奇骨賛歌 13


「徳崖が和州に現れたのは、奴が潜伏していた濠州が飢饉に陥ったからです」
これもため息をつきつき、子興を送ってきた徐達が言うことには、
「我が主君より、徳崖率いる軍隊のほうが数の上で勝っていた。無用な争いを避けるため、我が主君は
やむなく徳崖を受け入れたのです。徳崖のことは、それからとっくりと考えるおつもりだった」
ということになるらしい。
そこへ、何の前触れもなく子興が現れたものだから、
「我が主君は大変に驚かれ、親父殿(子興)の軽挙をたしなめたのですが、後の祭りで」
案の定、孫軍と郭軍が小競り合いを始めてしまった。もともと九敵同士なのだから当然といえば当然であろう。
この小競り合いで孫徳崖も郭軍に囚われたが、悦の夫、朱国瑞も相手側に囚われてしまった。親玉である
徳崖と国瑞の交換を希望してくる孫軍に対し、徐達や湯和といった武将たちが当初、
「俺たちが身代わりになります」
そう言ったのであるが、
「こちらも親分が囚われているのだ。下っ端風情が身代わりになるなど論外である」
と、孫軍側もがんとして受け付けない。
頬の肉がほとんど無くなってしまうほどに子興は逡巡し、ようやく、
「徳崖と娘婿を交換しよう」
小さな声で言った……。
以上の報告を終えた後、
「我々は和州へ戻ります」
徐達らは早々に国瑞の元へと帰っていった。子興を送り届けるのとほぼ同時に、元軍十万が、和州城を
囲んだという報されたからである。
こちらは国瑞によってなんなく破られ、勝利の報せが?州へもたらされたのだが、
「お前の夫は相変わらず大した奴だ。それに比べて俺は……いくさは弱い、人をまとめられぬ……人の上に
立てる器ではなかったのだな」
それを聞き知った子興は、?州城の一室の天井を仰ぎ、弱弱しい笑みを養い子へ向けた。
この部屋へ運ばれていく途上、偶然すれ違った実の娘の珠はといえば、その折に冷たい一瞥を向けたのみで、
父の呻吟する病床には近づこうともしない。
「お前の夫を、もっと信じれば良かった。俺はまことにつまらん男だった。己を知らなさ過ぎた」
「そんなにご自身を責められますな」
布団の上からそっと養父の身体を叩いて、悦は微笑を浮かべた。
すると養父は目を閉じ、
「悦よ。俺はお前にとって良い父であったか。あの世で馬の奴に会った時、胸を張れるだろうか」
深く息を吐いて言うのである。
「また不吉なことを」
眉をひそめながらの悦の言葉を聞いて、
「そうだな。あいつはきっと生きている。すまなかった」
彼は目を閉じたまま片方の唇をぐいと上げてニヤリと笑い、
「もしもあいつに会えたら、言いたかったことがあるのだ。お前が伝えてくれるか」
「はい。謹んでお聞きします」
やせ細った養父の手をぐっと握り締めながら、悦は頷いた。
「悦よ。そんな風に堅苦しすぎるのが、お前の唯一の欠点だ。そんなところも、お前の親父に良く似ている」
すると養父は再びニヤリと笑い、
「……馬の奴に、お前と共にもっと騒ぎたかった、と。ごろつきどもらと南京をうろついたり、奴に助けられたり
……あの頃が、一番楽しかったと告げてくれ」
かすかな声で告げた。ついで大きく息を吐いた後、
「喉が渇いた」
言って、口を結ぶ。
「承知いたしました。何かお持ちしましょう」
悦は頷いて、側に控えていた郭家の者へ目で知らせた。そして彼女が再び養父へ視線を戻した時、
「……ありがとうございました。親父殿」
己が握り締めている養父の手に、何の力も残っていないことに気づいて、悦は震える声で感謝を述べたのである。
時に至正十五(一三五五)年三月。郭子興、享年五十四歳。彼の死後、彼の妹婿である張天祐や、彼の
次男である郭興が所有していた軍隊は、朱国瑞に吸収されることになる。
その死を知らされて、
「……そうか。親父殿は、ついに逝ったか」
悦によって書かれた書状へざっと目を走らせた後、和州にあった国瑞は天を仰いで大きく嘆息したものだ。
ついで、
「悦は、どうしている」
と尋ね、常のごとく城内の采配を振るっていたと徐達が答えると、
「あまり無理をするなと伝えろ」
苦笑してそれのみを告げ、韓林児からの使者へ向き直った。
改めて述べるが、韓林児が、今は白蓮教の「教祖」である。言うなれば中国全土に散らばっている紅巾軍
の総大将というわけだから、
「あまり粗雑にするわけにはいかぬ」
煩わしいことの嫌いな国瑞は、古くからの仲間にこっそりと零した。形式上は己も白蓮教徒の一員として戦っている
のだから、建前だけでも敬っているという態度を示さねばならない。
果たして、国瑞の出迎えを受けた韓林児の使者は、
「郭子興の次男、興を都元帥に、妹婿である張天祐、娘婿である朱国瑞をそれぞれ左右副元帥に任ずる」
尊大に顎を反らし、告げた。
かつてちらりと述べたが、紅巾軍の、いわば「本家本元」だったのが、韓山童であった。彼が元軍との
戦いに敗れた後、腹心である劉福通が、その遺児である林児を立てたのだ。
(どうせ親父と一緒で、すぐに元軍に破れるだろう)
と思われていたかの軍隊は、意外なことに勢力を盛り返したばかりでなく、林童の頃以上に力を付けてきた。
今ではその「国」の名を大宋としている。
ために、
「元がいまだに余力を保っていると言うのに、新しい国の名など名乗っている場合か。少しばかり勢いを
取り戻したくらいで、なんとおめでたい連中だ」
調子に乗るな、と、古くからの仲間へは苦々しげに零し、
「大丈夫たるものが、そんな奴らがくれた爵位などに食指を動かすものか。俺は要らぬ。辞退するよ」
吐き捨てるように続けた国瑞も、大宋が用いている、龍鳳という年号だけは、渋々ながら用いることにした。
繰り返しになるが、形式上はやはり己らも白蓮教徒であるし、この「総元締め」が、現時点では日の出の勢いで
あることは事実だったからである。
それに、
「奴らも我々の活躍を認めているということでしょう」
徐達も苦笑しながら言ったように、なるほど、使者が濠州紅巾軍の元へやってきたということは、彼らのほうでも、
力のある国瑞らを取り込んでおくのが得策であると考えたからに相違ない。
そのことをむろん、国瑞本人も良く分かっている。ために、
「兄貴(郭興)と叔父御(張天祐)はどうするつもりか知らんが、ともかく、俺は爵位を受けぬよ」
これまた苦笑しながら答えたものだ。
このように、気骨が折れる交渉もあるが、その一方で吉報もあった。
翌五月には、常遇春と名乗る者が、続いて、言葉は悪いが巣湖に「巣食っていた」廖永安、兪通海の二名が
帰属してきたのである。
巣湖は安徽省中央に位置する四県(巣県、肥西、肥東、廬江)にまたがる、面積七八二平方キロメートルの
広い湖である。別名焦湖、鳥の巣のような形をしていたので、巣湖と呼ばれたらしい。
これらにも湖賊がいる。つまり廖永安、兪通海の二名がそれに属する者であり、いわゆる水寨を営んでいたと
いうわけだ。
「ちょうど湖を渡りたいと思っていたところだから、これぞ渡りに船というやつだろう」
幸先が良い、と喜ぶ国瑞へ向かって、常のほうは、
「群盗の劉聚のところにいましたが、彼は己を義賊と言いながらその実、人から掠めるばかり。
嫌気が差していたところ、夢で、貴方こそがお仕えべき主君であると告げられたのです」
と言い、他の二名のほうは、
「敵対しているさくんひつ左君弼から、我らを守ってもらえると思ったからです。ただ、仲間の一人は
徐寿輝のほうへ行ってしまいましたが」
何とも正直に事情を告げたものだから、周囲の微苦笑を誘った。
ともあれ、これで水軍の体裁も整ったわけである。全軍の士気はいよいよ上がり、
「この地方を守る元のばんしかい蛮子海が牙を屠り、長江を渡ろうではないか」
という国瑞の言葉にも喚声で答えた。
実に、ここからの「濠州紅巾軍」の活動には眼を見張るものがある。
六月には蛮子海牙を破り、勢いに乗って長江を渡って江東へ到達、その地方の一都市であった太平を陥落させた。
ここで治安を安定させた後、太平興国翼元帥府を置いて、国瑞が自ら元帥となったのである。
以降、彼はこの都市を中心にして元軍を駆逐した。つまるところ、この都市が江東における「出城」ということになろう。
占拠したばかりのこの時点では、四方は未だに元軍に囲まれていたが、
「城内の略奪、民への乱暴を一切禁じているし、元軍側の将軍でも、忠義の士は手厚く葬っているから、
皆が懐いてくれるのも早い。そういった噂は四方に広まるものであるから、我が軍の勝利は時間の問題であろう。
江東は温暖で、景色もいい。おまけに豊かな穀倉地帯であるから、ここを押さえておけば食料も心配は要らない。
いずれお前も共に連れて来たいが、その前に一度和州へ戻る」
じょ州にある妻の馬悦に送ってくる手紙の内容は、相変わらず意気軒昂である。
夫の手紙には続いて、
「俺にとってのお前は、福の神であったかもしれない。お前を嫁にもらって良かった」
とあり、「誰にも見せないように」と結んである。そのくだりを読んで思わず微笑を漏らしていると、
「姐様、私はあばた殿が戻ってくるのと合わせて、和州へ参ります」
傍らに座っていた義妹の郭珠がいきなりそう言った。
至正十六年秋、国瑞と悦の間に、標と名づけられた長男が生まれて一年あまり経った頃のことだ。
悦が読んでいる手紙へちらちらと視線を走らせていたから、その内容を垣間見でもしたのであろう。
元軍の囲みを突破した国瑞は、ばんしかい蛮子海が牙を破って敗走させたばかりではなく、元軍の
その他名のある諸将を捕らえては、その配下の兵士たちを自軍側へ取り込んだ。投降したばかりで、
「俺達はやはり殺されるのではないか」
疑心暗鬼になっている兵士たちの前で、平然と鎧兜を脱ぎ、天幕の周りを彼らに警護させてぐっすりと寝入ったという。
そういった「方法」を取られたなら、どんな敵でも心服するであろう。果たして国瑞に投降した兵士たちも、
「この大将なら信頼できる」
といった具合に、安心して仕えるようになったのだ。
そういった評判も、戦乱の世の中では大げさに伝わる。こちらが出向かずとも向こうから投降してくることが
多くなり、国瑞の軍は雪だるま式に増えた。その軍隊でもって、濠州紅巾軍は集慶路を落とし、この都市を
応天府と改めた。
そしてついに至正十六年七月には、皆の請願を受けて呉国公となったのである。
(やれやれ、私は呉国公夫人ですか)
当然ながら、その報せはあっという間に広まった。現金なもので、じょ州城内においても、これまで悦には
目もくれなかった連中が、手のひらを返したように擦り寄ってくる。
戦闘向きではないからと?州に残された胡惟庸などはその典型例だった。彼は悦の下について、郭家の人々の
世話をするよう、国瑞へ命じられていたのであるが、
「あの大脚女が」
陰でそんな悪態をついていることを、悦は無論知っている。
ご存知の向きもあるだろうが、この国では脚が小さければ小さいほど、美人であるとされた。纏足をする前に
実父と別れた悦は、纏足をしないまま育てられたため、
「よくもまあ、あんな大きな足でうろうろと歩き回れるものだ」
胡惟庸が言うように……つまり、ごく自然に……足は成長したというわけである。
この胡は、かつては悦の結婚相手候補の一人であったが、悦はまるで相手にしなかったし、彼女の養父である
子興も己を娘婿とは見ずに、国瑞へ嫁がせたため、
「あんなあばただらけの男を婿にするなぞ、人を見る目のない奴だ」
かなり拗ね気味に言い、さらには、
「馬の娘は俺の一族の仇だ。それを、嫁にもらってやることで忘れてやろうとしたのに、器の小さい奴らだ」
とも吐き捨てた。心ある人は眉をしかめ、そのことを悦や郭珠へこっそり耳打ちもしたが、
「彼の言っていることは、事実ですから。私の父は、人殺しなのですよ」
悦は言って、穏やかに微笑むのみである。
さて、国瑞からのこの手紙も、媚びた笑みを浮かべた胡惟庸によって持ち運ばれたわけであるが、
「それは何故ですか」
突然、己も和州へ行くと言い出した義妹へ、手紙をたたみながら悦は問い返した。
それに対して、
「物見遊山のつもりで行くわけではありません。あばた殿の邪魔もしません」
おぼつかない足取りで己の膝へ捕まる義姉の子を見ながら、そのふっくらした頬を撫でて珠は言ったものだ。
「答えになっていませんよ。それに、あばた殿は恐らく、私に和州へ来るように言っているのですよ」
この義妹は、最近ますます心の内を見せぬことが増えた。固く唇を結んだ顔はいよいよ美しい。
その顔を悦へ向け、固い表情のまま、
「悦姐様。どんなことがあっても、私を信じてください」
珠は言い、「明日、早速和州へ向かいます」と告げて、さっと椅子から立ちあがった。
「珠。一体どうしたのですか。もしも気にかかることがあるなら、私に仰ってください」
引き止める義姉の言葉には振り向かず、
「姐様。ごきげんよう」
戸口で一瞬立ち止まった珠は、背を向けたままそう言ったのである。
そしてこれが、なさぬ仲とはいえ仲良く過ごしてきた姉妹の、永遠の別れになるとは、さすがの悦も
思わなかったに違いない。
夫の国瑞が、呉国公となって和州へ凱旋してきたという報せを聞いたのは、その直後のことである。
自分も我が子の標を伴って和州へ来いと言われると思っていた悦は、
(はて、一体どうしたのか)
今回は、数ヶ月経ってもその徴候すら感じられないのに気づいて、首をかしげていた。
「あばた殿は、身の回りのことなど不自由されていないのですか。何故、私を呼ばれないのですか」
戦勝報告をしに来たのだと、懐かしげに挨拶をする徐達へ向かって悦が言うと、
「いえ、それは」
正直なこの武将は、どこか苦しげな顔をして下を向く。
女のカンと言うものであろうか、その様子に、
「仰ってください。仇には聞きませんから」
その正体は分からないが、薄ら寒ささえ覚えながら、悦が励ますように促すと、
「……親父(国瑞)殿は、側妾をもうけられまして」
しばらく経ってようやく徐達は答えた。





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