Last Stage S




それから三日間、演劇部の稽古はなんとなく中止になっていた。
「…大変だね。ちょっと落ち着いた?」
「ええ、まあ」
天田さんの部屋で、私は苦笑しながら頭をかく。
誰だっていきなり、たとえ恋人でも『お願いですから今すぐ会って下さい』なんて
涙声で言われたら驚くだろう。大学の正門前まですっ飛んできてくれたカレに、肩を
抱かれるみたいにして、私はこの部屋へやってきたのだ。
ありちゃんもあれから、
「『もう好きにしてよ!』なんて言って、そのまま部屋を出て行っちゃったんですよ」
「そうか」
天田さんも苦笑して、「ちょっと苦いかもしれないけど」なんて言いながらコーヒーを出してくれる。
「…だから、あれっきり連絡も無くて、私…どうしていいのか。美帆ちゃんは相変わらず
下宿には帰ってこないし」
そのコーヒーカップを両手で包んで、私はボソボソ話し続ける。
初めて入った「カレの部屋」。せっかくなのに、それがこんな時だったなんて、ちょっと損したような気分だ。
天田さんが照れながら言っていたみたいに、これでも一生懸命片付けたほうなんだろう。
六畳の下宿に置いてあるテーブルは「こたつテーブル」で、その上には教育学概論、なんて書かれた教科書と、
レポートの類が散乱している。部屋の隅には布団が畳まれた状態で積まれてあって、
「だから…分からないんです」
そんな、いかにも「男の人」らしい部屋の中。私はまたため息を着いた。
演劇部の今の事情を知る、一番手っ取り早い方法は、奥井君お気に入りの今村君から、そのカノジョで
あるところの美帆ちゃん経由で情報を得るってことなんだけれど、
「もしも奥井君とありちゃんとで話し合いしてるにしても、肝心の美帆ちゃんが帰ってこないから、
よっぽど難航してるのかなって…そう推測するしかないんですよね」
「いや、うん…」
私が言うと、天田さんもぶっとい腕を組んで天井を仰いだ。
そう、もしもどこかで…私の知らない場所で話をしているんだとしたら、それは多分奥井君の下宿で、
こんな言い方はしたくないんだけど、ありちゃん側にはしのちゃんやたかまがついて、そして
奥井君側には尾山君や、口出ししなくても今村君がつく。そして当然、今村君の側にいつだって
くっついている美帆ちゃんだって、奥井君「派」ということになるだろう。
「私は…皆と仲良くやれないもんかなって思うんですけど」
「だけど奥井がそういう考えを持っているかどうか、は疑問だな」
「そう、ですか…」
「そうだよ」
厳しい顔をして、天田さんは頷いた。個性のきつい連中だから、皆心の底で「俺が私が」って思ってる。
もちろん、私だって役者をやりたい。舞台で演じるって事、とても楽しい。だけど私は、
「私は…今は奥井君も、ありちゃんも、二人とも好きなんです」
言った途端、また涙が出た。私を別々の見方から「友達」として認めてくれた二人。このまま分裂して
終わっちゃったら、
「寂しいです、すごく。だから仲直りして欲しい」
「うん。だけど」
天田さんは私が言うと、私の頭を軽く撫でながら、
「『それは女の感傷だ』」
思わずハッとした。顔を上げて彼を見たら、天田さんは厳しい顔をふっと緩める。その目の中に、
赤い目を真ん丸くした私が映ってる。
「…って、奥井なら言うよ。まあ、ひとつどうぞ」
「あ…はい」
そこで天田さんは立ち上がって、冷蔵庫から小さな粒チョコレートの包みを出してくれる。
「男って、皆そうなんだけどさ」
それを剥がしながら言って、天田さんはぽいっと口へ小さなチョコレートを放り込む。
「『俺はこれだ!』なんてものを、女の子よりもずっと強く持ってる。その分、プライドも
めちゃくちゃ高い。一生懸命やってる人間はちゃんと評価するけど、一度自分の中で
評価が辛くなっちゃうと、もうその人間を認められないんだよ。女の子よりも、ずっとね。
いや、これは男も女も関係ないかな」
そこでちょっと寂しい目をして、
「…一度、評価が下がってしまったら…信用をなくしてしまったら、それを取り戻して
もう一度仲良くすることは、難しいよね。今回は、それと同じだよ」
言われて初めて、やっと腑に落ちたような気がする。
ありちゃんは、演出であるにもかかわらず、自分で決めた稽古開始時間をはるかに遅れてきた…それも何度も。
それがここで天田さんが言う「信用」の部分なんだろう。
だけど、私は奥井君が私のために怒ってくれたように、「ありちゃんに自分の演技をダメ出しされたこと」
にはあまり怒っていないのだ。
「ありちゃんがダメ出ししたら演技を変えたらいい、って思ってただけなんですけど…もしも話し合いになるなら、
そのことも言いたかったなって」
「そっちは考え方、っていうか主義の違いだなぁ」
そこで天田さんは、組んだ両手を上へ伸ばして、軽くアクビをした。
「だけど今回、他の子たちや千代田からもちょっと話を聞いていて、ありちゃんの演出だったら
奥井ならキレるな、とは思ってたんだよ。実は君らが入学してくる前…俺が一回生の時も、六月公演で
加藤さんの演出に坂さんが、キレてる。その時には加藤さんと坂さんでよく話し合って、二人とも
妥協できるところで折り合いをつけたんだよ。もともと坂さんは、加藤さんの演出の腕を認めてたし、
加藤さんも坂さんの役者としての才能を認めてた。だから、俺達も不安を感じなくて、たった一日
空いただけで、すぐに稽古を再開できたんだけど」
「そう、でしたね。聞きました」
「だけど今は俺らは先輩だから、口出しするわけにもいかないしね。口出ししない、って決めていても、
ありちゃんのほうから尋ねられたら、答えないわけにはいかない…坂さんも、難しかったと思うよ」
「ははぁ」
そこで私は、ありちゃんに話しかけられたときの坂さんの、困惑した表情を思い出した。
「奥井に聞け」って坂さんは、きっと遊びに来るたび、何度も言ったんだろう。だけど、自分が
顔を出すとありちゃんは必ず尋ねる。
(だから最近、坂さんは遊びに来なくなったんだ)
坂さんは、私と違ってそもそもが「気配りの人」だ。それにやっぱり天田さんが言うような、「自分」
を、多分奥井君よりもずっと強く持ってる。
ぼのさんは相変わらず遊びに来て…私とありちゃんがY市の医学部に、衣装を借りる時にさえも
くっついてきた…ありちゃんが尋ねるのへむしろ嬉しがって答えていたみたいだけど、そして
そのたびに坂さんにたしなめられていたみたいだけど、
「ぼのさんにも、だから奥井はいい印象を持ってないだろうね」
「そう、でしょうね」
すっかり冷めてしまったコーヒーカップの中味へ目を落としながら、私はため息をついた。
そんな私を、天田さんも辛抱強く待ってくれている。しばらくして、
「でも私、演劇部、好きです。たかまにすごく感謝してる」
どう言っていいのか分からなかったけど、やっとこれだけは言えた。
…うん、私は演劇部が好きだ。私を変えてくれた…私が変わるのを辛抱強く待ってくれていた友達と、
変わった私を迎え入れてくれた友達が出来た演劇部が好きだ。そう思ったら、視界がゆがんで
涙が一つ、ぽとりと落ちた。
それに、
「…私が思い切って演劇部に入ろうって思わなかったら、天田さんに会えなかった」
「うん。ありがとう」
私が言うと、天田さんは顔を真っ赤にして、それからごつい両手で顔をごしごし擦った。
そして何だかちょっと慌てた風に、
「ところでさ、どう? 部屋、綺麗?」
思わず笑ってしまった私を見て、天田さんはちょっと口を尖らせて、それから一緒に笑い始める。
ひとしきり笑った後、
「眠れそう?」
「はい」
天田さんが言うのへ、私もやっと頷けた。小さなテレビの上に置いてある時計を見たら、
「わ、ごめんなさい! 帰りますね!」
もう夜の一時。慌てて立ち上がりかけた私の手を、天田さんのごつい手が掴む。
「…泊まっていってよ」
そして彼は、小さな小さな声で呟くようにそう言ったのだ。

私が「初めて」男の人の部屋に泊まって、初めて男の人と手をつないで眠った夜はあっという間に明けた。
皮肉なことに、二日後に近づいてきている学祭の準備だけは終わってる。
(今日、本当なら皆で屋台を立てるはずなんだけどなあ)
講義も午前中だけで終わったから、その後で恐る恐る私が演劇部のブースへ寄ってみたら、
「よう。いいとこに来たな、ほらほら、お前も手伝え。キャベツ切るの、得意だろ」
何事も無かったかのように、奥井君が私を認めて手招きする。その周りにはいつもの…一回生と
二回生の…メンバーがいて、
「よっ、チーフ!」
私が近づいて行くと、屋台の奥からしのちゃんがひょこっと顔を出して、声をかけてきた。
その側にはありちゃんもいて、
「あっちゃん! キャベツは千切り? 乱切り? どっちがいい?」
どこか悟ったような顔で、にこにこしながら話しかけてくる。
(…うん、そうか。それでいいんだね?)
だから私も笑って、
「炒めやすいのはやっぱり千切りだね。えっと、そっちのおっきい菜切り包丁、貸してくれる?」
そう言うのだ。
「こらこら、組み立てるのはいいけど、ホコリが落ちないようにしてよ!」
「はいよー」
そうやって食材を切ってる頭の上で、屋台の組み立ては続く。細かい木屑が落ちてくるのを
苦笑して払っていたら、
「買出しに行ってるヤツら、もうそろそろ戻ってくるころだから。まだまだキャベツ、あるぜ」
「ええええ〜!?」
「当たり前じゃねえかよ。一体どんだけ売ると思ってんだ? ヤキソバっつったらお前、売れ行きは
一日五百はカタいんだぜ? 特に昼! 四日やるんだから、四日!」
屋根越しに私と奥井君が交わす会話を、まりちゃんや美帆ちゃんもクスクス笑いながら聞いていた。
「あ、そうだね」
確かにそうだ。T県で国立大学っていったら、T大しかない。去年だって地元の人も、大学の中だったら一応は
安全だし、広いし、お祭りだしっていうんで、子供達をつれて一杯来てたもんなぁ。
「材料代を入れて、十分元が取れるようにしないと。部費の足しにもなるしね」
たかまも、私の隣で鉄板をセットしながら言う。
(しっかりしてるなあ)
そして私は、彼女のこういうトコが「いいお嫁さんになるんじゃないか」なーんて考えたりもしているのだ。
ただ、その相手が、
(奥井君かどうかは、多分に疑問なんだけどね)
ま、これは余計なおせっかいか。
だけど、もしも。
「…もしも、さ」
10個くらいキャベツを刻んだ後、一旦お昼ごはんを食べに行くから、って断って、これも、午後からの講義がないって
言ってるまりちゃんを、「奢るから」っていってK銀座への食事に誘って歩く途中、私は彼女へ話しかけた。
「もしも、奥井君とたかまが別れたら、って考えたことある?」
「亜紀さん」
Lは相変わらず混んでいて、扉を開けた途端に中からタバコの煙がもわっと私たちを襲ってくる。
向かい側の席に座って、「Aランチ」「タラコスパ」なんてそれぞれ注文した後、
「それは…恐いですよ」
まりちゃんは猫みたいに少し身震いして答えた。
「うん、そうだよね。私も恐いや」
そうなったら、本当にどうなっちゃうんだろう。今、問題が持ち上がっている時期が時期だけに、
(可能性は高いかもしれない)
「あ、食べて食べて。遠慮しないで。私、食べるの早いからさ」
考え込んでいたら、まりちゃんが注文したランチが先に来ていた。心配そうに私の様子を
見守っているまりちゃんへそう促して、
(だったら、最悪の事態)
私も、運ばれてきたタラコスパゲティへ手をつける。
「これから、…色々と、どうなるんでしょうか」
「うん」
まりちゃんが言うのへ、
「とりあえず、屋台は作ろう。今やれることをやるしかないね。私たちには何も知らされてないから」
私は苦笑して続けた。
「でも、皆がやっと揃ったっていうことは、今日当たり何か教えてくれるかもしれない」
「そうですね」
私たちはそこでまた苦笑いして、顔を見合わせる。
「亜紀さん」
食べ終わって食事の代金を払っているとき、まりちゃんはいつになく真面目な表情で、
「私、あの…亜紀さんが好きですよ」
私の顔を見つめて言う。だから私もちょっと照れながら、
「え…うん、ありがとう」
なんて答えたんだけれど…、
「信じてくださいね。私、亜紀さんが好きです」
「う、うん。私もまりちゃんが好きだよ」
少したじたじとなりながらもう一度言ったら、まりちゃんはやっと安心したように笑った。
その時の私は、まりちゃんの言った意味を考えることなく、重大なサインをまたしても
見過ごしてしまったのだ。
そして夜、晩御飯の後で共練に集まった皆の前で、ありちゃんは、
「演出の権利を奥井君に譲ります」
少し俯き加減に、だけどきっぱりとそう告げたのだった。


to be continued…

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