Last Stage 29
その3 終幕〜龍馬にはついに会えなかった。
…今年の夏は、本当に暑かった。
天田さんも無事に採用が決まって、そして私は農学部の研究室で、先輩達の研究のお手伝い。
雨が本当に全然降らなくて、農作物の収穫とかに影響があるんじゃないか、なーんて、
同じように夏休み返上で研究室に来てる他の子たちと話したりしてるうちに、
やっと涼しくなってきた。
「川上さん、帰りましたー!」
「うん、お帰り」
そして下宿にも、実家に戻ってた後輩たちが帰ってきて、また賑やかになる。
(十月になったら、秋の稽古がまた始まるなあ)
九月に入ったら、まずは前期の総まとめテストがある。
「加藤さんがいてくれてよかった」
部室へ入って『過去問』を漁りながら、私は呟いたものだ。私と同じコースを辿った
加藤さんがいてくれなかったら、どんな勉強をしていいものか、皆目見当が付かなかった。
大学の先生も面倒くさがりだから、担当の教授が変わらない限り大抵は過去に出したのと
おんなじ問題を出す。で、その結果、
「あ、あったあった」
『模範解答』が出回るということになり、大学生は要領が良くなるんである。
私がお目当ての過去問と、それに対する答えを見つけたところで、
「うーっす、まだまだあっちいですね」
「あ、おはよ。暑いね」
中国へ留学していたモギモギこと、茂木ちゃんがやってきた。男の子なのにちょっと
色白な彼は、暑いのが本当に苦手らしくて、
「扇風機、欲しいなあ」
「はい、コーラ。誰かが来るかな、なんて思って買っておいたんだ。良かったらどうぞ」
私が学生会館で買ってきておいた缶ジュースを差し入れたら、嬉しそうに「いいんですか!?」
なんて言いながら、大事そうに受け取ってくれる。「っかー!」なんて言いながら飲んでいる彼に、
「…今度の芝居、茂木ちゃんに演出して欲しいって、ウチに集まった皆が言ってたよ」
私がニコニコしながら言ったら、
「え、そうなんですか?」
彼は驚いたみたいに目を丸くして、それから頬を赤くして照れたように頭をかいた。
「うん。ぜひ茂木ちゃんにやって欲しいって。やってもらえたらいいなーって言ってる。
私も、茂木ちゃんの演出、見てみたいと思ってるよ」
そうなのだ。ウチの下宿は、演劇部の連中が私を入れて四人もいるせいで、なんとなく
演劇部の溜まり場みたいになってしまっていた。
夏期休暇が終わって、また毎晩のように集まってくる皆のもっぱらの話題は、やっぱり
秋季公演のことで、
「全員一致で『龍馬』に決まりそうだね」
「はは、そうですね」
公演の台本は、どこの劇団なのか名前はとっさに出てこないけど「またいつか龍馬に会える」っていう
題名のシナリオになりそうなのだ。私が夏休み、研究室に出ずっぱりだった間に、皆は
部室でその公演ビデオを見ていたらしい。
「川上さん、ケイコ役演るんでしょ?」
「あはは、私がやっていいのかな?」
「だって奥井さんは『龍馬』やるって言ってたし」
茂木ちゃんはそこで苦笑した。
龍馬っていうのはもちろん、あの坂本龍馬のことで、彼が今度結ばせる「同盟」は、薩長同盟とか
そんな大げさなものじゃなく、
「そうなると仲村と夫婦役、やってもらうことになりますけど」
「うわ、あははは! すごい『濃ゆい』夫婦だねえ!」
喧嘩してしまった若い夫婦の仲直りをさせようとする男性がいて、その男性へのアドバイス役、
そんな感じなのだ。
もちろん、その男性にしか龍馬は見えないっていう設定。
「そうなるかなー、なんて思って買ってきたんですけどね」
笑い合いながら、茂木ちゃんがカバンから出して広げた本を、私も覗き込んだ。
…素直になれなくていつも喧嘩ばかりしている「ホンゴウ」夫婦。夫のホンゴウはツアコンで、
子供もまだいない。だからいつも奥さんの「ケイコ」は自宅で寂しい思いをしている。
このホンゴウってのがまた、今の時代には珍しいくらいの「亭主関白」なのだ。だから、ケイコは
余計に夫にイライラするんだろう。喧嘩して転がり込んできたケイコを迷惑がる、彼女の妹もいる。
その夫婦共通の友人が「サカモト」で、二人は同じ旅行会社に勤めている。そこにはなんと…
これは後で分かることなんだけれど…坂本龍馬の恋人の一人だった佐那の生まれ変わりの
「サナエ」っていう女性の先輩もいるのだ。
ちょっと頼りないサカモトの使命は、この、いつも喧嘩ばかりしている夫婦を仲直りさせること、
つまり彼なりの「薩長同盟」を結ばせること。
そこにツアコン会社の社長の陰謀や、新撰組の沖田の姿が見える「ヒジカタ」っていう名前の
暴力団と、その部下「オキタ」が絡んでドタバタコメディになる。
そして背後にいる龍馬に怒られたり、茶化されたりしながらアドバイスをもらって、なんとか二人を
仲直りさせていく過程で、サカモトもまた成長していくのだ。
「…面白くて素敵なシナリオだね。分かりやすい」
「そうでしょう」
時々堪えきれずにニヤニヤしながら、私が読み終えるのを見ていた茂木ちゃんは、
私の反応に満足そうに頷いた。
テスト勉強をしにきたはずなのに、どうしてかいつもこんな風にテストそっちのけで
演劇の話になってしまう。茂木ちゃんだって勉強しに来たはずなのになぁ。
「ま、そうなるともう配役は決まったようなもんですね。照明は赤井がやってくれるって言ってるし、
衣装はたむらっちがやりたいって言ってます。川上さんも、手伝ってやってもらえます?」
「うん、もちろんいいよ。チサが手伝って欲しいってとこ、アシストするだけでいいなら」
「それで十分ですよ」
「…じゃ、そろそろ勉強しなきゃ」
私が苦笑しながら言うと、茂木ちゃんも本を閉じて同じように苦笑した。
どっちにしろ、部室じゃ勉強にならない。どうせこの過去問は、加藤さんと同じコースに進んだ
私しか使わないんだから、
(図書館にでも行って勉強しようか)
研究室へは行く気になれないし、かといってエアコンもない下宿に戻る気もさらさらない。
だもので、滅多に利用しない図書館へ私は行く事にしたのだ。
学生会館の裏手にある坂を登って、それから校舎へ続く階段を上って…あとどれくらい、
私はこうやってこの道を歩けるんだろう。
気が付いたらもう、卒業まであと一年半くらいになっている。
(寂しいな)
色んなことを教えてくれたT大。離れなきゃいけないとなるとものすごく寂しくなってしまう。
だから、ぼのさんみたいにそのままT大の大学院へ進むっていうテもあるんだろうけど、
(戻って来いって言われてるもんね)
夏休み、一週間だけだけど研究室からお休みをもらって戻った実家で、親には
「心配だから戻って来て、こっちの大学の大学院を受けろ」
なんて言われてる。でもそうなっちゃうと、
(天田さんとも、もっと離れ離れになっちゃうな)
まさか、「距離の切れ目が縁の切れ目」なんてことにはならない…と信じたいけれど、
こないだの夏休みだってお互い忙しかったから、別に一ヶ月近く会えなくても割りに平気だった。
その代わり、メールは頻繁にやりとりしていたけれど…ひょっとしたら私は、もともと
さほど「二人きりでいることの重要性」をあまり感じない人間だったのかもしれない。
その点で、いつも今村君と一緒にいたがる美帆ちゃんと私は、正反対だって言える。
(この答え、覚えておかないと)
植物病理学、分析化学、土壌分析学…どれもこれも論文形式で、しかも複雑な計算式が中に入るから、
理屈ぬきで式を覚えたほうがいい。
図書館へ入って過去問を広げて勉強を始めて、何分くらい経ったんだろう。
(あ、天田さんからと、茂木ちゃん?珍しいな)
二人からメールが届いているのが分かって、私は席から立ち上がった。ちょうど一通り目を通し終わった
ところでキリが良かったから、
(今、ピアノ室に向かっています、か)
その『デート』のお誘いへは「私もすぐに向かいます」なんて返信して、それから、
(…あれ? もう決まっちゃったんだ。早いなあ)
次に確認した茂木ちゃんからのメールには、『ついさっき「またいつか龍馬に会える」に決まりました』
なんてあって、私は目をぱちくりさせた。
皆、味気ないテスト勉強に飽き飽きした頃に部室へやってくるんだろう。で、その時にやっぱり
テストそっちのけで演劇の話になって、あれよあれよという間に決まっちゃったに違いない。
(『私のほうはそれで全然構いません』、っと)
もちろん、私もあのシナリオで大賛成だ。だから早速そう返信して荷物をまとめ、教育学部のピアノ室へ向かった。
まだまだ外は暑いけど、やっぱり少しずつ日が短くなっていくな、っていうのは分かる。
T市へやってきて三回目の秋。それは演劇部に入って初めて感じた秋の風と変わらずに、
(変わりたくないな)
このまま時間が止まってしまえばいいのに、って、少し泣きたくなっちゃうくらいの愛しさと一緒に
私は思ったのだ。
で、大学に特有の「秋休み」、つまり前期のテストが終わって、後期授業が始まるまでの間の
変な休暇なんだけど、それが終わった頃に、私たちは学生会館の小会議室へ集まった。
「えっと、全員一致で今回のシナリオは『龍馬』に決まりました。演出は、僕がやらせてもらいます」
茂木ちゃんが照れながら挨拶すると、皆が拍手でそれに答える。
演出を選ぶ時、今回は一回生や二回生たちがほぼ全員、茂木ちゃんを推したのだという。
知り合って半年も経つと、さすがにお互いの気心も知れるし、どういった人間か、ってことも
分かってくるから、これはもう、
(悪いけど、けんちゃんの負け、かなぁ)
シュウ君を除く一回生の子たち全員が、そして今村君を除く二回生の全員が、今村君ではなくて
茂木ちゃんを選んだ(もちろん私もだけど)。
そのことから、皆が今村君よりも茂木ちゃんのほうを高く評価しているってことと、皆が望んでいる
ことがどういうことなのかも、悪いけど少しだけ察しがついてしまうような気がして、
(奥井君はどう思ってるのかな)
私の向かい側の席に座ってる彼の顔を、ちょっとだけうかがってみたりもして。
「じゃあ、今回のキャスティングはそういうことで。明日から早速読み合わせに入ります。
スタッフの人たちは残って、後で部室へ集合して下さい」
茂木ちゃんの言葉を潮に、皆が席を立ち上がった。
私はもう裏方じゃない。だから部室へは行かなくていいんだ、なんて思う反面、
(主役は、もう二回生と一回生に移ってるんだよねえ)
寂しく思って、私はちょっと苦笑いした。
仕切り役、進行役にももう、私たち三回生の出る幕は無い。彼らに全部任せきって、私たちはただ
口出ししたくてもぐっと抑えて、彼らが助けを求めた時にだけ口出しすればいい。
だってこれからは、私たちではなくて彼らがT大演劇部を作るのだから。
(そうだよね、奥井君?)
心で勝手に彼に語りかけながら、ちらっと彼を見たのだけれど、
(ま、これは私の勝手な考え方だから)
多分奥井君は、そう思ってはいないに違いない。自分がやっぱり演劇部を引っ張っていかなきゃ
ならないし、自分がこれからも演劇部の中心をなすんだって思ってる、そんな表情をしてる。
それにちょっとまた、危機感を覚えたのだけれど
(今回は、別に奥井君だって気に入らない子が演出じゃないものね)
奥井君だって、茂木ちゃんを特に気に入ってるっていうんでもないけれど、別に気に食わないから
無視してるってほどじゃない。
だから…私は上手くやれるんじゃないかって思っていた。そう自分に言い聞かせていたのだ。
「はいはい、遅れてごめん!」
そして今日も私は実験が長引いて、謝りながら小会議室へ入っていく。日は大分短くなっていて、
私が稽古に入った六時頃には、もう辺りはすっかり暗くなっていた。
「あ、川上さんが来た。仲村! 喧嘩のシーンから入るよ! 川上さんも、お願いします」
「はいはい」
茂木ちゃんが私の姿を認めて早速言うのへ、私も応じる。今回の舞台監督はシュウ君で、
「『貴方っていつもそうじゃない! 私の言ってること、少しは向き合ってくれたことがあった?』
パシッ、てか」
そこで別にト書きにはないんだけれど、喧嘩なんだからということで、私が『夫』であるところの
仲村君の頬へ…ちょっと照れくさかったから、変なアドリブが入ったけど…軽く平手打ちをくれたところで、
「…えーと、次の台詞、なんだっけか?」
平手打ち、って方に神経が行ってしまって、どうやら私は次の台詞を忘れてしまったらしい。思わずそう
言ってしまったし、仲村君は仲村君で、私がまさか「そうくる」とは予想もしてなかったみたいで、
「ええ?」
なんて言いつつ目を白黒させたものだから、そこで大爆笑になった。奥井君や今村君も、手を打ちながら笑ってる。
もともと奥井君は、こういうアドリブを入れることが大好き、面白いことが大好きな人だから、
「いいじゃん、さっきのアレ。もっと入れてみたらどうよ?」
奥井君が言ったのを皮切りに、
「川上さん、さっきの、グー!ですよぉ! 仲村、いい気味ぃ! もっと思い切りやればいいのに」
「ホント、グーですよ、グー! 仲村、アンタ、頬を鍛えておかなきゃ!」
皆が私へけしかけるのへ、私は苦笑で返した。当の仲村君も憮然とした顔で、でも「仕方ないな」
なーんて風に苦笑してる。
だけどそこへ茂木ちゃんが、
「川上さん、そこって平手はおかしいんじゃ?」
苦笑しながら口を挟んだ。
「あ、そっか。やっぱおかしいかな? そんじゃやめるね。フツーにするよ」
私も別にやりたかったわけじゃない。「やってみたら面白いかな?」なんて軽いノリだったから、
特に機嫌を悪くするってわけじゃなしに、笑いながら返事をしたのだけれど、
(あ、まただぁ)
奥井君は、それきり黙ってムスッとしてしまった。
(去年みたいにならなきゃいいけど…)
そこに、去年のシーンが被ってしまって、私は少しだけ冷やりとした。
私は基本、年下とはいえ「演出」の言うことなんだから、その言うところに従わなきゃならないんじゃ
ないかな、と考えている。だけど、奥井君は違う。
そのことは、去年の六月公演でも分かっていたことなのだけれど、
(天田さんに今度会った時の話が、またそのテのことにならなきゃいいんだけど)
私がその時に願ったことは、結局虚しい希望でしかなかったのだ。
奥井君と今村君、そしてシュウ君が、立ち稽古に出てこなくなったのは、それから間もなくのことだった。
to be continued…
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