奇骨賛歌 6



至大四(一三一一)年生まれの劉先生は、その名を基、字を白温という。今、まさに
戦乱のさなかにある浙江南部、処州青田の人だった。
性情は廉直、幼い頃から経済学、歴史などさまざまな学問を身につけてきた。青田の名家出身で、
二十三歳で元の科挙に合格している。
ちなみに現在、彼の故郷である浙江や福建で暴れている方国珍は、実は彼が元に仕えていた時からの
因縁の相手であった。
その時劉基は、「元朝廷の官僚となったからには、忠誠心を持って仕えなければならない」とのモットーにより、
「方国珍を今のうちに叩いておくべきです。さもなくば将来、朝廷に深刻な事態をもたらします」
と中央朝廷に上奏している。地元の県令を勤めていただけあって、さすがに事態を見通していたと言える。
だが、その進言は即、握りつぶされてしまった。先ほどもちらりと述べたが、何より方国珍は、塩の販売だけでなく、
浙江一帯の商いをもほぼ一手に引き受けていたため、
「奴を怒らせてしまっては、華北にいる我らに兵糧が送ってもらえず、戦えない」
という、何とも切なく情けない理由からである。実際、華北一帯は、元の圧政が原因である内紛と、旱魃が頻発していた。
ために、朝廷においても日々の糧にも事欠く、といった実情があったからだ。
確かに元の兵は、まだまだ侮れない。しかし、腹が減っては戦は出来ぬ。足りない分の兵糧を、方国珍に
輸送してもらって、ようやく兵士を動かせていたという有様だったのだ。
以前も述べたが、この地域は基本、豊かな穀倉地帯である。郭子興だけではなく、 張士誠、方国珍、そして
元朝廷側ではあるが、石抹宜孫などの人物が多数ひしめいている。
さて、劉基であるが、上奏を握りつぶされた後、
「こんな腐った水など呑めるものか」
数ヶ月も経たぬうちにそう言って退官してしまった。
自分の提案が見向きもされなかった、というだけが理由ではない。清廉潔白で曲がったことの嫌いな、
従っていささか融通の利かぬきらいのある彼の性格には、
「自分だけが得をするためには動くが、天下万民のために自ら汗を流すことはしない。袖の下だけは要求する」
そんな腐敗した朝廷の雰囲気が合わなかったのだ。
それでもその後も博識を買われて召還されはした。機嫌を直して仕えたものの、上司や同僚と衝突して退官、
といったことを三度も繰り返した挙句、
「私をもう呼び出さないでくれ」
二度と朝廷に仕える気はない、と宣言し、故郷へ引きこもってしまった、という経歴の持ち主なのである。
それきり、好きな学問や詩作に打ち込んではや十年あまり。今では学者としての名声のほうが高まってしまった。
従って、政治の世界からはすっかり縁遠くなった、と世間からも見られているが、
(誰か居ないか。この腐った世の中に大鉈を振るえる誰かが。頂点に立った者のみが幸せを甘受できるような、
こんな世は間違っている)
彼自身は、そんな人間を助けることが己の役目である、と思っている。
(自分は到底人の上に立てる器ではない)
そうも考えていたが、やはり本来の性分として、賊に苦しんでいる処州の人々を見過ごせなかったらしい。
朝廷に仕える気はさらさらないが、自ら義兵を組織した。そして官僚時代から付き合いのあった処州の元将、
石抹宜孫の軍に加わり、
「貴方の助けとなりたい」
言いながら、地方を荒らしまわる賊軍などを破ったりしていたのだが、悪い事に、その賊軍の中にはなんと、
方国珍の息のかかった連中が多数いたのである。
そのため、元中央朝廷は、方国珍に報復されることを恐れた。すなわち、
「もう穀物をこちらへ送ってはくれなくなる」
というので、劉基の活躍は、ここでも無かった事にされてしまったのだ。 
このことで、
(石抹宜孫という英雄も居る。まだまだ元も捨てたものではないのだ)
そんな風に、劉基の中にわずかながらに残っていた元への期待は、微塵もなくなってしまった。ついに、
「もう政治の世界には関わらぬ」
決心して石抹宜孫に別れを告げ、再び青田にこもったのである。
郭子興がその話を聞いて、
「ぜひ我が家へもお寄りください。我が一族に、先生の教えを伝授ください」
と招いたのは、それと同時期のことだ。
もしかそのまま引きこもっていても、生活には困らないだけの財が家にはある。
己の家からかなり遠いことを理由にすると、郭子興は「それなら」と彼のために小さな屋敷まで建てた。
さらに、せめて一年だけでも、とも子興は言った。
そもそも劉基は、県令まで勤めた経歴を持っている。常ならば、ここまでされたところで腰を上げない。
それに、富豪などの子弟の家庭教師になるのは、大抵が科挙に失敗した人間である、という風習もあるから、
子興の頼みを引き受けるのは劉基のプライドが許さない。
だが結局、彼は家庭教師を引き受けた。
(郭家は顔が広い。家の者や、かの家に集まってくる連中に、ひょっとすると「人物」がいるかもしれない)
そう考えたためだ。
江の宋濂、竜泉の章溢、麗水の葉チンと並び、浙東の四先生と称されているほどの彼である。その胸のうちでは
未だに衰えぬ情熱が燻っていた。
そして「青田の劉基」であるところの彼は、
「私は、もっとよく世の中を知りたいのです」
穏やかな風貌に似ず、はきはきとした物言いをする郭家の養女に興味を引かれている。
多くの富豪の子弟がそうであるように、最初の「講義」を終えた時、郭家の子らはぐったりとした顔を隠さずに
そそくさと部屋から出て行った。そんな中で、
「どうしたら、貧しさゆえに罪を犯す人間を作らずにすみますか。どのようにしたら、普通に生きているはずの
人間さえ罪を犯してしまう世の中を変えることが出来ますか。先生ならご存知ではありませんか」
彼の顔を見上げてそう問うた、ただ一人その部屋に残った少女の顔を、彼はつくづく眺めたものだ。
さらによく見ると、金持ちの娘であるにも関わらず、彼女の手は酷く荒れている。それは少女が家事や野良仕事に
従事しているからだ、と、彼はすぐに見抜いて、
(なんと、ここに「人物」が居た)
ほとんど直感的にそう考えた。
もしも他に彼の心の中を覗ける人間がいたら、その人物は初対面で人の器など測れるものか、と言ったろう。だが、
「人を観る目なら、他の誰にも負けぬ」
彼は常日頃、密かに自負している。ゆえに、例え初見であっても、己の鑑定眼が狂うことは無いと思っていた。
そんな己がざっと見たところ、一番有望そうな郭子興の子弟も、そして郭子興自身も、残念ながら英雄の器ではない。
そんな彼らと比べると、目の前の少女は確かにどこか大物の風格がある。だが、
(惜しいかな、女だ)
そんな風にも劉基は思った。
彼は、当時の知識人の多くがそうであるように、孔子を祖とする儒家である。儒学の観点から言えば、
女が英傑であることは……近くでは唐の時代、武即天女帝の例があるにはあるが……あるはずがなく、
また、あってはならぬことなのだ。従って、彼もかの女傑を「でしゃばりが過ぎた、ただの一皇后に過ぎぬ」と
見なしている。
ともあれ、
「それは、私にもはっきりとは言えぬし、雲を掴むような話ではあるが」
少女、悦に問われたことへ、劉基は穏やかな笑みでもって誠実に応じた。
「宗教に頼らず皆の心を掴み、まとめることの出来る英雄が現れたら、可能になるかもしれない」
(幼き者には分からぬだろう)
と思いながら漏らしたこの言葉は、半ば本音であるといっていいだろう。このことから、彼が白蓮教に対して
どのような思いを抱いていたかが分かる。
(ひょっとすると、私の生きているうちは現れないかもしれぬ)
半ば諦念を抱きながらのその答えが、どのくらいかの少女の心に響いたかは分からない。だが、
「難しい話ですね」
養父とほぼ似たような年齢の家庭教師の顔を見上げ、悦は二、三軽く頷いて、
「先生の仰ったこと、よく考えてみます。ありがとうございました」
深々と頭を下げたものだ。
その後、劉基は彼女が郭家の養女であることと、彼女のこれまでの生い立ちを詳しく知った。また、
彼女が会話の合間にふと漏らす、
「裕福な暮らしもいいけれど、もしも戦いのない世の中であったなら、私は信頼できる人とともに畑を耕し、
時には書を読んで過ごす、そういう暮らしを送りたいのです」
などの言葉は、より彼を喜ばせた。
悦への評価は下がるどころか、
(今日もまた、あの娘へ色々と教えてやることが出来る)
そう考えて、思わず笑みが浮かぶほどに高くなっている。
学問への造詣が深い人間は、人へ教えることにも喜びを見出すものだ。
初日に味わった少しの失望は、悦を知ったことで彼の中からすっかり消え去っていた。
(今日は、あの娘はどんな問いを投げかけてくるか)
そのことをむしろ楽しみに、郭家の家庭教師を続けていたのである。
その彼も、いよいよ約束の期日が終わるという今日になって、
「今、世間はどのように動いていますか」
詩歌や史実の講談が終わった後、いつものように自分を呼び止めた悦から出た質問に、少なからず驚かされた。
側には郭子興の末娘もいて、
「このままでは姐様は、誰か知らない人のところへお嫁に行かねばならなくなります」
義姉に続けて言い、まるで責めるような目で劉基を見つめてくる。
「ああ、そのこと」
劉基は思わず苦笑し、
「そのことなら、もうそちらの妹御にも散々苛められた後なのだが」
言いながらも「今日が最後だから」と応じたものだ。
「私にも、正確なところは分からない」
期待でもって見つめる眼差しへ、彼はしかしそんな言葉を返した。案の定、強い瞳をした郭の末娘は
頬を膨らませて視線を逸らしたし、
「先生にも、分かりませんか」
振る舞いはあくまで慎ましいが、言葉の端々に聡明さが覗く悦も、少し失望した顔をする。
「ああ、分からない。ひょっとするとこの混乱は、長く続くかもしれない」
二人の顔を見ながら、劉基はわずかに苦笑して、
(江北の連中も、彼女らの親父殿も、実は己のことしか考えていない)
愚痴のように繰り返し思った。
彼の故郷で「立ち上がった」方国珍は、今やただの海賊に成り下がっているから問題外である。おまけに
湖北(洞庭湖北部)で立ち上がった徐寿輝は、なんと皇帝を名乗り、天完国なるものを作って治平という
年号まで用いている。
各地で蜂起した百連教の連中も、あわよくば己が頂点に立ってみたいという欲望がむき出しで、とてもではないが
天下万民のことまで考えているとは見えぬ。
いずれにしても、劉基にしてみれば、
(元朝廷も、白蓮教も、失礼だが郭子興殿も似たり寄ったりだ)
まさに有象無象が乱立しているようにしか見えぬものだから、
(この混乱を収拾できるだけの力を持った英雄など、出ないのではないか)
郭家に滞在中、四方から集まってくる旅人たちの輪に混じり、その話を聞いていると、そのような判断を
下さざるを得ないのだ。
ゆえに、彼女ら二人に対する返答も、右のようにまことに曖昧なものになってしまったのだが、
「先生にも、英雄がいつ、どこに現れるかがお分かりにならないのですか」
「ああ、分からない」
「では、どうして先生が、ご自身が仰るような英雄になろうとなさらないのですか。先生は素晴らしい知恵を
持っておられる」
「うむ。お言葉はうれしいが、残念ながら、人には器量というものがあってな。私は英雄の器ではないのだ」
悦の再びの問いかけに驚きながらも正直に応じつつ、
(これが男であったら)
常のように慨嘆したものだ。
劉基にとって、ほとんど無駄であったかもしれぬ郭家滞在において、唯一の収穫とも言える出来事が馬悦との
出会いであり、
(この娘は、鍛えれば世間を広く見る目を持たせることが出来る。だが、惜しいかな、慎ましすぎるし、女だ)
滞在中、彼は何度そう思ったろう。もちろん彼は、これから先に現れる悦の伴侶のことまで予測できたわけではない。
「名残惜しいが、あなた方に会えて得るものは多かった。私は本日これにて失礼するが、もしも運命であれば、
またいつなとお会いできよう。まことに世話になった」
無難な挨拶をし、
「私も、再び故郷に引きこもることにします」
言い言い、郭家を去ったのである。

悦の生涯の伴侶となる青年が現れたのは、まさにそれからすぐのことだ。
劉基とほぼ入れ替わるようにして現れたその青年は、悦に対し、劉基とはまるきり違う意味で世間を教えた。
後に明の初代皇帝と、その師となる彼らであるが、運命は二人をまだ会わせない。
ともあれ、しばらくはこの青年のことについて語らねばならぬ。よって、郭家のことについては、ここで一旦筆を置く。
その青年は、朱重八という。郭子興軍に加わってからめきめきと頭角を現し、それに従って国瑞、元璋と名を変えた。
最初に名乗った名が真実の名であったのかどうか、今もって分からない。ともかく、郭子興に向かって申告した名が
それなのだから、本著でもしばらくは重八、と呼ばざるを得ぬであろう。
彼が悦の前に現れたのは、前述のように劉基が郭家を去って、正確には一年後の(一三五二)年春。いよいよ
元朝廷が形骸化し、蜂起軍の勢いが強くなってきたと見られていた頃である。
先に白蓮教「教祖」からの誘いを受けた郭子興は、
「この地方の県令が一番弱腰で、守っている元のてつりふか徹里不花も、非戦闘民を捕らえては己の手柄と
するような人間である。こちらがやってきたと聞いても怯えるだけで、戦う気がまるでなさそうである」
ということを聞いて、
「まずはここを落とそう」
自分の軍を濠州(現安徽省鳳陽県)に駐屯させた。初戦を勝って、兵士たちの士気を上げることも目的の中に含まれている。
濠州は己の家から見て、ほぼ北西に位置する淮河のほとりの地である。
この河の対岸でも、白蓮教の本隊が元軍と戦っている。いざとなれば援軍にも行くという構えだけでも見せられるし、
実際に対岸の味方から乞われて援軍を出したこともある。情勢を伺うにも、いざという場合の進退を決するにも
ちょうど良い場所だった。
さらに言えば、養い子の悦が、かつてその実父と住んでいた宿州も、定遠と濠州を結ぶ沿道上にあるから、
(馬の奴のその後の様子なり、知ることは出来るかもしれない)
「お前の父親を探してやる」
かつて悦に見得を切った手前もあるし、何よりもやはり、彼女の父は、己の刎頚の友でもある。
(実の父の行方が分からぬというのは、さぞ切なかろう。それに馬のほうでも、もしも奴が生きていたら、
俺が自分を探していると聞いて、娘も元気なのだと安心しよう)
決して冷たい人間ではなかった証拠に、子興はそうも考えていた。
濠州に駐屯していると、噂を聞きつけて、様々な人間が「兵士として使ってくれ」と集まってくる。
その大半は、
「郭家の軍隊に入っていれば、とりあえず食える」
といった考えを持つ、食いつめた流れ者であったりするわけなのだが、
(何かの折に、消息でも聞けるかもしれない)
諸国を流れ歩いて、ひょっとすると馬らしき者の話でも聞き知っているかもしれない、と思い、彼は応募してきた
兵士たちに向かって、
「お前たちの中に、かつて宿州に住んでいて、定遠に移ったこれこれこういう人相の馬という者を
知っている奴はいないか」
辛抱強く尋ね続けたものだ。
(戦いさえなければ、まことに良い眺めなのだが)
目の前に広がる淮河と、河が浸食してむき出しになっている岸壁を毎日のように眺めて、子興は妙に雄大な
気分にもなっていた。
つかの間の心の休息を得る子興へ、
「先だってのお話、考えていただけましたか」
と、近づいてきた者がいる。そちらへ「ああ」と苦笑しながら振り返り、
「今は戦の最中だ。俺のほうもそちら方面までは気が回らない」
孫徳崖へ向かって、子興は答えた。
かつては窮鳥を懐に入れるがごとく、彼に対して労りの気持ちを持っていたものだが、
(大した手柄も立てぬ癖して、下卑た顔で媚びおって)
今ではその顔を見るのも嫌になってしまった。
いかんせん、
「俺に手勢を与えてくれたら、元の小勢ごとき寸秒で蹴散らしてくれる」
そんな風に豪語するのは良いのだが、
(口先だけのやつだ)
今では子興は、そんな風に彼を評してした。
戦いの策のほとんどが、子興の知識から出たもので、
「こうこう兵を進めれば勝てる。間違うことないようにせよ」
と言っているのに、孫徳崖はといえば、己の才覚を効かせたつもりの作戦を展開しては、負けて帰ってくる。
恐らく、白蓮教本部に居たという矜持のため、
「俺にもこれくらいのことは出来るのだ」
ということを示したかったのであろうが、それで負けていては評価が下がるのも当たり前であろう。
小競り合いのような戦いではあるが、あまり負けが込むと士気に関わってくる。出自で人を分け隔てする
つもりは全くなかったのだが、
(小作農あがりが大きな顔をして。智恵を出せぬなら、黙って俺の言うとおりにしておけば良いものを)
紅巾軍に加わる以前は農民だった孫徳崖である。人を偏見で見てはならぬと思いながらも、彼と接すると子興はつい、
(智恵を身につける機会が少なかった、教養の無い農民ふぜい)
そんな風に思ってしまう癖がついてしまった。
そんな孫徳崖が望んでいるのは、己の養女、馬悦との婚姻である。
前述のごとく理由もあるし、
(こいつに悦をやるのは、どうも気が向かない。目立った功績もなく、なのに賢しらぶるこんな奴を、
俺の義理の息子と呼びたくない)
長く付き合っていれば、性根も知れてくる。
(こいつは、口先だけの奴だ。俺の後、悦を託すには、あまりにも向かないし、何より馬の奴に申し訳ない)
年も悦より十歳以上は年上なのだ。養父といった立場で見ても、孫徳崖は悦の婿に相応しいとは思えなかった。
「娘の気持ちもあるし、そこは強くは押せぬ。考えておく、としか言えない」
いつものこととて、決まりきった言葉を口にすると、
「貴方が嫁げといえば、それでよいではないか。なさぬ仲だからと遠慮なさっているのか」
自分以外に相応しい人間は居ない、とまで孫徳崖は言い、
「まあ考えておいてくれ」
それでも、押し過ぎると機嫌を損ねるのを畏れてか、そのまま子興の側を離れていった。彼もさすがに、
子興が己をあまり快く思っていないことを察しているのかもしれぬ。
(近頃は、あんな奴が多いことよ)
兵士の数を増やしてから、子興に年頃の養女があることを知って、こういった申し込みをしてくる人間が絶えぬ。
子興の娘を嫁にするということは、とりもなおさず子興の跡継ぎの位置に近くなるということを指しているから、
(皆、必死なのだろうよ)
実の息子たちの顔を思い浮かべて、子興は苦笑した。
戦局のほうはといえば……孫徳崖の例で見られるような、小さな負け戦はあるにしても……現在はこちら側が優勢である。
このまま勝ち続けていれば、そして、
(俺が生きていれば)
いささか頼りないが、次男の興が自分の跡継ぎになるに違いないのだ。
眼前で滔々と流れ続ける河へ向かって、ばかばかしいことだ、と、吐き捨てたところで、
「怪しい奴を捕らえました。ご検分ください」
息せき切って兵士が告げに来る。それを潮に子興は河へ尻を向け、その兵士を従えて歩き出した。
戦いの常とて、ともすれば元側の間諜が紛れ込む。ために、緊張はやはり解けぬ。そういった輩は当然のごとく、
問答無用で殺されるのであるが、
「お前は一体何者だ」
目の前に引っ張ってこられた若者を見て、子興は思わず二、三歩後ずさりしていた。
尋ねられて、若者は己を抑えている兵士の手を振り解いた。ぎょろりとした目を剥いて、
「貴方がこの陣の代表者か」
全く臆する様子もなく、子興へ向かって逆に尋ね返す。
「そうだ」
反って子興のほうが……長年、山ほどの無頼者を相手にしてきたにも関わらず……気おされて、頷いていた。
それを見て、若者はひざまずき、
「失礼した。俺は朱。朱重八という。元の間諜などではない。貴方の軍の中に、俺の昔の知り合いで
徐達という者がいるから、なんなら彼にも俺の素性を尋ねてくれてもよい。皇覚寺で坊主をやっていたが、
この乱で寺が焼けた。だが幸い、貴方が蜂起したと聞いたからやってきた。俺もぜひ、貴方の兵士に加えて欲しい」
額を地面へつけて言う。
腹の底まで響くような、よく通る良い声である。だが、一旦顔を上げると、
(何とも、いやはや)
「縄を解いてやれ」
言いながら郭子興は、吹き出しそうになるのを懸命に堪えていた。
年長者である己に対する無礼な口の利き方もさることながら、改めてよくよく見れば、男の自分でさえ気の毒になる、
と、そう思ってしまうような面相である。
どんぐり眼、というのであろうか。いやに大きく、ぎょろりとした両目をしていて、顔の中心には、
団子を三つつけたような鼻が、でん、とばかりに居座っている。おまけに、幼い頃に悪い病気にでもかかったのだろうか、
顔一面に濃く薄く、茶色い痘痕がまばらに散らばっていて、
(何という悪人面であろうか)
少なくとも、底抜けの善人ではなさそうだ、と、子興は思った。
確かに善人ではないだろうが、
(苦労人なようだし、何より良い声をしている)
悪い人間でもない、というのが、声に現れている。それに、
(目が澄んでいるな)
己に注ぐ眼差しにも、力強い光が溢れている。そこに子興は、孫徳崖や他の人間にはない誠実さを見たように思った。






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