Last Stage 27



『お前を誘拐した…って、誰が誘拐されたんですか?』
『私です』
服部が答えると、彼が助けを求めたその女刑事はしばらくの沈黙の後、
『ふざけるんじゃないですよ全く。さ、帰るぞ』
『はい』
部下の女刑事を促して、服部宅を出ようとする。そりゃ、誰だって誘拐されたっていう当の
本人が目の前に、しかも彼の自宅にいるんだから、冗談だと思うだろう。だもんで、服部は慌てて、
『待って、待ってくださいよ! よくこの脅迫状を見てください』
『え? えっと、「お前を誘拐した、助けて欲しければ後十万用意しろ…」二枚目があるじゃないの!』
『だから、警察を呼んだんですよ。でなければ、僕もたちの悪い冗談だと思ってすぐ捨ててます』
舞台の上で、チサと仲村君との「掛け合い漫才」は続いている。
それを舞台監督であるところの私はシナリオを広げて、演出であるところの今村君は、去年の
奥井君を髣髴とさせるような姿で何も持たず、役者と同じように立って眺めていた。
基本的に、舞台監督というのは裏方さんの総まとめであるのと同時に、役者が台詞に詰まったときの
「プロンプター」でもあるし、裏方さんだけで見れば、演出よりも立場は一応上なのだ。
で、今回もまたフォースステージのシナリオで、テーマは「友情の再確認」ってことになるのかな?
『…服部。お前、また泣いてるのか?』
ひょんなことがきっかけで、ずっと眠りに付くことになってしまった服部。その彼が見る夢は、
いじめられっ子だった頃の幼いあの日のこと。
小学生らしく、ランドセルを背負って泣きながら家路に着く服部を、一つ年上の友部が見つけて
追いかけてくる。
はっとしたように彼から顔を背ける服部へ、
『お前、男だったらひとつガツンと言わなきゃ、いつまでたっても変わらないぞ』
『…変わらなくていい』
言っちゃ悪いが、イイトシをした大学生二人がランドセルを背負って子供らしく話してるところは、
すごい間抜けだし笑える。しかも半ズボンだし。
(二人とも、スネ毛が薄いから見苦しくなくていいけどさ)
なんて余計なことを私は思いつつ、それでも仲村君の演技がやっぱり上手いことを認めてた。
服部とそれを巡る人々…彼がずっと寝入ったままで、しかもそうなる前は妖しげな商品セールスの
仕事をやっていたことを知った人々…は、
『おめでとう、貴方は誘拐されました!』
だの、
『彼が寝込んだままなのは、宇宙意思「様」の思し召し。私が霊媒になって、
服部さんの意識にチャネリングしてみましょう』
だの、口々に言って、それぞれの思いどおりに服部を利用しようとするのだ。
この「宇宙意思様」を信奉している人が、駒田緑ちゃん演じる「ドロンジョ女王」。それについているのが
北君の「ボヤッキー」。
『皆さん、こんにちは。宇宙意思の時間です』
倒れたままの服部を心配していて、藁をもすがる思いで彼女を訪ねた友部も、なんと女王主催の
TV番組に出演させられてしまう。そして、
『私の能力が嘘でないことをお見せしましょう。さあ、私が今、思い浮かべた473という数字を、
この電話の向こうにいる田中四百七十三郎さんに伝えてみてください』
『四百七十三郎!?』
『ああら、よくある名前ですよ?』
言われた友部は、不承不承ながら差し出された電話を取り、
『もしもし。田中さんのお宅ですか』
『はい、田中です』
で、それに答えるのはボヤッキー。
『数字を当てて欲しいんですが』
顔をしかめたまま、友部が続けると、なんとボヤッキーは、
『田中、誰でしょう?』
『は?』
『うち、家族が多いもんでね。田中、誰への電話ですか?』
なーんて問い返しちゃったりするのだ。そしてますます仏頂面になった友部は、
『田中、四百七十三郎さんをお願いします』
それでも律儀にそう答える。すると、
『その数字は四百七十三だ!』
当たり前だけど、間髪をいれずにボヤッキーは正解を出し、『どうでしたか?』なんて尋ねる
女王に、友部は、
『…当たってます』
ぼそっと言って首をかしげながら、『ありがとうございました〜!』と、ハンカチを振る
女王に見送られて退場する。
とまあ、こんな妖しげな人たちに囲まれて、眠ったままの服部を見舞いに来た友部のところへ、
『貴方ですね? 服部さんにあの脅迫状を送ったのは』
ついに私立探偵が、真相をずばりと指摘にしにやってくる…。
「お疲れ! 役者は合宿所行って、もう寝て」
本番が近いから、いつものごとく通し稽古ばかりになっている。今村君こと「けんちゃん」の
合図に、皆はホッとしたように三々五々、共練の側にある小さな合宿所へ引き上げ始めるのだけれど、
「裏方さーん、集まって!」
私は器材をいじっている子たちへ声をかける。
音響、照明、衣装、っていう裏方の仕事はまだまだこれからなのだ。
「で、調子はどうですか? 改善すべき点があったら、それぞれ報告して下さい」
私が言うと、照明の茂木君がまず口を開く。
「照明って、ものすごく暑いじゃないですか。それにスポットを当てて締め切る、ってなったら、
この共練、鬼みたいな暑さになりませんかね? どこからか扇風機なり借りて、お客さんのほうにだけでも
涼風を送るっていうのは?」
「うーん…そうだね。どこからか借りられる? 私も持ってくるけど」
と、私が今村君を振り返ると今村君も頷いて、
「うん、確かに暑いよな。俺も小さいけど扇風機、持って来る。焼け石に水くらいの効果しかないかも
しれないけど」
「はい、演出の許可が得られました。次、音響さん、どうですか?」
「特に問題は無いです。皆さんが教えてくれるから」
「はい、分かりました。ただ、使いたい音楽をレンタルしてきたら、役者さんたちには、領収書は
ちゃんともらうようにって言っておいて下さい」
音響のサクラが頷いたのを確認して、
「次に、衣装ですが」
私は、私の担当でもある衣装について切り出した。
「茂木君も言ってくれていましたが、スポットが暑いので、役者さんたちのメイクが汗で流れて、
衣装が汚れる危険性があります。サテン生地だとさほど目立ちませんが、役者さんをやる人には、
首周りに目立たない布を貼ってもらうとか、メイクが付かない工夫をしてもらおうと考えています、で、
舞台監督のほう」
そこで、私は少し苦笑して、
「実験が忙しくて、いつも遅れて顔を出してしまって、本当にごめんなさい。でも、ここまでなんとか
やって来られたのは、皆さんのおかげだと思っています。あと一週間、よろしくお願いします」
頭を下げると、
「ま、仕方ないっすよ。実験だもん。川上さんがちゃんと支えようって思ってくれてるのは、
俺も分かりますから。あまり気にしないで下さい」
「…ありがとう」
今村君の言葉に、ちょっとホッとした。実際、結果が出るまで実験室に待機しなきゃいけないって、
ものすごいストレスなのだ。抜け出して演劇部の様子を見かったけど、やっぱりそこは当然だけど
『講義優先』。サークル活動はあくまでサークル活動でしかない。
「じゃ、これからまた照明と音響の調整、始めます。スタンバってくれ!」
そして、最後の調整が始まる。この時点で、もう夜中の一時になっているのだけれど、
これもスタッフには「いつものこと」で、
「そこで音楽! 徐々に絞って! それと川上さん、舞台のそこに立って、前野の代わりになってください」
「はい。了解」
今村君が舞台を睨みながら言うのへ、私も台本を持って立ち上がる。
役者はもう身体を休めなきゃいけないから、照明と音響の調整のために動くのも舞台監督の役目。
寝不足だけど、こういうことも本当に楽しい。これが舞台監督の醍醐味なんだろうな。
で、私たち裏方スタッフがそんなこんなでそれなりに楽しんでいる時、
「川上さん、川上さん!」
「…どうしたの?」
合宿所では、ちょっとした事件が起きていたらしい。徹夜明けの朝の五時、合宿所へ戻ろうとした
私を認めて、フミヤがくすぐったそうな顔をしながら話しかけてきた。
「ちょっとちょっと、耳を貸してください」
「何、何?」
笑いながら言うもんだから、こっちも釣られて、まだ何も聞いてないのについ、笑い声になる。
言われるままに耳を近づけたら、
「仲村君がね、あのね、うふふふふ」
堪えきれないもののように忍び笑いを漏らす。
「あはは、だから何?」
それがまた可愛くて、ついに私も声を上げて笑ってしまった。するとフミヤは、
「『寝っ屁』、したんですよぉ。男部屋と女部屋、壁一枚隔ててるのに聞こえちゃって、笑うのを堪えるのに
必死で眠れなかったんです。あはははは!」
…私と彼女が、朝っぱらから二人して、お腹を抱えて大爆笑したのは言うまでもない。
もちろん、このことは当の仲村君には内緒で、
「当たり前でしょ。私たちが知ってるっていうこと、話しちゃかわいそうですよ、あはははは」
女の子って、つくづく残酷だ。フミヤが苦しそうに笑いながら言うのへ、私も、
「分かってる、分かってるよ」
なんて言いながら、それでも口がひくひく動くのを抑えられない。
そこへ何故か赤い目をしている北君もやってきて、
「二人で何、笑ってんですか?」
なーんて言うもんだから、フミヤが北君の耳元へも口を近づけて、
「『寝っ屁』」
一言言っただけで、北君には通じたらしい。たちまち彼もお腹を抱えて笑い転げて、
「俺も笑えて眠れなかったんですよ。だって同じ部屋だもん。『あ、ここから聞こえた』とか思ったら、
もうダメだった」
「あ、だから北君、目が赤いのか」
「その通りです、あはははは!」
そんなことさえおかしくて、私たちはまた声を上げて笑う。
…別に、仲村君に恨みがあるとか、意地悪な気持ちで笑ってたわけじゃない。普段は生意気な口を
聞いたりしてるかもしれない仲村君だけに、意外な一面を発見したみたいで、
(なんとも愛すべき「失敗」だよねえ)
そんな風な気持ちで、私たちは笑いを堪え切れなかったのだ。
そしてそんな時に私は、去年までは確かにここにいて、同じように笑っただろう先輩達のことと、
(天田さん)
今、地元に教員採用試験を受けに帰っているだろう私のカレのことをいつも思い出す。
人生がかかってる大事な試験だから、私もメールを出すのを遠慮してる、なんて状態。
ちょっと心配だし寂しいけれど、
(来てくれるよね)
今週の木曜日には試験は終わるって言っていた。だからきっと、六月公演はこっそりと
見に来てくれるに違いない。
(色んなこと、一杯あったんですよって、話したいな)
今年の夏は、冷夏だった去年とは違ってカラ梅雨らしい。六月に入ったっていうのに、
T市には珍しく雨一滴降らなくて、
「こりゃ、公演の日も暑くなるかもね〜。扇風機どころじゃ涼しくならないかも」
まだ朝の八時だっていうのに、もう真夏みたいに暑い。一緒に大学へ続く坂を上がりながら、
フミヤやサクラ、そして美帆ちゃん…誰に言うともなく呟いたら、
「業務用の、どこからか借りられませんかね? 締め切っちゃうとやっぱり暑いですよ、あそこ」
「うーん…業務用のじゃ、風と音が気になって演技どころじゃなくならない?」
たちまち、美帆ちゃんやフミヤがさえずりだす。
「ま、ふさいでから考えればいいんじゃない?」
それへ、無難かもしれない言葉を返しながら、私もダンボールで窓を覆って、黒幕をたらした
状態の共練を想像したら、ちょっと苦笑が漏れた。
長袖のシュウ君や、汗っかきの前野君には特に辛いかもしれない。

そしてほとんど徹夜状態のまま、ぼーっと講義に出ては、引けてから公演の準備をする、
ってなことを繰り返していたら、いつの間にかまた公演当日になっていた。ほんと、
月日が経つのって異常に早い…特にそれが楽しいことだと。
その前夜、もちろん私たち裏方スタッフは徹夜で「公演会場」の準備をしていた。
いつもみたいに椅子を並べて、スポットの調整をして、それから衣装の確認をして…
「前よりももっと綺麗になってるよね。さすがあっちゃん」
舞台の上をちょっと借りて、役者さんたちの衣装を並べていたら、美帆ちゃんが見て
感心したみたいに頷いている。
「美帆ちゃんやフミヤやサクラが手伝ってくれたからだよ」
「あはは、ごケンソーン」
「もう、美帆ちゃん!」
言いながら、でも私は本当に感謝していた。十二月公演の大きな舞台に負けないくらいの
綺麗な衣装を作ることが出来たのは、私が大まかなところを作って、後の細かい装飾を
やってくれた女の子達がいたおかげなのだ。
「しかも低予算だもんね。秋の公演にももしかしたら使い回せるかも」
「そうだねえ」
美帆ちゃんは言って、二つ頷く。
「でも、秋はもう私、裏方だけやって引退するって決めてるんだ」
「え…」
「だってさ、あっちゃん見てたら、三回生がどれだけ大変なのか分かるもん。
私には無理。それに、これまでほとんどずーっと舞台に立たせてもらってきた。
だから、もう十分なんだ。あっちゃんはさ」
確認済みの衣装を一緒に畳んでくれながら、
「三回生、最後の舞台…役者、ちゃんとやらせてもらいなよ。これまでずっと
がんばってきたんだから、ね?」
「…うん。ありがとう」
私が頷いた時、役者の子たちがぞろぞろと共練に入ってきた。気が付けばもう
開幕二十分前で、
「あ、これ着てね! 最終確認、してあるからね!」
舞台の袖に消える彼らへ、私は衣装を渡していく。
(衣装をやるのも、これで最後だよね)
一年、衣装を作らせてもらった。普段使いのものじゃないから、荒い出来かもしれないけど、
だけど私なりに本当にかっこよく見えるように、心を込めて作ってきたつもりだ。
(だけど…後一回。寂しいな)
四月の時とは違って舞台監督だから、今回私が立つのは音響と照明の後ろ。
サクラや茂木ちゃんの手元を確認して、私は客席の後ろに立ってる今村君へ合図を送った。
お客さんが、ぞろぞろ入ってくる。照明が薄暗くなる。
そして、今回もT大演劇部「D4D」による舞台の幕は開いていく。


to be continued…

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