真訳・東夷伝 4



年老いた村長の首根っこを無造作に掴んで、兵士達はこちらへゆったりと歩いてくる。
「…何が目的だ」
短剣を持ったままの右手をだらりと下げたまま、那陀は首を傾げて問う。
「お前が何者かは問わぬ。この模様を消して、どこぞへ去ね。そして命に自害を勧めろ」
するとその一番先頭にいた兵士が、唇を歪めて油の浮き出た丸い鼻を鳴らし、それに答えた。
「でなければ、この村へ攻め入って村の者達を皆殺しにする。俺達の言葉を聞けなければ、貴様も殺す。
…小碓命にそう伝えろ」
「正気か。この円を消せば、お前達もたちどころに死ぬぞ。それにお前らごときで私は倒せぬ」
那陀はむしろ哀れみを含んだ笑みを村長に向け、
「私はこの石さえ始末できるなら、村の人間などどうでも良いが、それだとタケルが哀しむ」
その年老いた顔が震えて俯くのを見つめた。
昨晩、村長が慌てた様子で外へ出て行ったのは、どうやらこの兵士達に呼び出されたためらしい。
「お前はタケルの国の者か。お前らがここに来たのは、タケルの父…この国の神に頼まれたからか」
短刀を掴む手に力を込めながら那陀が尋ねると、
「小ざかしい」
鼻の頭に浮き出た穴まで黒いかの兵士は、地面に唾を吐きながら、
「そんな石など俺達が砕いてやる。俺達に小碓の始末を頼んだのはお前の言うようにスメラミコトだ。
分かっているならとっとと去ね。それでも小碓の味方をするというなら容赦はせんぞ」
「…この国の神というのは」
その様子に、ついに那陀は吹きだし、
「なんとも出来の悪い人間を使っているものだ」
言うと、ついにその兵士は怒ったらしい。震えるばかりの村長を乱暴に地面に投げ捨て、
腰の長剣を抜いた。
「無駄だというのが分からないか。私は」
イノシシのごとく向かってくる彼が繰り出す剣を、ひょいひょいと避けながら、
「半分とはいえ、龍だ」
那陀はクスリと笑い、「大将」が危ないと見て向かってくる他の二人の兵士たちを止めるように両手を向ける。
そこから発せられた光を受けて、兵士達はもんどりうって地面へ倒れ、
「大丈夫。気絶しているだけだ」
それを見て一瞬呆然とし、次には震え始めたかの兵士へと、ゆっくり那陀は向かった。
「だから、お前にも気を失ってもらう。お前の処置は私ではなく、タケルが決めることだろう」
言いながら、素早くかの兵士の後ろへ回り込む。首へ手刀を叩き込むと、少し太ったその身体は
どさりと大きな音を立てて地面へのめりこんだ。そして、
「長」
地面にうずくまり、頭を抱えて震えている村長へ那陀はそっと声をかける。
途端に大きく波打ったその背中へ苦笑しながら、
「事情を聞かせてもらえないか。私がタケルを呼ぶ前に」
言うと、村長は再び大きく背中を波打たせた後、諦めたような長い吐息をついてよろよろと立ち上がった。
「あの兵士達は、倭建様のヤマトの国から来たと申しておりました」
「…やはりそうか」
那陀は頷いて、先を進めろというように顎をしゃくる。
「ここに命(ミコト)が来ていることは知っていると…毒の石なら我等が代わりに砕いてやるから、命を助けるのはやめろ。
でなければ、村へ軍隊でもって攻め入って、村の者を皆殺しにすると。私は長として村の民を護る義務が…」
震える声で長が言い終えるのを見て、那陀はため息を着きながら首を振った。
(この石は、人には到底砕けぬ)
うぬぼれなどではなしに、己のほかに一体何者が砕けるというのだろうと那陀は思う。対抗できるのは那陀が異母兄から
押し付けられて、しぶしぶ持っているこの短剣か、倭建の持つ草薙しかない。
(人間に砕けるものか…しかしあるいは)
ヤマトの国の神、つまり倭建の父とやらに、入れ知恵をした何者かがいるのかもしれぬ。
「後はこの者たちに尋ねるしかないな」
ぽつりと呟いて村長を立たせ、振り向いたその時、
「タケル」
「光が見えた。なかなかお前が戻ってこぬから…だが、あの島と同じように光が見えたから」
そのまま立ちすくんだ那陀へ、倭建はこれまでに見たことのない悲しい、しかし優しい目を向けて、
「だから、私の出番だと思った」
「…タケル」
「この者はわが宮で私と共に育ったものの一人だ。ヤハギ、という」
気を失った兵士達の側へ近づいて、倭建はその傍らに片膝をつく。
「よく私に任せてくれた。礼を言う前に…まずこの石を始末せねばな」
倭建はきっと、村長の話を聞いていたに違いない。
彼の名を呼ぶ以外、他にどんな言葉をかけていいのか分からず戸惑う那陀の側を通り抜け、
倭建は那陀の描いた円陣の外へ立った。
「この石が、この村にこれ以上災いをもたらすことのないように…頼む」
草薙をすらりと抜いてその柄に口付け、倭建は石へ向かってその切っ先を向ける。
が、
「ミコト、御免!」
突然ヤハギが、その背へ体当たりした。気を失ったフリをしていたのか、それとも今しがた気を取り戻したのかは
分からないが、ともかく一瞬にして起きたその出来事で、
「おお…!」
「符が…タケル!」
村長が呻く。那陀が描いた符の結界内に、ヤハギと倭建、二人の体が転がりこむ。
「術が切れる! 戻れ、戻っ…!!」
絶叫して手を差し伸べ、那陀は息を呑んだ。瞬時に湧き出した毒気に当てられたのか、ヤハギがよろよろと離れる
倭建の背から突き出ているのは一本の棒で、
「…!!」
声にならぬ声をあげ、那陀は龍へ変化した。目を丸くして体を震わせる村長の前で、怒りに満ちた雄叫びが
あたりに轟き、それだけで『殺生石』は塵となる。それでようやく気を取り戻したほかの二人の兵士達も、
那陀の姿を見て慌てて両手を合わせ、地面に跪いた。
「タケル!」
那陀をただ伏し拝む村長をうっちゃって、人形を取り戻した那陀は慌てて彼の側へ駆け寄り、その身体を
抱き起こす。
「…那陀」
那陀の姿を認めて彼は微笑む。その唇の端から赤い筋が流れているのを見て、
「しっかりしろ。助けてやる」
不吉なことをと己を叱咤しながら、那陀の視界は涙でぼやけた。
「助けてやるから…」
「いい」
するとそう言って、倭建は咳き込むと同時に赤い血を吐く。そして苦しげな声で途切れ途切れに、
「槍は…私の肋を突き破っている。もう助からぬ」
「馬鹿を言うな!」
「馬鹿ではないさ…あまり怒るな」
何度となく聞いたその言葉に、倭建はむしろ嬉しそうにかすかに笑って、
「己の体のことだから、分かる。だから」
「もういい、話すな。私の異母兄に頼んで助けてもらう。だからっ」
叫ぶ那陀の唇へ、震える指で触れた。
「…だから、せめてお前だけは私のことを覚えていてくれ。お前の言うように…人々の思いが我々を創るのであれば、
お前が私のことを覚えていれば、きっと私はまた…」
そこで微笑って、
「あの石を、探してやる」
倭建は草薙を那陀へ渡し、大きく血を吐く。那陀を見つめている瞳から急速に生気が失われるのと同時に、
「あ…」
その剣を持つ彼の手が、柔らかい光を放ちながらさらさらと崩れていく。
頬へ涙を流しながら震える手で草薙を受け取り、そのさまを見つめる那陀の前で、やがて倭建の身体全体が
砂のように崩れ、そしてそれは透き通るような羽を持つ一羽の白鳥へと姿を変えた。
(タケルの魂…)
白鳥は見上げる那陀の頭上でくるりと一つ輪を描き、光を放ちながら西へ飛んでいこうとする。
(タケルの故郷の方角…だが)
「…探してくれるのか?」
故郷へ向かいたい、というだけではなくて、彼の言葉通り、二つのうち、西へ飛んだという火山弾をも
探してくれるつもりなのかもしれない。白鳥の後姿へ向かって呟くと、白鳥はそれに答えるように
一声鳴き、飛び去っていった。
(ならば、私は北へ)
と思い、ふとまだ腰を抜かしている他の者達へ目を留め、
(こんな村くらい…こんな村など)
とも思いかけ、ふっと那陀は小さく笑った。こんな村でも、
(滅ぼしてしまえば、タケルが悲しむ。もし彼にいつか会えた時、私のほうが合わせる顔がなくなる)
「…この村にはもう用はない。安心しろ。私も留まるつもりはない。ただ、倭建の連れていた兵士だけは
ヤマトへ共に連れて帰ってやれ」
まだ腰を抜かして震えている村長他、二人の兵士へ吐き捨てると、那陀の鋭い目に見つめられて彼らは
より一層震え、ただ頷くばかりだった。
それへ無言のまま背を向けて、那陀は北へ向かって駆け出した。
駆けながら龍の姿になり空へと舞い上がり、空へ向かって再び吠えた。途端に空は黒雲に覆われて、
土砂降りの雨が降り始める。毒気を放っていたあたりの大地が、みるみるうちに春の草の色を取り戻していく。
しばらくその有様を呆然と見ていた村長は、やがてようやく我に帰り、
「こ、これであの、我らの村へ軍隊が攻め入るのは勘弁していただけますな?」
兵士へそう言った。するとその兵士達は息絶えたヤハギの身体を担ぎ上げながら、
「人を裏切った者は、また誰ぞを裏切るからな」
答えて、村長をあざ笑ったのである。その村へヤマトの軍勢が攻め入ったのは、それから二日後のこと…。

(分かっているのか、お前)
託された草薙へ那陀は心の中で話しかけながら、ひたすら北へ向かって飛んだ。下には万年雪をを被った
山々が見える。
(お前の主はもう、いないのだぞ)
話しかけながら、己のほうがまだ泣いている。苦笑しながら前を睨みつけるように見続けていると、
突然、左の方角へ引っ張られるような感覚が那陀を襲った。
「…お前が教えてくれたのか? それとも」
導かれるまま、那陀は小さな島へ降り立った。
(タケル、お前か?)
鞘に納まった草薙を両手でそっと抱き締めながら、周囲を見回す。小さな、とはいっても、
この国に当初来た折に見た火山島のような小ささではない。波が打ち寄せる砂浜沿いには
小さいが集落の影も見える。
「…っ!?」
そこからこちらへ向かってくる人影に気付いて、那陀は思わず身構えた。
(邪気…)
首筋どころか、全身の毛が逆立つような不快感である。こんなにはっきりと分かる邪気をまとった『人間』に
出会ったのは初めてで、しかし、
「…このような離れ島に、どこからおいでになったのですか?」
それが「娘」だということが分かり、さらには那陀に話しかけた途端にその邪気が雲散霧消してしまったことへ
大いに戸惑いながら、
「もしかして、本土の方? でも定期便はまだ七日ほど先のはずですが」
にっこりと笑って首を傾げるその素直な様子に、那陀はさらに戸惑う。
気のせいであったのかもしれない。だが、那陀はこれまでの経験で、
(邪鬼は人に取り付くし、気配を隠せる)
そのことを嫌というほど思い知らされていたから、
「…お前の言うとおりだ。私は本土からやってきた。ここは何という島だ」
「あら」
警戒を解かぬままの固い声で返事をすると、「娘」は片手を口に当ててクスクス笑い、
「本土の方ならご存知なのでは? ここはサドガシマ、と呼ばれていますよ」
那陀の狼狽を楽しげに見やって答えた。
初対面の「旅人」に対して妙に人懐っこい、どこか人恋しげにさえ見える娘である。見たところ、16、7歳あたりであろうか、
「彼女」はそこで突然那陀の手を取り、
「もしも行くあてがなければ、私の家へおいでなさいませんか」
そう告げたのである。
そして那陀のほうは、その手を取られた途端、
(…この「娘」は)
邪気とも違う、他の人間とも違う『匂い』を感じ取って、心がずきりと痛むのを覚えた。
「失礼ですが、そのお腰のものから察するに、かなり高貴な身分の方とお見受けしました。ですから、ぜひ」
「…お前は、あの集落の長の娘か何かなのか?」
物怖じすることなく那陀の手を引き、集落のほうへ導く「彼女」へ那陀が問うと、「彼女」は
ふと足を止め、
「巫です。天候や漁の結果を占って過ごしています…『今は』」
一瞬だけ寂しげな顔をして、すぐに取り繕ったような笑顔を向けた。



to be continued…


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