Last Stage 25



『自分が見ている景色を、他人も同じように見ているとは限らない。我々の世界は、
かくも曖昧模糊たるものなんだ』
『そうですか…それは、そうですよね』
そして主人公が自宅に帰った後、研究室で博士と女助手はそんな会話を交わす。
二人はあの夢を見て主人公が飛び上がった後、教祖が窓から忍び込んで、
『その装置を私に渡してください。貴方の良い様にしてあげます』
と、告げたことと、主人公がそれを承諾したことを知らない。
だけど、主人公の振る舞いは怪しい。
長年一緒に研究してきた仲間だから疑いたくはないのだけれど、
『とりあえず、泳がせて様子を見る。それしか我々には出来ないよ』
『そう、ですね…』
人の心と、考えていることまでは誰にも制することはできない。ただ出来るとしたら、
『それこそ神の領域だろう』
所長たる博士の言うことは、奇しくも問題の本質を言い当てていたとも言える。
そして前世で自分は人殺しだという、それだけで狂ってしまいそうになる気持ちと必死に戦いながら、
主人公はこの装置と設計図を抱え、『神』が待っているという空港へ、研究所を抜け出して
こっそりと向かうのだ。
その装置を手に入れ、増殖させて全世界へバラまいて、ありとあらゆる人間から人を愛する気持ちと
優しい気持ちとを奪おうとする『神』と、それを何とか制しようとする天使二人。
研究所の博士と女助手は、『神』と主人公が空港前で落ち合ったところでやっと追いついて、
『だって俺は彼女を殺したんだ…だから生きている価値はない…』
『達也! 私はここにいるのよ!』
『愛していた人を殺した、それでこんなに苦しむのなら、いっそのこと俺なんかいなくなればいい』
『達也…達也!』
前世の彼の名を必死に呼ぶ女天使。そしてようやくその声は彼の耳に届き、今まで見えなかった
彼女の姿が彼にも見えるようになる。そして抱きしめ合う二人。
「…今回はハッピーエンドか」
その後は無言のまま、女助手と主人公との結婚式の模様が演じられ、天使と神と…全員でその様子を
祝福するところで終わる。去年の「Dr.ゼロ」が隣で呟いて、なんだか照れくさそうにしながら
それでも拍手を送るのを、私もその横顔を見上げて少し笑った。
「…カーテンコールだよ、行っておいで」
「あ、はい。行って来ます、『Dr.ゼロ』」
私が言うと、天田さんはまた苦笑して、
「衣装、綺麗で目を楽しませられた。よく頑張ったね」
「えへへ」
頭を軽く叩いてくれた。彼へ手を振り、私は共同練習場の舞台へ、美帆ちゃんと一緒に上がる。
「…衣装担当の、T大農学部1コース、川上亜紀です。今回の衣装は…」
なんて言い終わって美帆ちゃんと一緒に頭を下げると、お客さんからの拍手がもらえる…演劇を
やってて良かったな、って思えるのは実にこの瞬間なのだ。
「ありがとうございました!」
そしていつものように、お客さんからの盛大な拍手を受けながら、夢の中のような余韻を残して幕は閉じる。
(あ)
その時、今日同練習場の出口からこっそりと去っていく影が見えて、
(たかま、だ)
その後姿は、私を演劇部へ紹介してくれた友達のそれだった。見に来てくれていたんだな、なんて
思って、たちまち胸がつまる。
(どんな思いで見てたんだろう)
「…川上。俺さ」
土曜日、日曜日に渡って五回も演じた新入生歓迎公演も、やっと終わった。裏方さんに混じって
後片付けをしている私へ、奥井君がそっと近づいてきて、
「演劇部の名前、『でいこん座』じゃなくて、『D・4.D』に変えようと思ってるんだ」
「でぃー、よん、でぃー?」
「そう、『劇的四次元空間』、ドラマティック・フォー・ディメンジョン。どうだ!」
ちょっと照れくさそうに、だけど自慢げにそう言った。
「へえ」
その様子が、まるで小さな男の子みたいで…だからこそ、まりちゃんが前に言った「奥井さんは川上さんを
馬鹿にしている」なんて言葉が余計に嘘みたいに思えて…私は思わず微笑んでしまうのだ。
「いいんじゃないの? かっこいいじゃん」
だから、そう返事をした。名前を変えても、演劇部の本質は変わらない…はずだと、そう思ったから。
「だろ、だろ? 一年生もさ、意外にたくさん入ってきてくれそうだからさ」
「そうだね」
今年の一年生は、高校生の時から演劇をやっていた、っていう子も結構多くて、入部希望が最初から男の子四人、
女の子四人っていう、弱小サークルにしては「大収穫」だと思う。
おかげで演劇部も、ものすごく賑やかになった。
私たち三回生は二人だけになったけど、一回生、二回生合わせたら全部で二十人近くにはなる。
「さて、これからまた、六月に向けて頑張らなきゃ。だけど俺ら、あんまり部活のことには口出しできないかな」
奥井君はちょっと寂しそうに、だけど嬉しそうに笑って伸びをした。
「だって三回生だもんな。主役は二回生に譲らなきゃいけないんだろうけど…いや、やっぱ
口出しするかな、心配で」
「そう、だね」
彼の口から出る言葉に、安堵と危惧、両方を覚えながら、私は頷く。
彼が演劇部のことを心配してる、っていうのも本当だろう。良くも悪くも、奥井君の存在があまりにも
大きすぎて、私たちもやっぱり彼に頼ってる、そんなところがあるから、
(私の支えは…反って彼には邪魔なのかもしれない)
私も、ここで引っ込むべきかもしれない、またそんな弱気な思いが頭をもたげた。実際、私がいなくても
彼は困らないに違いないから。
『奥井君は、演劇部を私物化しようとしてる。自分の思い通りにしようとしている』
要するに、悪い言葉で言えば、
「アイツ、チョーシこいてる」
ってことになるのかもしれない。奥井君を皆が支持していると…実際そうなんだけど、その支持がずっと
続いて当たり前だとそう思い込んでる、って、ありちゃんたちには見えるんだろう。
「さて、打ち上げだ打ち上げ! お前、俺と飲み比べしねえ? お前も結構強いじゃねえか」
でも、今、目の前で私に向かって笑ってる奥井君は、少なくともそうは見えない。
奥井君を信じたいという気持ちと、もしかしたらその見方は正しいかもしれないっていう気持ちで
ぐらぐらする心を抑えながら、
「いいよ。受けて立つよ」
「よっしゃ! 負けねえぞ。俺も結構強いぜ?」
私が笑うと奥井君も笑って、「ちょっとションベン」なんて言いながら部室のほうへ戻っていく。
片付け作業へ戻った私へ、懐かしい声がかかった。天田さんやぼのさん、その他のOBの人たちも
来てくれていて、作業を手伝ってくれている。気軽に遊びにはこられなかったけど、せめて
これくらいは手伝いたいんだって…口には出さないけれど、まだ『演劇部』を皆が愛してくれているのだ。
そして、
「よ、元気っぽいじゃん」
「坂さん」
そんな中、スーツ姿の人が声をかけてきてくれた。そっちを見ると、演劇部きっての「スター」がいて、
「やあ、久しぶり。俺もK県の製薬株式会社、営業の新入社員になりましたー」
ちょっと照れくさそうな声で笑ったかと思うと、
「はい、これ名刺〜」
おどけて、彼の名前が印刷されている名刺をくれた。こういうお茶目なところは卒業しても
相変わらずで、
「坂、お前相変わらずチョーシよすぎ」
「ぼのだって、相変わらずフカしてんじゃねえの」
ぼのさんと交わしてる会話も、なんだかものすごく懐かしい。
「フォースステージ、落とされたんだって?」
そしてぼのさんは、やっぱり遠慮がない。私たちが遠慮して聞かなかったことを、ずばりと問いただすもんだから、
私と天田さんは思わず顔を見合わせて苦笑していた。
「ああ、落とされましたよ、見事に落とされました! 書類は通ったんだけどなあ。最終選考で
すべっちまったんだよな。やっぱ都会の演劇って厳し〜」
茶化したみたいに言ってるけど、かなりショックだったに違いない。少し寂しそうに坂さんは笑って、
「ま、営業をやらせてもらってますが、会社が引けてからK県の劇団に入って、小さなスタジオで
演劇やってます〜。川上さん、天田も、おヒマなら来てよね、ンフン」
最後の言葉は、来ていた背広をまるでヴェールみたいに被って、本当にオカマさんみたいシナを作りながら言う。
それで私たちまで笑わせてしまうところは、やっぱり凄い才能だと思うんだけど、な。
(演劇の世界っていうか、そういう芸の世界で生きていくって、当たり前だけど厳しいんだなあ)
改めて、私は思った。芸能界だとかなんだとか、そういう世界で、特に目立った容姿でもない人間が
生きていけるほど、芸事の世界は甘くない。
だけど、坂さんは演劇が大好きなのだ。だから、
「…なに? ウチの演劇部、D4Dって名前に変わんの? なんだってまた」
尾山君と会話してて、坂さんが心底びっくりしたみたいな声が耳に飛び込んできて、私は首をすくめてた。
ありちゃんと奥井君とのこれまでの経緯を彼も知ってたから、演劇部がちょっと危なかった、っていうこと
くらいは知ってるだろうけど、まさか名前まで変わるなんて思ってなかっただろう。
もともとT大演劇部に「でいこん座」なんて名前をつけたのは坂さんなのだ。皆「ダイコン役者」だからって、
それをもじったんだって、いつか私もたかまから聞いたことがある。
「…ま、いいや。名前は変わっても、『演劇部』ってのが変わんなかったら、俺はそれでいい」
でも、坂さんは責めない。その代わりにものすごく寂しそうに、自分を納得させるように言った。
ちょっとたまらなくなって、
「ごめんなさい、ちょっと休憩させてもらっていいですか?」
片付けをしているOBさんや、後輩達に断って私は共練の外へ出る。
(ひょっとしたら私は、『奥井派』だなんて思われてる?)
春らしく、夜になってももう風はかなり温かい。なのに、外へ出た途端、なんだかとても薄ら寒くなって、
私は思わず自分の身体を抱き締めて、両手でこすっていた。
(『派』だなんて…そんなの、考えもしなかったのにな。私が奥井君を支えようと思ってるのは)
くだらない『派閥』なんて考え方じゃなくて、演劇が好きで、あのテンポの良かった彼の演出が好きで、
彼の力に一目置いてるからだ。
『あんなに冷たくされても』演劇部にいた、ってことは、よっぽど奥井君が好きだ、っていう風に
誤解されてるんじゃないだろうか。
(そうじゃないのにな…)
人の考え方っていうか、受け取られ方って本当に難しい。言葉を尽くしても、その通りに受け取られない
場合のほうが多い…尾山君がいうように、「受け取り方なんて人それぞれ」って、本当だと思う。
でも、言葉があるんならちゃんと言わなきゃいけない。
(私は、奥井君なら何でもいいって言ってるわけじゃない。奥井君の力量を認めて、奥井君なら
やるだろうと思ったから、演劇部にいるんだ)
私に、言えるだろうか。ちゃんと伝えられるだろうか。思わず深くため息を着いたら、
「赤井さんが心配してるよ? あっちゃんが戻ってこないって」
「…ごめんなさい」
天田さんが、来てくれた。そこでやっと気付いたけれど、私はいつの間にか共練からも
部室からも見えない、学館へ上がる坂のところへ来ていたのだ。
そこからちらほら散ってる桜を見上げて、
「桜、まだ咲いてるね」
「そうですね。私、ここが大好きなんですよ、えへへ」
「俺もだ」
天田さんは、そこでおずおずと私へ両手を伸ばす。
「…教員採用試験、合格したら…俺、地元のO県に帰らなきゃいけない」
「はい」
初めて、家族以外の人に抱き締められた。初めて、家族以外の人を抱き締めた。
額を天田さんの胸へこつんとぶつけると、そこからどんどん早くなってく心臓の鼓動が伝わってくる。
「…緊張、してます?」
そうしたまま、私が少し笑いながら尋ねたら、天田さんも少し笑って、
「うん、してる。君だって」
「はい、私もです」
笑ってるけど震える声で、私も言った。胸の鼓動がますます早くなる。
「…行かないと、皆がもっと心配する」
「そうですね」
どちらからともなく唇を重ね合わせた後、私たちはまた笑った。
「合格したら、君に真っ先に知らせるから」
「はい、待ってます」
それから手をつないで…部室が見えるところで手を離す。やっぱり皆には知られたくない。
「あ、あっちゃん! もう、皆先に行っちゃったよ! 天田さん、ごめんなさい、探させちゃって!」
すると私を認めた美帆ちゃんが、なんでだか保護者のようなことを言いながら駆け寄ってきた。
側には今村君もいて、
(良かった。とりあえず修復はしているんだ)
いつものごとくのそんな光景に微笑みながら、
「ごめんごめん。ちょっと桜に見惚れてたんだ」
私は安心してそう返す。
「でも、いつもの『大門』でしょ? 場所は分かるから、先に行っておいてくれても良かったのに」
「そんなわけにはいきませんよ。奥井さんだって、『川上さんと飲み比べする』なんて言って張り切ってたんだから。
お前が首に縄つけてでも引っ張って来い、なんて言われてるんっすよ、俺」
すると今村君が笑った。なんてことのないような言葉に思えるけれど、
(奥井君が言ってた、か…)
「ごめんごめん、じゃあ行くからさぁ」
…今村君の言葉に少しの不安を覚えながら、私と天田さんは少しだけ顔を見合わせて歩き出した。
(これからもあの二人、ああやってちゃんと二人で歩いていくんだろうか)
時々私たちを振り返って、私たちがそこにいることを確認して安心したみたいに笑って、また
歩き出す二人。
(たかまは、もともと『奥井君のそういうところが嫌いなの』なんて言ってたから、
失礼だけどわりに頷ける。仕方ないなって思えるけど)
…出来れば、二人には別れて欲しくない…美帆ちゃんのために。なんだかんだで私は、
やっぱり美帆ちゃんの悲しむ顔は見たくないのだ。

ともかくこうして、三回生になって初めての公演は終わった。私はますます実験で時間が取れなくなって、
「川上、お前、手が空いてないなら舞監と衣装やってくれ。演出はケン坊なんだ。だから
俺らで助けてやらなきゃ」
いつの間にかまた、六月公演の時期になっていた。やっと部活に顔を出した私は、奥井君からそう言われて
目を白黒させる羽目になったのだ。


to be continued…

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