イランカラプテ 9



 三  抗争

アイヌの男達がほとんど出て行った後も、コタンの中はざわめいていた。ただ、部族長カモクタインの
小屋の中だけがしんと静まり返っていて、
(長の言葉ではないが、まことに時期早尚だ。残念だ)
カモクタインが座していた右側に黙然と腰をすえたまま、庄左衛門は目を閉じて腕組みをしている。
庄左衛門が日高のアイヌコタン、メナシクルへやってきたのは、かつて彼が弘前の杉山吉成に告げていたように、
両浜組に呼び寄せられてのことだ。表面上のこととはいえ、当時はまだまだ松前藩の、というよりも和人の
アイヌに対する態度は今ほど酷くはなかったような気がする。
(あの頃は俺も若かったわい)
まだ見ぬ北の大地、蝦夷で商売を開拓しないかと誘われ、
「これは良い機会だ。越後でコメを扱っているばかりが能ではない」
故郷を離れたくなくて渋る妻を説得して、父から受け継いだ米問屋―もともとさほど儲かっているという
わけではなかったが、どうしたものか、己が受け継ぐとさらにうだつが上がらなくなった―を潔く畳み、
連れ立って日高へやってきたのだ。
(妻を伴ってまで蝦夷にやってきたのは俺だけだった)
後に知り合った最上の助之丞も、「いやさ、寛大なご内儀もあったものだ」と、驚いて目を丸くした後、
「手前の家族は、どうしても手前には付いてきてくれませなんだ」
と苦笑した。当時の人々にとっては、蝦夷という土地は和人にとっては異民族の住む未開の地で、つまり
「蛮土」である以外の何物でもなかったのである。
蝦夷で彼は、鷹待、つまりアイヌたちが蝦夷で獲る鷹を松前藩に収める、という仕事に初めて就いた。
慣れぬながらも初めての取引を終えると、庄左衛門の手元に残った金は、
(商売下手の俺に、でさえも……)
これまでに商売で得たそれとは比較にならないほど莫大なものだったから、彼も彼の妻も目を丸くしたものだ。
現金なもので、最初は越後へ帰りたいと文句ばかり言っていた妻も、それでころりと態度を変えた。それに
気候も越後とさほど変わらぬし、というわけで、日高に居つくうち、息子も産まれた。
商取引のため、庄左衛門が半年ごとに蝦夷と越後を行ったり来たりしているうち、はや二十数年が経って
しまっている。そのうちに妻は亡くなったが、彼は相変わらず静内川口に設けられた松前藩の交易所を年に
一回訪れては、アイヌと松前藩お抱え商人の間に立って交渉を進めてきた、というわけだ。
(俺も年をとるわけだな)
思わず苦笑しながら、白いものが混じっている小鬢を右手で掻くと、
「親父殿、良いのですか。今回ばかりは、メナシクルの方にいささか分が悪いと手前、見ておりますが」
一部始終を少し下がった座で聞いていた実の息子、庄太夫が、堪えかねたように膝を進めた。これは先述のように、
日高へやってきてから生まれた子である。
物心付く前から、庄左衛門とともに越後と蝦夷を行き来しているものだから、いつの間にかアイヌの言葉も聞き覚え、
父より達者になった。今では立派な「通訳」である。
跡継ぎだからと、商場へ実地の訓練を兼ねて連れて行くうちに、
「松前藩、といいますか、我らの仲間(和人)のやり口は、ちと汚すぎませんか」
しばしば父に尋ねるように、今ではすっかりアイヌ贔屓になってしまっているから、
「親父殿。今からでも遅くはございますまい」
今も彼は、さらに父へにじり寄って言うのである。その側には、シャクシャインには付いていかなかった
カンリリカが黙って座っていて、彼ら親子の会話へ耳を傾けていた。
(消極的ながら、最後まで開戦に反対していた……)
ゆえに、シャクシャインからは「それほどまで言うなら、お前はコタンにこもって震えていろ」とまで言われた
……そんな「次期部族長」の息子は、今も砦で弓を片手に先頭を切って戦っているのだろう父親とは、
(頼りなく、穏やかで、武術も決して巧みとは言えぬ)
似ても似つかない風貌をしている。
従って、当初は「英雄の息子」ということで、大いに期待していたらしいメナシクルコタンの人々も、今では
カンリリカに塵ほどの関心を抱いていない。シャクシャインの周りには、彼の実の息子よりも屈強で、武術に長けた
「十四人衆」と呼ばれる若者がいて、その側を固めているし、
「部族長は世襲制ではない。部族で強い者がなる」
という不文律も生きているためだ。果たしてこのことが、カンリリカにとって幸いであったか不幸であったかは
分からない。
それとは逆に、
「我らから、砂金堀の文四郎殿へ掛け合ってみては如何で」
そう繰り返す庄左衛門の息子は、
(不器用で、まっすぐで……)
成長するにつれて庄左衛門そっくりになった。
(しかし俺は、俺の歩いてきたのと同じ道を、こいつが歩こうとしているのを喜んでいる)
思って微苦笑をもらしながら、彼は庄太夫へちらりと一瞥をくれ、再び目を閉じて大きく嘆息する。
(庄太夫の言わんとすることも分かるのだが)
カモクタイン達にとっては、余計なことでしかあるまい。
実際、カモクタインも忙しくコタンと砦を往復しながら、日に一度は
「お前達は何故逃げないのか」
そんな風に言いたげな顔で、庄左衛門を見る。
(その通りだ。何故俺はここに留まっているのだ)
庄左衛門のほうも、カモクタインが、というよりもアイヌが、和人全員を心から信頼していないことくらいは
とうに承知している。もともと田付と建部の両浜組が勝手に決めて、恩着せがましくアイヌ側へ押し付けた相談役だ。
何の疑いもなく信用できるというほうがおかしい。
松前藩や両浜組、さらにはやはりその系列であるはずの庄左衛門にとっても、願ったり叶ったりのはずの
「アイヌ同士の争い」に、庄左衛門が軍師ヅラをしてシャシャリ出る必要はないのだ。
「親父殿。アイヌの人々のために、手前どもが出来ることをしましょう」
しかし今、こうして自分に詰め寄ってくる息子は、父親同様、商人と取引相手という枠を超えて、この北の
大地に生きる人々に深く魅せられている。
(人間というものは、幼い頃に育った環境に深く影響されるというが)
「そうだな。俺もメナシクルアイヌの人々の生き様が好きだ。皆、異民族の垣根を越えて、俺達に親切にしてくれた」
苦笑しながら頷いて、庄左衛門は、
「だから、ここに骨を埋めても良いとさえ思っている」
特にシャクシャインの息子や娘たちと幼い頃から馴染んでいるうち、何とその娘と将来を約束さえ
しているらしい我が子を見つめつつ、言った。
すると、
「手前もです。アイヌの人々は我らよりもずんと懐が広い。和人が思っているほどに愚鈍でもない。経験による
深い知識を大事に受け継ぐ、素晴らしい民です」
案の定、親父の言葉に庄太夫は深く頷く。
当初は、
「イランカラプテ」
と言いながら抱き合う、大げさとも思える挨拶の仕方に戸惑ったものだが、
(貴方の心にそっと触れさせてください、か)
その言葉に込められた意味を知った時、何故か体中から溢れんばかりの懐かしさを感じた。商売に明け暮れて
ささくれていた己の心が、ふと緩んだような気がしたのである。
(己の身の回りにいるもの全ての中に、神を見る…)
松前藩以南に住む和人が、それなりの文明を発展させるとともに、いつかどこかに忘れてしまってきたものを、
アイヌの人々は未だに大切にしているのだ。それを、
(遅れた文明よ)
と、嘲笑う和人のほうを愚かしいと思いつつ、しかしそれを口にしてしまえばたちまち和人商人の
「蝦夷の商売王国」からはじき出されてしまうのもまた、庄左衛門は重々承知していた。
それを思うとき、
(「ケチな」米問屋だったが、それなりに上方や江戸との取引もあったものな)
彼はいつも「前の商売」を思う。もしも蝦夷へ来なければ、アイヌの人々のそのような考えを聞き知ったところで、
(文四郎殿のように、鼻で笑っていたに違いない)
のだ。
その文四郎だが、シュムクルつまりオニビシ側の相談役にはついているものの、庄左衛門のように、異文化を
有するアイヌの民へある程度の敬意を払っているというわけでは、もちろんない。
文四郎に限らず、蝦夷の商場、とくに松前藩のある蝦夷南西部の渡島半島や松前半島へ近づくほど、
「アイヌの民はお人よしであるから、搾り取るだけ搾り取ることが出来る。百姓どもと同じで、生かさぬよう
殺さぬよう、扱うが良いのだ」
和人商人たちのそんな考えは各々の心の中に濃く染み込んでいるようで、特に直接カネに繋がる砂金堀達に
その傾向が強かった。
従って、「漁夫の利」を思うこともまた、文四郎のほうが当然ながらより強い。ひょっとすると今回、
メナシクルアイヌたちを挑発したのも、オニビシについている文四郎の入れ知恵かもしれず、それゆえに、
(お前さんの顔は、とてもじゃないが商売人の顔じゃないね。もう少し貪欲であっても構わないよ)
もう今は亡くなっているが、両浜組の片割れである田付新助に松前城で初めて出会った時、鼻先で笑われながら
言われたことを思い出して、
「俺の申すことなど、文四郎殿は聞くまいよ」
苦笑しながら庄左衛門は言うのだ。文四郎もまた、同じような感情を己に対して抱いているに違いないからである。
しかし、
「親父殿」
二十歳になったばかりでまだまだ頬の赤い息子は、ついに膝を付き合わせんばかりに進めて、
「ならば何故、手前どもも引き上げませぬ。何故先ほど、カモクタイン殿にシュムクルアイヌの奇襲を
報せなさりました。助之丞小父もいつものように商場へ出かけている。それはこのコタンの人々の生活を
守るためでしょう。小父も、日高から引き上げるつもりはないのでしょう」
「……そうさな」
「ならば我等も、武器を持たぬといえども、商人に出来ることでメナシクルの人々を助けねば。
親父殿、そうしましょう」
父の顔へ唾さえ飛ばしながら、熱心に言い募るのである。
(若いな)
思いながら、庄左衛門はしかし慈愛のこもった微苦笑で、激情のために額まで赤くしている我が子をつくづくと
見やり、
「では、お前はここに残るのか」
「はい。しかしそれは親父殿も同じでしょう」
問うと、確信に満ちた即答が返ってくる。(生意気な奴め)と、己の心の内を当てられてしまったことへ再び
苦笑を漏らしながら、しかし庄左衛門は、
「では、これからは市左を頼れ」
と言いながら胡坐を解き、立ち上がっていた。
「ああ、尾張の市左衛門小父ですか」
「そうだ。こんなこともあろうかと、二月ほど前に尾張へ連絡を取っておいた。正式にメナシクルの
相談役になってくれ、とな」
市左とはもちろん、尾張の市左衛門のことである。年は庄左衛門よりも一回りほど下で、庄左衛門が言うように、
今、彼が主に店を広げている場所は尾張ではあるが、
(俺よりはマシな商売をしているようだから)
とにもかくにも御三家のお膝元である。幾多の店が軒を連ねて、いわば商売の激戦区での「やり手」
ゆえに情報通である。尾張のことだけでなく、江戸のことにも詳しい。
よって、彼が蝦夷へ来てくれたなら、庄太夫にとっても限りなく頼もしい味方になるだろう。温厚実直さが
全面に出ている、ノッペリとした平坦な顔を思い描きながら、
「その他にも、いざとなれば、弘前藩の杉山吉成様から松前藩へ、それとなく仲立ちの労をとる事をほのめかせと、
手蹟も渡してある」
「いつの間にそのようなことを」
と、驚きの目を見張る息子を見下ろした。
その左肩を叩きながら庄左衛門は続けて、
「商売人は商売人同士。俺はな、商売には不器用だが、己の身を護ることにだけは才覚が働くのさ」
そこでふと苦笑を漏らす。
「ことが一段落付く頃には、市座もこちらへ来ておるだろう。お前はここに残れ。あれのことをよくよく、
メナシクル部族の他の者達へ言い含めておけ。それがお前の役目だ」
「それは分かりましたが…親父殿は何処へ?」
「カモクタイン殿やシャクシャイン殿が立てこもるチャシだ」
砦をわざわざアイヌ語に言い換えて、庄左衛門は戸口の菰をぱっとからげた。途端に、湿り気を含んだ春の風が、
小屋の中をどっと吹きすぎてゆく。
「親父殿。それでは手前もお連れ下さい。助之丞殿が商場から帰ってきても、手前だけでは、とてもこの状況を
説明できません」
慌てて立ち上がり、追いすがってきた息子へ
「心配するな。カモクタイン殿もシャクシャイン殿も強い。滅多なことでは破れまいよ」
庄左衛門はなだめるように言いながら、その身体を小屋の中へ押し戻す。
「様子を見に参るだけだ。必ず戻ってくる」
それに答えるように開きかけた息子の口を封じるかのごとく、そう言い置いて、庄左衛門はコタンから離れた。
結果的に、これが彼ら親子の永遠の別れになったのだ。




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