奇骨賛歌 8



 三 あばたの重八

さても、周囲一帯の賊を退治すると豪語した朱重八は、彼の言葉どおり、数ヶ月も経たずに
それを成し遂げてしまった。
意気揚々と定遠の郭邸へ戻ってきたかと思うと、
「邸内には一歩も入るな。俺達はかの家の客ではないし、郭公へ報告も住んでいない。俺達は、この地方だけでなくて、
他の州をも民衆の手に取り戻すためにやってきた、正義の軍隊なのだ。たとえ使用人といえども、郭家の奴らを
怖がらせてはならんし、また面倒をもかけてはならん」
兵士たちへそう言い聞かせたらしい。
そんな彼に、
「貴方様の服をお貸しください。私が洗いましょう。ほころびておりましたら、繕います。兵士の方々の分も、
お気軽に仰ってください」
悦は言って、両手の掌を上へ向けて差し出したものだ。
重八のほうは、しばらく丸い目をして彼女を見ていたかと思うと、
「……フン」
鼻を鳴らした。その顔が心持ち赤くなっているのを見て、悦は微笑し、
「お腹はお空きではありませんか。貴方様の軍のお食事も、私が作りましょう」
続けて言うと、
「頼む」
重八は彼女に背を向けながら、黒光りしていた衣を脱いだ。そして口の中で、「ありがたい」と、
小さく呟くのである。
ちらりと覗いたその表情が、初対面の時よりも穏やかになっているところを見ると、どうやら彼は、
照れくさがっているらしい。面と向かって礼を言うのには慣れていないのであろう。
重八の軍隊は、それから半月あまり邸宅前に滞在していたのだが、あくまで慎ましく、さりげなく
世話を焼いてくれる悦を、兵士達はいつの間にか、
「お袋様」
と呼び、慕うようになっていた。
中には悦よりも随分と年上の人間も居たのだが、そんな人々も悦をそう呼んだということは、
(やはり戦いに出るというのは辛いのだ)
悦も悟ったように、どんな戦いであれ、人の心に陰りをもたらさないものはない、ということであろう。
兵士達は何よりも、暖かさに飢えているのだ。
重八のほうもまた、
「あまり即物的な人気取りはするな。軍隊の親玉は俺だ」
憎まれ口を叩きつつも、
「この間の飯は美味かった。だが、あまり手間をかけてくれるな。飯を作るお前が倒れてしまっては、
元も子もない。多少は拙くともよいし、簡素なものでもよい。また明日も作ってくれ」
悦に少しずつ心を開いていくのが、その言葉から分かる。
そして自ら撤退すると決めた期限がやってくると、
「ではこれにて。我らは子興殿の元へ戻ります。元のやつらは、今度は俺たちの軍を狙ってくるかもしれない。
郭子興殿からも疾く帰れと言われたので」
重八は、郭家の主だった人々を前に、そんな挨拶をしてあっさりと濠州へ戻っていった。
時に、至正十二(一三五二)年九月のことである。
近隣の徐州では、かの李二らが元軍に敗北して徐州紅巾軍は事実上壊滅したらしい。将であった趙均用、
彭大らは、情けなくも郭子興のいる濠州紅巾軍の元へ逃げていった。李二は逃亡中に死んだという。
先ほど重八が、「元が次は自分たちの濠州紅巾軍を攻めるかもしれない」と言ったのはそのためだ。
ともかくも、趙、彭の二人と比べると、
「重八殿の、まことに鮮やかなお手並みに去り際であることよ」
ということになるらしく、
「人は見かけによらぬもの、というのは、彼のためにあるような言葉ではないか」
郭家の中でも重八の印象は一気に覆されたようである。
「意外に学も人情もある人だとは思いますが」
それやこれやを使用人から聞かされて、郭珠はしぶしぶ、といった風に認めた。
「郭家を護れ」
と、重八から言い付かった兵士たちは、まだ郭邸付近に残っている。その「むさ苦しい」兵士達は、
重八が去って半年経った今も、一歩たりとも郭邸内へ入ってこない。
そんな彼らへ、馬悦は相変わらず、
「お疲れ様です。毎日わたくしどもをお護りくださってありがとう」
などと声をかけながら、手製の粥を振舞ったり、時には郭家の使用人も動員して、兵士らの衣服を洗い張り、
そのほころびを繕ったりしている。
それとは対照的に、同じ郭家の一員であるはずの義伯母やその子らは、自分たちを護る兵士たちをさえ
相変わらず怖がって、屋敷の外へ一歩も出ない。養母である張第二夫人の様態も、なかなか快方に向かわなかった。
そんなこんなで自然、悦が郭家の内外のことを取り仕切る立場になってしまった、というわけである。
養母の介護と、兵士たちの世話、そして男手がほとんどといっていいほどいなくなった郭邸全般の世話、
そんな風にくるくるとよく動く悦に、
「でも、それは悦姐様だからできること。私にはやはり無理です」
郭珠は首を振りつつ、心から感嘆したように言うのだ。
「それはよく分かりますよ」
それに対して、悦は苦笑で答えた。己だとて、もしか金に不自由のない生活をしていたならば、とてもではないが、
兵士たちの中へ入っていく勇気はなかったに違いないのだ。
郭珠は唇を尖らせたまま、
「姐様は、やはりかのあばた殿へ嫁がれるのですか。私は嫌です」
多分に甘えの混じった声で続ける。
この義妹は、かねてから重八を密かにそう呼んでいたのだが、本人がいなくなったからと、今ではもう
大っぴらにそう呼んでいた。主人の娘がそう呼んでいるのだからということで、郭家の使用人たちも、
「あばた殿は、あれでいて兵士たちに慕われているそうな」
「先だって、あばた殿に、顔色がよろしくないようだが大丈夫か、と心配していただいた。たちの悪い風邪を
引き込んだのだと言うたら、ほれ、これが頂いた南京の薬だ。良く効くから飲め、と言って下さってな」
などと大声で噂している。
さても郭珠であるが、
「この家は、今はもう、悦姐様一人でもっているようなもの。なのに、あの従兄妹たちときたら未だに
それを認めない。悦姐様に出て行かれてしまったら、世話をしてくれる人が居なくなって兵士達は
逃げてしまうのではありませんか。そうなれば、郭家がたちまち賊の餌食になってしまうのは明らかです。
きっと従姉妹や伯母たちは、自分たちだけで逃げてしまうでしょう。私は一人になってしまうでは
ありませんか。それはあんまりです」
まだ起きもしないことへの不安を述べ、赤い頬をぷっと膨らませてしまった。
「そのようなことはありませんよ。あなたをそのような目には合わせませんから、安心してくださいね」
「本当ですか。お約束くださいますか」
「先のことはまだ分かりませんけれど、なるだけ努力はいたします」
病人の枕頭である。張夫人の寝床の傍らで、養母の額の布を取り替えながら、
「でも、そのお話はまた別のお部屋で。今はお袋様のことですよ」
悦は義妹を優しくたしなめた。
とはいえ、
(たった半年そこらの間に、まったくめまぐるしいこと)
げっそりと頬のこけた養母の顔を見下ろしながら、悦も思わず吐息をつかざるを得ない。
意外に丈夫であったらしい己の健康に感謝しながら、前述のように忙しく過ごしているうち、いつしか年は明けていた。
張第二夫人の容態は、良くなるどころか反って悪くなっている。というのも、郭子興軍の中で、その実力派幹部による
後継者争いが起こった挙句、子興その人が孫徳崖宅に監禁されてしまった、と聞いたからだ。
その報せは、ちょうど重八が濠州へ着いたか着かぬか、と推測される頃にもたらされたのである。
重八が聞いたら、
(烈火のごとく怒り、兵を叱咤しながらかの地へ急行したかもしれない)
子興を救い出せと怒号しながら、拉致されていく養父をその途中でも奪い返したかもしれぬ、と、悦はそう思って、
(私はいつの間に、彼をこうまで信頼するようになったのか)
己の心の変化に戸惑ったものだ。
紅巾軍も、教祖である韓山童の下で一本化されていたわけではない。言うなれば、それぞれの地方で
有力な信者が好き勝手に蜂起した状態であるから、内部争いも絶えなかったのである。
郭子興率いる濠州紅巾軍の中でも、当然ながらその争いはあった。
趙均用、彭大が、元軍との戦いに敗れて郭子興の元へ逃げてきたことは、先ほどちらりと述べた。
子興は、例によって窮鳥を容れるがごとく、その二人を己が軍へ迎え入れたのだが、
「貴方のほうが期待できる」
年を取って、我侭になったということであろうか。若い頃には決して口にしなかったであろう贔屓の言葉が、
趙均用よりも彭大へ向かって頻繁に発せられるようになっていたのである。
若かりし頃の子興を知る人には、全く驚くべきことだった。
「貴方はだめだ。人の使い方もなっていない」
そういったことを、二人を並べて、しかも兵士たちの目前においても、平気で口にするのである。
本家本元である大宋軍は、終始元軍におされ気味であったから、今や東系紅巾軍で、元軍に対抗し得る力を
持っているのは、ほぼ子興の軍だけだったといえよう。
よって、
「なんの元軍ごとき。俺は、俺の智謀で俺の軍を動かして、ここまで大きくしたのだ。この軍は、
俺一人でもっているのだ」
子興がそのように口にする気持ちも分からなくはない。多少弁護をするならば、子興は孫徳崖の場合と同様、
趙均用の人間性に疑問を見出したのかもしれぬ。だが、この発言で、子興という人間にいささか興ざめした者も
少なくなかったに違いない。
しかも、趙均用はいやしくも一軍の将だった男である。いかな元軍に破れたとはいえ、それなりの待遇をされて
しかるべきであるし、
(戦いに敗れさえしなければ、お前と俺とは同じ立場にいたのだ。同格に扱われて当然である)
とも思っていたから、彭大ばかりが重用されることへの嫉妬もさることながら、
(子興の教養も、古代の智恵を拝借したものばかりで大したことはない。大したことのない人間が、したり顔で
威張り散らしおって)
そんな怒りも、少しずつ蓄積していったのだ。
郭子興が、孫徳崖を嫌っていたことも既に述べた。そういう空気というものは、黙っていても新参者にでさえ
伝わるもので、
「このまま馬鹿にされ、疎んじられているつもりか。これからはますますそうなるだろう。その前に
俺たちが手を握って、この軍の頂点に立とうではないか」
趙均用が孫徳崖へ向かって、そのように囁きかけるようになったのは、いわば時間の問題であったかもしれぬ。
趙均用に酒を勧められた郭子興が、良い気持ちになって濠州城外へふらりと出かけたところを孫徳崖宅に篭められたのは、
柳の葉が散り終えた頃のことだった。
定遠よりも北に位置する濠州は、当然ながら冬が来るのも早い。
(あと少しで本隊に着く)
子興に会って、ことの首尾……悦に会ったこと、彼女には憎まれ口を利いてしまったが、己は気に入ったことも
含めて……を伝えようと考えていた重八は、
「そこの軍隊は、朱重八の軍隊か?」
ちょうど淮北へ差し掛かった頃、向かうほうから、まさに転がるようにやってきた味方の軍を見つけ、
軍の進行を停止させた。
「いかにも俺が朱重八だが、あなたは」
「彭大という。徐州からの新参者だ。貴公が戻ってくるのを心待ちにしていたのだ。いきなり問いを投げかけた
失礼は詫びる。だが、今は危急存亡の時だ」
重八が名乗ると、相手は救われたような顔をして答える。
その声にただならぬ空気を感じ取り、
「一体何があったのですか」
尋ね返す重八は、
「郭子興殿その人が、趙均用、孫徳崖の二人によって、孫徳崖宅に篭められてしまった」
彭大の答えを聞いて、張り裂けんばかりに目を見開いた。
見開いたばかりではなく、
「クソッ、このような時に!」
心の底から怒りに震えて叫んだものだ。
徐州を取り戻した元軍が次に狙うのは、一番近い濠州紅巾軍に他ならぬ。これから一層の警戒を払い、
団結を深めねばならぬ時に、
「俺の居らぬ間に、上の連中は何をやっているのだ。俺が居れば、親父(子興)殿には指一本触れさせぬものを」
忌々しげに重八は叫んで、彭大を苦笑させた。苦笑はさせたが、
「兵は神速を尊ぶ。孫徳崖宅はご存知か」
炯々と光る眼差しで彼を見つめ、尋ねてくる語気は、むしろはっとするほどに慈愛に満ちている。
(この青年は、これからすぐ、力づくで子興殿を取り戻す気なのだ)
従って、彭大もすぐに真顔になり、
「これよりさほど遠くない所にある。詳しい場所なら、俺も知っている」
自信ありげに深く頷いた。
もうすぐ休息を取れる、と喜んでいた自軍の兵士たちを叱咤し、孫徳崖宅へ馬首をめぐらしながら、
(あの女は、大丈夫だろうか)
重八が思ったのは、己のことより、女ながら気丈に郭邸を護る馬悦のことである。
郭子興その人を捕らえたとなれば、元軍ばかりではなく孫徳崖配下の兵士達でさえ、得たりとばかりに
定遠へ向かわないか。郭家の首尾に残した兵士達とて、まさか味方に攻め入られるとは思いもせぬであろうから、
恐らく物の役にも立つまい。
時に、闇夜であった。
(まず何より、俺が親父殿を救い出すことだ。そうすれば、孫徳崖などたちまち戦意をなくして謝罪するか、
逃亡でも図るであろうよ)
早く進め、と、常に似ず怒鳴り散らす重八を見上げながら、兵士達はよく走った。
やがて遠くに孫徳崖の家が見えてくると、
「止まれ」
彭大、重八は休息を命じた。
「これより、物音を一切立ててはならぬ。奴らに感づかれたら、子興殿の命が危ない」
重八の言葉に、彭大も難しい顔をして頷いた。重八はその横顔に向かって、
「どこに親父がいるか、まず探らせましょう。俺はこの通りの面相だから、相手にすぐ分かってしまう」
言いつつ、兵卒を派遣したのである。
やがて戻ってきた兵士は、子興が閉じ込められているのは、どうやら厨房隣の納屋であるらしいこと、孫徳崖らは、
「子興さえこちらにあれば、奴らは言うことを聞かざるを得ぬであろうよ」
そんな風に言って、すっかり油断しているらしいことを告げ、
(すっかり舐められているな)
重八、彭大を苦笑させた。
だが、敵がその体たらくであるならば、侵入もたやすい。
「では、俺が徐達、李善長とともに忍び入りましょう。親父を取り戻したら、すぐに引き上げられるよう、
われらの後を追ってくる者に対してのみ、攻撃するようにしましょう」
「承知した」
彭大が頷くのを見るやいなや、重八は身を翻して孫徳崖宅へと走っていく。馬を使わぬのは、馬の足音で
不審がられるのを避けるためであろう。
この折、重八に従ってそちらへ向かったのは、徐達、李善長のほか約十数名。
(大した奴だ)
彼らの後姿を見ながら、彭大は思わず唸っていた。
なるべく「穏便」に子興を取り戻すために、重八は泥棒の真似をする、と言い、実際にそれを実行しているのである。
普通の人間ならためらうであろうその作戦を、ごく当然のように思いつき、かつ行えるということは、
(平気で悪事にも手を染めることが出来る、ということにならないか。今まで奴は、どのような人生を送ってきたのか)
貧しくはあっても、さほど波風の立たぬ人生を送ってきた彭大自身には、想像もつかないそれであろう。
しばらく見守っているうち、孫徳崖宅から悲鳴と怒号が上がった。一気に緊張する己の部隊へ、
「矢を番えよ! 重八および子興殿を射ることのなきよう注意せよ!」
命じているうちにも、重八らがこちらへ向かって駆けて来るのが、灯された松明ではっきりと分かる。
その後ろを追いかけてくる馬の一団もまた見えて、
「射よ!」
彭大は叫んだ。たちまちそちらへ向かって、軍から雨のように矢が降り注ぐ。
相手が怯んだのを見て、
「親父は無事、取り戻しました。引き上げましょう」
かなり衰弱していたので、交代で負ってきたのだ、と、重八は言う。
なるほど、徐達の背には、少しやつれたが確かに子興が負ぶわれており、それへ、
「今度は俺が代わろう」
重八が声をかけた。
「馬には乗せぬのか」
彭大が問うと、
「今の親父殿には無理です」
重八は首を振る。
それを聞いて、
(そこまで痩せているのか)
彭大は口を結び、鼻から勢いよく息を吐き出した。
監禁生活そのものは一週間にも満たないはずだ。が、恐らく生かさず殺さず、最小限の食物しか
与えられていなかったに違いない。もちろん、このような目に遭うのが初めてであろう子興の、
精神的な衝撃も大きかったろう。
ために、
(馬に乗るために必要な尻の筋肉も、こそげ落ちてしまったのだ)
「分かった。だが、なるだけ急いでくれ」
彭大は、納得したといった風に頷いて、重八の軍隊を前に、己は己の軍隊と共にその後ろへ陣取りながら、
濠州への道を辿り始めた。己の軍を後ろにしたのは、無論、孫徳崖軍からの攻撃を防ぐためである。
道々、
「御家のほうへ使いを出さねばならない。さぞや心配しているであろうから、俺が手紙を書く。まず早馬を立てよう」
だの、
「濠州へ到着したら、まずは城の防備を固めなければならない。元軍と孫徳崖の奴ら、二つに対する作戦が必要だ。
郭家においても、元軍に対して警戒を怠るなと言っておかねばならぬ。ゆえに徐よ、貴様がこれより定遠へ
行ってくれるか。定遠出身で顔見知りの多い貴様なら、郭家の連中も、より安心するに違いない。ゆえに君は
このまま郭家へ行き、郭家の人々を引き取って共に戻ってきてくれ。良いか」
だの、重八が部下に言って聞かせている声が、前方から聞こえてくる。
いつしかそれへ熱心に耳を傾けつつ、
(たいした奴だ)
重八の軍隊の中から、定遠の方角へ駆けていく一頭の馬……これが恐らく早馬であったろう…と、それから
やや遅れて同じ道を行く一軍とにすれ違いながら、再び彭大は唸った。
(あの青年は、常に先を見越している)
それでいて、細やかな気配りも忘れない。なるほど、確かに人使いは荒そうだが、部下が重八を慕っているという
噂は真実であったと、彭大は改めてこの奇骨貫頂の若者を見直したものだ。





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