Last Stage 30



「また揉めたのか」
舞台監督はともかく、主役級の二人が出てこないと稽古にならない。だもので、
今日もせっかく集まったのに、稽古はなし。
私がため息を着きながら天田さんへ「報告」すると、天田さんも苦笑して、
「赤井さんは? 彼女からは何か聞いていないのか?」
ちょっと冷めてしまったコーヒーをすすった。
「…そうですね…何も」
かくいう私も食欲が無くて、せっかく久しぶりにLに入ったのに注文は出来ないでいる。
「美帆ちゃんは部活に出てきてるんですけど、今村君、彼女にも会わないらしいんです」
「相当重症だな」
「そうですね」
もうすぐ学園祭だってある。ブースも学祭実行委員に申請してちゃんともらってるのに、
「このままじゃ、学園祭だって参加できませんよ。一回生の子たち、おでん屋の屋台やるんだって
とても楽しみにしてたのに」
「…君が代表として、奥井の代わりにやってあげる、ってのは無理なのか?」
「その話は出ましたけど」
私はもう一度ため息を着く。今、演劇部はそれこそ「奥井派」と「茂木派」に別れちゃってるみたいな
観があって、ただ去年と違うのは、一回生と二回生、ほとんどの子たちが奥井君からそっぽを
向いてるってことだ。
「…私が今更しゃしゃりでるのって、どうかと思ったので」
「そうだねえ」
私は今回、学園祭へは一切口出ししないでおこうと決めていた。だって去年、他でもない奥井君自身が
千代田さんには口出しさせないで仕切っていたんだから、三回生の出る幕なんてないはずだって。
「で、茂木はどうしてる? これからどうするんだって?」
「一応は」
秋はどんどん深まっていく。チサの手にあった、作りかけの「新撰組の衣装」をふと思い出しながら、
「一応は、茂木ちゃんたちが奥井君の下宿に行って、話し合うって言ってます…今夜」
そこで、ぞくりとしたものを感じて、私は思わず震えていた。
「今夜、か」
「…明日には結論が出るって…今回の公演のことも、学園祭のことも、それから…」
「それから?」
言いながら俯いてしまった私の顔を覗きこんで、勇気付けるみたいに天田さんは促す。
…私の喉の奥で、何かが「ぐうっ」なんて音を立てる。
「…それから、多分」
自分で自分の身体を抱き締めるように組んだ腕に、自分の肌に、私は無意識に爪を立てていた。
言ってしまったらもう終わりのような気がして、なかなかその先が言えない。
窓の隙間から少し冷たい風が吹いてきて、きっとすっかり冷え切ってしまったんだろうコーヒーカップを
テーブルへ戻して、それでも天田さんは辛抱強く待ってくれている。
「演劇部の…これからのこと、です」
言い切って、とうとう涙が出た。私の頭を、天田さんは黙って撫でてくれる。
皆、今回の公演を何とか上演したいと言ってくれていた。それはいつか美帆ちゃんが言っていた、
「あっちゃんのためだよ。皆、あっちゃんを最後に役者として出させてあげたいから、頑張ってるんだよ」
多分にそのせいだろう。
だから、
(私は本当に何も出来なかった)
そう思って、余計に申し訳ないのだ。
「…君の置かれた状況が特殊だっただけだよ。あまり気に病むな」
「ありがとうございます」
カバンからハンカチを出して、私は慌てて目を擦った。冷静に考えてみれば、たかが田舎の
弱小サークル、その中での「分裂劇」。ただそれだけのことなのに。
「これから、どういう予定?」
「…稽古は無くなっちゃったから」
天田さんの問いに、私は大きく息を吸い込んで答える。
「いきなり空いちゃいましたね…どこに行くってあてもないし」
「カラオケとか飲みに行くって気分でもないか」
「ですね」
顔を見合わせて苦笑してしまった時、Lの扉の鈴が鳴るのが聞こえた。何の気なしに
そっちへ目をやると、
「あれ、美帆ちゃん」
「…あっちゃん」
疲れた顔をしている私の従妹の他に、チサとフミヤ、サクラっていういつものメンバーが
ぞろぞろと入ってくるのが見える。
美帆ちゃんは、私を認めて一瞬ハッとしたような顔をして、それからつかつかと私と天田さんが
いるテーブルへ近づいてきた。
「あっちゃん、さ」
隣のテーブルへ美帆ちゃんが腰掛けると、他の子たちも同じテーブルに着く。ため息を着きながら、
美帆ちゃんは抱えていたカバンを席の下へ置いて、
「いつから天田さんと付き合ってたわけ?」
天田さんが側にいるのにも関わらず、ずばりとそう問いただす。
「天田さんと付き合ってるっていうの、本当だったんだ」
「ん? …そりゃ、まあ」
一体何が言いたいんだろう。
「別に隠しておくことでもないけど、改まって言い出すほどのことでもないじゃない?
それにさ、そのこと、誰から聞いたの?」
苦笑する天田さんを見ながら私がそう言ったら、
「奥井さん、あっちゃんのこと『スパイ』だって言ってた」
「何それ」
美帆ちゃんは私の問いかけには答えずに、意外な言葉を返してくる。そこへウェイトレスさんが
注文を取りに来て、一旦会話は途切れたけれど、
「シュウ君が見たんだって。あっちゃんと天田さんが仲良さそうに教育学部へ向かって歩いてたの。
そのことがシュウ君、ものすごくショックだったみたいで、奥井さんとけんちゃんにすぐ
連絡したって」
「ああ」
言われて私は、あの時に見た人影がやっぱりシュウ君のだったんだって納得したのだ。
「…そのことが、どうしてシュウ君にとってショックなの? 彼には関係ないじゃん」
どこかイライラしたように美帆ちゃんが言うことを、私の頭は正しく理解してくれなかった。
だけど、美帆ちゃんと一緒にいる子たちは固まったような顔をして、私たちの会話を聞いてるし、
「私と天田さんが付き合ってようが何してようが、他の人には別に関係ないでしょ?
それに奥井くんとけんちゃんに連絡したなんて、大きなお世話だよ」
「何で言ってくれなかったの? 何で隠してたの?」
「隠してた、って…」
美帆ちゃんの、小さかったけれど悲痛にも聞こえる声に、ついに私は絶句してしまった。
別に隠してたつもりはない。自然に「バレる」ならそれでいいと思ってた、ただそれだけのことなのに。
天田さんもどこかムッとしたような、けれどちゃんと美帆ちゃんの言いたいことを見極めようと
しているような、そんな表情で黙ったまま耳を傾けている。
「わざわざ言うようなこと? 私が誰と付き合ってるかまで、奥井君たちにわざわざ
言わなきゃいけないの? なんで?」
「分からないかなあ」
美帆ちゃんは、目を閉じて大きく息を吐いた。
「奥井さんは、あっちゃんまで自分を裏切ったと思ってるんだよ。あっちゃんが天田さんへ、
今の演劇部のあることないこと『チクってる』って思っちゃってるんだよ。そしたら、
ありさんたちが主催してる『向こうの』演劇部に、こっちの動向も筒抜けでしょ?
あっちゃんがスパイだったせいで、弱みを握られてしまったって、そう考えてるんだって」
「…チクる…弱み!?」
ついに私の頭は真っ白になってしまった。
どこからどうして、そんな風に受け取れてしまうんだろう。天田さんも私も「演劇部」なのだから、
話題が自然に演劇部のことになるのはむしろ当然で、そりゃ私も今の演劇部のことを
話していたけれど、だからといって別に告げ口とかそういう意味で話してたんじゃない…のに。
「…それは聞き捨てならないね」
美帆ちゃんの言葉に、とうとう天田さんが身を乗り出す。
「俺は、確かに亜紀…川上さんから今の演劇部の事情を聞いてる。だけど、ありちゃんたちの
演劇部とは別に何の関係もないんだ。俺はただ、川上さんが悩んでるのを励ましたかっただけだよ。
春からこっち、そのことと、自分の将来のことで精一杯だったんだ。奥井みたいな風に考えられるほど、
ヒマじゃなかったんでね」
かなり冷たい怒りに燃えた声だった。美帆ちゃんもやっと冷静さを取り戻したようで、
ハッとしたように黙ってしまって、そのまま俯く。
「いや、悪かった。君たちに言っても仕方がない」
それを見て、天田さんも苦笑してそう言う。
「かと言って、俺が直接奥井に言うのも何だかおかしな話だしな」
それへ、
「…今の奥井君に言っても無駄です」
私はポツリと呟くように答える。いつの間にか、窓の外は真っ暗になっていた。
「とにかく、全ては明日ですよ、ね?」
気まずい空気を吹き払うように、ことさら明るくフミヤが口を挟む。
「どう転んだっていいじゃないですか。私、演劇部に入って後悔はしてません。色んな人と
知り合えて楽しかったから。だから川上さんも、気にしないで」
するとサクラも、
「おでんの材料、もう買っちゃったけど、使わなくなっても私たちの下宿で飲み会やりましょうよ!」
「うん…ありがとう」
頭の中は、まだ半分以上真っ白になったままだ。だけど、後輩たちにそれ以上、心配を
かけたくなかったから、私は無理に笑った。
「じゃあ、ちょっと俺達、先に出させてもらうね」
天田さんが言って私の手を取り、立ち上がる。それを見て後輩達が冷やかすものだから、
やっと私も照れながら笑えた。
手をつなぎながら外に出ると、冷たい風に吹かれた雲が千切れて空を飛んでいく。その隙間から見える星は
憎たらしいほど綺麗で、
「明日、さ」
「はい」
なんとなし、二人でそれを見上げながら歩いて、
「『全部』終わったら、俺の部屋においで」
「…はい」
「カレ」の言葉に私は頷く。明日が来るのが怖くてたまらないし、本当は逃げたくてたまらない。
こんな気持ちになったのは、T大に…演劇部に入って初めてだ。
天田さんもきっと、最悪の場合を予想していたに違いない。
それでもまだ私は、
(ちゃんと言わなきゃ。私は別にスパイでもなんでもないし、奥井君を裏切ったつもりも
全然無いってこと。それから…)
私のことを「女にしておくには惜しい」って認めてくれた、あの頃の奥井君に、わずかな
希望を託していた。
ちゃんと秋季公演を終えよう、ってことを伝えたい。ちゃんと話をしたらきっと分かる、
そう思っていたのだ。

だけど、翌日。
「俺の考えについてこられないやつは、演劇部を辞めろ」
小会議室のホワイトボードを背中にした、真正面の席で、左右に今村君とシュウ君を
従えた奥井君は、堅い顔のままいきなりそう告げたのだ。
「川上。お前はどうだ?」
その顔でぐるっと他の子たちを睨みまわした後、私へ目を留めて彼は尋ねる。
(どうして今更)
スパイだとさえ思っている…ほんと、馬鹿馬鹿しいけど…人間を引き止めるようなことを言うんだろう。
だから、私は黙って立ち上がった。
すると美帆ちゃんも慌てたように、
「私は、二年生で辞めるって言ってましたから」
それだけを言って、扉を開けた私の後を付いて来る。振り向かなかったけれど、私の後ろで
ガタガタと椅子が動く音がして、他の子達もぞろぞろと付いて来る気配がした。
何度も上り下りした土手の階段を上がって、少し行って…振り向いたその部屋には、
奥井君と今村君とシュウ君しか残っていない。
(演劇部、これからどうなっちゃうのかな)
たった三人しか残らなくて、『部』としての活動が出来るとはとても思えない。そう考えて、
(私にはもう関係ないじゃない)
私は苦笑した。もうはっきりと「ついていけない」って奥井君に「宣言」したのだ。私はもう、
演劇部に口を出せない…出さなくてもいい。
「…なんであんなこと、言っちゃったんだろうね」
教育学部の前まで来て、私は後ろを振り返る。するとすぐ後をついてきていた仲村君が、
「奥井さんの意地ですよ」
「意地…そっか」
奥井君のプライドの高さと意志の強さ。誰にも歯は立たない。私は苦笑して頷いて、
「飲もうか」
そう言うと、フミヤがちょこちょこと私の隣へ近づいてきて、
「それよか、天田さんのとこへ行ったほうがいいですよ? おでんは私たちで片付けておきますから」
耳打ちし、笑う。
「あははは。じゃ、お言葉に甘えて」
だもので、私もまた苦笑した。
美帆ちゃんも、どうやら今日ばかりは今村君のところへ行く気になれないらしい。
私の下宿先へ入っていく後輩達へ手を振って、私は天田さんが待ってくれているだろう彼の下宿へ急ぐ。
一人になると、急に寂しさが襲ってきた。たまらず携帯を取り出して、
『もうすぐそっちへ着きます』
天田さんへ、私はメールを送る。彼の下宿先に近づいてきて顔を上げると、天田さんの部屋には
明かりが灯っていて、その窓がガラリと開いた。
「あ」
その顔が、私を認めてそんな風に動いて、それから慌てたように消えて…
(…あ)
その顔を見て、私はそこからとうとう一歩も動けなくなる。消えかかっている外灯の下、
しばらく立ちすくんでいたら、
「お疲れ」
…熊みたいにがっしりした人影が駆け寄ってくる。そしてその人はただそれだけを言って、
強く抱きしめてくれた。
だから私はやっと安心して、子供みたいに声を上げて泣いたのだ。


to be continued…

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