Last Stage 28



今回は、わざわざ学生課から借りてきたスクリーンも使う。
幕が開くと、
『今、ここから』
暗い「舞台」のスクリーンへそんな字幕が浮かび上がって、続いて、
『あるいは、賛歌』
そんな文字が浮かび上がり、舞台は明るくなる。
『そんな脅迫状、放っておけよ。誰か知らないヤツの悪戯だって』
『でもなあ、気になるし』
友部と服部の早速の掛け合いが始まって、
『まあ、誘拐されたっていうんだから、お前は誘拐されたんだろ』
『どこに?』
『だから、ここに』
『ここ?』
あっけに取られた様子の仲村君の演技がおかしいらしい。観客席のほうをこっそり伺うと、
お客さんたちもニヤニヤしながら観てくれている。
(あ、天田さんだ!)
その中に、「カレ」の姿を見つけて、私はホッとしていた。私を探していたらしい彼も
ついたての隙間から見える私の顔を認めて、ちょっと片手を上げる。
色々と…一回生たちの反発は買ったけど、なんとか今年の六月公演は無事に終わりそうだ。
『いつも、僕はいろんな人に出会っている』
そして物語のクライマックスで、ランドセルを背負った幼い頃の友部は語りだす。
『僕を褒めてくれた先生に、賛歌。僕を好きでいてくれている人に、賛歌。
そしてアイツに…いつもいじめられていたアイツに、賛歌』
泣きたくて嬉しくて、そんな顔をしながら語る友部。
言いながら眠ってしまった友部の様子を、まだ夢の中にいる服部は眺めて、そして、
彼の側にあるノートを取り上げる。それは脅迫状が届くようになってから、服部が記録のために
つけていたノートだった。その続きには友部の字で、
『貴方は、ある日ぬいぐるみを買ってもらった。そしてそのぬいぐるみを貴方はいつか
関心を持たなくなって部屋の隅へおいやるだろう。それを見つけた友人が、そのぬいぐるみを欲しいと
言い出す。その時にやっと、貴方はそのぬいぐるみを思い出す。どこへもやりたくないと思う…』
そのノートを観客に向かって読み上げる服部は、
『そしてまた、その友達からぬいぐるみを「取り戻した」貴方は、再びそのぬいぐるみを
部屋の隅へおいやって、いつか忘れ去ってしまうのだろう。だが、それもまた真実なのだ』
読んでいくうちに、友部と同じような、どんどん切なくて嬉しい表情になっていくのだ。
『…私は、貴方のそういう存在でありたい…』
彼が読み終えると、友部が目を覚ます。そして服部が「戻ってきた」ことを認めて微笑み、
『お帰り。話したい事が一杯あるんだ』
二人は立ち上がって、微笑む。幼い頃から培ってきた二人の思い出を、あの頃の「緑」の中へ
置いて、再び歩き出すために。
爽やかな音楽が背後に流れて、そして幕は閉じる…。
部員の子たちの演技を見ながら、フォース・ステージの訳の分からないシナリオにしては、
珍しく後味も悪くなくて爽やかな終わり方だよな、なんて思ったものだ。
客席からは、割れるような拍手が聞こえて、カーテン・コールの始まり。
「…今回のダンスも、君が担当したんだって?」
「そうなんですよぉ」
やがてお客さんが出て行って、まるで「鬼のように暑い」共練の中も少し風が通った。
乱れたパイプ椅子を直している私の元へやってきて、一緒に手伝ってくれながら、
「まさに八面六臂の大活躍だね」
天田さんはからかうように言う。
「あはは、もう! 大変だったんですよ?」
だけど私が言うと、
「そうだろうね。舞台監督も衣装も、そしてダンスも担当するなんて、俺らの時でさえ
そんな人、いなかった。本当にすごい人だね、君は」
「…えへ」
予想以上にしみじみ言われて、つい照れてしまった。
「奥井が認めるの、分かるような気がする。だけど、な」
取れてしまったダンボールを、ガムテープで補強するのも手伝ってくれながら、
「逆に言うなら、そうまでしないと、君は奥井に認められなかった、ってことなんだよな」
「…まあ、そう…ですね」
苦笑する彼に、私も同じように苦笑した。噂の奥井君は、舞台の上で立ち位置のテープを
確認している。
「でも、今回、アイツは何をやった?」
「あ…えっと」
そこで、天田さんの声はすっと厳しくなった。戸惑う私へ、
「ごめんな。でも、俺はどうしても、君が一番ワリを食ったような気がしてる。贔屓かもしれないけど、
そう見える。そして、奥井は役者しかしなかったっていうことで、美味しいところだけ取った、
そんな風にどうしても見えてしまうんだ。あの坂さんでさえ、役者だけを担当したのは
三回生の最後の公演だけだったんだよ」
「そう、だったんですか」
「このままだと、アイツのためにも良くないだろうね。また分裂しないといいけど」
「はい…」
天田さんに色々と近況報告していたから、彼も今の演劇部「D4D」の内部事情は知っている。
自分は上級生で、今まで同じことをやってきたから、って言っても、自分以外の人間に負担を負わせて
自分だけふんぞり返ってる、なんて印象を一回生たちに与えていないか、それを彼は心配しているんだろう。
(実際、そう思われてるかもしれないんだよね)
奥井君の言うように、本当に年齢の上下が関係ないのなら、自分だって率先して下級生の仕事を
手伝うべきだろうし、もしかしたら下級生が遠慮してしまっいて、奥井君に尋ねないかもしれないんだから、
自分から話しかけてあげて尋ねやすい雰囲気を作るとか…そういうことを彼は一切しなかったのだから。
「あ、それでさ。話は変わっちゃうんだけど、俺さ」
ちょっと考え込んでしまった私へ、天田さんは明るく言った。
「教員採用試験、おかげさまで上手く行きました」
「あ、ホントですか? 良かったですね! おめでとうございます!」
「ありがとう」
私も嬉しくなって、思わず拍手をしてしまったら、天田さんは顔を赤くして照れる。
「私立のほうもね、一応、二、三、採用通知は受け取ってる。公立のほうは、県内のどこに配属されるか
分からないけど、とにかく一応は合格」
「そうですかぁ」
ニコニコしながら私は彼の顔を見上げる。そこへ他の子たちもやってきて、
「天田さん、教員採用試験、受かったんだって」
私が言うと、一斉に「おめでとうございます」の嵐になった。
次々に他の皆も集まってきて、天田さんは照れながら賛辞を受けている。
(あれ?)
だけど、そこには奥井君と今村君と、一回生の「シュウ」君の姿はない。こっそり彼らの姿を探したら、
その三人は舞台の上で、なんだかちょっと苦々しい、って風な表情でこっちを見ていたのだ。
…何故だかほんの少し、胸が痛んだ。ひょっとしたらもう、皆はあの三人からそっぽを向いているのかもしれない、
って、ふと思ってしまったから。
そして恒例の「打ち上げ」。
そこにはありちゃんとしのちゃん、そして千代田さん、っていう、かつての演劇部のメンバーの
姿もあって、私はまた胸を撫で下ろしたものだ。
(たかまは…やっぱりいないか)
予想はしていたものの、彼女の姿が無いことに、私の胸はまたちょっと痛んだ。
たかまは奥井君と別れた後、農学部で他の男の人と付き合ってる。今度の「カレ」は奥井君と違って
背丈も私とさほど変わらないし、あまり「俺が俺が」なんていう覇気もなさそうな人だけど、
ものすごく優しそうな男の子なのだ。
(ま、来られないよね。「元カレ」が「元カレ」だから)
奥井君の性格からして、たかまの姿を見たら「何しに来た」とか言いかねない。
(実際、奥井君ってば、彼女と別れてからもたかまの悪口ばっか言ってたらしいしね)
いつだったか、美帆ちゃんが言ってた。さすがに美帆ちゃんも「ちょっと見苦しいと思った」なんて
言ってたっけ。
「はい、一気、一気!」
いつもの「飲み会」は、表面上は滞りなく進む。私は今回の「舞台監督」で飲み会の幹事でもあるから
この場を仕切らないといけない。
「そろそろ時間ですよー! 帰り支度を始めてください。二次会の場所は特にとっていないので、
演劇部としての打ち上げは、これで終わりです」
それなりに楽しい時間は過ぎて、私は解散を告げた。
…なんだか今日は、まっすぐ家に帰りたくないような、かといって部室にも行きたくないような、そんな気分だ。
移動でごった返しているK駅前の焼肉屋「大門」。先輩や他の皆に挨拶をした後、店からなるだけ遠ざかろうと
足を速めたら、
「はいはい、水臭いよ」
「あ…はい」
後ろから「カレ」が肩を叩いた。
「どうしていつもいつも、君は俺を置いていこうとするのかな」
「だ、だって、天田さん…千代田さんたちとカラオケ、いかないんですか? 試験が終わって
せっかく時間が出来たのに」
「…ひょっとして、さ」
私が言ったら、天田さんはちょっと傷ついたような顔をして、
「君は、独りになりたかったのかな。だったら、ごめん」
「あ、えっと、そうじゃない、そうじゃないんです」
思い切り慌てた。
「ただ、これからのこと…部に残った三回生の一人として、これからどうすればいいのか、なんて
考えてたら、あの、つい」
そうなのだ。だから、それまでなら我を忘れて酔えるはずなのに、全然酔えなかった。まして二次会に
参加するなんて、考えもしなかった。天田さんのことさえ、すっぽりと頭の中から抜け落ちていたのだ。
「そうか。分かるよ」
すると天田さんは呟くように言って、私へ手を伸ばす。私がその手を取ると、天田さんは歩き出す。
「どこへ行くんですか?」
「君こそ。どこへ行きたいの?」
そこで、二人して少し笑ってしまった。そうだ。私は一人でどこへ行こうとしてたんだろう。
部室へ行くでもなく、下宿に帰るでもなく…
「ただ、歩いていたかったんです」
「うん」
今日も全然、雨は降らなかった。暑くてたまらなかった風は、今頃になってようやく涼しくなって、
「…私に何が出来ますか?」
「…うん」
気が付けば、私たちは大学から一番近い海の浜辺へやってきていた。潅木に並んで腰掛けると、
波の音が驚くほど大きく聞こえる。
「何が、出来ますか?」
手をつないだまま、私は天田さんの肩へことりと頭をもたせかけた。やっぱりちょっと酔っているのかも
しれないと内心苦笑したけれど、
「…何も」
言いながら、私の肩に天田さんは手を回してくる。
「何もって」
「何も、しなくていい。ただそこにいればいい。そうだと思うよ。一回生や二回生の子たちが、
君を見てる目で分かった。無理しないでいい。何も出来ないからって、自分を責める必要もない」
「…」
黙って頷きながら、私はとうとう泣いていた。
いつの間に、こんなに弱くなったんだろう。そして、いつの間に「演劇部」が、こんなにも
…泣きたいほど愛しく思えるほど、心の中に食い込んでいたんだろう。
このままだったら、きっと訪れるだろう「分裂」の日。分かっていながら何も手を打てないでいる
自分がもどかしくて、情けなくて、だけどハラハラしながら見守っているしか出来ない。
「…俺んとこ、おいで。まだ散らかってるけど」
その言葉にも、私は俯いたまま頷く。私の手を握る手に、ぎゅっと力が篭った。

あくる朝、
「研究室、行かなきゃならないんで」
「うん、俺もだ」
お互いに照れくさくて、顔をちょっと赤くしながら私たちは微笑んだ。
今日は日曜日だけれど、大学生には関係ないのだ。天田さんは四回生で、卒論のために
顔を出さなきゃいけないし、私は私で研究室の先輩の手伝いをしなきゃならない。
「今日が、私のアシスタント担当日なんですよねー」
「あはは、ま、頑張って」
着替え終えた私を、後ろから天田さんが抱き締める。途端に夕べのことが一気に思い出されて、
また顔が火照った。
その最中、天田さんが、初めて私の名前を呼び捨てにした。唇にしかしなかったキスが、
私の肌の上に何度も落ちた。
初めて肌を重ねてやっと、
(美帆ちゃんが今村君の家に入り浸ってた理由、分かったような気がする)
天田さんと一緒に大学へ向かいながら、私は苦笑したものだ。本当に好きな人とこういうことをする、って、
正直とても心地いい。
「じゃあ」
「はい」
教育学部の前で、私たちは手を振り合いながら別れた。そのまま私は、正門から一番奥にある
いつもの農学部の研究室に向かおうとして、
(あれ? シュウ君じゃん)
日曜日はいつもバイトのシフトをいれていて、今日から早速バイトを再開するのだ、っていってた
シュウ君らしき人が、こっちを見ているのに気が付いた。
手を振ってみたけれど、
(人違い、だったのかな?)
相手はぷい、と顔を背けて工学部の建物のほうへ姿を消してしまう。視力はいいはずなんだけど、
(やっぱり人違いか)
普段からうっかりミスの多い私のことだ、なんて思いなおして、私はそのまま農学部の研究室へ向かったのだ。


to be continued…

MAINへ ☆TOPへ