Last Stage 24




なんて言葉をかけて言いのか、私はとんでもなく戸惑った。
だって今、尾山君が好きなのは多分…誰が見てもはっきり分かるくらい…私の大親友、
わかめちゃんで、わかめちゃんだって満更でも無さそうだから、
(多分、もうすぐであの二人、付き合うよね)
私も、二人の共通の友達として、微笑ましい思いで二人の仲が進展するのを見守ってたつもりだ。
だけど、
「あ、いえ、知ってます、私」
まりちゃんは口を開きかけた私を遮って、寂しそうにまた笑う。
「尾山さんとわかめさん、本当にお似合いだと思います。分かってるはずなんですよね、
私なんかが入る余地、ないって。だけど」
「まり、ちゃん…」
いつの間に、また桜が咲いていたんだろう。当たり前すぎて、今年はそれが散っていることさえ
気付かなかった。
「だけど私、尾山さんが好きなんです。ただ…それを誰かに聞いて欲しかった。ごめんなさい」
「そんなの、全然構わないよ」
「…ありがとうございます。それでね、私」
私の下宿から見えないように、側にある電信柱の裏で突っ立ちながら、まりちゃんは
俯いて話し続ける。
「尾山さんに言ったんです、好きですって…ずっと好きでした、って。フラれちゃいましたけど。
『俺はわかめが好きなんだ、でもありがとう』、って」
「…うん」
…私は、ただ頷くしか出来なかった。でも、その時のまりちゃんは、おざなりな慰めなんて
望んでいなかっただろうし、それに私だってそんな風に慰められるくらいなら、ただ黙って
聞いていてくれたほうがいい、そう思ったから。
「だから私、今回の公演が終わったら、今の演劇部、やめようと思います」
「…そっ…か」
「あ、もちろん私、わかめさんのことも好きですよ! 優しい先輩だし、本当に二人が
お似合いだって思ってます…思って、ます」
「…うん」
「だから…今回のシナリオが、本当に辛くて…」
「うん」
そこで声を詰まらせて、ころりと涙を零したまりちゃんの頭を、私はそっと撫でた。
今回の尾山君のシナリオは、偶然だかなんだか、最後はわかめ演じる女助手と、主役の彼が
結ばれるハッピーエンドなのだ。
最後の最後に、主役の男性はやっと、前世で彼の恋人で、今は天使の彼女の姿を見ることが
出来るんだけれど、
「…結ばれない、んですよね、結局。せめてシナリオの中だけでも、なんて思ったんだけど…
だって私のほうが、尾山さんと先に知り合ったんだし、って、なんだかとてもいやらしいですよね。
そんな風にも思っちゃって。尾山さんとわかめさん、二人が仲良くしてるのを見たくない、
なんて」
まりちゃんは、そこで少し自嘲気味に笑う。
「…うん」
なんて言ったらいいんだろう。こんな風に片思いを経験する前に、天田さんに受け入れられてしまった
私は、多分ここまで人を深く思ったことはない。
「だけど、川上さん」
ただ頷くしか出来ない私を、まりちゃんは目を擦ってまっすぐ見つめた。
「私が演劇部をやめるのは、それだけじゃないんです」
「え」
「川上さん、好きです。本当に、演劇部の中で一番優しい先輩だし、奥井さんにあんなに冷たくされていたのに
それを自分の努力で全部ひっくり返したし…尊敬してます」
「そ、そんな」
「前にも言ったけど、私、川上さんが本当に好きです。それだけは信じてくださいね」
「う、うん」
春の夜風は、私たちの間を吹きすぎていく。いつか聞いたその台詞を繰り返すまりちゃんは、
(まだ何か、言いたいことがあるんだろう)
そんな感じだったから、私も頷いてその先を待った。
「私、川上さんは好きだけど、今の演劇部は…嫌いです」
…普段、大人しくていつも控えめに笑ってて…ショートカットの下の眼鏡の奥には、いつも優しくて
穏やかな笑みをたたえているまりちゃん。
そんな彼女の口から出てきた激しい台詞に、私はとうとう言葉を失ってしまった。
「ありさんや、鈴村さんの味方だっていうんでもないんですよ? だけど、ありさんたちの
言ってる事にも、正しいところはあるんじゃないかって思えてしまって」
「ありちゃんたちが言ってること?」
「はい」
そこでもう一度、まりちゃんは目を伏せてしまった。しばらく嫌な沈黙が流れて、
「『奥井君は、演劇部を私物化しようとしてる。自分の思い通りにしようとしている』」
…どう、と、音を立てて風が吹いた。
「…『だから私たちは、今までの「でいこん座」を護るために、誰もがちゃんと意見を言える演劇部を
新しく作るんだ。このままじゃ、演劇部は奥井君の言うままの、奥井君のためだけのものになる』」
まりちゃんが言ってるのは、シナリオの中の台詞なんかじゃない。これは「現実」だ。
「…だから私は…ありさんや鈴村さんや…今の四回生さんたちが作ろうとしている、『向こうの』
演劇部へ行きます。…私なんかの言うことは、奥井さんは聞いてくれない。いつの間にかそういう流れに
なっちゃってるんだもの。今の奥井さんは、私たちの意見も黙って聞いてくれていた去年の六月公演の時の
奥井さんじゃない。だから…私は逃げるんです。だけど川上さん」
まりちゃんは、ただ呆然としている私の手を取って、ぐっと握り締める。
「一年生の子たちを、守ってあげてください。これから演劇部に入る子たちは、何も知らない。
ただ演劇をやりたいって、純粋にそう思って入ってくる子だっているはずです。その中には、
当然、奥井さんよりもずっと実力があって、だからこそ奥井さんと馬が合わない子だって出てくる。
だから、川上さんがぎりぎりまで残るなら…同期で奥井さんに対等な口を聞ける『資格』が
あるのは、もう川上さんだけなんだから…私が言えた義理じゃないけど、その子たちを守ってあげて…
ごめんなさい」
そこで声を詰まらせて、まりちゃんは静かに泣き始めた。
(そんなに、深刻になっていたのか…)
天田さんから聞いていたはずなのに、改めて「当事者」の口から聞くと、また別の重さが私の心へ
のしかかってくる。
知らないのは、「台風の目」の中にいる私たちだけで、演劇部から離れていってしまった、というよりも
奥井君のやり方に疑問を覚えた人間から見たら、やっぱり「今の演劇部はもうダメだ」って
なっちゃうんだろうか。
奥井君も、劇団フォースステージみたいに、T大からいつかそういった…「メジャーな劇団」みたいな
ものを作れたら、なんて、いつだったかぽろっと漏らしたことがある。その時私は、きっと彼なら
やるだろうと…そうなったら協力したいと思った。ううん、今でも思ってる。
だけど、
「私の言うことも、彼は聞かないと思うよ」
…そうなのだ。「途中から入った人間」の言うことを、あの奥井君が素直に聞くはずがない。
なにより私は彼にとって、やっと「最近認めた」ばかりの人間なのだ。
気付いているのかいないのか知らないけれど…「友達」だから言わないだけなのかもしれないけれど、
「それを言うのは、尾山君の役目だ…私じゃ無理だよ」
「川上さん…」
「だけど、一年生の子たちは傷ついたなら、話を聞いてあげることはしたい。それは思ってる。
それくらいしか私は出来ない…」
「そう、ですね。もう届かないんでしょうか…やっぱり芝居は芝居でしかないのかな」
まりちゃんはうなだれた。
私たちの脳裏には、その時、きっと同じ光景が浮かんでいたに違いない。
『達也! 私はここにいるのよ!』
『俺は彼女を殺したんだ!』
もう「彼女」は「彼」をうらんでいない。それを苦しむ彼に伝えたくても、自分の姿が見えなくて
伝えられない…だけど必死になって、まりちゃん演じる『天使』はそう叫ぶ。
『達也!』
何度も彼の名を叫んで、そして、
『え…君は』
ようやくその声は、尾山君演じる「彼」に届いた。天使になった彼女の姿がはっきりと見えて、
そして抱き締めあって…、
(だけど、もう奥井君には届かないんだろうか)
奥井君だって、今の演劇部が好きで、自分のやってることが演劇部のためになることだと信じて
やってきたはずだ。
「…自分の意見に反対する先輩達が嫌、自分の意見に沿わない同輩達、後輩達も排除する…、
そういう風に、まりちゃんには見える…?」
「はい」
「それは私が正さないといけない」
「そうです。このままだと、奥井さんも可哀相です。だって今の演劇部、先輩達が遊びに来ないじゃ
ないですか。奥井さんが鬱陶しがるから、来られないんですよ。先輩達だって演劇部が好きで、
邪魔するつもりはなくて、ちょっとくらいは様子を見たいって思ってるはずなのに…なのに」
まりちゃんは、そこできっぱりと言った。
「奥井さんは、自分がOBになっても演劇部へは来るはずです。そして自分は口出ししても
構わない、そういう権利はあるって思ってるはずです。先輩達にはそうするなって、無言で
言ってるくせに、矛盾していませんか」
「…」
「だから、川上さん。川上さんが残るなら、ぎりぎりまで残って、奥井さんが間違った方向へ
行くのを、川上さんが止めるべきだと私は思うんです」
彼女の言葉は、私の胸に鋭く突き刺さる。尾山君もわかめも、演劇部から去ってしまう。
この時、私もどうして逃げてしまわなかったんだろう。実験で忙しくなるから、って、理由はそれで
十分だったじゃないか。
「自分が、どれだけ失礼なことを言ってるか、私、分かってます」
混乱している私へ、まりちゃんは優しく微笑んで、
「だけど、川上さんだから言えるんです。川上さんは、私が見ていても、年下の他の子たちから遠慮なく
文句を言われていて、何故怒らないんだろうって…演技や自分の言ったことを間違ってるって指摘されても、
『そうだった? じゃあ直すね』なんて言って、笑って直すじゃないですか…そういう人だから、安心して
言えるんです。それを奥井さんは馬鹿にしてる。自分にとって耳に痛いことでも、笑って受け入れられるってこと、
どんなに凄いことなのかってこと、馬鹿にしてるって私には思えます。川上さんのこと、奥井さんが
文句を言っても堪えない人間だって…自分には絶対に言い返さない、自分にとって利用しやすい人間だって
思ってるのが分かるんです」
「あ…」
(そう、なんだろうか)
「…ごめんなさい。生意気言ってしまって…酷いこと、言っちゃって」
頭の赤が真っ白になってしまった。まりちゃんは固まってしまった私の肩へそっと手を伸ばす。
どこから飛んできたのだろう、そこには桜の花びらが一つ付いていて、
「私、川上さんが大好きです。向こうの演劇部に行っちゃうけど、それだけは信じてください」
「う、ん」
私が頷くと、
「ごめんなさい、私もちょっと言い過ぎました。今日はこのまま帰りますね」
まりちゃんは言って、側にとめていた自転車に乗り、そのまま西のほうへ…自分の家のほうへ
向かって去って行ってしまった。
…やめるべき、だったのかもしれない。自分が傷つかないための、これが潮時だったのだろう。
だけど私には、
「川上さん、遅ーい!」
「早く来ないと、おやつ無くなっちゃいますよー」
部屋の扉を開けると、笑いながらそう言ってくれる後輩たちを見捨てるわけにはいかなかった。
だってこの子たちは何も知らない。出来れば何も知らないままで、演劇の楽しさというものを
味わって、いい思い出を一杯作って欲しい…T大って、本当に素敵なんだよって。
「ごめんごめん、あ、サイダー、もうないんだ!?」
「私が飲んじゃいましたー!」
「ひどーい!」
…こんな風に馬鹿言って笑い合って…きっと大丈夫。
気が付けば新入生歓迎公演、略して「新歓公演」は、もう一週間後に迫っていた。

…そして、去年と同じように共同練習場の幕は開く。
『助けてくれ! 誰か俺を助けてくれ!』
夢の中で、今日も彼はうなされる。前世で殺した恋人が、夢の中に現れて彼を責めるのだと。
医者も彼を見離した。となると人間が後に縋るのは「宗教がらみ」だと相場は決まってる。
妖しげな新興宗教の教祖。だけどその教祖に出会った人間は、ほぼ全員が悩みから解放されていると
いうことで、研究所の所長は教祖の言うまま、「人の夢の中を見ることの出来る装置」を、
知り合いである「Dr.ゼロ」に頼んで作ってもらうのだ。
そこで、私は客席の後ろで、これまた私の横にさりげなく立っている天田さんをちらっと見上げる。
すると、去年の「Dr.ゼロ」であるところの彼も苦笑していた。
『もう耐えられないんだ。なんで俺が、こんな夢なんかに悩まされなきゃいけないんだ』
知らない女が出てくる夢。その女を殺すところで必ず夢は終わる。
最初はぼうっとしていたその夢は、時が経つに連れてどんどんリアルなものに変わっていって、
『あなたは私を殺したのよ。殺したのよ、殺したのよ!』
まりちゃん扮する『前世の彼女』は、そう言って繰り返し繰り返し、彼を責めるのだ。
『やめてくれ…やめてくれ!』
今までの夢とはあまりにも違う、あまりにもリアルすぎる展開に、ついに思い余って
彼が叫ぶ。同時に夢から醒めて、研究所の所長と女助手が彼の部屋へ飛び込んでくる。
あまりにも衝撃的な内容だったから、前世の女が出てくる夢などみていない、なんて言い張る彼に、
『そんなはずないじゃない。あの女が出てきたじゃない』
『悪いな、我々は全て見ていたんだよ。この装置で』
きっぱりと告げる二人。
『…全部、見てたんですか…?』
すると彼は、据わった目で二人を睨みつける。うなされる夢の解明のため、とはいえ、誰だって、
夢の中まで覗かれてしまったら、きっと耐えられないに決まっている。
その眼光の鋭さに、思わずタジタジとなりながら、それでも研究所の所長は、
『いや、途中で映像が途切れてしまってね』
女助手が言い掛けるのを制して、敢えて嘘をつくのだ。
そして、その『他人の夢を覗くことが出来、かつその夢の内容を操ることすら出来る装置』を、
あろうことか教祖が奪ってしまう。
正体が神であるところの教祖の最終目的は、その装置を全世界の人間へ与えて、全ての人間から
希望と人を愛する気持ちを奪うことだったのだ…。


to be continued…

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