蒼天の雲 19



実際、晴氏の事実上の幽閉は三年続いた。この間に、またしても関東の情勢はめまぐるしく
変化し続けている。 
 川越の戦いの後、平井城に逃れた山内憲政は、その後も氏康に居城を攻め立てられて、天文二十一(一五五二)年、
  一子龍若丸を質へ差し出して降服したのだが、 
「申したであろう。二度目は無いっ!」 
かつて、しぶとく抵抗した城の者どもを全て首切ったという、祖父入道の苛烈さをそのまま映した様に、
氏康は幼い龍若丸の首を跳ねるように命じたのである。 
 山内憲政は震え上がって、家老筋であった越後の長尾景虎(後の上杉謙信)を頼り、落ちのびていったそうな。 
 その一方で、氏康は長い間争っていた今川、武田との三国同盟(甲相駿三国同盟)を、
  晴氏を幽閉した同じ年に成立させている。しかも、「北条の領土内」には極力戦が起きぬように
  配慮しているのだから、まさに「相模の虎」と呼ばれるに相応しい活躍ぶりである。 
 さて、志保と義氏が一旦、腰を落ち着けたのはやはり小田原城の一室である。だが、義氏はほどなく
  小田原から北条の持ち城の一つであった葛西城に移されたおり、そこで古河公方就任の儀を済ませると同時に、
  氏康の娘を室に入れた。 
 義氏も青年らしく、手をつけたおなごの一人や二人はいたであろうが、 
「兄上(藤氏)が公方のお家を継ぐゆえ、我等はいかなおなごも己の室には入れませぬ」 
と、笑って告げていた。だが、叔父の強引さに押し切られてしまったのだろう。 
 その異母兄、藤氏にも、正式な子が出来たという噂はとんと聞かぬ。関東が戦乱続きであったのと
  北条の力を恐れて、嫁を勧める余裕のある者はたれもいなかったのだ。 
「やはり落ち着きませぬか」 
 あれから早、三年が経ち、いつしかまた桜の散る季節になった。懐かしい早雲寺の境内を
  今日も訪れた志保へ、まだ存命であった叔父が声をかけてくる。 
「菊兄様」 
 北条幻庵長綱、当年とって六十四歳。この叔父には相変わらずお見通しらしいと、それへ頷きながら、 
(年を取られて、おじじ様にますますよう似て来られた) 
「いや、お年を召されて、女ぶりもますます良うなっておられまする」 
考えていたのと似たようなことを先に言われ、志保は苦笑した。 
せっかくだからと、嫁入り前に志保が使っていた部屋を氏康はそのまま提供してくれた。
しかしそれが反って気詰まりで、志保は娘時代のように、再び毎日のように早雲寺へ詣でるようになっている。
やはり、弟が一家を成しているところへ「出戻り」である己が邪魔をするのは、 
(息が出来ぬわ…) 
祖父が眠っているこの早雲寺へ詣でると、初めて楽に呼吸が出来るような気がするのだ。 
「やはり、お気がかりは古河の御方のことで。ああ、言わずもがなでございました」 
「いえ」 
「氏康殿は、北条の者にとってはまこと、得難き将にござるが」 
「…はい」 
(口数の少なくなられたことよ。しかし無理もない) 
 故早雲入道の墓前で佇んで手を合わせる志保に話しかけながら、菊寿丸の幻庵長綱は軽く苦笑する。 
 晴氏の幽閉は、多目元忠が告げたように弘治三(一五五七)年七月には終わっていた。
  よって晴氏は古河に復帰し、これで志保も古河に戻れるかと思ったのもつかの間、その二ヵ月後の九月には、
  関宿にいた藤氏が簗田晴助と語らって、古河城奪還をもくろんだ…と、志保には知らされている。 
 だが、古河城でも志保に仕えていた北条の小者が、こっそりと彼女へ託した手紙には、 
「公方の家に生まれながら、義氏があまりにも不憫。北条の血を引く弟ゆえ、この兄よりは
幾分かましな政が出来ると思い身を引きましたが、氏康叔父の傀儡がごとき義氏を思うにつけ、
胸が痛みます。せめて、ここに武家の棟梁連枝、古河足利公方ありと世の者の瞼に刻み付けたく、
継母上だけには藤氏が思うところを告げておきたく…」 
と、挙兵の「真意」が志保へ述べられているのだ。 
(意地よ、おなごには分からぬ意地じゃ) 
読み終えて、かつて三浦義意が苦しげに漏らした言葉が、ふと彼女の胸によみがえった。 
 その意地ゆえに、ついに氏康と藤氏は手を取り合え無かった。簗田晴助はついに関宿城から追放、
  藤氏も唯一北条側と互角に戦っていた安房の里見義尭を頼ってそちらへ逃げたのである。 
(なんと申しても、正統な古河公方後継は、藤氏様であるものを…) 
氏康の若さは、多くの敵を作った。だが、これもあるいは時代というものであったかもしれぬ。 
倒される前に倒す、食いつかれるまえに食う…でなければ、 
「周囲はこれ、敵ばかり。己の領地は守れませぬし、おじじ様の理想は果たせぬ」 
これも確固たる信念を持った目で、まっすぐに姉を見て氏康は言ったものだ。 
 氏康の代には、もはや時代は大きく変わっていた。いわゆる戦国たけなわの世になっていて、
  「仕える人間にその価値がなければ、こちらから見限ってもよい…」といったように、人々の価値観も
  大きく変わっていったのである。 
 古河へ戻っていた晴氏は、今度は北条側の豪族、野田氏によって下総猿島の栗橋城へと
  再び幽閉されてしまった。これで、二人が生きている間に再び会えるかもしれぬという望みは、
  永久に無くなったのである。 
「二度目は無い…」 
が口癖の氏康も、さすがに姉のことを思い、かつ晴氏が尊貴の身分であることを思うと、それ以上
非情にはなれなかったらしい。 
「…あの折は、氏康殿をずいぶんと恨みました」 
「はい」 
 寺の一室へ通されて長綱と向かい合い、勧められた茶を手にして、ようやく志保は口を開いた。 
「山内上杉殿が逃れられて、そのご養子となさった長尾殿とやらも、義氏殿が公方であるとは絶対に
認められぬとの仰せ…これも当然のことながら、またそのことで苦しむ民が出るのかと思いまするとなあ」 
「そのことですが、志保殿。氏康殿は近く、義氏殿をご息女ともども、関宿へお移しあるとのこと。
それが終われば引退すると漏らしておられるそうな」 
「…はい」 
 この叔父は、どうやら三十年近く経っても志保の好みを忘れてはいないらしい。彼女好みの少し
  ぬるい目の茶が入った椀をそっと両手で包みながら、 
「ですが、私はもうどこへも参りませぬ」 
彼女はそっと首を振った。 
「おじじ様との約束を、ついに果たせなんだ身、どこへも参れませぬ。おじじ様のお側で、
おじじ様へ詫びつつ、ここに留まるつもりでござりまする」 
「…はい」 
しかしそれは貴女のせいではない、と、言いかけて、長綱は言葉を飲み込み、ただ頷いた。 
 関宿から追放された古河藤氏、簗田晴助は、頼っていった先の里見氏のもとで余生を過ごそうと
  考えていたらしいが、その里見氏が公方の正統な跡継ぎを抱え込んだことで、逆に野心をたぎらせて、
  越後の長尾景虎へ救援を要請していたし、それに呼応するかのように関東平野でも、北条に抵抗する豪族が
  現れて消え、現れては消えしている。なので、義氏は公方として古河に戻るに戻れず、氏康によってその周囲を
  点々とさせられることになるのだ。しかし志保は、それを見越して「どこへも行かぬ」と言ったわけではない。 
 そして、三年というまことに短い弘治年間は終わって、永禄二(一五五九)年春。 
「姉上、我等ももう、氏政へ家督を譲って引退の身でござる」 
「…左様にござりまするか。それは重畳。今までお疲れ様でござりました」 
「いや、まだまだ『御本城様』と呼ばれまいて、楽隠居の身にはなれぬが」 
「…それは気苦労の多いこと」 
小田原城の彼女の部屋を訪ねてきて氏康が話しかけても、志保は通り一遍の返事しかしない。氏康は苦笑を漏らして、 
「久しぶりに、この弟と共にお拾いに参りませぬか」 
「…そうじゃなア」 
「参りましょう、さあ、さあ」 
強引に、姉の年老いた手を取って立ち上がらせる。 
「本日は、姉上のお誕生なされた日にござる」 
「…そうでござりましたか」 
 四十年前と同じように早雲寺へ向かいながら、今は弟が姉の手を引く。素直に手を引かれながら、
  志保はただ頷くのみである。やがて桜が咲き初めている境内が見えてくると、 
「枯るる樹に また花の木を植え添えて もとの都に なしてこそみめ」 
氏康はその歌を口にした。 
「おじじ様の理想…いま少しで、この氏康が果たしまする。それまで姉上には生きて、見守っていて欲しい。
長生きするとお約束あれ」 
「…いや、もう指切りは出来かねまする」 
「姉上?」 
漆を塗った草履が、境内の石を踏む。立ち止まって顔を覗きこむ弟へ、姉は静かに笑って首を振る。 
「私も聞きました。晴氏様がなあ、倒れられたそうな」 
「ああ…はい」 
「医師の見立てでは、あと一年、保てばよいほうじゃと。晴氏様は、姉のただ一人の夫…それが帰らぬ人と
なられては、姉も長生きも出来ますまい」 
 氏康は、返す言葉も見つからず、ただ黙って桜を仰ぐ姉の横顔を眺めていた。氏康にしてみれば、
  彼女の継子である藤氏は、今この時も里見義尭や長尾景虎に担がれて関東を乱している、いわば
  憎むべき敵なのである。 
(…姉は、我等が間違っていたと言いたいのであろうか) 
 そう思うとたまらず、氏康は多弁になっていた。 
「姉上。この氏康は、民のために良かれと思うて、出来る限りのことをしてきたつもりにござる。
古河公方を義氏様に継いで頂いたのも、義氏様なら我等が『成り上がり精神』を多分に理解してくださると
思うたゆえのこと、それゆえ」 
「…お千代殿」 
「はい」 
 その雄弁を途中で遮り、姉が弟の幼名を呼ぶ。彼を見る顔は老いたが、瞳の光は幼少の頃の彼をわざと
  厳しく打ち据えたあの時のままで、 
「氏政殿にもなあ、困った折は、こなたのひいおじい(早雲)に手を合わせるように、ようよう申しやれ」 
それだけ言ったかと思うと、目を弟から蒼く澄んだ空へ移した。 
 その空には、白い雲が小さく一つ、ぽつんと浮かんでいる。 

    終 

 志保の夫であった古河四代公方、晴氏が、栗橋城にてついに帰らぬ人となったのは、それから一年後、
  永禄三(一五六〇)年五月二十七日のことである。 
 それを聞いた志保は、叔父である幻庵長綱へ願い出て髪を下ろし、僧号を芳春院として早雲寺の側に
  同年の秋から小さな庵を結んだ。それから一年後の五月末、 
「具合は如何にござりまする」 
「菊兄様」 
志保もまた、病に倒れた。食物を一切受け付けなくなったと言うから、これも精神的なものが作用していたのかもしれない。 
「あまり…よくはありませぬなア。それよりも」 
心配した氏康がつけた医師の回診が終わったばかりらしい。彼女へ処方した薬を飲むように、くれぐれも
言い置いて長綱へ頭を下げてから、その医師は去っていく。代わりに枕元に座った長綱へ、半ば諦めきったような、
悟りきったような様子で志保は呟く。 
「いつになれば、関東の民は安んじて暮らせるようになりますのでしょう。やはり、おなごの力では
成し遂げられなんだかと、後悔しきりにござりまする」 
「フム」 
 彼からの返事を期待しているのではないし、このような動乱が関東だけのものではないことを志保が
  認識しているということも良く知っている長綱は、ただ頷いて、氏康が強引に姉へつけた侍女が勧める茶をすすった。 
 時折、そこへは氏康も訪れて、彼女の無聊を慰めている。晴氏が亡くなって一年余りが経ったが、
  未だに古河公方の座は安定せず、越後の長尾に擁立されて藤氏が古河へ入ったり、北条によって
  追い出されたりといった戦いが続いていたのだ。 
「せっかくに落ち着いていた下河辺荘の民も、戦続きで難儀しておりましょうな。今年は伊豆も含め、
関東は飢饉に見舞われたそうにございまするから」 
そこで彼女は遠い目をする。遠い昔、そこを藤氏や義氏と何度となく散歩したことを思い出しているのだろうか。 
 長綱が口を開きかけると、 
「菊兄様。後のこと、よろしゅうお願い申し上げまする」 
突如、志保は長綱を見つめてそう言った。 
「志保殿、一体何を」 
驚いて長綱が問い返すと、志保はその瞬間、瞳へ昔の生き生きとした光を取り戻し、 
「志保は、もはやこれまで。自分の体は自分が一番よう知っておる。それゆえ、北条のこと、
古河殿のこと、見守うて下され」 
「志保殿っ!」 
「…襖を、開けてくださりませぬか」 
 長綱が言われたとおりにすると、そこから志保は蒼い空をしばらく眺めた。 
「菊兄様」 
「はい」 
「雲が、なあ…お天道様の中に、あれ、あのように白い雲が、のんきそうに浮かんでおりまする。
どこへお行きやるのでしょうなあ」 
言って、志保は目を閉じたのである。 

 それからというもの、志保は一日のほとんどを昏睡に近い状態で過ごした。幻庵長綱に見守られながら
  彼女が亡くなったのは、晴氏の死に遅れること一年と二ヶ月余り、梅雨が明けた永禄四年七月九日である。 
墓所は彼女が誰よりも敬愛した祖父の寺、早雲寺だったかもしれぬ。しかし、それより四十年あまり後の
豊臣秀吉による小田原攻めの際、早雲寺の全伽藍が焼け落ちたため、北条直系の墓所さえ定かではない。 
 今では、古河城跡に残る義氏とその娘氏姫の墓標が、志保の生きていた証をわずかに物語るのみである。 

                               ―了


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