T大教養308号室



CASE1 モテる男 その1



(年々歳々、花あい似たり。歳々年々、人同じからず…か)
パソコンへ向かって次の講義のプリント資料を打ち込んでる最中に、
「小川先生?」
部屋の扉をノックする音と、私を呼ぶ声が聞こえた。
「はいよー、いますよー。どうぞ」
だから、私はパソコンから目を離してそっちを見る。
すると、横開きの扉はカラカラと音を立てて開いて、そこからは女の子と男の子の顔が覗くのだ。
「ん? あんた達、見かけない顔だね。講義について何か質問?」
「いや、あの違うんです、はじめまして」
ずれかけた眼鏡を左手で直しながら問いかける私へ、その二人はおずおずと頭を下げる。
「うん、はじめまして。で? 何?」
もう一度私が尋ねたら、女の子のほうが、「ほら、早く言いなさいよ! ここまで来たんでしょ!」
なんて言いながら、その男の子…とんでもなくでかい図体を、さも申し訳無さそうに縮めてる
体育会系のイガグリ頭の子のわき腹を肘で突付いた。
「あの、小川先生」
「はいはい。聞いてるよ。だから何」
私より一回りは大きなその男の子は、私が促すと、心なしかもじもじしながら、
「ここに来るとあの、カノジョが出来るって聞いたんですけど」
「…」
「お願いします! どうか俺にもカノジョを作ってください!」
戸口のところで土下座したその男の子を、私は憚ることなくでっかいため息を着きながら見下ろしたのだ。
ちなみに私は小川美紀、二十八歳。
「あのな、私の専攻は中国文学だってこと、知ってるよね?」
呆れながら私は言った。自分もかつて在学していたT大で、やっとこ助教授に昇格した、二年目の春のことだ。
「恋愛カウンセリングとかなら、その専門のとこへ行けば? 他人の惚れた腫れたまで知らないわよ私ゃ」
「そんなこと言わないで下さいよ! だって他にもセンセのとこ来てツレアイが出来たって
喜んでる奴ら、一杯いますもん。ですから、一生のお願いです! 先生の力でどうか俺にも彼女を」
「知るかっ!」
ついに私は怒鳴る。こいつらは、私を魔法使いだかなんだかとカンチガイしてないか?
専門の中国文学のことなら、どんなことでも調べてそれなりの答えはする自信はあるけど、
「私だってたくさん恋愛をしてきたわけじゃないんだってば。だから責任を持てないんだって」
一度、ジブンとこの講座所属の女の子の恋愛相談とやらに乗ったら、それがT大にぱーっと広まったのには
(つくづく参ったわ…)
でも、
「ま、分かったよ。いいから入んな。ちょうどお茶にしようと思ってたところだからね」
脇にいる女の子が、すがるような目で見るのにも弱ったもんだから、私はついにそう言っていた。
途端に、その男の子の顔もぱぁっと輝く。
そして私は、サークルの友人同士なのだという関係の二人を、自分の部屋の中へ入れたのだ。
T大教養部308号室、中国文学小川助教授。
(確かにそう書いてあるはずなのに、なんだってここがいつの間にか恋愛カウンセリングルームみたいなのに
なっちゃったんだかね)
ため息を着きながら二人をソファへ座らせて、
「ほれ、食べな。ダンナから送ってきた中国の菓子」
後で一人でこっそり食べようと思ってた私の最愛のダンナの土産を、私はその前へ出した。

で、その二人が「ありがとうございました!」なんて言いながら、私の部屋から明るく去っていった後、
私はいつものごとく、部屋の窓際へ行って外を眺めながら、ゲッソリとため息を着いていた。
(いい若いモンが考えることっちゃ、そっちの方面ばかりかね)
ま、人のことは言えない。私だって過酷な大学受験がやっとこ終わって大学に入学したら、
ぱーっと浮き立っちゃって、カレの一人や二人、出来ないもんかなー、なんて思ってたもんだ。
残念ながら、学生としてT大に在籍していた四年間、カレは出来なかったけどね…。
(さて、あと一息だから、やっちまうべ)
気を取り直して机に座って…キーボードへ指を配置したところで、ふとその左脇にある写真立てへ
目をやって、
(義彦さん、早く帰ってきてよ。学生のお守は本当に疲れるんだからさー)
私はまた、ため息を着いていた。その中では、殷墟っていう何ともシブいところへ新婚旅行に行った際の、
私と私のダンナ、小川義彦が写っている。
来週には日本に帰ってくるって言ってたけど、今もまだ、あの殷墟で土堀りやってんだろうか。
何か新しく出てきた遺跡はあったんだろうか。
(遺跡なだけに、掘り当てたらまさに『掘り出しモン』。なんてねー)
これは「やや受け」かな?なんてしょーもない自画自賛をしていたら、また部屋の扉がノックされた。
「いますよー。どうぞー」
で、私もまた、今度はちょっと投げやりに答える。扉についてる摺りガラス。そこに映ってる頭の影は、
どう見たってお世話になってる学術関連の人のものじゃないから。
「あの、先生…すみません、はじめまして」
「…はい…はじめまして」
やっぱりカラカラと音を立てながら、引き戸からのっそり入ってきたその人物を見て、
私は思わず目をむいていた…とっても失礼だけど。
で、その人物…野郎は言うわけだ。
「ここに来るとカノジョが出来るって聞いたんですけど」
「どっから聞いた、そんなガセ」
今日はこれで二回目だ。毎日一回はこういった訪問を受けるようになって、一年半。
週に一回の講義とはいえ、講義内容がおざなりになっちゃ学生に対して失礼だ。
こっちだって忙しい身なのに、他人の恋愛沙汰にまで面倒見切れるか。
「私の専門以外の分野なら、問答無用。とっととお引取り願いましょうか」
だもんで、私も何ともぶっきらぼうに答えてた。
そしたらその…小山みたいなまん丸な男は、
「そんなこと言わないで、お願いします! 僕、学生ですし、お金ないし。だからタダで頼れるところは
もうこしかないんですから!」
…どうやら、自分がどれだけ失礼なことを言ってるか分かっていないらしい。
んでもって、追い払うための答えを探してる私へ続けて、
「僕、モテるのにどうして彼女が出来ないのかって。先生なら分かると思って来たのに!」
思わずまた絶句モンのことをのたまったもんだから、私も改めてその立派な体躯を見つめなおしたわけだ。
(う〜む)
「…アンタ、何センチで何キロ?」
しまった、なんて思う前に、私の口は勝手に動いていた。すると彼は全然気にしてる風もなく、
「167センチで107キロっす」
「…」
さらっと答えるもんだから、とうとう私の口からは言葉が出なくなった。
「…で、アンタは自分がモテる男だと?」
やっとのことで声を絞り出すと、
「そうですよ。僕、モテるんです」
「にも関わらず、彼女がいないと」
「そうなんですよ!」
我が意を得たりとばかりに頷くと、同時にそのたぷんたぷんの頬も揺れる。分厚い眼鏡の奥には、
その頬に押されたせいだかなんだか知らないけど、これまた「ちゃんと見えてんのか?」と
聞きたいくらいにちびっこい目が二つ。
「…うちの大学、一応共学だから、女の子はいると思うんだけどね」
痩せてから出直して来い、と、はっきり言えたらいいんだけれども、一応「助教授」であるところの
私が言うと、学生を傷つけたとか何とかでヘタすっと何らかの処罰を受けちゃったりするもんだから、
「モテんなら、ほら、そこらへん歩いてる女の子をナンパでも何でもすりゃいいじゃん」
とりあえず、無難?かと思われる答えを私は返したわけだ…戸口に突っ立ったまま。
「それがねえ、なんだか駄目なんですよ」
すると彼は、さももっともらしくため息を着いて、
「この大学、どうも見る目のないコばかり集まってるみたいで」
やれやれ、みたいな風に気取って肩をすくめる外人のポーズを取るもんだから、私は眩暈がしそうになるのを
必死で堪えたもんだ。
167センチってことは、私と4センチしか背が違わないわけだ。なのに、私の二倍以上の体重。
そもそも「自分がモテる」という自信はどこから来るのか分からない。
だから、
「…あのさ。アンタさ、なんでそんなので自分がモテるとか思ってんの?」
つい、またそんなことを口にしちゃって、私はもっと慌てた。自分でもその言葉、ヤんなっちゃうくらいに
剣呑なものが含まれてるって分かったから。
なのに、
「いや、だってね。僕、冬になったら人が集まってくるんですよ。僕の周りに。なんだか『あったかいね』
『あったかい人だね』なんて、サークルの女の子によく言われるんっす。だから、自分で言うのも
ナンだけど、僕、結構モテるんじゃないかって」
のほほんと、しかしそこはかとなく自信たっぷりに彼はまた言った。
(…参ったな)
だもんで私、今度は笑いたくなっちゃうのを必死で堪える羽目になっている。
「で? 今アンタは何回生? 何学部?」
「工学部の土木、二回生です。あ、えっと、秋田川隆介っていいます」
(…秋田川隆介…)
「そっかそっか、秋田川君ね。そんじゃ、アドバイスしてあげるから、よく聞きな」
「は、はい」
日本が誇る文豪の名前をふと思い出してしまって、また笑いそうになるのを堪えながら、
私は神妙な顔をしているこのデブ…いやいや、男の子へ言ったわけだ。
「まず、痩せな。話はそれからだ。格好にちょっと気を遣ったほうがいいんじゃないの?」
「ええ!? だって僕、デブじゃないですよ? このままでもモテるのに、痩せる必要なんて無いですよ。
それに格好だけを追及してる男なんて、面白くないですって」
「痩せる必要があるから言ってんの。アンタに、自分の格好に気を使う必要があるから言ってる。
それが出来なきゃ話しになんぞ来るな。それにそもそも」
デブの上に自意識過剰か。私の口からは、とうとうはっきりと呆れた声が出て、
「ここは『中国文学』の研究室なの。ツレアイが出来る魔法の部屋とかじゃないの。
そこんとこ、勘違いしないでね。んじゃ、私も忙しいんで」
言い捨てて、私は扉を閉めようとした。そしたら、
「僕も講義の合間にわざわざここまで来たのに」
「知るかっ!」
哀れっぽい声で無礼なことを言うな。私の時間はどうでもいいのか。
鼻先でピシャリと扉を閉めると、やがてでっかいため息が扉の向こうから聞こえて、足音が遠ざかっていく。
(行ったかぁ)
椅子へよろよろしながら戻って、私は顔を引きつらせていた。
ありゃ、最近の若い者は、なんて年寄りじみた愚痴を吐くレベルの問題じゃない。
最近の風潮かなんだか知らないけど、なんだって皆、カレがカノジョがとかで騒ぐんだろう。
大学生になってツレがいないなんて、別に特別変なことじゃない、と思うんだけどな。
(ねえ、義彦さん)
やっとこさ講義のプリントを仕上げて、写真に話しかけながら私は大きく伸びをした。
私とダンナが出会ったのだって、私が大学院の修士に入ってから、学会で、だったんだもんね。
(出会いって、タイミングと縁ってのも大きな関係があるんじゃないかなあ)
最近では、私もそう思うようになってる。
出会うべくして出会って、結婚まで行くならそれも縁だってことだ。別れるのも縁。
別れは辛いだろうけど、それも縁なんだよね、多分。
(それをいつ引き寄せてもいいように、普段から自分を磨いておくのが大事なんだよね)
ダンナの写真へ、私はにっこり笑いながら心の中で話しかけた。
その写真立てのガラスんとこに写ってる当の私はといったら、長い髪を後ろで一つに束ねただけ、
化粧っ気もなんもない顔、そんでもって長Tシャツにジーパンの上に白衣っていう、何とも色気のない
格好だけどもさ。
(ま、そこがいいって言ってくれたもんね、義彦さんは)
頭をガリガリ掻きながら、大きな欠伸をしたところで、
「…あの、先生」
さっきの声がまたした。どうやらあの男の子はまた戻ってきたらしい。
「いるんなら、もう少しだけ、僕の話を聞いて下さいよ…」
頼むから、そんな哀れっぽい声を出さないでよね。こっちがものすごく悪者みたいじゃないのさ。
ため息をつきつき椅子から立ち上がって、
「『いるんなら』じゃない、目上の人間に対するときは『いらっしゃるんなら』でしょ。
小学校で習わなかったのか?」
私は引き戸を開けたのだ。
何度かのこういった体験…したくもなかった体験を経たせいで、一番厄介なのがこんなタイプだってことは良く分かってる。
だけど、そこはやっぱり『彼が学生、私が先生』で、あんまり無下な態度を取るわけにもいかないから、
「ま、座りなさいよ」
私は勧めた。
ソファをぎしぎし言わせながら、彼は私の真向かいへ座る。一応、間に置いてあるガラステーブルとの
距離には余裕があるはずなんだけど、それでもこの男の子が座ると、とても窮屈そうに見えて、
(ソファ、痛むんだろうな…)
大学の備品だから、とは言っても、私はそっちのほうにも心を痛ませていたもんだ。
「先生」
そしてソファに座った彼は、真剣な(多分)面持ちで私を見て、
「これから僕がどれだけモテるか、ちゃんと証明しますから聞いてください」
そうのたまったんである。
その時に時計を見上げながら私が思ったことは、
(私、今日中に家に帰ることが出来るんだろうか)
だったことは言うまでもない。

to be continued…

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