Last Stage Q




大学生って、不思議なことに「秋休み」みたいなのがある。高校生の時までと
違って、授業が便宜上、前期、後期っていう風に半年ごとに分かれているからなのだ。
(終わった…)
前期分の講義。山盛りのテストで9月後半の日程が埋め尽くされていたのを
ひとつひとつ消化していって、やっとこさ、10月の上旬にテストが終わったら、
後期が始まるまでの中途半端な「秋休み」。
(そういや学祭のこと、話し合うって言ってたな)
去年は参加したのが学祭、つまり文化祭が終わってからだったから、その時の演劇部の
催しがどんな風だったのかは知らない。
だから、今年はちょっと楽しみだったりする。今日は学生会館で集合だけど、
その時に学祭についても話し合うはずだ。
「こんにちはー! 遅れましたぁ!」
有機化学実験が長引いて、ちょっと遅刻してしまった私が、そう言いながら会議室の扉を開けると、
「遅せえぞ!」
ホワイトボードの前にいた奥井君が怒鳴って、だけどニコニコしながら私を見た。
「ごめんごめんっ!」
だから冗談なんだってすぐ分かった。私もちょっとおどけた風に頭を掻きながら、
たかまが微笑んで開けてくれた隣の席へ座る。
「お前、料理得意なんだって?」
やれやれどっこいしょ、なんて言いながら荷物を床に置いたら、早速奥井君が尋ねてきて、
ちょっと面食らってしまった。
「得意ってこともないけど、料理をするのは好きではあるよ」
「よし、決まり。学祭でな、演劇部としてはヤキソバ屋台やんのな。だからお前、調理係のチーフ」
「…ええっ!? あの、えっと、ちょっと」
「ちょうど良かった。他のヤツらさ、皆『自信ねえ』ってんで、誰もやらねえの。だから頼むわ。
去年お前、やらなかったじゃん。ちょうどいいって、なっ!? で、次! 買出しと呼び込み!」
(やれやれ)
頼まれるのは悪い気はしない。苦笑しながら向かい側の席の尾山君を見たら、彼も苦笑して
ホワイトボードを顎で指す。何かと思ってその視線の先を追ったら、
(あらららら〜)
尾山君をはじめ、男性陣は軒並み買い出しとかお店の設置とかに回されている。
奥井君得意の「ノセる法」で、ちゃっかり皆、やらされたんだろう。それが今は、
(なんだかホント、ニクめないよね)
私もやっと彼の心の中に入れてもらえたからだろうか、ものすごく現金だけどちょっと嬉しくて
楽しく思えてくるから不思議だ。
「っしゃ! 三上は赤井と一緒にビラ配り! 料理はチーフの川上に任せて、当日は料理担当の
川上と鈴木以外、女は全員、メイドのカッコで客を呼び込め! なんなら、前野と今村、
それに茂木。お前らもメイドコスプレ、やってもいいぞ。衣装ならいくらでも部室にあるしな」
そこで奥井君がのたまった言葉に、全員が大爆笑になった。
「もぎもぎ、似合ってんじゃない? やればやれば?」
笑いながら美帆ちゃんが言うと、六月公演でオカマさんを演った茂木君は、
「…でもぉ〜、アタシ、カレいるしぃ」
小指を右の頬に当てて言葉を返す。なぁんだ、ちょっと心配したけど、ノリノリじゃん。
というわけで、皆が盛り上がる「自己満」つまり自己満足の大学祭については、爆笑のうちにこれで終わり。
「発声! カツゼツ!」
それからはいつものように、皆で「アメンボ赤いなあいうえお」なーんてやらかしたりした後、
十二月公演の稽古が始まった。
『この塀を乗り越えたら、きっとそこには新しい世界がある! 誰かが注意を引きつけて、
その間に皆で塀を乗り越えるんだ』
伊藤君扮する「マスター」が叫ぶと、
『よし、俺がやる!』
奥井君扮する「トシちゃん」こと男3が舞台の袖へ駆けていき、
『ムンクの「叫び!」』
言いながら、ほっぺたを両手で変に曲げる、んだけど。
…一瞬の沈黙の後、なんと銃声が響き渡って、男3はワタワタしながら皆のところへ逃げ帰る。
まずここが一番最初の「笑いスポット」。
『どうして注意をひきつけるのが「ムンクの叫び」なんだ』
マスターがトシちゃんへ突っ込んでいる最中に、坂さんとぼのさんがやってきて、ニコニコしながら
その練習風景を眺めていた。
「あっちゃん、あっちゃん」
休憩時間になると、ありちゃんが私を手招く。
「ここのシーンのダンスさ。考えてきてくれた?」
「あ〜」
彼女が指したのは、ケイとマスターとアキラ(尾山君扮する男5だ)とが、ケイの『イッツ、ショウタイム!』
っていう台詞と一緒に踊りだす一番最初のダンスのことで、
「考えてきたことは考えて来たよ」
実は私、踊るのも好きなのだ。それを知ってるありちゃんから、MDを渡されて依頼されていたんだけれども、
「でもさ、踊れるの? 尾山君はまあ…大丈夫だろうけどさ」
どっちかっていうと、ウチ(演劇部)の男性陣、演劇部に所属しているくせにダンスが下手なのだ。
尾山君は、六月公演のダンスを考えたくらいの男の子だから、私も見ていて彼が踊れることは知っている。
ただ、男性なだけにどうしてもその動作が直線的過ぎて、
「ちょっとテロリズムなんだよね」
私が考えたダンス、わりに身体の柔らかさが必要とされるかもしれないってんで、私がつい心配そうに
言ってしまったら、ありちゃんは笑いながら、
「じゃあさ。ちょっと踊ってみてよ。次はダンスの練習、してもらう予定なんだ。それから晩御飯」
「了解」
私が頷くと、側にいたしのちゃんが心得たみたいに、持ってきていたデッキヘMDを入れる。途端に流れ出す
音楽にちょっと面食らったけど、私が踊っていると皆が「へえ」ってな風に注目して、それから、
「…こんなの踊れねえって! 俺、今回ダンスがある役でなくて良かった!」
奥井君がしみじみと言うのへ、また皆は笑った。
「そうかな? そんなに難しいダンスだとは思わないけどなぁ」
「お前専用のダンスじゃねえのか、それ」
「違うよぉ」
「はいはい、あっちゃん。悪いけどもう一回頼める?」
私と奥井君のボケとツッコミを、ありちゃんが笑いながら手を叩いて止める。
「…大体、こんな風に踊って退場、っていうならおっけーかな、って思ってさ」
「うん、上出来だよ。ありがとう」
私が踊り終えると、ありちゃんは安心したみたいに息を付く。今回は本当に大舞台で、
私が踊っている他にも二回、劇を通して三回、出演者は踊らなきゃならないことになってる。
その三回ともを踊るのが、私と尾山君と伊藤君なのだ。
(ホント、役者って体力勝負だよね)
だから、一通り演じ終わる頃には皆がクタクタになってしまう。特に私や伊藤君は「出ずっぱり」で、
「ヒゲ、伸ばしたの?」
「はい。今回の役に合わせようと思って。だけどこれ、ひょっとしたら無精ヒゲかも」
疲れたように顔を見合わせて、笑い合ったりしているのだ。
「はい、お疲れ! 一旦休憩して、晩御飯食べに行ってね!」
ありちゃんの声に、皆がホッとしたみたいに息を着いた。
皆が三々五々、散っていく中で、
(まだ学生食堂、空いてるけど)
私は久しぶりにピアノ教室へ行こうか、なんて考えていた。
お昼だって、カレであるところの天田さんと一緒に、教育学部前の芝生で食べたのに、
もう私は彼に会いたいと思っている。
…恋、っていうのが、こんなにも素敵なものだとは思わなかった。好きな人となら、毎日だって会いたい。
『今から休憩です。ピアノ室へ行くつもりです』
ドキドキしながらそんなメールを送って、学館を急ぎ足で出ながら返信が来るのを待つ。
晩御飯の休憩時間は一時間だけだけど、ピアノを一曲くらい弾いて、それから天田さんと
晩御飯デートするくらいの間はあるだろう。
(返信、くれるかな)
演劇部に感謝だ、なんて思いながら、出てきた小会議室をふと見たら、
「…坂さん、ここの演出ね。どうやったらいいと思います?」
ありちゃんが、台本片手に坂さんにそんな風に尋ねてる声が聞こえてきた。坂さんは困った風に、
「それはさ。OBになっちまった俺よか、奥井とか尾山に相談したほうがいいよ。でないとお前が、
頼りない演出だと思われるからさ」
そんな風に答えてる。
(奥井君は、そういえば一度も先輩達に相談しなかった)
それを見ながら、私の足は自然に止まっていた。私よりも後に出たんだろう。その部屋の外側の
窓を偶然奥井君が通り過ぎているところで、
(あーあ)
遠目でも分かった。
「どうしてOBになった先輩に相談するんだ」
そう言いたげな表情で、彼はだけど何も言わずにそのまま工学部のほうへ向かっていく。
今のところ、ありちゃんの演出法は「可もなく不可もなし」と、私個人は思っているんだけど、
「…このことがまた、不協和音にならなきゃいいな、って思ってるんですけどね」
「そうだねえ」
照れたように「お腹が空いてるんだ」なんて言う天田さんと教育学部前で合流して、
私たちはまずは腹ごしらえすることにした。
「奥井君の演出、本当に良かったんですよ。ノセてやる気を出させる、っていうんですかね?
あと、当たり前の事かもしれないけど彼、誰よりも一番最初に稽古場へ来て、皆が揃うのを
待ってたんです。だから、演出の腕として考えるなら、ひょっとしたら」
「奥井のほうが上かもしれない?」
「はい」
よっぽどお腹が空いていたんだろう。天田さんは焼肉にミンチカツ、味噌汁にご飯大盛り、っていう、
なんともボリュームのあるA定食を、私の見ている前でみるみるうちに綺麗に平らげていく。
時間がちょっとずれているせいか、まだLは混んでいなくて、
「贔屓目かもしれないけど、私が見させてもらっていたその…先輩達の演出より、ずっと良かったって」
「なるほど。君が言うならそうなんだろう。ダラダラ続かないで、時間を無駄にしていなくて、ってことか」
「そうですね…」
私が頼んでいたタラコスパゲッティも、すぐに席に届けられた。
T大学って、比率から言うとどうしても下宿している学生のほうが多いから、時間的には変に余裕がある。
だから、夜だって遅くまで稽古していたって全然平気、なんだけど、
「ありちゃんは、千代田さんちに泊めてもらったりしてるんですかね?」
「…まあね。俺も時々遊びに行ったけど、ありちゃんが来たら邪魔だからって千代田に追い出されたりしたよ」
「あらら」
「あー、それで、ですね」
そこで、おまけについてたコーヒーを一口飲んで、天田さんは少し顔を赤くした。
「やっと部屋を綺麗にしました。よかったら俺んとこの下宿に来ませんか」

まだこれからまとめなきゃいけないゼミ論がある、っていう天田さんとは、教育学部の前でお別れ。
何度も私が振り返るたびに、手を振ってくれる「カレ」の姿は、私が学館へ続く道を曲がると消えて、
(お部屋でデート、かぁ)
だけど私は、どうしても緩む顔を普通にしようと努力していた。
都会よりも二ヶ月送れて配信される映画を観に行ったり、砂丘へ行ったり、なんて、少しずつ
デートを重ねてきたけど、天田さんの部屋にまで入るのは初めてだ。
(何か作ってあげたほうがいいかも、なんちて〜。おっといけない)
小会議室の前まで来て、緩んだ頬を両手で叩いてから、
「ちーっす。ただいまー」
言いながら扉を開けて中へ入っていったら、
「…あれ?」
集合時間五分前。当たり前だけど、部屋の中にはほとんどの部員が集合していて、それなのに、
「ありちゃんと、しのちゃんは?」
音響担当はまだしも、肝心の演出の姿が無い。ぶっすりした顔をしている奥井君をチラ見しながら、
これもちょっと不機嫌そうなたかまにこっそり尋ねたら、
「…まだ来てないの」
「へえ?」
きょとんとした私の後ろの扉がまた開いて、ありちゃんかと思ったらそれは我が従妹、美帆ちゃんと
そのカレの今村君、そしてまりちゃんだった。
「あれ? ありさん、まだなんですか?」
そして美帆ちゃんも、その部屋に漂う変な空気に気付いたらしい。それに何よりも、演出が
集合時間の十分前に来ているもんだ、なんて奥井君の例もあったから、そう思い込んでいる彼女にしたら、
「おかしい、ですよね?」
私と同じように、たかまにこっそり尋ねる彼女の疑問も当然だ。
去年の公演で演出だった加藤さんも、時間的には皆の都合に合わせていたけど、確かに十分前には
共練なり、今みたいに学館の小会議室なり、の、椅子に腰掛けて皆が来るのを待っていた…と思う。
それからも、部屋の扉は開いて、
「すみません! 店、混んでて!」
だけど、到着するのはありちゃんじゃなくて、一回生の子たちだったりした。
(どうしたんだろ。何かあったのかな)
もともと、私はさほど物事にイライラするタチじゃない。だけど、さすがに集合時間十五分も過ぎて、
演出が現れない、となると、勝手に稽古も始められないし、皆、何をやっていいのか分からない。
今回の舞台監督の前野君も、バイトだからって今日も部活には顔を出していないし…。
こういう時はイライラしたって仕方がない、なんて私は開きなおった。T大生協で買ってあった
文庫本を開いて読み始めて、しばらくした頃、
(…なんだか変に静かだな)
ふと顔を上げたら、
(うわぁ)
奥井君も尾山君も、そしてたかまも、皆が一斉にぶすっとした顔をして、はっきりと
「イライラ」していた。
二回生がそんな風なもんだから、一回生も黙り込んでしまって、その表情がどうしたもんかって
オロオロしていて、
(ありちゃん、まだかなあ)
私も何だかイライラというよりも、ハラハラしてきた。このまま彼女が現れなかったら…
「あ、皆、来てたんだ。ごめんごめん」
そこへ、やっとありちゃんが現れた。
「じゃあ、稽古を始めるね。テンコと天使の会話から」
…皆がイライラしながら彼女を待っていたのを、この部屋に漂う気まずい空気を、
ありちゃんは気づかないんだろうか。
何事もなかったように「演出」を始める彼女に、
(ま、事故とかじゃなくて、何事もなくてよかったんじゃないの)
私はそう思って、普通に稽古を始めたのだけれど。
「あっちゃん、そこはさぁ。怒った風にっていうの、ちょっと変じゃない?」
「あ、そうかな? 怒った風にやってみても面白いかな、って思ったんだけど」
私が「売れていないロッカー」へ言う台詞。少し考えて怒った風にやってみたけれど、
ありちゃんがそう言うもんだから、
「うん、変なら直すよ」
「うん。お願い」
私は素直に頷いて、それまでやっていた演技に戻した…奥井君が、それを見てさらに
不機嫌な、というよりも、ほとんどありちゃんを睨みつけるような表情をしていたことに、
私は全然気づかなかったのだ。


to be continued…

MAINへ ☆TOPへ