蒼天の雲 18



ついに晴氏が参陣すると聞いて、連合軍は沸きかえった。逆にそれを聞いて、
この上なく憤ったのは北条側である。 
 天文十四年五月十八日早朝。晴氏が手勢を率いて公方家の陣に到着すると、あらかじめ彼の到着を
  聞き知って待ちわびていたらしい藤氏始め、関東管領両上杉家、その他関東の豪族がそこへ集っていて、
  馬から降りた晴氏に膝をつき、一斉に頭を下げた。 
「…変わりは無いかの」 
「はい、父上」 
晴氏が藤氏へ尋ねると、若い彼は得意そうに胸を張って、 
「さきほど、公方家の使いじゃと申すものが陣を通り抜けていきまいたが、それ以外は…父上から
城の者と救援に参った北条の者、双方へ降伏をことづかっておると申しておりましたゆえ、
深く調べるのも失礼かと…よって、そのまま通しました。よろしゅうござりまいたか」 
「…うむ」 
 どうやら、北条のほうも彼の到着を知って密かに動き始めたらしい。しかしそれを
  表情に上せずに、晴氏は平然と頷き返した。 
「これから、ひょっとするとその返事が参るかもしれぬ。その時は余を通せ」 
「はい」 
 己は今、実の息子をたばかった。だが、これでいいのだと志保の顔を思い浮かべながら、晴氏は瞼を伏せた。 
 その使者とはまさに福島勝広のことであり、その時、氏康は彼を使って連合軍への真夜中の
  急襲を川越城内の綱成へ告げていたのである。 
「父上! おっしゃったように、降伏の使者が参りました!」 
 弾むように言って、藤氏が北条からの使者を連れ、晴氏の前へ示したのが、その日の夕刻。 
「ふむ…」 
 それが福島勝広だと知って、晴氏の目は細くなった。 
「氏康殿からの返事か」 
「…はい」 
 福島勝広もまた、恐れおののいている体で、畳んだ書状を懐から取り出し、藤氏へ恭しく捧げた。 
 それを藤氏が受け取り、父へ渡す。さらりと広げて目を通していた晴氏は、 
(…偽りの降伏…) 
そう思いながら、 
「北条が、降服するそうな」 
どやどやと集まってきた豪族諸氏へも読むようにとその書状を回させる。 
「すると、晴氏様の降服勧告が効きましたわけで」 
 扇谷朝定が、どんぐり眼を見張って晴氏を仰げば、 
「さすがは公方家」 
 山内憲政もまた、口ではそう言いながら、信じられぬもののように晴氏を見る。 
 無論、彼らですら公方家の威光など屁とも思ってはいない。ましてやあの氏康が、
  公方から勧められたからと言ってこうもやすやすと、 
「兵たちの命を救ってくれるなら、川越城もそっくり明け渡し、小田原へ引っ込んで自分は頭を丸め…」 
などと、気が狂ったのでもない限り言うわけがないと思っていたのだ。 
「戦は終わりじゃ。明日には引き上げる。よって、その準備をしておくように」 
ともかく晴氏がそう言うと、豪族達は一斉に歓呼の声を上げた。囲むほうも辛かったのだと
改めて晴氏が思いながら川越城を見上げると、城はいかにも観念したもののようにひっそり閑としている。 
(…今宵は眠れぬ夜となろう) 
 福島勝広も「公方の陣だけは襲わぬよう、氏康が兵へ徹底している」と言っていたが、
  万が一ということも有り得るし、何よりも、 
(きっと、彼は仕掛けてくる) 
寄せ手の連合軍が、すっかり油断して眠ってしまった後も、その予感が彼を眠らせなかったのである。 

 果たせるかな夜半、明かりもつけずに北条軍は連合軍へ奇襲をかけてきた。その結果、扇谷上杉家は
  壊滅、山内憲房は上野の平井城へ遁走する。それと見て、豪族達も次々に北条へ忠誠を誓って、
  日本三大奇襲合戦の一つに数えられる「川越の戦い」は終結したのである。この戦には八重の弟、
  多目元忠も加わっていて、深入りしようとする氏康を危険だと見てほら貝を吹かせ、退却させたそうな。 
 ともあれ、この戦いの勝者となった北条は事実上、関東の覇者となったのである。 
それらを尻目にほぼ無傷で古河城へ引き上げた古河公方親子は、それを追いかけるようにやってきた
北条の使いの口上を聞いて、床へがっくりと両手をついたのだ…。 
「無礼であろう。今すぐに囲みを解かせなされ」 
 しかも、有無を言わせぬように、北条軍が古河城の周りを取り巻いているという。柳眉を逆立てて
  使者を怒鳴りつけたのは、むしろ志保の方で、 
「公方様には、北条へ一切手出しをなさらなんだ。使者が通るのを黙って助けもなさった。氏康殿もようよう承知のはず」 
「それゆえ、命だけは助けようと我が殿は申されておられるのです」 
 青ざめた公方の奥方の顔を冷然と見返して使者が述べた、氏康が公方家へ突きつけた
  「降服条件」は、藤氏の廃嫡、すでに元服して義氏と名乗っていた梅千代王の公方就任、
  晴氏の隠居…の、三つである。 
「我が殿は、二番目の条件への付け足しを、口上で言い添えよと申されたゆえ、お伝え申し上げる」 
 そして言い終えたかと思った使者は、さらにぐっと胸を反り返らせて、 
「これを呑んで頂くことは、殿の御姉君、志保様が侍女であった八重に報いるためでもある、
との仰せ。そして、一度は良いが、二度目は許さぬと…我等には分からぬながら、確かに伝え申した」 
 …尊大な使者が帰って、ようよう北条軍の囲みは解けた。 
「…覚悟はしておったが」 
近侍の者を全て遠ざけて義氏を代わりに呼び寄せ、城の広間で家族だけになった時、晴氏は、 
「もっと近う。父へそれぞれの顔をよう見せてくれ」 
 志保と藤氏、義氏兄弟に己の周りへ集まるように言って、 
「寂しいものよのう…こうなってみると、やり残したことばかりが思い浮かぶ」 
再び苦笑した。すると、 
「父上は、氏康叔父のあのような条件に従って隠居なさるおつもりか」 
 藤氏が、志保の手前もあらばこそ、噛み付くように言って膝を乗り出す。 
「そうじゃ。あのような戦が起きたのは、元はと申せばこの公方家の統治がなっておらなんだがゆえ。
こなたも、本来ならば公方の威信にかけて止めねばならぬところを、逆に煽った…それなりの責は
取らねばのう。あの簗田高助も、氏康殿の怒りを買って頭を丸めた。嫡男の晴助に後目を譲るよう強要されて、
こなたの廃嫡も認めよと責められたそうな」 
「…相すみませぬ…継母上がいつものご教示、うかと忘れまいてござる」 
 それらの会話を黙って聞いていた志保は、ついに両手で顔を覆った。 
(新九郎殿は、公方家がこたびの参戦ばかりでなく、私を公方家の室へ無理に入れるようにした
簗田殿と、簗田殿が八重のことでがなさった処置のことにも怒っていやる。私が公方家へ無理に嫁いだと
未だに思うていやる) 
 だが、それをまさかに藤氏や、当の義氏の前で告げるわけにもいかぬ。 
「継母上」 
その顔を覗きこむようにしながら、藤氏が何か言いかけようとすると、 
「…失礼いたしまする」 
 すらりと襖が開いて、一人の僧が顔を出す…と見れば、それはほかならぬ簗田高助で、 
「永らくのお暇乞いに参りまいた」 
思わず言葉を失った体の主の一家をずいっと見回して、静かに微笑ったのである。 
 変わることが出来たかもしれない公方家を、これからも見守ることが出来ずに残念である、と、
  そういった意味の事を述べ、 
「…藤氏様、関宿へ参られませぬか。この祖父の相手をしてくだされ」 
彼にとっては外孫にも当たる藤氏を、関宿城へ引き取りたいと申し出たのである。 
(家族が、ばらばらに…) 
 藤氏が高助に促されて出て行くと、広間は急に寒々とした。 
(私は、間違っていたのだろうか) 
 志保は、これも頭痛がすると言って広間から引き上げながら、血の気の引いた頬を俯かせた。 
弟の北条氏康も継子の古河藤氏も、目指すところは同じ、関東の民を安んじることだったのだと信じたい。
だが、全てがどこかで少しずつ掛け違った。結果、晴氏は隠居、藤氏は幽閉同然の扱いを受け、
後には血統上は志保の実子である義氏が立てられようとしている。これは北条の傀儡だとたれもが見るだろう。 
(新九郎殿は、一体何を考えておいやる…) 
 関東公方を頂いて、その威光の元に北条が号令をかける、氏綱の方針ではそうであったはずなのだ。
  戦がなくなるものならそれでよいと思っていた志保だが、その夫と共にいつ殺されるか分からない状況に陥ってしまった。 
 氏康は、しかしやはり「名君」であったらしい。民に対する姿勢には、祖父早雲入道から受け継がれる
  「成り上がり精神」を崩さず、旧領と同じ施政を新しく得た関東の領土にも敷いたので、
  いやがうえにも北条人気は高まった。 
(いつ、その時が来るか…) 
 しかし、古河城では、そうした思いを内に秘めつつ、皆が薄氷を踏む思いで日々を過ごしていたのだ。 
 そうこうするうち、簗田高助が天文十九年十一月八日に亡くなり、藤氏はしかし高助の後を継いだ
  晴助が申すまま、関宿に留まっている。 
 高助の弔問へおざなりに使者が立ったきり、北条側からの無体な要求が来ることもなく、
  表面上は穏やかに過ごしていると思われた古河城に、再び波が立ったのはそれから四年後の、
  天文二十三(一五五四)年のことである。 
「晴氏様には、波多野にて我等北条が建てまいた館へ、おいで遊ばされるがよいかと存じまする」 
 天文二十一年に、ついに北条軍が再び古河城を囲んだ。その上で、暗に「幽閉」を言い出したのである。 
「なに、三年ばかり、そちらでゆるりと過ごされれば我が主の怒りも解けましょうて」 
 そのたびの使者に立ったのは、寄せ手の大将である多目元忠だった。この八重の弟は、
  観念したように目を閉じている晴氏と、蒼白になって唇を震わせている志保の前で、しれっとそう言ってのけたのである。 
 さらには、 
「古河四代晴氏は、これより義氏へ公方の地位を譲るものとする…と、布令ていただきたい」 
とまで言い、 
「こなた、それでもあの八重の弟かっ!」 
「よい。それでよい。公方家がそれで続くのであればなあ」 
 ついに感情を爆発させた志保を、反って晴氏のほうが抑えた。 
「参ろう。下河辺の民をあまり不安にさせてはならぬ。だが、その前に、しばらく遠慮せい」 
「は」 
「案ずるな。奥と二人、しばし語らいたいだけじゃ」 
「…かしこまりまいた。北条もそこまで情薄きものにあらず」 
 多目元忠は恩に着せるように言い、人払いを命じて己もその場を去っていく。 
「…顔を、見せてくれぬか」 
 夫婦二人になった古河城の広間で、晴氏は志保の頬を両手で捉え、そちらを向かせた。 
「最初にこなたを見たときはな、なるほど美人には違いないが、なんと賢しらぶった、鼻持ちならぬおなごかと思うた」 
「…まあ…」 
「北条が、手元不如意の我等につけ込んで、大枚とともに送り込んだ間諜じゃとものう」 
「ふふふ。そう申せば、そのようなことを仰せでござりましたなあ」 
 笑いながら、志保の頬に涙が零れた。それを指先で拭いながら、晴氏もまたかすかに笑う。 
「こなたが嫁して、少しずつ…目には見えぬが、何かが変わった。それに気づくまで十年近く。
改めて言葉も交わさずまた十年…夫婦として共にあった三十年余りのうち三分の二近くを、
余はこうしてこなたと向き合うこともなく、過ごしてきた…もったいない事をしたものよと、
この期に及んで悔やんでおる」 
「…いえ、いいえ」 
「八重がことも…簗田の配慮で取替え子をした折も、こなたは余を咎めるどころか己の子として
梅千代王を育てると言い放った。偽善に過ぎぬ、どうせ鍍金はすぐに剥がれると、その時も余は
鼻で笑った…じゃが、それは間違いだったとすぐに気づいた。余はずるい者ゆえ、最後の最後で
こなたに言いたいだけを言うて、己だけ逃げようとしておる」 
 溢れる涙をそのままに嗚咽を堪えている妻の瞳を見つめたまま、 
「…仏の教えによると、あの世には極楽浄土というものがあるそうな」 
ふと、晴氏は話を変えた。 
「はい」 
「自害をしたものは、そこへはゆけぬという。こなたがもし死ねば、行く先は間違いなく
極楽であろう。ゆえに、余も恥を忍んで生きる。自害はせぬ…でなければ、こなたにあの世で
会えぬであろうからの。もしも極楽というものへ余が行けたなら、そしてこなたに会えたなら、
その時は余もこなたのお拾いに誘うてくれ。もっとも、その前に閻魔の罰を食ろうて、
地獄とやらに落ちているやもしれぬが」 
「…」 
 言葉にならず、志保は、悟りきったように柔らかく笑っている夫の顔を必死に見つめ返す。
  そこへ、咳払いの声が襖の外から聞こえて、 
「せかさずとも参る」 
 晴氏はそれへ苦笑しながら言葉をかけた。 
「疾う、どこへなりとわが身を連れてゆけい」 
 思わずすがろうとした志保の手を軽く取って叩いてから、 
「こなたに頼むはまこと筋違いながら、義氏を、のう。これからも見てやってくれ」 
そっと離して晴氏は立ち上がったのである。同時に襖が開いて、志保は慌てて袖で涙を拭った。
晴氏が連れ出されて行くのを確かめてから、入れ違いに入ってきた元忠は志保へ平伏しながら、 
「お方様には義氏様を伴われまいて、小田原へお帰りあるよう、これも殿からのご伝言にござる」 
「…なんと、のう…」 
 あまりのことに絶句した志保へ、多目元忠は掌を上へ向けて、開け放しになっている襖を指した。 
「これも、公方家に巣食う悪しきものを祓うため。公方家にたかって甘い汁を吸おうとするものを
掃除するためにござる。いざ、我等と共に」 
「…よろしい。参りましょう」 
(北条早雲の孫娘よ。家臣に見苦しい姿をさらすでない) 
泣き崩れそうになる己を叱咤しつつ、志保もまた立ち上がったのである。 
 こうして、古河義氏は第五代古河公方として擁立された。だが、こちらはやはり、北条の操り人形であると
  たれもが思った。そしてこれがそのまま、晴氏と志保の永遠の別れになったのである 




…続く。