イランカラプテ 10




メナシクル部族の砦は、カモクタインのコタンからさほど離れていない静内川沿いにある。川面から
七十メートルの高さに位置する断崖絶壁に手を施して作られた、堅固な半天然の要塞であった。
ちなみに、メナシクルの部族に属している各々のコタンもまた、静内川沿いにある。それは川の流れに沿って、
日高山脈の裾ぎりぎりにまで点々と散らばっていた。
以前にもちらりと述べたが、それぞれのコタンには、通常五、六家族がひとまとまりとして生活を営んでいる。
夜を照らすための明かりがそこかしこから漏れていて、普段ならば澄んだ空気ではっきりと見えるそれらの火は、
今は川面から立ち上る蒸気のため、怪談話でよく聞く人魂のような光を放っている。
(不吉な光を放っている)
それを川下から舌打ちしたいような気分で見上げつつ、突風に時々消えかかる松明をかばうように掲げて、
庄左衛門は砦へと急いだ。
(商売相手に情を移すとは、商人にあるまじきことである)
近づくに連れて、はっきりとした剣戟や人の喚き声が聞こえてくる。交えている弓の鏃や槍先に使われている鉄は、
すべて自分達和人がアイヌにもたらしたもので、
(例えば俺などが鉄砲を渡せば)
圧倒的な勝利を得られるだろうと思いながら、庄左衛門は独り苦笑して首を振った。
己はあくまで、市井の一商人に過ぎない。当然ながら、一介の商売人が鉄砲を扱うのは、幕府によって
硬く禁じられている。鉄を渡すのは許しても、相手が余計な力をつけることになる鉄砲の交易など、
今の幕府が到底許しはしない。許されぬどころか、異民族に最新式の武器を渡したとなれば、問答無用で極刑である。
それに幕府の許可を得ずにやるとなると、密貿易ということになる。薩摩藩などは江戸から遠いのを良いことに、
琉球や台湾などと半ば公然と密貿易を行っているが、
(同じ程度の距離が離れていても、松前藩は違う)
貿易、というものは、少なくとも相手が己と対等の立場で行われる取引のことを指すはずである。
アイヌがお人よしすぎ、世界というものを知らなさすぎたため、
(俺達和人が、アイヌを舐めてかかることになってしまった)
庄左衛門が思うように、相手の腰が低いと嵩にかかるのが人の常というものだろう。対等な立場での
交易のはずが、いつの間にか領主とそれに支配される領民、という風になってしまっている原因の一つには、
そのせいもあったかもしれない。
そして
(商売というものは、一体何だ)
建前上は松前藩側に属していながら、そのことを思うたび、庄左衛門は考えるのである。
(商売というものは、作るものと必要とするもの双方を「ニンマリ」とさせてこそ成り立つのではなかったか。
そもそも商売人というのは、双方の仲介人に過ぎぬはずなのだが)
そこまで思って(いやいや自分もよい年をした商売人の癖に、青臭い理想をいつまでも掲げているものよ)と
彼は苦笑した。こんなことだから、せっかく一級の米どころと呼ばれる場所に父親が構えたはずの米問屋を
受け継いでも、さほど利益を上げられなかったのかもしれぬ。
(俺は商売には向いておらぬ。建部殿がああ言ったのも無理はないわい)
そして、
(倅のヤツも、俺と同じような道を辿るに違いない)
とも思って、庄左衛門は苦笑した。
関ヶ原の折、敗れた石田三成の次男、重成を助けた己の父と同様、情にほだされすぎるのはどうやら、
(困っている弱いものを見たなら、助けずにはいられない……)
先祖代々の血らしい。
これが例えば両浜組の田付などであったなら、それこそ尾をからげて逃げていたに違いないのに、
何故庄左衛門がこうして砦へ向かって歩いているのかと言えば、結局はメナシクルアイヌを助けたいためなのだ。
息子の庄太夫に言われるまでも無く、彼は己の中に、己を突き上げるような衝動を感じたためだが、
(俺に何が出来るというのだ)
この戦いの行く末を見届けるのが、せいぜいではないか。
しかし、それが己の義務であるような気がする。自分でも自分に苦笑しながら、庄左衛門は静内川の
土手をメナシクルの砦に向って歩いた。暗い地面へ目を凝らすと、草いきれがつんと鼻を突く。そこには
大勢が踏みしだいたと思われる靴の跡があり、それは一斉に彼が目指すシベチャリの砦の方角へ向かっていた。 
その靴跡を追って顔を上げると、そこには集落同様、蒸気にかすんだ砦がぼうっと浮かび上がっている。
(カモクタイン殿ではないが、まことに残念だ)
思わずそちらへ向って松明を掲げると、一瞬の突風でその火は消えてしまう。しかし、彼自身が
明かりを掲げずとも、砦で入り乱れている炎のおかげで、激しい乱闘が続いているのが良く分かった。
(遅かった。もっと早く分かっていれば)
こちらとしても、差し出た口を挟むのは良くないと遠慮していたのが裏目に出てしまったのだ。
物見を発していると言っても、あくまでそれは商売優先で、抗争の勃発を嗅ぎつけることが目的ではない上に、
例えば武士が雇っているような、専門の隠密などのような働きは当然ながら出来ない。
今回の「奇襲」も、たまたま東方へ使いに出ていた庄左衛門配下の者が、これまた偶然にもたらしたので分かった、
という何ともお粗末な有様である。
もちろん、メナシクルアイヌとて警戒はしていたのだろうが、
(いつもならその場での小競り合いだから、今回もそうだと思っていたのだろう)
それがまさか、このような本格的な抗争に発展するとは思ってもいなかったに違いない。そのため、
今の戦況は、素人の目で見てもメナシクル側に不利だと判断できる。
商売柄、運送途上に出くわす盗賊や追いはぎに対応することも多かったため、そこそこの度胸は
持っているつもりの庄左衛門も、毒矢が髷をかすめて背後の地面へ突き立った時には、さすがに肝が冷えた。
砦に近づくに連れて、はや冷え切ったアイヌ達の死骸に躓く回数も増える。ふと静内川の流れに目をやると、
岸辺やその近くの水面には、矢や折れた槍の突き立ったアイヌたちがやがり転がっている。
(当たり前だ。これは「戦争」なのだ)
己に言い聞かせながら、庄左衛門は暗闇をかいくぐるようにして砦へ近づいた。何度かオニビシ側の
アイヌに捕らえられたこともあったが、
「俺は文四郎殿の手の者だ」
と誤魔化し誤魔化し、ほとんど這うようにして砦の壁へ取り付いた途端、
「ここで何をしている!」
太い声が響いた。崩れた砦の石壁の隙間から覗いた大きな手が、彼の襟首を鷲づかみにして中へ引っ張り込む。
顔の前に近づけられた松明の明るさと火の粉の熱さに、思わず瞬きを繰り返している庄左衛門を見て、
「何だ、貴方だったのか。何故ここに」
忌々しげな、それでいてホッとしたような声を発したのは、シャクシャインだった。
「それにしてもよくもまあ、こちら側からやって来られたものだ。ここは今、一番の激戦区になっているのだぞ」
だから俺が受け持っているのだ、と言いながら、シャクシャインは庄左衛門を庇うように壁の前へ立ちふさがった。
次の瞬間にはシャクシャインの右手にある弦が唸りを立てて、暗闇の先から男の太い悲鳴が響き渡る。
「貴方達を助けたくて来たのだ」
庄左衛門にとっては、初めて目の当たりにする「いくさ」である。唾をごくりと飲み込みながら、
「シュムクル側でも、文四郎という和人が後ろで糸を引いているのなら、貴方達メナシクル側にも
俺という和人がついていないと、片手落ちというものだろう」
たどたどしいアイヌ語で言うと、シャクシャインは彼の顔をまじまじと見つめたあと、ふっとその顔を緩めた。
(彼も年を取った)
しみじみとそう思ったためである。
結構な付き合いでありながら、庄左衛門の顔を好意でもって眺めたのは、考えてみればこれが初めてだったかもしれない。
日高へ来たばかりの時には若く、光沢さえ放っていたその肌には、今は初老の男らしく皺が幾筋も刻まれている。
年相応に髪も薄くなり、申し訳程度に結った「町人髷」にも、白いものが混じり始めていた。
(俺も良い年になったということだ)
改めて思いながら、
「長の元へ。今、オニビシの手の者から和睦の書簡が届いた。その是非を貴方にも判断してもらいたい」
シャクシャインは初めて、庄左衛門へ心からの頼み事をした。
「和睦の?」
「そうだ。奴らがどういうつもりなのかは分からないが」
ほろ苦い笑みを浮かべながら、シャクシャインは尚も矢を暗闇へ向かって放つ。どうやらこの副部族長は、
暗闇の中でも敵の位置が正確に分かるらしい。一矢放たれるごとにその方角からは悲鳴が上がって、
メナシクル一の射手という呼称に恥じぬ活躍ぶりを、庄左衛門に見せつけた。
「長はそれに乗るつもりらしい。だから、貴方に第三者としての公平な意見、とやらを述べて欲しいのだ。
俺にはどうも……」
後の言葉を濁して、シャクシャインは顎を奥のほうへ向ける。そちらの方角にカモクタインがいる、
ということなのだろう。
シャクシャインへ向かって軽く頷いて、庄左衛門は小走りに教えられた場所へ向かった。
(シャクシャイン殿の危惧も分からぬではない)
石を積み上げ、木の枠で部屋を作っただけの、簡素ではあるが堅固な砦の一室に、カモクタインはいた。
入ってきたのが庄左衛門であることを認めて、皺に埋もれた小さな目は少し丸くなる。
「イランカラプテ。このような危険なところへ、よくおいで下さった。貴方のご厚情に、メナシクル部族の長として
深く感謝する」
そんな風に言う長へ頭を下げながら、
(なるほど、この長ならば、やはりシュムクル側の提示に乗るに違いない)
庄左衛門は心の中で思った。
シャクシャインが懸命に追い払ってはいるが、今の戦況はシュムクル側にとって、圧倒的に有利なのである。
有利な側から提示された和睦には、
(必ず何か裏がある)
と見ていいはずで、武士ではない庄左衛門でさえもそのことが分かるのに、
「和睦を言い出すところを見ると、オニビシの奴も本気ではなかったということだろう。戦っている者達も、
俺がこの和睦を呑めば撤退させると言ってきている。これで双方、これ以上の被害を出さずに済む」
カモクタインはそんな風に言って、いかにもホッとしたように笑うのである。
「オニビシからは和睦と謝罪の証として、向こう側で酒宴を開くと言ってきている。だから、俺は出向こうと思う」
続いたカモクタインの言葉に、
(シャクシャイン殿はこれを危惧していたのだ)
さすがに庄左衛門も悟った。これはオニビシ、というよりもむしろ、砂金堀の文四郎つまり和人のやり口なのではないか。
「しかしカモクタイン殿」
「シャクシャインが貴方にも何か言ったかもしれないし、貴方がどう思うかも分かるが」
言い掛けた庄左衛門を遮って、カモクタインは柔らかく笑う。
「俺はやはりアイヌを信じたいのだ。それに万が一俺がいなくなっても、シャクシャインがいる。あいつさえいれば、
メナシクルは安泰だ」
「では、手前も共に参りましょう」
そんなメナシクルの長を見ているうち、たまらなくなって庄左衛門は口にしていた。言いながら、
(何故俺はこんなことを言った)
カモクタインも驚いているようだし、もちろん自分でも驚いている。
少しのバツの悪さを感じながら、
「手前は和人です。文四郎殿とはさほど面識はございませんが、手前も共に参りましたなら、同じ和人同士として、
万が一のこと、という程な危うい目には遭わぬかと思います」
(俺はやはり、この不器用なアイヌの人々を愛しているのだ)
思い、庄左衛門は言い切った。
カモクタインが静かに、しかし嬉しそうに頷くのを見て、
「それでは僭越ながら、手前、シャクシャイン殿へ休戦を告げに参りましょう」
(俺にも、庄太夫という後継ぎがいる。あれは親から見ても出来た子だ)
不覚にも瞼が熱くなるのを覚えながら、庄左衛門は慌ててシャクシャインの元へ戻った。
カモクタインは、死を覚悟している。ということは、それについていくことを決めた自分もまた、死を
覚悟しているということに他ならぬのではないか。
田付新介がかつて己に言った、
(お前さんは、親父殿に似て何とも不器用だ)
再び脳裏に蘇ったその声と、会ったのは松前城でのたった一度だけなのに、妙に印象に残っている砂金堀文四郎の顔が
重なって、
(不器用で良い。俺は俺なりの商売のやり方を貫くのだ。それで死ぬなら本望であろう)
二人の顔に、庄左衛門は心の中で言い返した。
戦いというのは、どうやら人の心を、妙に激情に駆り立てやすくするものらしい。このまま太平が続けば、
きっと考えもしなかっただろうことを思っている己に苦笑しながら、庄左衛門は俯いていた顔を上げた。
その視線の先にはシャクシャインが左手に弓を持って、微笑を含んだ目でこちらを見ている。
「長はやはり行くのか」
ああは言ったものの、彼もまたそのことを悟っていたらしい。庄左衛門の顔を見て口元をほころばせ、
ほろ苦く笑ったシャクシャインを見上げながら、
「いや、手前も共に参ります」
庄左衛門が言うと、シャクシャインは大きな瞳をさらに大きくした。
ぎらぎらと光を放つその瞳に、まるで射すくめられたような気持ちを抱きながら、
「和人の手前が行けば、相手も少しは警戒するかもしれません」
と、庄左衛門はカモクタインに言った言葉をそのまま、シャクシャインヘも繰り返す。
「貴方達の長は、同じアイヌ同士だから騙すことはないと信じているようだ」
「そうだな。信じたいのだろう。それが長の性分だ」
シャクシャインは、彫りの深い眼差しを足元に向けながら頷いた。そして構えていた弓を下ろし、
「シュムクルの者どもよ」
闇へ向かって呼びかけると、揺らめいていた松明の動きが一斉に止まる。
「わが長、カモクタインはお前達の提案を受け入れた。これから単身、お前達の長、オニビシの住むハエのチャシへ
向かうと言っている。よって、武器を収めよ」
腹の底から出てくるその声は、いつもながら太い。砦の壁や静内川の水面に反響して、まるで音楽を聴いているような、
不思議な心地良ささえ聞き手に感じさせる。
そして、辺りは一斉に静まり返った。ただ川の流れる音だけが響き、そこから発する蒸気が辺りに漂う中を、
カモクタインは二、三の部族の者と庄左衛門を伴って、新冠川方面へ向かって静かに歩いていく。
それを、メナシクル、シュムクル両部族の人間が、松明を掲げて神妙に見送る。砦の上から眺めると、二筋に並んだ
松明の列はまるで、
(イルラ・カムイに送られていくような)
死の国へ死者を送る神へ、カモクタインをみすみす委ねてしまったのではないか、という痛烈な後悔が
シャクシャインの胸を襲った。
(長はもう、戻ってこない)
なんといっても、長い間憎しみあってきた者同士なのだ。それに、仲直りの酒宴を開いて、文字通りお開きになった頃とは、
時代もアイヌの意識も違ってしまっている。
(和人のせいだ)
和人の流入で変わってしまったのは、アイヌ達の生活ばかりではないことを、シャクシャインは動物的な勘で
感じ取っていたのだ。
小さく縮んだカモクタインの背が、闇の中に消えるまで見送って、
「警戒を怠るな。コタンのほうともより緊密な連絡を取れ」
シャクシャインは、小声で部族の若者に命じた。
この後の模様を、後に土地の古老が語り伝えたところによると、
「(静内)川筋の酋長(カモクタイン)が抗議に出かけたところ、陥穴の上で(オニビシが)酒盛りをし、
これを欺いて殺した……」
ということになる。
カモクタインについていった若者数人が、カモクタインと庄左衛門の身体をそれぞれに担いで、屈辱の涙を堪えつつ
戻ってきたのは、それから半日も経たぬうちのことである。好戦的と評判のオニビシでも、二人の亡骸だけは
礼にのっとって引き渡したらしい。
ともかくこうして、両者の抗争は再開されたのだ。
(長、それでも貴方はシュムクルを憎むなと言うか)
その報せが庄左衛門の手の者によってもたらされた瞬間、シャクシャインは、壁に一番近いところで胡坐をかいていた
シュムクルアイヌを一人、射殺した。
その行動で、「オニビシがカモクタインを殺した」ことを悟ったシュムクルアイヌ達は、一気に力を得て、
メナシクルの砦へ続々とやってきたのだ。
それに反して、
(長が死んだ。その代わりに、ウタフとオニビシがやってくる)
敵の主力さえもやってきつつある、ということを聞いた若者達の間に、たちまち動揺が走る。結果、メナシクルアイヌの
戦意は萎え、攻撃の威力は見る間に衰えた。
シャクシャインがいるとはいえ、オニビシやオニビシの姉、そしてその夫であるウタフまでもが直々に
やってきているとなれば、
(俺達は勝てぬ。こちらにいる「勇者」はシャクシャインだけである)
若者達がそう思うのも無理はなく、従って、
「相手は俺達の長を、卑怯な手段でもって殺したのだぞ! 正義は俺達にあるのだ。気力でもって戦え!」
いくらシャクシャインがそう叱咤し、態勢を立て直そうとしても、敗色は濃くなるばかりだったのだ。
そして砦に立てこもることなんと二年。気がつけば、傷を負いながらもとにかく戦っている、と言えるのは
己の周りにいる「十四人衆」のみである。
松前藩の命令なのかどうかは分からないが、交易もとうに止まっていた。それでも戦禍をかいくぐって何とか食料を
届けてきていた相談役二人のうち、最上の助之丞は、老齢に差し掛かっていたのと、この戦いの心労が祟ったのとが
重なって、つい先ほど亡くなっている。従って庄太夫一人で食料を運ぶことになり、ただでさえ少なかったそれが、
絶望的に少なくなってしまった。ために、その十四人衆たちでさえゲッソリと痩せこけて、目ばかりを光らせている。
(これまでか)
さすがの「勇者の生まれ変わり」も、砦のあちらこちらに転がっているのがメナシクルアイヌ達ばかりであるのを見、
さらには、
(庄太夫にはすまぬことをした)
幼い頃から己の娘と戯れていた庄左衛門の子のことを思い、死を覚悟した。
コタンからは、皆の家族をも呼び寄せてある。以前にも軽く触れたが、この砦は川沿いの断崖絶壁にある
天然の要害だったから、
「この砦に篭っていれば安心である」
シャクシャインは、部族の者達へ毎日のようにそう言い聞かせている。しかし、万が一この砦が破られたなら……
今ではもう、その可能性も濃厚である……オニビシ率いるシュムクルアイヌは、得たりとばかりにメナシクルの
各コタンへ攻め入るに違いない。
(かくなる上は、俺の死と引き換えにコタンの保障を頼むか)
とまで、シャクシャインは考え、すぐその後に、
(この天然の要害を渡してはならぬ。相手はあのオニビシだ。約束を反故にすることなど何とも思っていない)
と考え直すのが常になっていた。
副族長である己までもが死んでしまえば、メナシクルアイヌはそれこそ「全滅」である。己の後を襲うのが
 もしも己の息子、カンリリカであれば、彼はこの天然の要害を相手に言われるままに受け渡すだろう。
(アイツは頭のいい、穏やかで優しいのだけが取り得のヤツだ。全く争いのない平和な世でなら、アイツにでも
部族長は勤まったろうが)
と、一応は彼も息子を評価してはいるが、残念ながら戦いは続いているのである。だから、シャクシャインも
己の息子を正式に後継者にすることをためらっていたのだ。カンリリカが部族長になったら、彼はおそらくその
重圧のため、心身をすり減らして早死にするに違いない。
(アイツは、戦いには到底向かぬ優しいヤツだ。こんな戦いで死なせるわけにはいかない)
従って、カンリリカが砦へ戦いのために赴くのを渋った時、わざと怒っている風に「臆病者はコタンに残れ」と告げたのだ。
(俺は父親であるよりも先に、次期部族長である)
との考えから、普段は口には出さなかったが、シャクシャインはやはり親らしく、息子を思っていたのである。
次期部族長ともあろうものが、息子への愛を露骨に出せば、コタンの他の者は何と思うだろうか。長たる者は、
身びいきをしてはならぬというのが、彼の信条だったのだ。




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