蒼天の雲 16



「お舅様、お召しにより、お側に」 
「おお、志保殿か」 
 志保がその枕元に呼ばれたのは、高基が亡くなる一日前である。 
(太り肉でおわしたものを…) 
この時にはもう、高基は痩せ細り、蜻蛉のような呼吸を繰り返すのみとなっていた。
志保を祖父のもとへ連れてきた藤氏に手を取られ、彼の枕の左へ座ると、真向かいには晴氏が
ムッツリと口を結んだまま、黙って胡坐をかいている。 
「梅千代王も、おるかの」 
「はい、こちらに控えておざりまする。梅千代様、ささ、おじじ様のお手を取って差し上げなされませ」 
 志保が促すと、少年に成長した梅千代王は、素直に高基の布団へ手を差し入れ、祖父の細くなった手を握った。 
「志保殿」 
「はい」 
「月日が経つのは、まこと早いものよのう…梅千代も、もう元服する年になるか」 
 孫の一人に手を取られながら、高基はしみじみと息を吐く。人払いを命じてから、「家族」だけになると、
  疲れた目を天井へ向けたまま、 
「…お許しあれ、志保殿」 
「はい? あの、なんと仰せられました?」 
しばらくして彼が発した言葉に、志保だけでなく晴氏と二人の孫も驚いた。 
「お許しあれ、と申した」 
 すると高基はほろ苦い微笑を浮かべ、己の息子と嫁を当分に見やってから、 
「こなたは、我が倅には出来すぎた嫁じゃ。おなごにしておくのがつくづく惜しい」 
「あの、それは…」 
「余も、こうなってみるまで気づかなんだ。こなたが、奥だけでもと行っていた北条の『成り上がり精神』
の遂行…倹約の心は、いつの間にか華美に流れていた表の、余が家臣どもの面目も改めたわ。武士とは本来
質素倹約を旨とするもの、腰に差すものは民を守るためのものであるとなあ」 
「…」 
「何よりも民から、『北条の御方様がいる公方家』にお仕えしておるのじゃからと、進んで頭を下げられては、
幾分なりと恥を知るものであれば姿勢を正さざるを得まいて。それはのう」 
 そこで、高基は初めて志保に出会ったときと同じ顔でニヤリと笑い、晴氏を見る。 
「この晴氏も同じ…口では北条を認めまいと頑張っておるようじゃが、親の余の目は誤魔化せぬ。…公方家と
下河辺は、こなたが嫁入ってからガラリと変わった。父を追った我が身が、今度はいつ晴氏に追われるかと
怯えることもなく…こやつめはのう、余が倒れてからはそれとのう、余が好物を枕元へ届けてくれたりも
しておったのじゃ。それもわざわざ、近侍の者には己が届けたと言うなと申して…近侍の者はその命令を
守っておったつもりであるようじゃが、たれが呉れやったのか、分からぬとでも思うたのかのう」 
「まあ…」 
(そういえば、梅千代殿が三つほどの頃であったかの) 
そこで志保もまた思い出したのだ。 
詳しい季節は覚えていないが、梅千代王丸が幼い頃、熱を出して乳母と交代で眠りについていた折、 
(いかぬ、眠ってしもうた) 
夜半でも志保か乳母がついていないとぐずるため、彼の布団の傍らに横になり、小さな体をそっと叩いて
安心させていたのだが、疲れてつい、そのまま眠ってしまったらしい。 
 慌てて起き上がろうとして、志保はふと、着せ掛けられた丈の長い小袖に気づいた。 
(誰がかけてくれやったのか…) 
しかもそれは、どうやら今しがたらしい。部屋の中には、滅多に間近では嗅がぬが、その当時の夫が好んで
使っていた香の匂いが漂っていた…。 
(あれは、やはり晴氏様が…) 
 志保が微笑って夫を見ると、いい年をしていながら、晴氏は首筋まで真っ赤にしてそっぽを向く。 
「…肉親で争うのは、弟を殺した兄頼朝殿…初代源家の血を引く故じゃと、我等はさんざ、痛罵されてきた。
だが、いよいよという時になって、我が倅も、孫も争うことなく余のもとに集うてくれた。志保殿、
こなたのおかげじゃ。感謝しておる」 
「いえ、私はそのような…勿体無い」 
「繰言ではあるが、もしももっと早うに志保殿の申すことに、真摯に耳を傾けておったらと…
民と共に生きる事を…民と肩を組み、酒をたしなむことも出来たかも知れぬの。義明とも、
このように喧嘩することなど無かったかもしれぬ。国同士まで巻き込むような大げさな喧嘩…まさにこれは
兄弟喧嘩であったからのう。よって、余は決断した。これ以上、我等の身勝手な兄弟喧嘩で、
民を苦しめてはならぬ。それには志保殿、こなたのお家に頼むのが一番じゃと」 
「お舅様」 
「そう思うて決断したら、一気に力が抜けたわ。高助の申すとおりに、最初から北条に全て任せておれば、
これほどまでに犠牲を出すことも無かったであろうなあ…関東公方足利高基、一世一代の決断じゃ。
公方など、わが身には到底負いきれる荷物ではなかったとようよう悟ったわ。その負えぬ荷をこなたのお家と
簗田へ任せて軽うして、まさに肩の荷を下ろしたような気分じゃ、ははは」 
 傍目には、与えられた地位を大らかに楽しんでいたように見えた古河高基であるが、実際に軍を
  動かしているのは関東管領であり、兵士たちは公方直々の命令を聞こうともしない。ただ祭り上げられている
  だけで、実は何の力もない己自身を、密かに嘲笑っていたのかも知れぬ。 
「肉親がこのように集うておれば、関東管領家も二つに分かれて争うことも無かった…晴氏」 
「はい。ここに」 
 高基は、骨ばかりになった左手で息子のそれを取り、梅千代王の手を離した右手で改めて志保の手を取り、
  それらを己の手の下で組み合わさせた。 
「志保殿を大事にのう…藤氏も、梅千代王も、父や母の言うことをよう聞いて、良い子での。内をがっちり
固めてあれば、外の嵐にも強い道理じゃ」 
「ご教示、我等しかと承っておりまする」 
 父の顔を見つめながら、しっかりと頷く晴氏を眺めて、 
(まこと、このお方も変わられた。否、もともと、このようにお優しい方であったのじゃ) 
志保は思った。何となくそう思えるようになったのは八重の死以後であるが、やはり彼女の死が
晴氏の素直さを引き出したのだと、志保は今この時、ようよう確信したのである。 
「これで…のう、これで安心じゃ。余もご先祖に顔向けできる」 
そしてかすかに笑って、高基は満足そうに目を閉じた。 
 こうして、公方家の名誉と権威を回復させたいと願いながら、ついに果たせぬまま、古河三代高基も
  帰らぬ人となったのである。享年五十歳。 
 時に天文四(一五三五)年十一月五日のことである。締め切っているはずの襖の隙間から、
冷たい風が忍び入るのが感じられて、早、古河には冬の気配が濃く漂いはじめていた。 
  
 古河高基が死んで、その後を晴氏が継いだ。代替わりでいよいよ緊張は高まるかに見えた関東だが、
小弓公方側には動きが見られなかった。というのも、一応は主戦力であった扇谷上杉当主、朝興もまた、
病に憑かれて褥に臥していたからである。 
 この時点で、扇谷上杉のものであった岩付城、江戸城も北条側に落ちていて、太田資高などは氏綱の
一女をもらいうけて娘婿にさえなっている。頼りになるはずのもう一方の管領家、山内上杉の跡継ぎであった
憲政も、上野平井城に収まってはいるが、政治上の事を相談できるほどには成長していない。加えて、 
「自分は氏綱に一勝も出来なかった…」 
ということが、彼の精神に負担をかけたのかもしれない。 
北条側も北条側で、朝興が倒れたこの時こそ、と思った者も多かったには違いないが、動けぬ理由が
あったのである。姻戚関係にあったはずの隣国駿河領主を、早雲の甥で今川中興の名君と言われた氏親の次男である
義元が継いでから、同盟関係にあった両家間の事情が怪しくなってきた。 
今川義元は、言うまでもなく、後に織田信長によって桶狭間で首を取られることになる人物である。彼は、
先だって氏綱が関東へ攻め入った折、扇谷朝興の懇請によって氏綱に敵対した、甲斐武田信虎の娘を
嫁に迎えた。このことが、 
「早雲入道の血をわけていながら…」 
と、北条家の者の神経を逆なですることになり(氏親は早雲の妹の子)、氏綱自ら、駿河河東郡吉原へ
出兵していたのである。 
 これが天文六年二月二十六日のこと。いわゆる「河東の乱」で、この時氏綱は、文字通り今川領であった
富士川以東の河東郡を手中にし、意気揚々と小田原へ引き上げている。この時もまた、「敵の中に味方を作る…」
作戦を実行し、北条側に寝返った豪族の一つ、堀越氏(堀越公方とは別)の室に、己の娘の一人である崎姫を入れた。
結果的に、この乱は氏綱が亡くなる天文十年の後、天文十四年まで続くのだが…。 
 この報せを病床で受け取って、扇谷朝興は少なからぬ打撃を受けた。己にあまり力の無い事を認めたくは無いが、
認めざるを得ぬがゆえに、北条が己以外の敵と戦ってその戦力を大幅に消耗させることを期待するという、
傍から見てもなんとも武士からぬ儚い希望にすがっていた彼は、その二ヵ月後の四月二十七日、
死に臨んで息子であり、まだ十二歳でしかなかった朝定を居城である川越城の枕辺に呼び、 
「父に代わって北条を倒せ」 
と、苦しい息の下から繰り返し言って聞かせたそうな。これも享年五十歳であった。 
 それを古河公方側の間者よりいち早く伝えられて、 
「今こそ…」 
北条家の者が奮い立ったのは言うまでも無い。扇谷、山内両上杉の当主は双方若年、
「これにつけこまぬ手は無い…」と、今川義元と戦ったその半年も経たぬ天文六年七月、氏綱は
まさにその川越城を落としてしまったのだからすさまじい。息子の朝定は家臣に守られながら
松山城へ敗走、以後、その城を居城とすることになる。 
 こうした一連の動きには全て古河公方からの「勅許」を得ており、 
「古河公方に対するものを討つ」 
と言い言いしながら、氏綱は戦に赴いたという。 
ともかくもこの川越城が、これより北条家の関東切り取りの際の拠点となった。これによって、
古河公方との連絡も取りやすくなったのだが、 
「山内、扇谷双方の当主は若年ゆえ、北条のものもここいらで許してやってはくれぬかのう」 
 驚くことに、古河晴氏から和睦が言い出されたのもその年内なのである。 
「貴方の叔父御(古河公方から山内上杉に養子に入った高基次男、憲寛)を追い出した家ですぞ」 
 その言葉に驚いたのは、むしろ穏健派であった簗田高助であった。だが、藤氏と梅千代王が共に
  中庭で剣術の稽古をしているのを志保と共にその縁で眺め、目を細めていた晴氏は、 
「両上杉は、長らく関東管領として我が家を助けてくれていた。双方、誤解はあったが、ここで
余がさらりと恨みを流して両家を受け入れたなら、きっとまた助けてくれよう」 
と、首を振って言うのである。 
「北条の者には、余の声に合わせて奥(志保)が言い添えれば、きっと聞き入れてくれよう。それだけの耳を北条は持っておる」 
「はあ、それは…左様にござりましょうが」 
 これが今までの「若殿」であろうかと、しばらく目を丸くしていた高助は、 
「いえ、はい、では早速に、両者をお館へ呼びまいて、和睦の儀を」 
晴氏が頷くと、これも心底納得した、嬉しげな表情で廊下を渡っていく。 
 こうして、いつの頃からか「宿敵」となってしまった北条と、両上杉の和睦の儀式が、古河晴氏の
  仲立ちで形ばかりに行われたのが四ヵ月後の十一月。この時に、 
「晴氏様ですら、一度は公方家に背いたご両家をお許しあった。それゆえ、北条家もそのお心に背きがたく、
応じたわけでござるが」 
古河城で共に饗応の膳に預かりながら、ぎらりと目を光らせて第一声を放ったのは、北条新九郎氏康である。 
「扇谷朝定殿、いまだ若年につき、川越城は我等がお預かり仕る。いずれご立派に成長なされた暁には、
喜んで返上申し上げよう」 
一気にその場の空気が険悪になり、両上杉の主だった家臣が思わず立ち上がった。 
「…まあ静まられよ」 
 それらへ、上座にいた晴氏が声をかける。しぶしぶ座った上杉家の重臣たちへ、 
「我が室に入っておる北条が姫の弟御が申すことゆえ、嘘は無かろう。ここはこの晴氏に免じ、
両者連携して公方家を助けてくれぬかの」 
 仮にも関東公方にそう言われては、両上杉も引き下がらざるを得ぬ。こうして翌年の天文七年には、
晴氏の要請により、奇しくも長年の宿敵同士が協力して小弓公方討伐に向かうことになるのだが…。 
「姉上」 
「おお、これは新九郎殿」 
 その氏康が、強張った顔で北条館を訪ねてきたのは夜中に近い時刻だった。案内してきた侍女が襖を閉めるのを待って、 
「もうお休みあったかと思うておりましたが、なんぞ御用かや」 
「姉上こそ…いや、お休みであればこのまま失礼させて頂こうと考えておったのじゃが」 
 姉も、今日の首尾が気になってかどうかは分からぬが、眠れなかったらしい…そう思いながら
氏康は文机に向かう彼女の白い手を見る。 
「本日のこと、晴氏様からお聞き及びかもしれませぬが、この氏康」 
「…はい。聞きましょう」 
 志保も、父氏綱への手紙へ走らせていた手を止め、襟を正して弟に向き直った。 
「こたびの和睦に、心から服したわけではござらぬこと、姉上だけには口上で伝えておこうと。
扇谷朝定殿が『ご立派に』成長なされぬ時は、そのまま北条が預かる…一度目は許したが、二度目はない」 
「そのようなこと」 
 百も承知である、と、苦笑しながら白い片手を顔の前で振った姉を遮って、氏康は続ける。 
「いや、姉上にはお分かりであろうが、念のため…そして氏康が何ゆえ服せぬか、そのわけをお聞きあれ」 
「ただの『叛骨』ではない、他に理由があるのじゃ、と、そう仰せかや」 
「御意ッ!」 
 志保が思わず頬を引き締めたほどに、弟の言葉は押し殺してはいるが鋭かった。 
「姉上、我等が何も知らぬとお思いか。この氏康、そのことで姉上がどれほど辛い思いをなされて参ったのかと、
そう思うだに胸が潰れる」 
「…はて何のことやら」 
「父上には告げてはおりませぬ。どうか姉上、この弟だけにはトボけず真実を…梅千代王と名づけられし
晴氏様のご次男、我等の甥ながら甥ではない…違いませぬか」 
「…」 
「姉上ご出産と同じくして八重が亡くなっておる…八重は、我等にとっても姉同然。その姉が突然、
何故死んだ。先だっては我等が若年じゃからと口を硬くつぐんで『血の道の病におざる』としか答えなかった
北条の小者、怪しいと思うて刀にかけて問い詰めまいたら一切を白状しまいた。姉上!」 
 いつしか志保の両手は、わが身を抱き締めながら真っ白になっている。それへにじり寄って、
  新九郎氏康は姉の肩を両手で強く掴み、揺さぶった。 
「氏康と共に、小田原へお戻りくだされ。貴女様の血を継ぐものはここにはおらぬし、公方の奥方という
地位に恋々としがみつくようなお方ではないこと、氏康は重々承知しておる。何よりも、貴女と八重を
このような目に会わせた張本人が、のうのうと関東の公方という地位にあるなどと…そのようなことが
許されてなるものか。少なくとも、天国におざるおじじ様なら決して許されはしますまい。
目の前の一人を幸せに出来ぬものが、万人を幸せにせねばならぬ地位にあって、それを果たせるわけがない」 
「…新九郎殿」 
「はい」 
「私はなあ、そのおじじ様と約束しましたのじゃ。公方様を頭に頂いて、争いの少ない坂東平野にしてみせると。
その約束は未だ半分も果たせておらぬが、ようよう見通しがついてきたところじゃ。こなた様は、
お小さい折の姉との約束を見事果たされたが、この姉は未だ…約束は、守らねばならぬ。のう?」 
 志保は、そこで手を指きりの形に小指を立てて弟の目の前で軽く振りながら、やっと微笑った。 
「しかし、姉上」 
「晴氏様もな、八重のこと、今は深く悔いておざる。そもそもはこの上なくお優しいお方…それを他へ
どう表せばよいのか分からず、意地を張っておられただけのこと。なあ、新九郎殿」 
「…はい」 
「人は何度でも変わることが出来るのじゃ。今の晴氏様をご覧になれば、おじじ様なら、きっと
お許しくださろう…私のことなら心配なさらずとも良い。それよりもこなたは、今川から迎えたはとこ
(氏親の娘、義元の妹。この時氏康の室に入っていた)殿を悲しませぬよう、お大事にさっしゃれ」 
「…分からぬ」 
すると、氏康はすっくと立ち上がり、襖へ手をかけながら姉を振り返った。 
「我等にはやはり分かりませぬ。我が姉に…北条の誇る一の姫へ晴氏様がした仕打ち、我が胸だけに
収めてはおきまするが、晴氏様に我等が心服致すこと、もはやござらぬ。失敬」 
「お千代殿っ」 
 姉の叫びにもはや答えは無く、襖はぴしゃりと閉まる。追いかけることはせず、志保は吐息を一つついてから、
  再び文机へ向かった。 
(無理もない…お若いゆえ) 
 己を今でも慕ってくれているその気持ちはありがたいのだが、あの事件を経て晴氏と彼女がようやく
夫婦らしくなったということと、わずかながら積み上げてきた目に見えぬものがあるということを、
そのまま若い氏康にも理解しろと言うのは無理な話かもしれぬ。 
(まあ、ようよう…時が経てば新九郎殿にもお分かり頂けよう) 
 志保が苦笑しながら書き上げた父への手紙を、小田原へ引き上げていく北条のものへ託した天文六年も
じきに明け、晴氏からの勅命を受けた北条軍は、いよいよ小弓公方討伐へ向かった。下総(千葉県)の
国府台城一帯で繰り広げられたこの戦を、第一次国府台合戦と呼ぶ。 
 この戦は、北条の「成り上がり精神」に基づく意見が容れられて、農閑期に差し掛かった天文七年十月七日、
北条軍が無事に海を渡ったと同時に火蓋が切って落とされた。 
「さて、我等も備えねば」 
 その報せを上機嫌で受け取ったちょうどその頃、古河晴氏は、嫡子藤氏と共に、かねて用意させていた鎧を身につけていた。 
「公方御自ら出られずとも」という意見もあるにはあったが、 
「余は公家ではのうて、武士の棟梁の連枝ゆえ」 
それを聞いて、彼は言って笑ったそうな。 
 今こそ父の遺言通り、小弓公方を北条と挟撃して滅する、と、主が張り切っているため、
それは下々に至るまで伝播して、 
「おお、奥、参ったか、ささ、これへ、これへ。この傍らへちょと立ってみよ」 
「あの、これは一体?」 
秋の半ばだというのに熱気渦巻く城内を、表へ呼び出された志保は、晴氏の隣にある新しい鎧を見て目を丸くした。 
 藤氏も、すでに己の鎧を着こんでいる。継母と父を当分に見やりながら、その顔にはいたずらっぽい表情が
浮かんでは消え、浮かんでは消えしており、 
「もしや、梅千代様のものではありませぬなあ?」 
 もう一人の子のものにしては、中途半端に大きいし、赤く塗られてあるので少しく派手である。志保が首をかしげると、 
「申したであろう。梅千代王は我が城の守備に付かせる」 
晴氏は耐え得ぬもののようにニヤニヤと笑った。 
「これはの、こなたのために誂えた」 
「あの、私の? そ、それはまた」 
「そのように、豆鉄砲を食ろうたような目を致すな」 
 妻の慌てふためく様子に、ついに晴氏は吹き出した。 
「二十年ほど前のこなたの活躍、つぶさに聞き知っておる。ありゃ、済まぬ済まぬ。もう笑わぬゆえ」 
 彼女の顔が、余程おかしかったらしい。藤氏と共にひとしきり笑って、志保が気を悪くしたように頬を
少し膨らませると、やっと夫は笑いを納め、 
「こたびもまた、家々を焼け出されたり、傷ついたりした民の救護の任に当たって欲しい。これは公方より、
一人の武将としてのこなたへの命令じゃ。…よもや、老いたゆえ出来ぬとは申すまいな?」 
「はい…はい! 誓って承りまする」 
「…戦の合間にのう」 
 志保が平伏すると、晴氏は彼女が今までに見たことの無いような、優しい目をして彼女を見つめた。 
「こなたの父御に会わっしゃるがよい…妻をその父御に、嫁入ってから一度も会わせもせなんだ甲斐性のない
夫御よと、そう申されるのも癪ゆえ。報告の任務も兼ねて与える」 
「…晴氏様」 
「さて、我等もいよいよ出陣じゃ! 関東の長たる公方家が、北条に遅れを取っては後々の名折れ!」 
 妻の感謝の眼差しに、晴氏はまた照れ隠しのように叫んで、廊下へ出て行く。その後を藤氏や千葉氏、
簗田高助などの郎党らが続いてゆき、やがて城外からは天を突くような喚きが聞こえてくる。 
 さて、こうした北条、古河公方側の動きに対して、小弓側はどうであったろうか。 
 海に面した小弓城で、これらの大軍にあたるのは得策ではない…との真理谷信応の言葉を容れて、
合戦の始まる一日前、小弓義明は里見義尭と共に国府台城へ入っていた。 
 この里見義尭、一時は北条の支援を受けていた。家督争いをしていた従兄の義豊を天文二年に殺害し、
この時点では里見家を継いでいる。だが、これも反覆極まりない関東の情勢が、彼をしてすぐに北条を裏切らせた。
そして今は、小弓公方の元にいるというわけだ。 
 真理谷信応も、出自の低い母から生まれた庶兄、信隆が家督を継いだことに不満を持っている。それゆえに、
小弓側に味方したのだが、 
(北条側の兵力は二万、我等が一万…戦は兵の数ではないと言われるが、ちと厳しいの) 
城の一室で開かれた軍議の間、 
「北条がこちらへ参るには、江戸川を渡らざるを得ませぬ。ゆえに、彼奴らめが川を渡りきらぬうちに、
攻撃を仕掛けるのがよいかと」 
隣で得意げに話している里見義尭をちらりと見やって彼は思った。 
 義尭の提案は、至極最もである。だが、 
「北条など、何するものぞ。足利一門へ本気で弓を引ける輩などいまい。それへは余が自ら当たる。
公方ともあろうものは、こせこせと致さぬもの。彼奴らめが川を渡りきって後、堂々と相手をしてやれば
よいのじゃ。足利の武勇をもってすれば、北条などひとひしぎであろう」 
 やはりそこは公方の血筋で、世間と言うものを知らない。加えて、小弓義明は言い出すと聞かない性質を持っている。
思わず二人は顔を見合わせて苦笑した。 
「承知。公方様御自ら敵に当たられることは、兵どもの士気を高めることにもなりましょうて」 
 真理谷信応が苦笑の吐息と共に言うと、その後を続けて、 
「ではその間に手前、北条に裏をかかれぬように間道を確保致す」 
里見義尭もいささか情熱を失ったように言い添える。 
(…はて、もしやこやつ) 
 真理谷信応が、ひょっとすると里見義尭は裏切るかも知れぬと思ったのはこの時である。だが、その後すぐに
戦準備へかかるようにと義明が言ったので、そのまま過ごしてしまったのだ。 
 何せい、里見義尭はすでに家督を継ぐという目的を果たしてしまっている。そうなると人間、たれしも
負けると分かっている方にはつきたくなくなるというものだ。 
 こうして、結束を固めている北条側と、いささか足元がぐらついている小弓側が争い始めたのだから、
結果は推して知るべしである。 
 優位に持ち込める作戦をわざわざ放棄して、北条軍が川を渡りきってから、国府台城の北、相模台で
「堂々と」これを迎え討った小弓義明は、最初のうちこそ優勢であったものの、結局数の上で勝る北条軍に押され始めた。 



…続く。