イランカラプテ 14




 四  前夜

さて、こちらはウタフが向かった福山城の一室である。
(さても忙しいことだ)
藩主の矩広はわずか七歳。その代わりに政務を執っていた松前泰広は、
「甚十郎さま、お早くおでましを。シュムクルアイヌが待ちかねておりまするが」
「蔵人、そうつけつけ申すな。分かっている、分かっている。何のアイヌごとき、今しばらく
待たせておけというに」
遠慮なく襖を開け、大声で催促する蠣崎広林に背中を向けたまま、煩そうに答えた。甚十郎、というのは
松前泰広の、松前家中での通り名である。
広林の案内で、シュムクルからウタフがやってきたと聞いても、
(近頃は、金山からも川からも、採れる砂金が少なくなっておるらしい。少々困ったの)
しかめ面をしながら帳面へ走らせていたが、
「ほれほれ、早う早う。あまり待たせると彼奴ら、何をするか分かりませぬぞ」
「分かった分かった。今参る」
再びの催促に渋々筆を置き、すっかり凍えてしまった両手を火鉢の上で忙しく擦って、
(毎年の事ながら、蝦夷に春が来るのは遅いのう)
少し苦笑いをした。
若い頃のほとんどを江戸で過ごした身である。その「常識」から言えば、福山城内に植わっている桜も、
はや散り終えていても良い頃であるのに、
(未だに蕾とはのう。さすがは北の地よ)
「よっこいしょ」などと己に声をかけながら、泰広は座布団から大儀そうに尻を挙げ、部屋を出る。
父である松前二代藩主、公広が四十四歳で死に、後を兄の氏広が松前三代藩主として継いだばかりである、
というので、弟の自分が兄の名代として江戸城に参勤交代に赴いたのが、今から二十年ほど前の
寛永十九(一六四一)年三月下旬のこと。
(あの頃にはもう、江戸城内でも桜は咲き初めておったのだがな)
江戸城でのことをふと思い出し、泰広は遠い目をした。
本来ならば、そのまま江戸城詰め小姓組、千俵取りの旗本として、江戸で一生を終えるはずが、
(まさか、こうも跡継ぎが次々亡うなるとは思いも寄らなんだ)
参勤交代で江戸藩邸に滞在中、たった二十七歳の若さで国許の兄は急死したのである。彼が松前藩の後を継いで、
わずか七年後の慶安元(一六四八)年八月二十五日のことだ。
後に残された兄の子、高広がいたので急遽、これを跡継ぎとして立て、泰広が後見になったが、これも十七年後、
二十三歳の若さで亡くなってしまった。
幸い、高広にも幼少ではあるが実子の矩広を残しているので、これを跡継ぎつまり松前藩四代目として
立てることができたが、
「これ、蔵人。おぬしら、もう良い加減に俺を解放してくれぬか」
矩広からしてみれば、自分は「大叔父」であるし、もはや父公広が亡くなった年に自分も達している。だもので、
「俺の隠居小屋ははて、蝦夷の何処に建設すれば良いものかな」
前を歩く蠣崎広林に冗談交じりに言うと、
「いやさ、蝦夷はまだまだアイヌどもが大きな顔をしてのさばっておる。兄君が鎮圧に苦労なさったあの、
ヘナウケの反乱をよもやお忘れではありますまい。何処に隠居召されたところで、物騒なことには
変わりございませぬよ」
広林は薄い頭をテラテラと光らせながら振り向いて、
「もしも甚十郎様が隠居なさりたいならば、貴方様ご自身で、蝦夷全土のアイヌを大人しくさせられませ」
と、これまた親しみの混じった揶揄を込めて、笑い返してくるのだ。
「やれやれ、それではいつになったらお役御免になるものか、皆目分からぬな」
広林と豪快に笑い合いながら、
(そうだ。俺はあの時十八歳だった。アイヌどもの牙を全て抜いてしまわねば、松前藩の安泰はない、
ゆえに俺は隠居なぞせんと心に誓った)
泰広は、かつて江戸松前藩邸で、兄氏広とともに「蝦夷のヘナウケが蜂起した」という報せを受け取った時のことを
思い出していたのである。
時に寛永十三年(一六四三)年。オニビシがカモクタインを殺害する、実に五年前のことである。その折、氏広は
一族の蛎崎利広をセタナイヘ派遣して、一応鎮圧させてはいる。しかし、その後わずか五年で氏広が死んだことを
思うと、
(大人しく我らに従っていれば良いものを、アイヌどもが余計な反抗心を起こしたからだ)
十八歳という若い折に感じた憤りが、二十年以上の時を経てもその都度、泰広の胸に蘇ってくるのである。
もちろん、兄氏広が死んだのはヘナウケの「反乱」が鎮圧された後、国元の様子を見に行って、再び江戸へ
戻ってきてからのことなのだが、
(アイヌの反乱で心を煩わされることが無ければ、兄は死ななかった)
彼は頑なにそう思い込んだ。兄が若くして死なねばならぬ羽目になった、その遠因が本当は何処にあるのか
考えもしない支配者独特の意識と言っていい。また、感受性の強い若い折に己が感じたことを覆せぬのが、
人というものである。しかも兄とは至極仲が良かったということもあって、泰広はその思い込みを
未だに引きずっているというわけなのだ。
その蘇った憤りを胸に抱いたまま、
「お前がシュムクルのウタフとやらか」
オニビシの姉婿、ウタフに会った泰広の心中は果たして平静であったかどうか。
実際、そのヘナウケの反乱を皮切りに、対松前藩の小競り合いばかりではなく、蝦夷のあちらこちらで
アイヌ同士の争いが起きて、その都度松前藩が引き合いに出される、という事態になっているのだから、
(甚だ迷惑である)
繰り返すが、もともと蝦夷全土の支配を目論見ていたのは、松前藩の方だったはずなのだ。
しかし、
(こうも次から次へと厄介ごとが起きては、俺の心も保たぬ)
藩政を一手に担っている泰広が、そう思ってしまうのも、これも人の常として無理もないところであろう。
それやこれやの感情が、
「して、我等が松前藩に、お前たちアイヌが何の用か。我等が今、お前たちごときに構っておられぬほど
忙しいのを知ってのことか」
血と泥に汚れた鉢巻を締め、同じような有様の着物(アットゥシアミブ)を着たウタフと、それに従っている
数人のアイヌを見て、つい爆発してしまった。
側にいて、通訳をしている広林が、驚いたように泰広を見ている。
泰広にしてみれば、丁寧に掃き清められた畳に、
(薄汚れたアイヌ…)
日頃から軽蔑している異民族が座っている、ということだけでも我慢がならぬのだ。しかも、不遜に胡坐を
掻いた彼らアイヌ達の前には、あろうことか来客があった時のための高価な漆器が据えられ、その中には
喰い散らかされた茶菓子が載っているのさえ見える。
(これは蔵人が指図か。余計なことを)
泰広自身にとって、アイヌたちは招かれざる客であることは間違いないし、そのことは蛎崎広林も
知っているはずであろうのに、
(アイヌごときに媚びる必要は無い。広林めが)
「用があるなら申せ。そして疾く失せろ」
思って続けた泰広の言葉は、彼自身もぞっとするほどに冷たい響きを含んでいた。
城主の謁見部屋にしつらえられた上段からの、何とも尊大な物言いである。ウタフがあからさまに
ムッとした表情をしたのも、最もであろう。
しかし、それでも、
(オニビシが殺されてしまった今、俺だけではシュムクルの奴らに太刀打ちできぬ。非情に癪だが、
松前藩のシサムに頭を下げるしかない)
己に言い聞かせ、怒りを押し殺した声で、
「我らシュムクルと、メナシクルの争いはお聞き及びのことと思う」
ウタフはそう切り出したのである。
静内川上流、自分たちのハエのチャシ(砦)が、シャクシャイン率いるメナシクルアイヌたちの
「卑怯な奇襲」を受けて、
「我等が首領、オニビシは死にました」
と、胡坐を掻いている両膝を、それぞれの手で血が出んばかりに握り締めながら、
「我らシュムクルアイヌは、これまであなた方松前藩に逆らったことはないし、あなた方の言うままの物を納めている。
よって、シュムクルの奴らに正義の槌を振り下ろすために、ぜひともあなた方の力をお借りしたい。なにとぞ我らに、
奴らを懲らしめられるだけの武器を貸して頂きたい」
言い終えて、彼は頭を下げた。
その拍子に、薄汚れ、乱れたウタフの髪から泥がバラバラと畳に散らばって、
「…お前らごときに貸す力など無い!」
泰広はそれを見ながら怒鳴った。
「なんと、甚十郎様」
「先だっても我らは、お前達が手前勝手に起こした諍いで、仲裁の労を取らされている。それを忘れたか」
驚いて彼を見つめ、その名を呼ぶ蛎崎広林を一瞥もせず、泰広は続けて、
「その時、貴様らは互いに恨みを忘れて仲良うすることを誓ったのであろう。それがまたしても攻められた、
攻められて長を殺された、となれば、それは貴様ら自身の不徳の致すところであろうが。従って、我らには知らぬこと。
争うなら勝手にせよ!」
この言い分を、もしも両者に何の関わりも無い第三者が聞いていたなら、その者でさえも何ともいえぬ
思いを味わったに違いない。
ともかく、この松前泰広が言い放った言葉は、ウタフを激怒させるには十分で、
「そうか、ならば頼まぬ! 恩知らずや不徳の者は、一体どちらだというのだ」
ウタフはその捨て台詞を吐き、彼についてきたアイヌ達を促しながら、足音も荒く広間を出て行った。
「よろしいのでござりましょうや」
やがて沈黙を破って、蛎崎広林はため息と共に泰広を振り返る。
「奴ら、怒り狂うと何をしでかすか」
「…構わん。もしも我ら松前藩に報復してきたとしても、その時には俺が何とかしてやる」
内心では己自身に苦笑しながら、泰広は言って立ち上がった。
後ろ手で乱暴に襖を閉め、己の部屋近くへ戻ってきて、
(…咲いた。だが)
ようやくそこで、彼は先ほどは蕾だった桜が二、三、ほころんでいるのを見つけたのだが、
(どうでもよいわ。これよりはアイヌへの対策をも同時に練らねばならん。まことに忙しいことよ)
どうやら彼の脳裏からは、桜のことなぞ、どこかへ吹き飛んでしまったらしい。いかにも腹ただしげに、
自室の襖をぴしゃりと閉め、松前泰広は再び筆をとって帳面と睨みあったのである。

さて、こちらは松前藩から協力を拒否され、そうそうにハエへ帰ることにしたウタフ一行である。
これから日高の商場へ行く、という両浜組の商船に乗せてもらいながら、
「やはり、最初からシサムなどを当てにするのではなかったのだ」
「奴の態度を見たか。明らかに我らを見下していた」
静内川へ戻る道中、船底の一室で、松前藩への恨み言は尽きなかった。
ウタフを含む彼らシュムクルアイヌの見送りを、蛎崎広林がしり込みして拒否したのは、ある意味
正解だったかもしれない。
「あのまま松前泰広とやら蛎崎広林とやらに、毒槍でも打ち込んでやれば良かった」
「武器を持っていかなかったのは、何とも不手際だった。八つ裂きにしても飽きたらぬ」
同船している「下っ端」の松前藩士やシサム商人に、どうせアイヌ語は分からぬのだからと、大きな声で
松前藩の不実を罵り合っていたのだから、もしも同行していたら、当初、日高の商場まで彼らを送るつもりだった
広林がどうなっていたか、想像に難くない。
いかさま、蛎崎広林にしてもウタフにしても、
「松前藩は必ずシュムクルアイヌに味方するもの…」
そう思いこんでいたのだから、松前泰広の言葉に広林が驚いたのはまだしも、普段から、
「松前藩は我らアイヌを低く見ている」
との自覚はあっても、やはり心の中では幾分かの期待をしていたシュムクルアイヌの落胆と怒りは、
期待していた分、広林よりさらに大きかったろう。
しかし、松前藩士が圧倒的に多い福山城下や船の中では多勢に無勢。こうして松前藩の不実と自分たちに対する蔑視へ、
互いに思うさま憤懣をぶちまけながらも、
「ともかく、かくなる上は一刻も早くハエのチャシへ戻ることだ。俺さえ生きていれば、何とでも巻き返しは効く。
森の中へ誘い込んで、奴らの勢力を分散させるのだ」
このような計画を立てて、同行のアイヌ達を奮い立たせたのは、さすが副部族長であると言えよう。
ウタフの言っているところは、要するにゲリラ戦である。静内川上流に広がる原生林を利用しての戦いを
思いついたのは、その付近に拠点を持つ者ならではである。
「松前藩の奴らに一泡吹かせてくれるのは、それからだ。どんなに急いでも、ハエまで七日はかかるのが
口惜しいが、その間に……」
というわけで、春の嵐に翻弄されて荒い海の波に揉まれる船の中、ウタフは配下のアイヌ達と額を集め、
向後のことを相談していたのだが、
「暖かくなった気候のせいか、何やら体が熱い」
ウタフがそう言い出したのが、福山城を出てわずか数日後のこと。そしてそのまま高熱を出し、ウタフは
船の中で寝込む羽目になった。
それを皮切りに、同行していたアイヌ達が似たようなことを言い出して、その翌日には、
「お前の顔に、赤くて小さな腫れ物ができているぞ」
互いに互いの顔を指しながら、そういったことを言い合う次第となったのである。
おかしなことに、同船していた松前藩士および両浜組の者達に、その症状が現れたという記録は残っていない。
とするとやはりこの「病気」は、当時その船に乗っていたアイヌの人々だけが罹患した、というべきであろう。
松前藩関係の人間が罹患しなかったのは、現代医学の観点からすると免疫を持っていた、ということになるのかも
しれないが、
「ひょっとすると、俺達は松前藩の奴らに毒を盛られたのではないか」
当然ながら、現代よりおよそ四百年前、医学の発達していない所謂「僻地」でのことである。それにそもそも
双方には、利害関係はあるものの、信用というものは元から存在していないから、シュムクルアイヌの人々が
そう考えたとしても、あながち短絡な思考とは言い切れぬ。
かくして、
「俺達が飲み食いした茶菓子に毒が入っていたのだ」
「俺達は松前藩の奴らに毒を盛られたのだ」
わだかまりと偏見からくる思い込みが、とうとう「事実」となってしまった。
「俺達を人間とも思っていない松前藩の奴らなら、それくらいやりかねない。悔しい」
繰り返し「悔しい」と口にしながら、ウタフがついに亡くなったのが、船がちょうど新冠川の河口に
到着する頃あたりではなかったか。まさに「あっという間」の出来事である。
同行していた他のシュムクルアイヌで、辛うじて命をとりとめた人々も、
「俺とお前は茶菓子に口をつけなかった。だから生き延びたのだ。あの茶菓子に毒が入っていたに違いない」
「復讐してやりたかったが、俺達だけでは無理だった。悔しい」
と、大声で言い言い静内川を上って行ったのだから、彼らがハエのチャシに戻ってきたのだから、もうその頃には
「助けを求めに行ったアイヌ達に、松前藩のシサムが毒を盛った」という話は日高中に広まってしまっていたと
言っていいだろう。
「毒を盛られたのだ。その証拠に、同船していた松前藩の奴らは、死んだウタフ達に手も触れなかった」
「あの赤い吹き出物に触れたら、自分もそうなると分かっていたからだ」
直接触れぬよう、アットゥシに包んだ仲間達の遺体を担ぐアイヌ達の息も、相当に苦しそうである。
ともかくも、「生きて戻ってきた」彼らから、彼らが見聞きした「事実」を聞かされて、シュムクルアイヌたちは、
松前藩の態度に怒り狂うと同時に、
「これから俺達はどうすればいいのだ」
オニビシが殺され、ウタフも味方してくれると思っていた松前藩に「謀殺」されてしまって、途方に暮れた。
シュムクル側には、これら二人以外、特に見るべき人物がいない。なるほど、オニビシの姉も勇猛ではある。
しかしやはりそこは女であるから、弟に続いて夫も亡くしたことをただ嘆き、怒り狂うのみで平静さを
失ってしまっているし、というわけで、こんな時には物の役にも立たない。
メナシクル側も、奇襲に成功したとはいえ、やはりかなりの犠牲を出してしまっていた。よって部族長である
シャクシャインは、今はやむなくメナシクルに引き上げて、事態を静観しているらしい。そのことのみは
シュムクル側にとって、不幸中の幸いとも言える。しかしウタフまでもが死んだとなれば、それこそ
「好機至れり」とばかりに勢いに乗って攻めて来るに違いない。
そんなこんなで、
「ここは悔しいが、敵であるシャクシャインを頼るより他ない。アイヌ同士で争っている場合ではないのだ。
長年の恨みはもう忘れるべきだ。元はといえば、同じアイヌなのだし、何よりシャクシャインは松前藩を
憎んでいると聞いている」
奇妙なことに、好戦的であったはずのシュムクルアイヌ側からそんな意見が出た。アイヌの人々の根底にある
「松前藩憎し」という共通意識がそうさせたのだろう。
このことは彼らに、
「押し付けてくる無理を、多少の不満はあっても受け入れていた我らを裏切った」
松前藩にとって、シュムクルもメナシクルも、所詮は「同じアイヌ」なのである、という厳然たる事実を突きつけた。
くどいようだが所詮は、
(やはり松前藩は、アイヌの人々を己と対等な立場であると思っていない)
そういうことだったのだ、と、松前藩の、というよりも異民族に対する和人の考え方を、再認識させたということに
他ならない。
「やはり松前藩はだめだ。シサムはシサムだ。そもそも俺達の敵だったのだ。頼るほうが間違っていた」
「同じアイヌ同士だ。オニビシよりも好戦的ではなかったシャクシャインになら、話せばきっと分かる」
もともとシュムクル側コタンの全てが、好戦的なオニビシを好いていたわけではない。そんな者たちも集まって
今後のことを話し合っているうち、
「シャクシャインなら、きっと分かってくれる。彼には武力も勇猛もある。東の者達からも密かに支持を
受けているから、我々が味方すれば松前藩に一泡吹かせることも可能ではないか」
メナシクルへの積年の恨みよりも松前藩への怒りのほうが上回り、さらにはそれがシャクシャインへの期待に
摩り替わってしまった。


MAINへ ☆TOPへ