が如くなり」 
「おじじ様」 
「氏綱どの、しばらく」 
それへ氏綱が向き直り、何か言いかけたのを祖父は片手を宙へ泳がせて制した。 
「ですがなあ、志保どの。念のためにお尋ね申し上ぐる」 
では許可をもらえたのかと早合点し、目を輝かせた孫娘へ、 
「逆になあ、この爺の目の前で、もしもこなた様が敵の槍にかかって亡くなられたら、この爺や父御、
そして左衛門やその他の、こなた様を大事に思うておる老臣(おとな)どもは、どう思うであろうとのう。
特に左衛門や市右や…八重の嘆きは深かろう。そのことを考えてみられたことはあるかの」 
「…」 
「こなた様は、なんと申してもやはりおなごじゃ。男どものようには参らぬ。それ、そのようになあ、
口を尖らせずお聞きなされ」 
不満気に口を開きかけた孫娘を制し、 
「こなた様は、優しさにすぐる。よって、小田原へ帰られたがよいと、すぐに爺は思うた」 
祖父は静かに言う。 
「これは異なことを仰せある。志保はおなごにしては口が過ぎ、強気にすぐるのではありませぬか」 
「いや、それは違う。志保どのほど優しいお子はおらぬ」 
氏綱が言うのへ長氏は首を振り、 
「戦はなあ、つまるところは人殺しじゃ。我らが兵とて、初めて人を切りまいた折には、ぶるりと震えて
己の一物から小便を漏らしたものさえある…そのような優しいものには戦は向かぬ。さらに問おう。
こなた様は、この爺や父御が血飛沫上げて倒れたなら、我らの屍を踏み越えてなお、敵へ向かうお気持ちになれるかの」 
「そのようなことは…まず何におきまいても、おじじ様や父上の御様子を改めることが」 
「左様、こなた様なら必ずや、そうお考えであろ」 
「おじじ様」 
「戦場とはな、そのように非情にならねば…鬼にならねば、待つは死。そのような場所なのじゃ。
この爺でさえも、時折震えて槍を落とす…戦へ出るたび年も年ゆえ、今日が最期の我が命かと思うて…だが、のう」 
皺の深い、ごつごつと節くれた両手がぬっと伸びて、孫娘の頬を強く挟む。 



…続く。