Last Stage 22



三回生の部 その1 〜前世を夢に見る

どうして私は、ありちゃんやしのちゃんの言葉を、その時にそのまま受け取ってしまったんだろう。
二人が抜けてから、私にとって演劇部は、なぜか妙に居心地のいい場所になった。
多分それは、奥井君が何かと私を頼りにするようになったからで、
「…なんだか複雑な気持ちなんですよね」
「そうか」
いよいよ教員免許を取るための受験勉強に入った天田さんへ、私はそうやって愚痴を零したものだ。実際、
人から頼りにされるってとても嬉しいのだけれど。
お正月も無事に過ぎて、私たちも春からはいよいよ三回生。後期のテストも終わって、もう演劇部では
次の「新入生歓迎公演」の台本を決める段階に入ってる。
「だけど君は、三回生ぎりぎりになっても演劇部に残るんだろう?」
「そう、ですね」
彼の問いに、今度は私が頷く。奥井君が友情を寄せてくれるようになったから、っていうんじゃない。
何よりも私が演劇に魅せられて、このまま「表現するということ」を続けたいって、心から思ってるからだ。
喫茶店「L」の外は、今日も木枯らしが吹いている。ものすごく寒いから、多分明日は雪になるに
違いない。
(春は、いつ来るのかな)
T市へ着てから、二回目の冬。カレンダーはもう三月なのに、枯葉が転がって行くさまをぼんやりと眺めながら、
紅茶を一口飲んだところで、
「たかまもさ、演劇部、抜けるんだって」
「え…」
天田さんの顔を、私は思わず見直した。
「どうして」
どうして天田さんが知ってるんだろう、どうして演劇が何より好きで、高校生の時からやっていた
彼女がいなくなるんだろう。二つの意味を込めて私が問うと、
「例のごとく、だよ。ありちゃん経由で千代田から聞いた。それと…」
天田さんは、そこで大きく息を吐いて、
「奥井と別れたからだ」
…ショック、だった。
私に「関係ないこと」なのかもしれないし、実際二人の問題なんだから私には関係ない。
けれど、いつかまりちゃんとも話していた「奥井君とたかまが別れたらちょっと怖いね」が、
本当に現実になるなんて。
「それで、君にひとつ、ありちゃんやたかまから提案があるんだって聞いた」
「え…え?」
「いや、もちろん、これはありちゃんが千代田に言ったことなんであって、俺から君に伝えろって
言われたことじゃない。第一」
天田さんは、驚く私をなだめるように両手を挙げながら苦笑して、
「…俺と君が、こうして付き合ってるってことは、千代田だって知らない」
「そう、ですね」
私も苦笑して頷いた。
演劇部の他の皆は、私と天田さんがこうして付き合っているということを多分知らない。というよりも、
私たちがあまりそういうことを…人前で親しげに見せたりとか…しないせいもあるし、何よりも
天田さんも私も、「二人だけの時間」を他の人に知られるってことを望んでいない。
心が狭いとか、恥ずかしいとかいうんでもない。ただ、二人の世界をひっそりとゆっくりと守っていきたい。
だからこの一年、なんとなく、従妹の美帆ちゃんにも話せないまま過ごしてしまっているのだ。
「で、その提案なんだけども」
天田さんは、そこで運ばれてきたコーヒーへ砂糖をひと匙入れて続けた。
「先輩からの『でいこん座』を踏襲した、新しい演劇部を作る。そこに君も入ってもらえないか…
そう考えているらしい。このままだと、君は奥井にいいように利用される。だから、君が
もしも『演劇部』に残るのであれば、君が傷つく前に出来れば『でいこん座』へ来て欲しい…
千代田やぼのさんも待ってるから。そういうものだった」
「利用…ですか? 奥井君が、私を…?」
新しい演劇部云々、というよりも、むしろそっちのほうがショックで、私はまた言葉を失った。
何の役にも立ってない、多分奥井君にとってはさほどの価値もない私を、どうやって彼は利用するって
いうんだろう。
思わず俯いてしまった私へ、
「俺は、教員の勉強で忙しいから、参加したい気持ちはあるけど無理だ。たかまも今回のことがあったから、
もう傷つくのは嫌だから、演劇からはきっぱり手を引くって言ってる。だから、俺やたかまは入らない…こういう言い方は
本当に嫌なんだけれども『中立』でいようと思う」
淡々と、天田さんは告げる。
「ありちゃんや鈴木さんは、それぞれ役者に音響に、突出した才能を持ってる。ひょっとしたら、
都会で、『これから』の劇団でも通用するかもしれないくらいの、ね。奥井だってそれを
ちゃんと言葉では認めてた。なのに『ありちゃんが悪い』『鈴木も悪い』そればかりを繰り返してる。
ありちゃんは、裏方でもいいから今の演劇部にいたいって望んだんだよ。だけど、そこまで言われて、君なら
残れるか?」
「あ…」
次から次へと聞かされる「本当の話」に、私はすっかり混乱してしまった。天田さんの言ってる本当の意味が、
だからその時の私にはつかめなかったのだ。
…つまり、奥井君は、自分の気に食わない人間を全部追い出そうとしてる。そして実際に追い出した。
天田さんは、きっとそう言いたかったに違いない。
だけど、
「そんなはず…そんなこと、ない、と、思いたいです」
私は、そう言っていた。
そう、そんなことないはずなのだ。だって去年の六月公演の時の、奥井君のテンポがいい、役者になるべく
精神的な負担をかけないようにした演出、私は間近で見ている。役者だったありちゃんだって知ってるはずだ。
確かにその時、彼の私へのイメージは最悪だった。ありていに言えば私ははっきり「嫌われて」いた。
だけど、
「本当に、すごかったんです。奥井君の演出の方法。だから、私は…あの時の彼を信じたい…んです」
「そうか。まあ、俺は見ていないから、ね」
私がつっかえながらもそう言うと、天田さんは柔らかく笑って、私の頭をごつい手で優しく叩いた。
「君も理系学部なんだから、三回生になったら千代田や坂さんみたいに実験で忙しくなるだろう?
この際だから、きっぱり退部してしまってもいいと俺は思った…だけど、君が決めたんなら、それでいい」
「…ごめんなさい」
「なんで謝るんだよ。ああ、泣かないで」
思わず目がうるっとしてしまった。すると天田さんは慌ててカバンからハンカチを取り出す。
「…もし傷ついたら、いつでも俺が受け止めるから…って、臭い台詞だけど」
「いえ」
黄色と茶色のチェックの入ったそのハンカチに頬を埋めて、私は首を振った。
「ありがとうございます。なるべくそうならないように…気をつけますから」
自分が傷つかないように、誰も傷つけないようにする、といった意味で私が言うと、天田さんは
また柔らかく笑った。
「先輩達、もう卒業なんだよな。坂さんもいなくなる。京都の製薬株式会社の営業になるんだって」
海からの風は冷たくて強い。がたがたいってる窓ガラスの外を見ながら、彼は言う。
「もっとも、ぼのさんはこのままT大の農学部の大学院へ行くんだって。だから『向こうの』演劇部に
まだ関係してるんだ」
「え…そういうことになってたんですか…」
思わず顔を引きつらせながら私が言うと、天田さんはそこで初めて声を上げて笑った。
「君も、あの人が苦手だったのかぁ。実は俺もちょっと」
そこで、二人で顔を見合わせて笑う。
(うん、まだ大丈夫)
春休み集中講義の合間の「デート」。そしてそのまま私は大学へ、天田さんは予備校へ。
相変わらず、ずんぐりした彼の後姿をバス停まで見送りながら、
(大丈夫。私は大丈夫。尾山君だっているし)
胸の中の少しの不安を押しつぶすみたいに、私は自分へ繰り返し言い聞かせていた。

「やっほ、あっちゃん」
「あれ、わかめ」
そしてやっと、待ち望んでいた雪解けと一緒に、T市へやってきてから三回目の春が来た。
新入生歓迎公演のシナリオは、尾山君の書いた「Take 3」っていう題名のオリジナルに決まって、
例のごとく部室で衣装のチェックなんかしていた私へ、
「ヘルパーさんになってよ、って言ってたじゃない。だから来たの。お手伝いすること、ない?」
「わ、ありがとう。助かるよ! あるある、なんでもあるよ」
一回生のしょっぱなから、私の大の親友だったわかめが、部室をわざわざ訪ねてきたのだ。
私は彼女の手を取らんばかりにして、部室の中へ招いた。
「今さぁ、皆がごっそり抜けちゃったから、女の子の役者もちょっと足りないんだよ。尾山君が言うにはさ」
役者も足りない、っていうところで、ちょっとだけ声が震えた。本当なら、まだいたはずの
友達を思い出してしまったから。
「…尾山君が言うにはさ」
わかめも、ありちゃんやたかまとは親交がある。だから薄々は事情を知っているらしい。そこで
ちょっと苦笑いして、だけど黙って聞いてくれている。
「私や美帆ちゃんは、大きな舞台で役を張ったでしょ? だから今回は裏方に回って欲しいんだって。
まりちゃんを主役へ持ってきて、そうすっとあともう一人、女性が必要で…、ああ、そうだ!」
そこで、私の目はぴたっとわかめに止まった。そこでちょうど今回の「演出兼役者」の尾山君も
「うぃーっす」なんて言いながらやってきて、
「わかめが演ればいいんだよ。ね、ほら、尾山君!」
私が彼に言うと、二人は目を丸くして、
「私がって、そんなの!」
「そうか! それがいい」
同時に正反対のことを言った。演劇部の人を差し置いて、なんてしきりに遠慮するわかめへ、
「大丈夫大丈夫! 今から発声練習したら、わかめなら大丈夫!」
「そうそう、ぜひやってやって! 俺からも頼みます。川上の友達なら俺も歓迎!」
私と尾山君は、口々にそう言ったのだ。
…というわけで、男四名女二名、合計六人の役者はようやく揃ったんである。
「もう、二人とも強引なんだから」
「あはは、ごめんごめん。だけど、やってみると楽しいよ?」
早速だけど、なんて言いながらシナリオを渡されて、わかめはぶうぶう言いながらそれでも律儀に
目を通してくれている。
「あっちゃんは、今回は何?」
「衣装とメイクだよ」
「へ? こないだもやってなかったっけ?」
「やってたよ」
そう。今回も私の裏方担当は「衣装」。十二月公演の舞台の時の「実績」が、今回の演出補佐兼役者である
ところの奥井君に変に買われて、今回も衣装を担当させられてしまったのだ。
「大変じゃない。これ、白衣は生協とかで買えばなんとかなるだろうけど…」
「うん。先輩達のも借りられるけどね。いいんだ。美帆ちゃんにも手伝わせるから」
「あはははは」
そして、美帆ちゃんも「衣装」と「メイク」担当なのだ。従妹同士の二人でやれってことで、
「役に立つのかな」
「聞いたよ〜」
ぼそっと呟いた時に限って、美帆ちゃんは現れたりするのである。
「…講義じゃなかったの?」
「休講だよ。あ、わかめさん! あれ?なんでシナリオ持ってるんですか?」
私の従妹だから、っていうんで、あちこちに彼女を紹介していたのが功を奏したのか、美帆ちゃんは
私の友達関係に広く知られている。
わかめの手元にあるシナリオを目ざとく見つけた美帆ちゃんへ、わかめは苦笑して、
「あっちゃんの訳分かんなさと、尾山君とにノセられたの」
「ああ、なるほど」
二人して納得していた。
「ヘルパーさんのつもりだったのになあ。いきなり役をやらされるんだもん。ちょっと怖いよ」
「大丈夫ですよぉ、わかめさんなら」
そして、美帆ちゃんまで同じような安請け合いをして笑ってる。
(うん、大丈夫、だよね)
わかめもいる。尾山君もいる。だから私も大丈夫だ、そう思って、私も笑いながら使えそうな衣装を
探していたのだけれど、
「だけど、今回限りしかできないよ。私も家の事情がちょっとややこしくてさ。サークル活動の
ヘルパーさんも、これで最後にしようって考えてたんだ。最後に、あっちゃんを助けようって
そう思ったから来たの」
「…ありがとう」
…そう、だよね。三回生になって実験の回数も増えて、しかも家の事情がややこしいってことなら、
のんきにサークル活動なんてやれた場合じゃない。
そこへ尾山君も、
「俺もさ。今回限りで演劇部を引退するんだ」
なんて口を挟むもんだから、ちょっと顔が強張ってしまった。
(寂しいなぁ)
だけど何てこと無いように「そっか」なんて言いながら、私は思って…そこで初めて、坂さんが
去年味わったかもしれない寂しさが理解出来たような気がしたのだ。
「ま、頑張ろ。悔いが無いように、楽しくやりたいよ」
「そうだよな。衣装、頼むぜ。今回もかっこよくしてくれ」
尾山「演出」に頼まれて、私も「はぁい」なんて明るく答えを返しながら、
(演劇部に残ったのは、私と奥井君だけ…)
私はまた、胸に湧き上がってくる訳の分からない不安を必死に消そうとしていた。


to be continued…

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