Last Stage 26



その2〜今、ここ。

実験が本当に、こんなにもダラダラ続くものだなんて思わなかった。
早くすむ時は本当に早くすむ。だけど遅いときはそれこそ7時くらいまで、結果が
出るまで待たなきゃいけない。その間、何もすることがないって、ものすごく
時間の無駄だと思う。
(加藤さんも、こんな風にイライラしながら過ごしてたんだろうか)
結局、演劇部にはあまり顔出し出来ないまま、いつの間にかまた六月公演の時期になっていた。
同じコースを歩んでいたはずの、今年卒業した先輩のことを思って、私はちょくちょく
苦笑したもんだ。
そして今日も「生物化学実験」の授業はやっと終わった。夏だから、まだまだ日は
明るいけれど、
「ごめん、遅れた」
言い言い学館の小会議室へ入って、私は公演のシナリオを広げる。
結局私が担当することになったのは、今回も「裏方」の舞台監督…と、
「え? また?」
「お願いしますよ! 川上さんしかいないんっす!」
今回の演出を担当することになった今村君に頼まれて、「衣装」。
「ちょっとさ、実験でめちゃくちゃ忙しい、っていうか時間がないんだよ。やれるとしたら舞台監督だけで
手一杯なんだよね」
「そこをなんとか!」
「はぁ…やれやれ」
頼み込まれると嫌とはいえないのが私の厄介な性分だ。
というわけで、今回も、美帆ちゃんや一回生たちに手伝ってもらって、衣装も兼任することになった。
今年から、専門分野に進む「三回生」。所属する研究室にも別れることになっていて、
講義が終わったら研究室にも顔を出さなきゃいけない…となると、部活動に割ける時間って、
本当に短くなっちゃって、
(申し訳ないけど、あの時にやっぱ、身を引いとくべきだったかなぁ、なんて思っちゃうな)
『おめでとう、貴方は誘拐されました!』
今回の舞台『今、ここから』の決め台詞を前野君が言うのを、私は椅子に腰掛けてぼんやりと聞いていた。
プロの小説家になることを夢見て、いつまでたっても「プータロー」の友部。ネタにするために
彼が選んだのは、彼の幼い頃からの友人で、今回の主役でもある服部で、友部は彼に、
「お前を誘拐した」
っていう脅迫状を送り、服部がどんな反応をするか見て、それから小説を書こうとしたのだ。
もちろん、服部はそのことを知らない。いつものごとく、自分にお金を借りにきた友部に、苦笑しながら
『絶対に返してくれよ?』
『そりゃ当たり前だろ。出世払いでよろしく!』
服部演ずる一回生の仲村君と、友部演ずる奥井君。どっちの演技も大差ないように見えるのは、多分
仲村君が、高校生の時から演劇をやってたせいだろう。
そしてそのことが、
(やーれやれ。今回も、か)
奥井君にはどうやら気に入らないらしい。いや、仲村君の実力は奥井君だって認めてるんだろうけれど、
その自信たっぷりの演技が、彼には生意気に見えちゃうんだろう。
実際、休憩時間に仲村君が話しかけても、奥井君はそっぽを向いて無視してしまう…二年前、
私にやっていたのと同じように。私の場合は、はっきりした理由があったわけなんだけど、
(そういうとこ、悪いけど子供っぽいなぁって思うんだけどな)
そして、やっとそういうことが分かってきた。
奥井君自身が今村君や美帆ちゃんに語ってるところによると、
「わざと話さないでいて、相手に反省を促す」
とかいうことらしいんだけど、年下相手にそれってものすごく…なんだか大人げないし、
「ちょっと可哀相じゃない?」
実験、実験、そして研究室に顔を出して先輩達の研究の手伝い、なんてやってて、それでもやっと
ヒマの出来る土、日。練習も台本の読み合わせから立ち稽古に変わっていて、練習の合間の
休憩時間に、私は奥井君に話しかけてみた。
「仲村君とかさ、駒田さんとかさ。どうして無視してんの? 年下なんだしさ、もうちょっと
親切にしてあげたほうが、ほら、さ」
すると、
「川上、俺はな」
あっちい、なんて言いながら、持って来ていたうちわで自分の顔を仰いでいた奥井君は、
行儀悪く椅子にふんぞりかえったまま、ちょっと不機嫌に私を見上げた。
「俺は、『怖い先輩』でいいんだ。舐められたらしまいだ」
「…ああ、うん…でもさ」
そう言われただけで、彼の言おうとしているところが何となく分かってしまう。つまり、
彼は舐められるよりも、惧れ敬われたい、そういうことなんだろう。そして彼は私を遮って、
「親切にしたり、優しくしたりするのは、女のお前の役目だ。俺が怖い分、お前が親切にしてやればいい」
「うーん…そういうもんかな」
「そういうもんだよ」
そしてそれっきり、「この話はおしまい」ってな風に彼はまた、「あちい」なんて言いながら
自分の顔をうちわで扇ぎ始めた。
『奥井さん、いじめられっ子だったんだって』
いつかぽろっと私に漏らした美帆ちゃんの言葉が、そこで蘇ってくる。
ちょうどその時、他の子たちがその手に飲み物を持ちながら戻ってきた。それを機に、待っていた
今村君が練習再開を告げて、私も膝へ台本を広げたのだけれど、
(だから、なのかな)
『何を言ってるんだ! 俺は、別に…』
『貴方が、服部さんにあの手紙を送ったんでしょう? これも立派な警察沙汰だ』
…お前を誘拐した。その手紙を幼馴染に送ったのはお前だ、そう指摘されて、
友部はうろたえ、世の中の人の弱みを握ってはそれを暴き立てることを自分の本懐としている柄谷は
不敵に笑う。
そんな光景を見ながら、時々詰まっちゃう役者さんの台詞をフォローして、
(いじめられっ子だったから、変にそういう風に考えるようになっちゃったのかな。
必ずしも、人に親切にする、優しくするイコール舐められる、ってことにはならないと思うんだけどな)
私はつい、考え込んでしまう。
いずれにせよ、プライドも高くてカリスマもあって、実際にものすごい実力もある奥井君の、
そういう考え方を私が覆せるとはとても思えない。それに二十歳前後って、男の人が一番
「自分は偉い」
なーんて思っちゃう年頃なんだって…どこかの本で読んだこともあるし。
「…川上さん」
「あ、うん、仲村君、お疲れ」
そして午後九時。今日の稽古は終わった。部室へ衣装を持っていこうとしている私へ、
『今回の主役』が話しかけてきて、私は足を止める。
「あの…ちょっと話したい事が。サクラたちと一緒に、これから下宿にお邪魔してもいいですか。
メンバーはえっと、北さんと、茂木さんと、純坊、それからゴーシローにグリとたむらっちなんですけど」
「え? うん、いいけど。チサは? バス、あるの?」
私の部屋に、後輩だからっていっても『男の子』が入るのって、もしかしたら初めてかもしれない。
しかも集団で。
それに、私がチサ、って呼んでる『たむらっち』こと田村智沙ちゃんは、自宅組なのだ。
なんせ午後九時半を過ぎたら、冗談じゃなしに全部の公共機関が止まってしまうくらいの田舎だから、
「帰れなくなっちゃうんじゃないの?」
「あの、だから…川上さんちに泊めてあげてくれませんか? 厚かましいとは思うんですけど」
「…分かった」
それ以上言わずに私は頷いた。仲村君がそこまで言うってことは、かなり深刻な話なんだろう…それも演劇部に関わる。
それに、今日は美帆ちゃんは今村君家に行く、って言ってるから、きっと帰ってこない。
だから、ちょっとくらい騒いでも隣に支障は出ないだろう。
というわけで、
「ま、お茶、淹れるから。適当に腰掛けて」
私は、一気に狭くなった四畳半で四苦八苦することになった。
さすがに男の子は図体がでかい。それにやっぱ、暑苦しい。
「川上さん、あの、おやつ持ってきました」
「私も!」
「あはは、ありがと。頂くね」
(ほんと、可愛いなあ)
フミヤやサクラが気を遣ってくれてるらしいのへ、思わず微笑が漏れた。
で、小さなコタツ机を囲んで、仲村君が第一声、
「演劇部って、あんな、なんですか? ものすごく居心地が悪い。いや、俺が奥井さんに無視されてるから、
とか、そういうのだけが原因じゃないです。俺だけじゃなくて、グリだって、伊藤さんだって、前野さんだって」
って言いながら、一回生の駒田緑ちゃんを振り返る。みどり=グリーン=グリ、っていう風に
あだ名がついたらしい。
「川上さんは知らないだろうけど、奥井さん、言ってたんですよ。『実力があれば年齢の上下なんて関係ない』って。
実際は違うじゃないですか? 年齢による上下関係みたいなのはやっぱりバリバリにあって、
そして奥井さんは、自分の気に食わない人間を徹底的に無視してる。違いますか。先輩後輩っていう
上下関係は確かにあるし、だからこそ、俺もちゃんと奥井さんの実力っていうか、奥井さんは
凄い人だって認めてます。だけど、気に食わないヤツを無視するってのは、どうでしょうね?
川上さんは、それに対して何も言わない。何もしてないですよね? 奥井さんの理論で言えば、
奥井さんにタメで口を聞けるのは川上さんだけなのに。俺らがしんどい思いしてるって、分かってるでしょ?」
「ナカムラ、言いすぎだよ。アンタこそ川上さんのこと、先輩としてどう思ってるの?ってことになっちゃうよ」
たまりかねた風に、フミヤが口を挟む。
「川上さんだって、大変なんだよ? 実験とか研究室とか…私、知ってるもん。いつも川上さん、
疲れた顔して帰って来てるしさ。そうそう部活に顔、出せないよ。それに私は、川上さんが
いてくれるだけでホッとするもん」
「いいんだよ、フミヤ」
いつかは必ず言われることだったのだ。だけどまさか、こんなにも早く言われるとは思ってなかった。
私はそこで、いつの間にか細かく震えてる身体を両手で擦る。
「私は、さ。途中から演劇部に入ったんだよ。…去年のこと、聞いてる? ややこしいことになったってこと。
それから、私の友達が、この演劇部とは別に新しい、っていうか、先輩達がつけた名前を
引き継いだ演劇サークルを立ち上げたってこと、知ってるよね?」
私に集中しているみんなの視線が、本当に痛い。
「そりゃ奥井さんだって知ってますよ。こないだ、あっちの立ち上げ公演に行きましたもん、皆で」
「そっか」
仲村君の言葉に私は頷く。事態は私の知らない間に、ますます悪くなっていく…そして私は何も出来ない。
だけど、そうやって「向こうの」演劇サークルの立ち上げ公演に行く、って言い出すところは、
「…すげえな、って思ったんですけどね。私情が入ったら、そんなの観に行きたいとも
思わないでしょうから」
「うん」
仲村君の言うとおり、奥井君の心の広さ、みたいなのを表しているってことにならないだろうか。
だけど、ずれてきた黒ぶちの眼鏡をちょっと上げて、
「だけど、まりさんも、向こうの劇団を手伝ってるんだって知って奥井さん、まりさんに裏切られたって
言ってました。それって『裏切り』ですか? 違いますよね? 奥井さんが有田さんたちを追い出した、
だからまりさんは、奥井さんには付いていけないと思った、ただそれだけのことですよね」
仲村君はずばりと切り込む。
ついに私は絶句してしまった。他の子たちは、ただ黙って仲村君の言うところを聞いている。
絶句しながらも、
(だから、奥井君は)
私はぼんやりと思ってた。こういう仲村君だから、奥井君は気に食わなかったのだろう。ありていに言うなら、
結局は「先輩に向かって生意気だ」ってことなのだ。
「そういうことになる、のかな…」
ため息と一緒に、私はやっとそう言えた。
「なる、んじゃなくて、実際にそうじゃないですか」
仲村君の切り込みは、容赦がない。思わず苦笑してフミヤやサクラを見たら、彼女たちも苦笑していた。
「それにシュウももう、奥井さんと今村さんに心服してしまってます。だから、話にはならない。こないだだって、
俺ら一回生だけで飲みに行くって約束、後から奥井さんに誘われたからってドタキャンしたし。
それも一回や二回じゃないんです。奥井さんに、『あいつらと飲みに行くのなんてやめとけ』なんて
言われたからって。どうして俺らの付き合いに、先輩がいちいち口を挟んでくるんですか。
聞いたら、奥井さんだって、『俺らの付き合いにいちいち先輩が口を挟む』なんて、ぶうぶう
言ってたらしいじゃないですか。なのに自分だってやってることは…おかしくないですか?」
よほど我慢していたんだろう。彼の言葉にはよどみがない。
「…俺、演劇、好きです。だからT大に入っても演劇をやりたかった。奥井さんも、本当は尊敬してます。
嫌われていても、俺はもしも奥井さんが別に劇団を立ち上げたいっていうなら、そっちへ行きます。
だって、それだけの実力がある人だから」
「…うん」
「だけど、そのことで『奥井派』だなんて思われるのは心外です。俺はあの人の才能は尊敬していますが、
人間性を尊敬してるわけじゃない」
頭をカナヅチで叩かれたような気がした。それはまさに、私が一年前まで思ってたことだから。
「…川上さんにも、奥井さんは止められませんか?」
しばらくの沈黙の後、仲村君はぽつりと言った。
「こないだ、川上さんが研究室の都合で遅くなって、共練へ来ましたよね。その時、夜の十時だったのに、
『まだやってたの?』なんて、川上さん、驚いてましたよね」
「うん」
そうなのだ。まだまだ公演には間がある五月下旬。研究室での用事を終えて、衣装を作るために部室へ行って、
もう稽古なんて終わってるだろうと思ったのに、共練にまだ人がいて、
「…それが皆だって分かって、びっくりしたんだよね。まだ『そういう』時期じゃないはずだから」
「今村さんと、奥井さんだけだったんですよ。練習を続けるってノリノリだったの。たむらっちは
家に帰れないって嘆いてたし。俺も自宅組だけど、男だから何とでもなります。だけど、そういう嘆きを
無視して、あの二人は練習するって。そういう時に演出の暴走を止めるのは、舞台監督の役目でしょう」
確かに、知らなかったでは済まされない…私はつい、うなだれてしまった。
すると、仲村君は、
「十一月の公演もあるんですよね」
「うん、あるよ」
「じゃあ、その時まで、いてください」
「え」
顔を上げた私へ、念を押すように…笑って、
「その時までいないとダメです。いてくれるだけでいいってフミヤも言ってますよね。
暴走を止めることが出来ないなら、いてくれて、俺らの愚痴のはけ口になってくれるだけでいいです。
それが、川上さんの役目なんだと思います。だから、それからは逃げないでくださいね?」
「…あ…うん」
そこでやっと、私も笑えた。まりちゃんがいつか言った、
『一回生を守ってあげてくださいね?』
その言葉に、仲村君の言葉もオーバーラップする。そして仲村君はちょっと、
「だってさ、やっぱりなんだかんだで奥井さんも今村さんも、俺らより先に演劇部を卒業しちゃうじゃ
ないですかぁ。そう思えば、川上さんにはホント、いてくれるだけで十分だよね、うん、大丈夫大丈夫」
聞き捨てならぬことを言う。
「こらこら、それってどういうことだ?」
「あはは、素直で素敵な先輩だってことですよ! よく俺の暴言に耐えてくれました。拍手〜!」
「あのねっ! アンタ、ちょっとチョーシこきすぎ!」
私がふざけて上げた拳骨を、仲村君はオーバーな仕草で受け止める。
(いても、いいんだ)
仲村君は、ハッキリと「私は役に立たない」、そう言った。だけど、それでもいてもいい、
そう言ってくれる子がいるなら、
(私も、甘えていいのかな)
本当に救われていたのは、彼らではなくて私のほうだったのかもしれない。

そして相変わらず実験に研究室で時間を取られて、
「おっと、忘れてた! お知らせ〜」
どんどん蒸し暑くなってくとある日、共練に集合した演劇部の仲間へ、私は言った。
「明後日から、合宿所にこもることになります。それなりの心積もりでよろしく!」
気がつけば合宿所泊まりが数日後に迫っている。どうにかこうにか、六月公演はまだ、
表面的には上手く回転していたのだ。


to be continued…

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