Last Stage R




「ま、打ち上げはやっぱ、鍋でしょう」
「そうそう、皆の意見も聞いて、それから予約、入れといて」
(ひー、忙しい)
前野君とありちゃんの会話を聞きながら、私はミシンと取っ組んでいた。
やっとこ一番最初のシーンで使う天使の衣装10人分を作り終わって、それから
西部劇の帽子を二人分と、チョッキと…、
「亜紀さん、出来ましたよ。後、何をしたらいいか、指示を下さい」
「…へい」
「目が死んでますよ、大丈夫ですか、あははは」
狭い部室の中、北君サイズの帽子を作り終えたまりちゃんが冗談っぽく言うのへ、私は苦笑して頭をかく。
今、共同練習場のほうでは、「マスター」と「トシちゃん」そして「テンコ」とのシーンを練習しているはずで、
ただ待機しているのもナンだからって、出番のない私は部室で衣装を作っているのだ。
本当、一刻の時間も惜しい。
去年とはぜんぜん違う「忙しさ」。一応出番が一番多い「主役」を張って、衣装だけじゃなくてダンスも
担当して…充実してるっちゃ、充実してるんだけど、「楽し忙しい」って本当にあるんだって
初めて知った。
そこへ、ありちゃんがやってくる。どうやら稽古は一旦休憩らしい。部室の扉を開けながら、
私たちが衣装を作ってるのを見て、
「Y市医学部の演劇部からも衣装、借りたほうがいい? だったら言ってよ。私、連絡つけるから」
「そうだねえ。そうしてもらえると助かるかも。使えるのがあったら、一緒に行って
見てもらえると嬉しい」
「分かった、そうしよう。講義が終わったら、明日にでも一緒に行こ?」
「うん。了解」
答えながら(明日は天田さんには会えないなあ)なんてちらっと思ったけど、
衣装が色々と借りられるのは嬉しい。
「ま、一旦ここで休憩するよ。大体のところの衣装は揃え終わったし、後は皆に着てもらって、
ありちゃんにチェックしてもらえたらいいや」
「うん、お疲れ様。それじゃ、そろそろ稽古に入ろうか。ダンス、OK?」
「うん、大丈夫だよ」
美帆ちゃんと奥井君、二人きりのダンスもあるし、今回は本当に音楽あり照明あり、そんでもって
公演時間2時間近くの、とんでもなく長い劇になりそうだ。よっぽどテンポ良く進めないと、
観客の方だって疲れるだろう。
「そんじゃ、明日、大学前駅で5時に集合ね。Yまで各駅だと二時間かかっちゃうしねえ」
「うん、そうだね。向こうについてこっちに帰ってきたら午後の九時か」
私とありちゃんは、言い合って苦笑した。電化が進んでない、単線の「汽車」だから、
県の端から端までどうしても二時間以上はかかるんだよね。
「そんじゃ、こっちから向こうの『滝さん』に連絡、入れとくね」
「うん、よろしく」
ってなわけで、それから私たちはダンスの稽古に入った。
「うわあ…俺ら、今回ホント、ダンスやらなくてよかった。な、ケン坊」
「はい、そうっすねえ」
舞台で稽古している私たちを見て、大道具を手伝いながら奥井君と今村君がしみじみ頷くのへ、
私が「酷いなあ、もう!」なんて言っても、もう奥井君は、
「おおっと!」
なんて茶化してゲラゲラ笑うだけで、私へ不機嫌そうな顔をしない。
やっと、奥井君に認めてもらえたのかなあ、ある意味自業自得だったけど、一年、長かったな、なんてちょっと涙ぐみそうに
なった私へ、
「…あっちゃん、あのさ」
音楽を聴きながらリズムを取ってた美帆ちゃんが、
「奥井さん、もうあっちゃんのこと、ちゃんと認めてるよ。与えられた役目、バリバリこなしてるから
『女にしておくには惜しい』ってさ」
「…そっか、そっかぁ…」
近づいてきてこっそり囁くもんだから、とうとう目が潤んだ。
誤解されたまま、ずっと演劇部にいたけれど…退部する時は、ちゃんと役目をこなしてからにしようと
思っていて本当に良かった、心からそう思った。
「ケイー! これからユタカとのシーン、やるよ!」
「はーい! いっきまーす。うっし!」
ありちゃんが、私の出番を告げる。気合を入れるためにほっぺたを叩いて、私は共練の舞台へ上がる。
こうして私は、最後の「男友達第三号」をやっと手にいれた…大事にしなきゃ、って、その時は
本当にそう思っていたのだ。

『…これから毎日、例の「五時就寝」がはじまりまーす。お元気ですか』
そしていよいよ寒くなってきた11月。学祭の準備で慌しくて、でもどこか皆ウキウキした顔をしている
T大キャンパスの中を歩きながら、私は私の「カレ」にメールを打っていた。
『こないだ、初めてY市のT大医学部に行ってきました。衣装も一杯借りられて、ホッと一息ついてます』
今日は農学部大講義室で、五限目の講義が長引いてしまったから、皆、もう晩御飯でも食べに行っちゃった
かもしれない。
天田さんと晩御飯デート、なんていう時期でももうないし、第一そんなことしてたらつい話しこんじゃうから、
稽古の時間に遅れること必至だ。
『ヒマな時にでも、部室に来てくださいネ。いつでも待ってます』
そこで送信して、私は遠くに見える教育学部の校舎を見上げた。まだ6時には間があるのに、
もう空は暗い。教育学部研究室のあちこちに明かりが灯っていて、
(あれのどれが、天田さんのいる研究室なんだろう)
吹き付けてくる風に首をすくめながら、ほんわかした気持ちで私は学館へ向かった。
皆はひょっとしたらLあたりに食べに行ってるかもしれないから、マズいけど、学食でいいや、
なーんて思いながら、今日の稽古場になってる小会議室へ近づいたら、
「…あれ? 奥井君、一人? 皆は?」
そこには明かりがついていて、だけど奥井君一人しかいなかった。不思議に思って何気なく尋ねたら、
「…外にメシ、食いに行ってる」
「あ、そうなんだ。今日は尾山君も来てるんだね。バイト、忙しいって言ってたのに」
何故かぶすっとしたままの彼の表情をほぐそうとして、机の一方に置いてある荷物を見ながら私は言った。
「…今日は、アイツの稽古を重点的に見るっていうから、アイツ、バイトの日程を調整して
出てきたんだよ」
「う、うん…そう…」
「あり(男の子は彼女をそう呼んでいた)のヤツ、早めにメシ食って、それから稽古するって言った。
アイツとお前、農学部だけど選択したコース、違うじゃんか。アイツのほうが早く講義終わってさ。
だから俺らも五時半にはLに行って、晩メシ食って…集合は六時半だ」
そして奥井君は、部屋の壁の時計を見上げる。時計はもう六時二十分を指していた。
「川上、お前、今講義終わったトコなんだろ? だったら早くメシ、食いに行っとけ」
「あ、うん。生協、まだ開いてた? 遅れちゃ悪いから、ここで軽くサンドイッチとコーヒーにでも
しようかなって思ってたんだけど」
私が言うと、そこでやっと奥井君は、ふっと表情を緩めて、
「開いてる。遅れても俺が言っといてやるから。今頃は混んでる時間帯だろ? 焦らずにゆっくり行ってこい」
「うん、ありがとう。よろしくお願いするね」
私が机の上へカバンを置くのを眺めてた。
「川上」
「…うん?」
財布を持って、扉を開けて、出て行こうとしていた私を、奥井君は呼び止める。
「あー…今まで、悪かったな」
「…あ」
一瞬、絶句してしまった。奥井君はボソッと言ったきり、照れたみたいにそっぽを向いてしまった。
「ううん…こっちこそ、話しかけられないでいてごめん。えっと、じゃ、ちょっと行って来る」
私も変に照れてしまって、そそくさと生協へ向かう。
奥井君の言ったとおり、生協は本当に混んでいて、
「天田さん!」
だけどそこで、カレの姿を見つけることが出来て、私はもっと嬉しくなった。天田さんのほうも
私を見つけて笑ってくれて、
「メール、見た。頑張ってるね。あ、ちょうど良かった。これ、俺のおごり」
「ありがとうございます! あの、あのね、天田さん」
私へ、私の好きなバームクーヘンを渡してくれた。そんな彼に、私も話したいことが一杯ある。
「何?」
「えっと…うん、今度、部室に来てくれたら、そっと話します」
「うん、分かった。俺もちょっとこれからまたゼミ論。君も身体には気をつけて」
「はい!」
レジ先で交わした、ただそれだけの会話。それぞれの意味で別々に忙しい私たちだけど、
(十分だ)
会えて、一日に一言、二言交わせた。それだけで十分幸せだ。
(あ、天田さんだ)
サンドイッチとコーヒー、そしてもらったバームクーヘンの入ったビニール袋を下げながら、
小会議室へ戻る途中、鳴った携帯を見たら、
『千代田経由で、ありちゃんから、亜紀ちゃんがとても張り切ってるってことを聞いています。
くれぐれも身体には気をつけて。それと、もしも』
(…え)
そこから先を読んで、私はちょっと立ち止まってしまう。「カレ」から来たメールには、
『もしも、何か起こったら…遠慮なく俺に言ってね。じっくり考えて、亜紀ちゃんの思うように
すればいい、としか言えないけど』
(どういう、ことなんだろう)
その時の私には、理解不能なことが書かれていて、だけど訳の分からない不安でたちまち
胸が一杯になってしまった。
『ありがとうございます。その時はよろしくなのです』
とにかく、そういう風に返信して、
「あれ、あっちゃん! 今日の晩御飯、それ?」
小会議室の前に戻ってきたところで、内側から扉が開いた。顔を出しざま、私の従妹が
私を認めて声をかけてくる。
「うん、六時前に講義が終わったばかりでさぁ。ご飯、外で食べるとちょっと遅れちゃいそうだから、
軽く済ませようと思ってさ。だって皆に悪いじゃん」
「ふうん」
すると美帆ちゃんはニコニコしながら、
「亜紀ちゃん、張り切ってるねえ。私も頑張らなきゃ、って思うよ。手伝えることがあったら言ってね」
「ありがとう。ところで広報のほうはさ、上手く行ってんの?」
言ってくれるのはありがたいけど、広報って言うなれば「お金集め」だから、大変なはずだ。
「うん、だからさ。今度の土曜日、T駅前商店街でパンフの広告料募集に行くって予定、立てたの。
演出のありさんにも頼んで、部員全員で」
「ああ、なるほど」
私は参加していないから知らないんだけど、去年もどうやら同じことをやって、公演パンフ代を
集めたらしい。
T大の学生がやることだから、っていうんで、わりに商店街の皆さんは快く協力してくれるらしいけど、
「それでも大変だよね」
「うん。お昼の二時にT駅集合なの。まりちゃんもMから一時半の汽車に乗るって言うから、
それに合わせなきゃ」
「うんうん。まりちゃんも地元出身だもんね」
私たちが会議室に入って、そんな会話をしている間にも、時間はどんどん過ぎていく。
なのに、
「はれ? ところでありちゃんは? まさかと思うけど、トイレ休憩?」
サンドイッチをぱくつきながら、何気に私は尋ねた。今日は音響担当のしのちゃんだってちゃんといる。
だから変だな、なんて思ったんだけれど、美帆ちゃんは、
「しーっ」
なんて言いながら、サンドイッチを持ったままの私を部屋の外へ連れ出して、廊下を挟んで
トイレが真ん前にある場所で、
「まだ来てないんだって。晩御飯が終わったの、六時二十五分。ちょっと間があるからって
千代田さんとお店の前でケータイしてるから、先に行っててって言われて、そのまま」
ぼそぼそと囁く。
「ええ、また?」
私も思わず、そこがトイレの前だってことを忘れて驚いてた。なんていうか、ちょっと「遅刻」回数が
多すぎるって私も思ったから。
「…奥井さんのときとずいぶん違うけど、これが演劇部本来の演出なの?」
私に尋ねる美帆ちゃんの声も、どことなくトゲがあって、そのことにもちょっと驚いた。
だけど私は最初から演劇部にいたわけじゃないから、
「いや…分からないけど、去年の十一月公演の時はこんな風だった…よ? でも、あの時の
演出の加藤さんが、皆より遅れるってことは無かったような覚えがあるなぁ」
そういう風にしか答えられない。なのに美帆ちゃんは、
「やっぱりそっか」
何故か納得したみたいに頷いて、そのまま部屋の中へ入っていく。
後に残された私は、何が何だか分からなくて、だけど、
「あ、美帆ちゃん」
その後を追いかけながら、
「何?」
「このサンドイッチ、食べる?」
なんだかトイレの匂いが染み付いちゃったみたいで、ちょっと、なー、なんて思うサンドイッチを差し出して、
「あのねえ。いらないよぉ、もう、あっちゃん!」
振り向いた彼女と一緒に苦笑いしながら顔を見合わせたのだ。
そこで奥井君が、いきなり椅子を蹴って立ち上がって、
「よし、今から俺が演出だ! 最初のシーンから! 川上、出てこない前野の分まで、セリフ、頼む!」
堪えかねたみたいにそう言った。本来なら、台詞に詰まった役者の台詞を代わりに言って補うのが舞台監督の
役目でもあるんだけど、肝心なその舞台監督もアルバイトとかで出てこないから、奥井君は
私に言ったんだろう。
でも、彼がいきなり自分が演出をやる、って言い出したことに、
「わ、分かった。いいよ」
答えながら、私はちょっと面食らっていた。確かに私も、演出でありながらありちゃんがちょくちょく
稽古に遅れてくるってこと、どうかとは思っていたけれど、
「…皆がさ、ありさんにキレてたんだよ。奥井さんだって、あっちゃんがさ、『怒った風にやってみても
いいかも』って言った時に、ありちゃんが『そうじゃないでしょ』っていったじゃん。それで、
『役者が考えたことをやらせないってんなら、きっちり演出やれ』って、そのことにも滅茶苦茶怒ってた」
「奥井君演出」で、稽古は進む。皆、ほとんど自分の台詞を覚えていたから、あとは通し稽古だけだったんだけれど、
「尾山さんだって、今日は無理して出てきてるのに。人の時間を考えないってどういうことだって」
一応、出番が無くなって椅子に座った私へ、美帆ちゃんが言ってくれて、やっと私は事態を飲み込んだのだ。
(天田さんが言ってたのは、こういうことだったんだ)
そしてカレからのメールの意味も。
(もしもこのまま…ありちゃんがこういった状況で顔を出したら、一体どうなるんだろう)
稽古を続けながら、私は内心、ハラハラしていた。
結局、ありちゃんが顔を出したのは七時半近くだった。
「…どうして?」
稽古を続けてる私たちの後ろで、小会議室の扉が開くと同時に、ありちゃんが呆然と呟く。
たちまちしーんとなってしまった部屋の中。耐え難い沈黙が続いた後、
「…お前が悪い!」
奥井君の声が、まるで雷みたいに響いたのだ。

to be continued…

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