蒼天の雲 17



そして、「挟撃に備える」として市川側へ引っ込み、戦線を遠巻きにしていた里見義尭は、 
(やはり勝てぬ) 
と見て、北条側へ寝返ってしまったのだ。 
「裏切り者めっ!」 
劣勢と見た真理谷信応に担ぎ込まれるようにして国府台城へ引き上げたものの、それから入ってくる報せと言えば息子や味方であった者どもの戦死の報せばかりで、いい加減に味方の不甲斐なさへ精神が切れそうになっていた小弓義明は、里見義尭の寝返りを聞いて逆上してしまった。 
味方の制止を振り切り、もはや城門まで迫っている北条勢に向かって、自ら兵の先頭に立ったのは良いが、混戦のさなかで北条側の名も無い兵士が放った流れ矢に当たって、そのまま帰らぬ人となってしまったのである。 
 この中で、志保は焼けくすぶっている家の消火活動や、焼け出されて行くところを失った民、孤児の救護に汗を流していた。 
 公方家の現在の奥方が北条から嫁いだ姫であり、それが「気さくなお方」「お優しいお方」であるとの評判は、下河辺だけではなくてこの国府台周辺にも広がっている。それが、噂どおり分け隔てなく救護に当たっているのだから、 
「さすがは」 
と、無学な民にも思われるのも当然だった。だが、それが「公方の奥方」としてではなく、 
「北条から参られたお方ゆえに」 
そのような活動が出来るのだ、と、彼らに取られてしまった。 
「古河公方が救護を命令なさったと言うが」 
…雲の上にいて、今まで民の暮らしを一顧だにしなかった公方家が、思いつくことではない。これは、「北条殿」で育ったお方ならではのことだ、と、むしろもともと評判の良かった北条側の人気を、さらに高める結果になったのは何とも皮肉なことだ。 
 無論、当の志保や晴氏はそのことに気づかない。 
 そうして、志保がてきぱきと救護の指示を出している最中に、氏綱が訪ねてきたのは、小弓義があっけない最後をとげ、真理谷信応がその居城である真理谷城へ逃げた後のこと。 
「…どこのおなごかと思えば、やはりこなたじゃ」 
 うっふ、などと苦笑しながら、陣幕をさらりと払っていきなり登場した氏綱は、 
「母になったと申すから、落ち着いて城を守ってござるかと思えば」 
「お父上様!」 
「周りのお歴々、わが娘をお守りくださり、ありがとうござりまする」 
髪の毛に白いものが増えた。目の周りにも皺が目立つ。父は久しぶりに娘の側へ立ちながら、公方家の郎党に向かって深々と頭を下げた。 
「倅の氏康は、ただ今真理谷信応を追撃中にて失礼致す。お歴々も、さぞやこれに振り回されたことと存ずる。申し訳ない」 
「まあ、お父上様」 
 途端に、どっと周囲から笑い声が沸いた。そこへ、 
「晴氏様、藤氏様、お出ましにござる。北条殿がこちらへお運びと聞かれまいて、直々にご挨拶をと」 
「おお、それはもったいないこと」 
注進の者へにこやかに返しながら、しかし氏綱は、これがもう十年ほど前であったら、公方側がこのように丁寧に応じたろうかと改めてわが娘を顧みた。 
「これは、御舅殿でいらせらるるか。婿とは言いながら、お初にお目にかかる無礼を許されよ。余が古河四代、晴氏にござる」 
「北条氏綱にござりまする。こちらこそ、公方を我が婿と呼べまするのは、何にも勝る光栄にござりまする」 
 藤氏を伴って姿を現した娘婿を一瞥して、 
(当初の報告とはまるきり変わったものよ) 
志保には言わなかったが、嫁入り前、かなり尊大な質であると聞いていた晴氏が、何とも慇懃に舅である己へ挨拶するのを見て、氏綱は改めて驚いた。 
「我が要請に応じて此度のご出兵、まことに嬉しく思う。して、首尾は如何」 
「はい、小弓義明は我が兵の矢にかかりまいて死亡。真理谷城へ逃走した信応をば、我が倅の氏康が追うておりまする。聞けば小さな城…口幅ったいことながら、氏康にはちと物足りぬほどかと」 
「それは重畳」 
 鷹揚に頷いて、晴氏は氏綱の隣にいる志保を見、にこりと笑った。 
「舅殿の御娘が、こうして民の面倒を見てくれておるので、我等は安心して戦へ集中できるというもの。感状の第一はお舅殿と我が奥じゃなあと思うておる」 
 こう話す晴氏の表情には、一辺の曇りも無い。周りの君臣と声を合わせて笑い合うわが娘をも同時に見ながら、 
(これならば、安心…) 
氏綱は、胸をなでおろしていた。 
 救護活動には終わりは無い。志保と指揮を替わろうと言い、晴氏は郎党らに続けて救護の任に当たるよう号令してから、自らも陣幕を出て行った。さりげなく親子二人にしてくれた夫の心遣いに感謝しながら、 
「父上様。どこぞ、お悪いのではござりませぬか?」 
志保が尋ねると、氏綱は、 
「久々に会えたというのに、不吉な事を申すな」 
「はい、申し訳ござりませぬ。ですが…」 
「この戦いが終わったらの、我等は氏康に家督を譲ろうと思うておる」 
「まあ…まだまだお若いものを」 
「いや、我等ももはや五十の坂を越えた。若くないとは言えぬ。我が父のようにはいかぬものよ、はっはっは」 
「おじじ様は、頑健に過ぎられましたもの」 
 そこで、親子は声を合わせて笑った。その声に合わせる様に、陣幕の裾がはためいて風が吹きすぎてゆく。 
「もしも、こなたに再び会えたなら、言っておかねばならぬことがあった」 
「はい、承りまする」 
 志保が真面目な顔をして父へ向き直ると、氏綱もまた、すっと真面目な顔をして、 
「こなたが古河へ貸して二十年近く…長い間済まなかった、ようやってくれた。父は、こなたに感謝しておる…今宵、会えて、こう言えて、まことに良かった」 
「お父上様」 
「ははは、我等らしくないのう。二度は申さぬぞ。ほれ、こなたの夫御がお呼びじゃ」 
「は、はい」 
 聞くと、確かに晴氏が彼女を呼んでいる声がする。その方へ駆けていきながら、 
「父上様は、如何なされまする」 
志保が振り返ると、 
「今少し、ここで星を眺めておるゆえ、構うな。こちらは、伊豆と違って空が澄んでおるのう。しばらくしたら、勝手に北条の陣へ戻る。それゆえ、父のことは気になさるな」 
「はい、それではこれにて失礼いたしまする」 
 後ろ髪を惹かれるような思いで、志保は陣幕を出た。どこか寂しげに笑った父の姿が、とても小さく見えた 

こうして、志保が関わった「第一次」国府台合戦は、真理谷信応がついに城を出て、里見義尭の元へとりなしを求めて駆け込んだため、北条、古河側の圧勝となった。 
一兵も動かさなかった里見義尭は、そのまま空白となった小弓側の領土をそっくり己の領土へ書き換えてそれらの主に納まり、真理谷家は信応の庶兄である信隆が継ぎ、そして北条は、簗田高助の居城である関宿付近まで勢力を伸ばす、となって、関東の情勢は一応、安定したかのように見えたのだが…。 
「…奥」 
「晴氏様」 
それから三年後、北条からの急な使者を返した部屋を、沈痛な面持ちで訪ねてきた夫の膝へ縋って、志保は泣き崩れた。 
「弔問の使者は遣わした。あまり悲しむな。体を損なう」 
「…はい」 
 東は公方家の紛争、西は親類であったはずの今川家との戦いで、老いた精神を磨り減らしてしまったのかもしれない。北条氏綱は七月十九日、梅雨明けと共に五十五歳でこの世を去った。 
(お父上、おじじ様の偉業を引き継がれ、新九郎殿へお引渡し…まこと、お疲れ様でござりました。もしも高基様やおじじ様にお会いしたなら、存分に語り合うて下され) 
 ひとしきり泣いた後、小さな仏壇へ夫と共に両手を合わせ、志保はそう祈ったのである。氏綱の後は当然のごとく氏康が継ぎ、関東はまた新たな局面を迎えようとしていた。 

   4 

「なんと、それはまことにござりまするかっ?」 
 安定していたかに見えた関東平野が、再び怪しく蠢動し始めたのはそれからたったの四年後のことである。 
「…やむを得ぬ。こちらは知らなんだではすまぬゆえ」 
 志保の悲鳴のような詰問に、苦虫を噛み潰した蒼白な顔で晴氏は答えた。 
 天文十四(一五四五)年九月のことである。志保の弟、氏康が北条を継ぐや否や、かつて北条に奪われた河東郡を取り戻そうと画策し始めた西の今川義元が、これも北条に恨みを抱く扇谷、山内両上杉と連合して、北条を挟み撃ちにするという盟約を結んだ上で挙兵した。 
 こうなると、氏康としても捨てては置けない。 
「まず今川に当たる」 
といって、河東郡へ出陣したのはいいが、その間に古河晴氏の嫡子、藤氏が勝手に連合軍側へ「お味方する」と、申し送ってしまったのである。藤氏も、もはや二十代半ば。 
「時折、氏康の態度が気に食わぬ、とは申しておったが…」 
「いえ、これは私の責任にございます」 
 もう、何度も会議を重ねたのに違いない。志保の寝所へ引き上げてきて、この上なく疲れたため息を漏らした晴氏を労わるようにその背を撫でながら、志保もまた、頬から血の気を引かせている。 
(新九郎殿が訪ねてきたあの晩、あの折にもう少し突き詰めて話し合っておれば…) 
 志保の胸に、彼女らしからぬ帰らぬ愚痴が繰り返し沸き起こる。 
 青年に成長した藤氏は、同年代の氏康の公方家への態度を常々、臣下らしからぬと憤っていたし、何より氏康が着々と公方家の基盤である関東平野へ侵入してきているのが気にくわぬのだ。 
「北条に公方の土地をじわじわと蚕食されるままでよいのか」 
「先代(氏綱)とはわれらに対する接し方がまるきり違う。冷たいというか、慇懃無礼と申すか…いかに外戚とはいえ、臣下としての分はわきまえてもらわぬと」 
などと、志保の前ではあからさまに罵らぬが、それに近い事を父母の前で漏らすようになっていた彼のこと、同じように北条へ恨みを抱いている両上杉の当主からの誘いに、うまうまと乗ってしまったのも、 
「若いゆえ、全貌が見えぬ。簗田晴助(高助嫡男)も、何度も諫めてくれたのじゃが」 
晴氏が吐息とともに漏らすように、若さのせいとはあながち言えぬものがある。氏康も氏康で、 
「姉に辛い思いをさせておきながら、片腹痛い。目の前の一人を幸せに出来ぬ者が…」 
あの晩に激しく姉へぶつけた言葉そのままの感情を、晴氏とその血を引く者へ持ち続けているのであろう。それが、藤氏の言う慇懃無礼、ということに繋がるのに違いない。 
「ともあれ、情けないがまた、こなたの力を借りねばならぬ」 
「はい、私で出来ることならいかようにも」 
 こうして、志保が夫の要請で、弟である氏康へとりなしの手紙を書いたのだが、果たしてそれを氏康が読んでどう感じたか…。 
「藤氏殿は、公方家のご嫡子。嫡子がそう申されたということは、公方そのものが管領家へ味方すると申されたということ。ならば後からどれほど口に糊しようとも、公方家として連合軍側へ組するということには変わりござらぬ」 
 その意味の返書が、駿河河東郡から古河へ届けられてきたのが、同年九月半ば。それからは、さすがの氏康も背後が気にかかって義元をあしらいかねたらしく、十月に入ると徐々に押されてついに三島の長久保城まで落とされてしまっている。 
これは、氏康が家督を継ぐと同時期に、父を追放して家を継いだ甲斐の武田信玄の仲立ちにより、ほどなく和睦が成立しているのだが、関東方面でも九月末頃には、川越城が、里見氏と両上杉の軍に城を囲まれてしまっていた。さらには「公方家」として藤氏が加わっている。これを見て日和っていた関東の豪族のほとんどが、数の多さで圧倒的に勝る連合軍側に周り、北条にとってはまさに四面楚歌の状況に陥ってしまったのだ。 
 とはいえ、北条軍の強さを良く知る管領家のこと、戦力を小出しにしては様子を見、そのたびに北条綱成が良く奮闘して追い返すという、いわゆる膠着状態に陥り始めたのがその数ヵ月後である。 
 氏康も、川越付近へ八千の兵を率いて到着したのはいいが、あまりにも敵の数が多すぎたため、川越を遠巻きにして攻め倦んでいる、決め手になる戦機が敵味方ともに欠けていたため、その膠着状態はさらに長引いて、年を越した上についに春がまた巡ってきたのだから、城を守る側も、攻める側も何とも根気強いものだ。 
晴氏と志保も、何度手紙を出して諫めたところで一向に聞く耳を持たぬらしい藤氏を、ただはらはらしながら心配するしかなかった。 
その頃、ウンカのように川越城の周りにひしめいていた軍勢の間をかいくぐって、古河城の志保へなんとか報告しに来たのが、川越城を守っていた北条綱成の弟、福島勝広である。 
「どうか、我らの兄をお助けくださりませい」 
 彼自身は、結果的には川越の救援軍として到着した北条本隊、つまりは氏康につき従っていたものらしい。だからこそ、戦が起きている周辺を、ぐるりと迂回してやって来られたのだろう。 
 古河城内の北条館、詰めの間に集合した志保以下、北条の面々の前で、福島勝広は平伏しながら肩で息をつきつつ、 
「連合軍の数は、およそ七万と聞き及んでおりまする。我が兄も奮戦してはおりますが、あまりにも包囲しておる連合軍の数が多すぎ…かくなる上は、やはり志保様…お方様のお力をお借りせねばと。否、これは手前の独断にござる」 
「…綱成は、確か為昌の後見役に回ってくれておる方と聞いておりましたが」 
「はい、春松院(氏綱の戒名)様も、その器量を愛でられて、志保様の妹御と北条の御名をお遣わし下されました。義弟を助けると思し召されて、どうか公方家だけでも兵をお引き下されば」  
「それは、なあ…」 
 出来ない相談ではない。父である晴氏が廃嫡するとでも言って脅かせば、藤氏は慌てて陣を引き払うだろう。その案も何度となく、二人で話し合うたびに出ているのだ。だが、 
「今となっては新九郎殿のほうが、そのように助けられることを承知いたしますまい」 
二十年以上前、北条が三浦を包囲したときの事をありありと思い描いて、志保はため息を付いた。今は、あの時とは全く逆に、北条が包囲される側になってしまっている。 
 どこからも救援は来ない。いや、氏康が救援軍として到着してはいるが、七万と八千では話にならない。 
「藤氏殿も、私どもの言葉をお聞き入れなく…他に手立ては思いつかぬのじゃ」 
「お方様にも、打つ手なしと言わっしゃるか…我が兄を見殺しに」 
福島勝広は、志保の言葉にがっくりと肩を落とした。志保もまた、北条館にいる全ての者とよくよく話し合ったに違いないと、それが分かるだけに、彼の双眸にはみるみるうちに熱い涙が溢れてきた。だが、 
「落ち着かれよ、福島とやら」 
襖が開いて、古河城の主が顔を出す。皆が一斉に平伏する中を悠然と晴氏は進んで、志保の隣に座を占めた。 
「余が出る。出て、藤氏を丸め込む」 
 その言葉に、座が一斉にざわめいた。静まるようにと手の平で押さえるような仕草をして、 
「共に川越を攻めると見せかけて、公方家だけは出兵を控えさせる。ご使者が城中と連絡と取る時には、公方の陣を通り抜ければよい。藤氏が率いている兵どもに問われても、公方家の使いじゃと申せ。この晴氏が倅と共にあれば、こなたにも北条にも手出しはさせぬ…これが、余の出来る精一杯のこと」 
「はい、はい…それだけでも…感謝致しまする!」 
 晴氏の言葉を聞いて、福島勝広は涙ながらに再び平伏した。 
 こうして、北条館に詰めていた皆が、とりあえずそれぞれの部屋へ引き上げていったのが、もはや緑が鮮やかに光り始める五月十二日の夜。 
「…晴氏様、よいのでござりまするか?」 
 白い夜着を夫の背に着せ掛けながら、志保は問うた。 
「なんとか北条を助けようとして下さるお気持ちは、大変にうれしゅうございます。ですが、きっと私めの弟は、それだと余計に」 
「誤解する、か」 
「はい」 
 志保が頷くと、晴氏は苦笑して振り返り、志保の肩を軽く叩く。 
「それでもよい」 
「えっ? あの、でも、それでは」 
「子の間違いは、親が正さねばならぬ。子の過ちは親の過ち…余は、北条の力があったゆえに小弓公方も滅ぼせた。武家はともかく、民は今でも北条を親のように慕っておろう。ならば、その北条が恐れ敬う公方は、もっとずんと偉いのだと民に思われるように…そうありたいとのう、思うておったが、我等の徳は北条のにくらべると羽毛のように軽い。初代成氏から余で四代、民のことを少しでも考えることのなかった報いが、今来たわ」 
 底で再び晴氏は苦笑したが、次の瞬間、真面目な顔に戻って、 
「こなたの弟御は、この戦いにきっと勝つであろう」 
「なんと仰せられました!?」 
「よい。こなたももう休め。余も休む」 
 志保が驚いて叫ぶように尋ねた言葉を、晴氏は軽くいなして床に入った。やがて軽い鼾すら掻き始める夫の顔を、志保はまんじりともせずに見つめていたのである。 



…続く。