蒼天の雲 2





「私、亀若様とやらのもとへは参りませぬ」 
「しかし、参ると約束してくれねば父が困る」 
 …やれやれまたか。居並ぶ家臣は、湧きあがってくる好意の微笑を堪えつつ、父娘の言い争いを眺めていた。 
「菊寿(きくじゅ)、そなた、志保へどういう教育をしたのだ」 
「これは」 
 女は親の言うままの先へ嫁ぎ、嫁ぎ先の夫が死ねば出家するのが当たり前とされていた時代である。
  怒りを振られ、その場に列席していた娘の父の異母弟、幻庵長綱もまた、苦笑した。「あに」だけでなく、
  一族のたれもが、未だに彼を出家前、幼名の「菊寿丸」で呼ぶ。 
兄弟のたれよりも父に似ていると常々言われていた『菊寿丸』は、北条一族のたれよりも長く生きた。
一族の興亡を文字通りその目で見、肌で感じたのである。彼自身もまた、彼の父が生きたよりもさらに
五年あまりも長生きするとは夢にも思わなかったに違いない。 
 一族の領国へ正式に帰ってきてからは、箱根権現の別当を継いだ。そのまま還俗せずに相模中郡と
  武蔵小机領の領地を父より任されることになるのだが、それは今、「あに」から、その娘と同じように
  説教を食らっているこの時期よりも少し後の事である。 
「菊兄さまのせいではありませぬ」 
 日は既に高い。座敷の外にある植え込みの葉の影をそれが長く床の上へ伸ばすのを、長い睫を一瞬だけ
  伏せた瞳で見やってから、額に鉢巻をした娘はするどく叫び返した。 
「市右衛門と稽古中でありましたものを、わざわざのお呼びたて。何事かと思えばくだらぬ」 
 そして、小田原付家老、松田左衛門の孫の名を口にして、頬をぷっと膨らませる。 
「くだらぬとは何事じゃ! 女が剣の稽古に精を出さずともよい」 
たちまち飛んだ父の一喝に、娘は膨らませた頬をぷいと横へ向けた。 
「のう。志保」 
 それでも父、氏綱は、いらいらと扇を弄びながら、聞き分けのない娘へ説得を重ねようと、虚しい努力を続けるのである。 
「我らが一族のため、聞き分けぬか。こなたが古河殿へ嫁ぐのは、我らがためばかりではなく、
遠く民草の将来をも見据えたゆえの布石なのじゃというに」 
「なりませぬ」 
「頑固な奴めが。誰に似おったのか」 
「血というものがあるではございませぬか」 
 家臣達は、とうとう浮かぶ微笑を堪えきれずにそっぽを向いた。中には吹き出す者もいて、
  氏綱はそちらをじろりと睨めつける。 
「女は、道具ではありませぬ。私は他の女とは違う、心というものがござりまする。聴けば亀若殿には、
すでにご正室候補として挙げられている方がいらっしゃるとか…私、『側室』は嫌でござりまする。
よって古河殿へ参るのは気が進まぬ。気の進まぬ殿方へ嫁げといきなり告げられて、『はいそうですか』
などとは言えませぬ。まして、お家のためになどと、到底納得はいきませぬ」 
 数え年十三になったばかりというのに一人前の口を利く。睨みつけても平然とした顔をしてそっぽを向く娘に、
  氏綱は、尚も説教してやろうと口を開きかけた。するとその時、 
「やれやれ。苦労しておられるようだの」 
ひょこひょこ、と、僧衣をまとった人物がその広間へ姿を現した。 
「ほ、これは」 
「おじじ様」 
 いつもながら、そのあまりの手軽さに氏綱は恐縮し、家臣達ともども一斉に手をつくのだが、 
「これ、志保」 
 その中でただ一人、頭を下げぬ娘へ氏綱の叱責が飛ぶ。 
「ああ、よいよい…氏綱どの。顔を上げられよ」 
 「おじじ様」と呼ばれたその人物…早雲入道は、にこにこしながら彼女の頭をごつごつと節くれた手で
  軽く撫でた。「おじじ様」にとっては彼女が初孫であり、数少ない女児の一人であるがゆえに、
  かわゆくてならぬものらしい。 
「ちと手間取っておられるとお聞き致したのでの。及ばずながら参上いたした。特にやるべきこともなし、
否、忙中、閑あり、といったところかの」 
 彼はいつものごとく、主に彼の住まいであり一族の政の中心である韮山の城から、「暇であったから
  訪れた」といった体で、笑みを崩さず彼の息子へ話し掛ける。伊豆、相模一帯を着々と手中にしつつあるとはいえ
  、三浦半島には未だに頑強に一族に抗う三浦氏が健在なのだ。 
「それにこちらのな、ご様子を聞きまいているうちに、志保殿やお千代殿の顔が見とうてたまらなく
なりまいたのでな。ああそれ、そのように畏まられるな。氏綱どのやそこに並んでおるようなむさ苦しい
老臣(おとな)どもは『ついで』じゃ、『ついで』」 
「は、これは」 
額に滲み出た汗を、氏綱は懐へ思わず手をやって取り出した懐紙で拭い、父へ向かって再び頭を下げた。
老臣たちもまた、苦笑しながら再び手を仕える。 
「これ、このように頑固なものですから」 
「頑固は血かもしれぬのう」 
 志保の祖父、長氏が、けろりとした顔で言ってのけたので、とうとう家臣達は声を上げて笑い出した。
  その中で、氏綱と志保だけが憮然とした顔を崩さない。 
「ときに志保どの」 
「はい」 
 何を言われても聞くものか、という固く引き締まった顔をした孫娘をにこにこと見ながら、祖父は言った。 
「久しぶりにの。この爺と一緒にお拾いに行かれませぬか」 
「お拾い、でございますか」 
 必ず説教が飛んでくる、そう思っていたらしい孫娘の顔は、その瞬間いかにも子供らしいきょとんとした顔になる。 
「さよう、お拾いじゃ。この爺に付き合いなされ」 
 それへ頷いて、祖父は孫娘へ皺深い手の平を上にして差し出す。 
「…お供致しまする」 
 内心の照れ臭さも手伝って、志保もまた、その手を取って立ち上がった。その背はいとけない少女でありながら
  物怖じすることもなくしゃんと伸び、長く伸ばされて黒い光沢を放つ髪もまた、何の飾り気も無く後ろで
  一つにきりりと束ねられているのみ。稽古中であったとの言葉どおり、袴姿である。だがその様子が反って
  彼女の美しさを際立たせていた。 
「怖じずにはきはきと物申すのが、こなた様の良いところじゃ。氏綱どのもな」 
(これはまっこと、祖母に似た) 
孫娘をにこにこと見やり、祖父は思う。正室、依姫は永正四(一五○八)年にみまかっており、当時四つほどの
幼子であった志保は、無論その顔を覚えてはいない。 
「…氏綱どのもな」 
彼女の面影を孫娘の表情に重ね、憮然としたままの息子へ、部屋を隔てる襖の敷居を無造作に足の裏で
踏みしめながら、彼はこんこんと諭すように言った。 
「人に物を申すときには、つけつけとは言わぬことじゃ。あれでは聞いてもらえるものも、聞いてもらえぬ道理であろ」 
「は」 
「新九郎様」 
 再び額へ赤く血を上らせて黙りこんでしまった氏綱を救うように、古くからの家臣の一人である
  荒木兵庫頭が口を挟んだ。兵庫は未だに長氏を若い頃の通り名で呼ぶ。 
「お二人のみで大丈夫ですかの」 
「ほ、年を取ってもまだまだ若い者には負けはしませんぞ」 
 荒木兵庫は播磨赤松家の遺臣だった。上よりも下の顎ががっしりと出張っている上に、顎の肉付きも
ひと目で「あれは頑固者じゃ」と人へ思わせるほどにたっぷりとついている。にこりとすることも滅多になく、
口を開けば出てくるのは遠慮も何もあったものではない苦言ばかりだと、志保の祖父は苦笑を漏らすのである。 
「少しはお年を考えなされ。もう八十と…」 
「三、四になるかのう。こなたとて似たようなものであろ。すまじきものは長生きですのう。うるさい年寄り
ばかりでは、若い者は息もつけまいて」 
 旗揚げした古い仲間へからりと言い捨てて、荒木兵庫の口に微苦笑が浮かぶのをちらりと見やってから、 
「さて、参りましょうかの」 
祖父は志保を促した。 
二人の素足が広間より廊下の広縁を踏んだ拍子に、辺りへ良い香りを漂わせていた満開の木蓮の花びらが、
はらり、と一つ散りかかる…。 

「おお、良い天気ですの。春じゃなあ」 
「はい」 
 祖父の心の中では、まだまだ彼女は二つ三つの童女のままであるらしい。転ぶといけないから、と、
  その片手を握って離さない。「一国の領主」が、その孫娘と二人のみで出かけるというのは、あまりにも手軽すぎて、 
「おじじさま」 
「よいよい。よいのじゃ」 
 祖父にはいつも、孫娘の言いたいことが一言のみで分かるらしい。人の良さげな笑みを口元へ上せたまま、 
「どうせ大道寺あたりが、見え隠れに乱発(らっぱ)など我らにつけておろうからの」 
これまた古い家臣の名の一つをこともなげに言い捨て、前を向く。志保も苦笑しながら歩みを進めた。 
祖父の言う「乱発」とは、後の「忍び」のことである。当時、『北条殿』に仕えていたとされる「忍び」は、
主として風間一族だと伝えられており、その頭領といえる風間小太郎は、髪を結い上げることなく『がっそう』
にしていかつい口元を厳しく結んだ風貌であったという。これもまた、どこまでが真実なのかは分からないが、
『後北条』家が間諜を使っていたのは事実であるらしい。 
確かに、彼らがついてあれば祖父とその孫娘の身はそれ以上ないほど安心と言っていい。 
また、彼らを慕う農民や土着民もまた、隠れた『間諜』であった。 
明らかにこの土地の者ではないと判断される者や、怪しげな旅人などを見かければ、別段頼まずとも
彼らのほうから教えに来るのである。さほどかように、『北条殿』は領国の民に愛されていたと言えよう。 
「氏綱どのもなあ」 
祖父はのんびりと歩き続ける。ひょっとすると今この時にも命を狙われているかも知れぬなどと
考えもしない風情で、 
「頭は良いのだが、この爺に似ず真面目すぎて、融通の利かぬところがござっての。『これ』と思い込むと
その他が見えぬ。それゆえに、なあ、あの物言いは許しておやりなされ」 
まるであくびを堪えているような様子で、ゆるゆると言うのである。 
すると、深い皺が刻まれた固い頬の上にはうっすらと涙すら流れて、それをまた祖父は無造作に右の袖で拭うのだ。 
「それは…はい」 
志保もまた、その様子には微苦笑を禁じ得ない。およそ礼儀を司る家の出らしくなく、 
「しばし待ちなされ、ちと野暮用じゃ」 
時折、田のあぜの片隅で祖父は足を止めては彼女から背中を向けて己の一物を取り出し、さも心地よさ気に
尿を草むらへ向けて放ちさえする。そして手の中のそれを二、三度振るった後、 
「氏綱殿にはくれぐれも内密にのう。あれに知られてはまた叱られる」 
まるで悪さを見つかった子供のような表情で、片目をつぶって野袴を無造作に捌きながら、
彼は志保を振り向くのが常なのだ。 
「それは、もう」 
苦笑しながらも、 
(この放埓さも嫌いではない…) 
むしろ好ましい面として、志保の目には映る。 
簗田高助の「はなし」へ少し乗り気であるかのような態度を示したのは、この長氏なのである。だもので、
父氏綱も頑なに彼女へ古河公方の元へ嫁ぐように言い張った。父自身もこのような磊落な彼の父を、
実は好きでたまらぬのである。それゆえに、その言いつけは絶対のもの、氏綱殿にとっては「必ず実行されなければ
ならぬもの」なのだということも、彼女はよく知っていた。 
今日も、耕された土の匂いは日差しに照らされて濃く漂っている。風向きが変われば、今しがた畑へ
撒き散らされたばかりの牛糞の臭いさえ時折鼻を突く。豊かに広がる畑の畝の中には、手ぬぐいでほっかむりをした
人々の姿が点々と散らばっていて、 
「おお、お城の大殿さまと志保さまじゃ」 
「今日もお二人でお拾いじゃそうな」 
 それらの畑を耕していた農民達が、二人に気づいて遠くより手を振った。近くへ駆け寄ってこようと
  するのへ、「ああ、よいよい」と叫び返して手を振り、にこにこと祖父は彼女へ笑いかける。 
「のう。皆が我らを慕ってくれる。素晴らしいことであろ」 
「はい」 
 祖父は興国寺城を今川氏から『預かった』時、その頃公五民五が当たり前とされていた年貢の率を、 
「我らが贅沢さえしなければ、やってやれぬことではない」 
と、公四民六にしたばかりか、その当時流行っていた風土病の治療にも力を尽くし、一挙に民の心をつかんだ。 
「上に立つものがぜいたくをしてはならない。民の声すなわち天の声じゃ」 
彼はいわゆる「応仁の乱」が勃発した時には京に居た。そこで、つぶさに民の惨状を見てきた経験が
そう言わせたか、建仁寺において禅を学んだ故に出た考えなのかは、志保には分からぬ。 
ともかく彼の思案は、当時の身分の高い「申次衆」が考えることにしては意外なほどに開けていた。
「一にも二にも領主は節約」が、伊豆へ拠点を移した現在に至るまで変わらぬ長氏の口癖なのである。 
「民の心をな、しっかとつかんでいなければ、所領の経営は成り立たぬ。これはのう、爺が志保どのよりも
十ほど年を経たときに、お天道様から教わったことでの…その頃はまだ、荏原(備中)にいたのじゃが」 
よっこらしょ、と掛け声を発しながらしゃがんだ祖父の節くれた指は路傍の花を折り、孫娘へとそれを
差し出す。それを受け取った彼女へ、祖父はいつもの言葉を口にした。ここまでは彼女も、というよりも
一族のもの皆が訓戒として普段聞いている通りである。 
 だが、 
「領主は、民あってこそのもの。民を守るためにある。こなた様が爺に会いにこられるずっと前に、
爺が京の将軍家から命じられて、ほれ、氏綱どののお従兄の氏親殿(今川氏親。故今川義忠の正室で
長氏の妹だった北川殿の息子。現今川当主)のために、お家を取り戻して差し上げられたのも、その功あって、
興国寺のお城を氏親殿からお預かり出来たのも、こうやって爺がこの豊かな伊豆を己の手の中へ収められたのも
…全てこの爺の志が天に叶うたがゆえだと思うておる。それゆえ爺は、民を氏綱どのや菊寿どの、
こなた様と同じように思ってきた」 
 今日の祖父は、志保が聞いているのかどうかを確かめようともせず、彼女には今まで語られることのなかった
  言葉でとつとつと語る。 
「子は宝じゃ」 
 そして、孫娘の顔を微笑でもって眺め、 
「男子であるから、女子であるから、というようにはお育て申さなんだ。菊寿や海実殿にこなた様の指導を
預けたときも、わしはそのことを特に申し聞かせておった」 
「はい」 
志保もまた、こくりと頷く。 
「どうであろ。こなた様には、この爺や父の領地がうまく治まっていると思われるか」 
「それは、もちろん。この地のみならず他の地でも、おじじ様を徳と仰がぬ者はないと聞いておりまする」 
「そうか、そうか」 
 孫娘が大きく頷いて答えるのへ、祖父はつるりと顔をなでた。これが照れた時のこの人の癖なのである。 
まこと、伊豆は穏やかな気候に恵まれた豊かな土地であり、当時は川から砂金も取れた。海から得られる
海産物も豊富であり、小田原城を手に入れるために祖父が使った「卑怯な手段」のことも、また、祖父に
頑強に抵抗した下田の深根津城の領主どころか城内の女子供全ての首を祖父が切るように命じ、空の下に
晒したことも志保は聞き知っている。 
一族や家臣が彼の耳に痛いだろうと思われることを言っても、決して声を荒げて怒鳴ったりせず穏やかに
耳を傾ける祖父が、逆らう敵を皆殺しにするような酷烈な一面も持つとはとても信じられない。ましてや祖父は
『禅宗』に深く帰依した出家の者なのである。もっとも、彼が非情ともいえる『裁き』を敵へ施したのは、
後にも先にもその時一度きりではあったのだが…それでも志保が彼を慕う、その思いの深さに変わりは無い。 
「それもこれも、全てお天道様の思し召しじゃ。こなた様も知っての通り、この爺は、こなた様の祖母と
出会うのが遅れた故に、こなた様の父御をお天道様から授かるのも遅かった。おばばに会うまでに、
しておきたいと思うたことがたくさんにありすぎての」 
「はい」 
 すげ笠に野袴、虎縞の羽織という、とても領主とは思えぬ格好で、大地をゆるゆると踏みしめて歩きながら、 
「じゃが、こなた様らにお会いして分かった。子はいわば天からの授かり物。まさかにこの爺も
八十を越えてまで生きて、こなた様やお千代殿に会えるとは思いもしませなんだ。繰り返しになるが、
全てこれ、天の思し召し。であるからの」 
走り寄ってきた領民の子供達へ手を振り、祖父は話し続ける。 
「我らが領地内に生ける者、皆に幸せになって欲しいとのう、そう思う。そのためには、これからも
流されねばならぬ血もあろうがのう」 
 しかし、己にも言い聞かせるように語る彼の瞳に、少しだけ陰りがあるのを孫娘は見逃さない。
  その表情を見るにつけ、彼女が思い出すのは、戦が終わるたびに志保の学問所でもあった箱根権現へ来て
  香を焚いた祖父の姿である。 
 その彼を、「猫が鼠へかける情け」だと父はなじった。 
(…皮一枚ばかりの情けを、己が手にかけた敵へかけるのは偽善に過ぎぬ) 
恐らく父はあの時、そう言いたかったに違いない。その父へ、祖父はただ苦笑でもってのみ答えたのであるが…。 
(…そんなことは) 
志保は、ゆるゆると、しかし力強く歩き続ける年老いた祖父を時折見やりながら思う。 
 …勝者が敗者へ何をどういった形で与えようとも、嫌味にしかならない。祖父には百も承知なのだ。
それでも、彼はそうせざるを得なかったのだ、と。 
(仏の心で、鬼の裁きを…) 
祖父、新九郎長氏は、彼女が幼い頃に何かの話に聞いていた「閻魔」という、降魔の剣を持った仏の使いに違いないのだ…。 
「…あらゆるものはのう。お天道様に生かされておる」 
まだ春だというのに、戦に明け暮れる祖父の鼻の頭はすでに浅黒く日に焼け、薄く皮膚 
さえ剥け始めている。志保の手をつないでいないもう片方の手の平で、祖父はそれを擦り 
落とすかのように再び顔をつるりとなで、 
「関東管領家も、関東公方家も、そして京におる将軍家に様々な公家どもも…それらは皆、 
己の今の地位が天からの授かりものであることを忘れておるのじゃ」 
言いながら「むっ」と口を結ぶと、その周りに濃く現れ出でる意志の強さも彼女が生まれた当時のままである。
烏の爪痕が刻まれたような皺深い目じりに、いつも地下の者たちへは労わりの笑みを湛える瞳の奥には
尚、力強く光が宿る。 
「それゆえ爺は、それらに代わって、その支配に喘ぐ領国の民を助けたいと思うた。そのためには
二つに分かれてなお、関東公方に深く根を張って未だに戦う扇谷、山内の腐った二本の杉をまず
切り倒すという荒療治をせねばならん。そう思いながらのう、爺は昔…ほれ、三島明神様へお篭りに参りまいた。
それがお天道様のご意志に叶うかどうかを尋ねにのう」 
「アア…はい」 
志保もそのことは、「じい」の松田左衛門から聞き知っている。彼女が顎を引いて頷くと、祖父もまた頷いて、 
「そこで爺は夢を見まいての…小さな小さな鼠が、広大な野原に生える二本の大きな杉を
根から齧り倒してやがて大きな虎になる…」 
彼女の手を握り締めた手と、もう片方の手でその大きさを示してみせる。 
祖父は壬子(一四三二年)の生まれである。であるから、その鼠はおそらく祖父自身であろう、
そして広大な平原とは武蔵野、二本の杉とは扇谷、山内両上杉のことであろう。となると、
これは『伊勢』一族がいずれ、関東の覇者になろうという『お告げ…』に相違ないと、
居並ぶ家臣の前で祖父は自身で『夢解き』をしたのである。 
そして祖父が『霊夢』を告げた年は、まさに『寅年』に当たっていた。あるいはそれは、
家臣を納得させるための彼の自演であったのかもしれぬし、事実そうであったのだろうが…
家中の者は皆、縋るようにそれを信じ、 
「我らが関東の覇者となるのだ」 
やがて各々の胸のうちでずっしりと根を下ろして信仰の一つと化した。そうさせるだけの
『何か』が、長氏にあったからに他ならない。 
無論、志保もその「霊夢」についてはいちいちを老臣どもから聞かされている。彼女もまた、
それが真実、祖父にお天道様が示した啓示だと信じて、生涯疑うことがなかった。 
「間違うことなく、これはお天道様のお告げじゃと思うた。伸びすぎた杉の枝をこなたが矯めよと、
お天道様は申しにお出やったのじゃとなあ」 
少年のように瞳を輝かせ、祖父は語る。 
「根っこになどお天道様の光はいらぬ、土の中へ隠れておるのじゃからというのは誤りじゃ…
伸びる場所を間違えた枝は、あらぬ場所へ葉を茂らせて、肝心な土へお天道様の光を
届かぬようにさせてしもう。この爺が杉の枝を矯める…それはすなわち、我らが伊勢一族の領地と
支配とをその地にまで広げるということで、いわば長年の爺の果たすべき希いでもある。
遠い遠い我らがご先祖様のお一人の将門公が、関東の地へ作ろうとした『常世の国』を、
たといどれほど時間がかかろうとも、子孫の我らの手で作ることが出来るなら、なんとも
痛快ではないか…くどいようだが、そのためには流されずともよい血は、これからも流れよう。
そのためにこの爺はこれからも鬼になろう。じゃがのう、志保殿」 
「…はい」 
頷きながら、時折見上げる蒼い空には、一欠けらの白い雲がのんきに浮かんでいる。 
「その、流れねばならぬ血をなるだけ少なく…そのためには、関東公方様のご威光を我らが
背にのう、しっかと負うて、我らには公方様がついてござる、それゆえに我らが守れば安心じゃと
言うて回るのが一番だとのう。そのためには公方様と縁をつながねばならぬ。よってそれをこなた様に、
上に立つものの一員として果たしてもらおうと、爺は思うた」 
「…」 
「それは決して天の意志に背くことではないとよくよく考えたゆえのことじゃ。古河公方様へは、
事が起きた際には我らが必ずやお味方するという誠の証としてもの。幸い、こなた様をいずれ亀若君の
側室のお一人にという先方様からの申し出もあったことじゃし、のう?」 
…少し気の早いはなしではあるが、と、祖父は苦笑する。 
「…おじじ様」 
「ああ、案じなさるな。事実は、そういったはなしが出ているというだけのことですわいの。
この爺がちと色気を示しただけじゃに、氏綱どのは騒ぎすぎなのじゃ」 
 当時、古河公方における政治の実権を握っていたのは、このはなしを持ち込んだ簗田高助だった。
高助にとっては関東公方家における己の権力維持と保身のため、伊勢氏にとっても、堀越公方と
争い続けた為に衰えたとはいえ、古河公方の権力を後ろ盾に出来ようというもので、これが実現すれば
双方にとって渡りに船である。 
 京にいる足利将軍本家が、ずいぶん昔に地方へ下った同族のことを気にかけていた様子はないが、
  関東公方のほうでは、己が京の将軍家の一員であることを忘れなかった。その思いはそのまま、
  現代の古河公方、高基(亀若丸の父)へと受け継がれたものである。 
「関東の将軍家」であることを誇りに思い、肥大して歪んだ自尊心を抱く高基のこと。いかにかつては
京で申次衆をしていたとはいえ 
「所詮は成り上がりではないか」 
高助からその「はなし」を聞かされたときには、一度は鼻を鳴らしてそう言い捨てたそうな。もちろん、
その中には一度も京へは行けなかった高基の、都にいたことがある者への嫉妬も混じっていたであろう。 
伊勢氏は、決して成り上がりなどではない。先に述べたように将軍家に仕える名門であり、氏綱の正室、
志保と千代丸の母もまた、小笠原氏から迎えている。 
だが、当時の貴人の感覚としては、その高い身分をわざわざ蹴って東国へ下るというのは、ただの平民に
成り下がることに等しい。それゆえに、古河高基が伊勢平入道とその一族へ投げつけた言葉も、そういった
当時の貴人としての無理からぬ認識から来るものだったと言えなくもない。それを間諜から伝え聞いた祖父入道は、 
「我らは『成り上がり』か。だがそれでよい」 
ただそう言って笑っただけであったが…。 



…続く。