Last Stage P




二年生の部 その3 〜天使は世界を

(あーあ、退屈。Tに帰りたいなあ)
課題のレポートも終えてしまって、なんだか妙に時間のある実家での夏休み。
あんまりにもうるさい親に根負けする形で戻ってきたんだけれど、帰ってきたからといって
何か特別にやらなきゃいけないことがあるか、っていうとそうでもなくて、
(天田さんは、やっぱり漁師やってるのかな)
気がつくと、つい彼のことを考えている自分がいた。帰ってくるまでは、やっぱり
一週間に一回は会ってたから、ちょっと寂しい。
「あっちゃん、今日の晩御飯、作ってよ」
「はぁい」
おじいちゃんの部屋で、クーラーをつけて、おじいちゃんと一緒にごろごろしていたら、
お母さんが声をかけてくる。仕方が無いから起き上がった時、
「なんだか郵便が届いてたわよ」
「ふうん?」
下駄箱の上を顎で指しながら、お母さんは言う。つられてそっちへ目をやったら、
(あ、ありちゃんからだ)
A4の大きさの封筒の裏側には、『T市在住』の友達の名前が書かれている。開いて確かめたら、
中は新しい「ホン」で、
(『天使は世界を』か)
どうやら、劇団フォースステージの台本っぽい。台本と一緒に、「ざっと目を通して、
やりたい役があったら遠慮なく連絡下さい。つか、届いたらすぐ連絡寄越せ、なんちて」なんて
書かれたメモ用紙が入っていて、
(うーむ)
晩御飯の支度もどこへやら、私はリビングのソファに腰を下ろして、ついそれに見入っていた。
…高い塀に囲まれた、この地上のどこかにある街。そこには6人の男と、4人の女が住んでいて、
その塀を越えようとするところから物語りは始まる。
塀は、10人が越えようとするのをあらゆる手で阻み、どうしてもその塀を越えられないと
悟った時、彼らは塀の中で彼らだけの小さな小さな町を作ろうと決意する…。
(すごいなあ)
六月公演の時とはまた違う、シリアスで切なくて、なのにどこか心の温まるストーリー。
フォースステージって、去年演った「ハッシャ・バイ」みたいな、訳のわからないホンばかり
書いているんじゃないんだって、失礼だけどちょっと目からウロコだ。
このホンをありちゃんが送ってきたっていうことは、今度の演出は彼女だってことで、
(うわあ、大舞台の演出かぁ)
秋の公演だから、T市のふれあい会館でやるに違いない。あの広い空間で、「演劇部で
一、二を争う上手い役者」の彼女が演出をやるって、どんな感じになるんだろう。
「お母さん、今日はハッシュドビーフ作るから。ちょっと待ってて」
「はいはい。楽しみにしてるわ」
お母さんへ声をかけてから、私は充電していたケータイを取った。
まだ真昼間だから、ひょっとしたらありちゃんはバイトとかに出てるかもしれないけど、
留守電にくらいなら、残しておいてもいいよね、
「…もしもし?」
「もしもし、川上でーす」
ひょっとしたら、と思っていたけれど、意外なことにありちゃんはすぐに電話に出てくれて、
「ああ、あっちゃん。で? どう? ホン、見てくれた?」
「見た見た、見たよ」
挨拶もそこそこに、彼女がそんな風に言ってくるっていうのは、彼女の意気も今回は
「並々ならぬ」ものがあるってことだろう。
「いいねえ、これ。ものすごく感動したよ」
「でしょでしょ? んで? あっちゃんは、どれを演りたい?」
「ケイっていう子かな」
せっかくだから、私も遠慮なく答える。ホンの中、出てくるケイっていう女の子は、
見果てぬ夢を追って、その夢は「メジャーじゃない」「ポップじゃない」ってそのたびに言われて、
だけど「表現する」ってことを諦めきれずに何度も立ち直って、夢を追い続けて…そして最後に、
やっぱり疲れてしまって自分から死を選んでしまうのだ。
ものすごく共感できる、そう思った。ケイは、私だ。
すると、ありちゃんも電話の向こうで嬉しそうに、
「あ、やっぱり? あっちゃんなら彼女、ぴったりだって私も思ってたの!」
「そうなんだ? 嬉しいなあ」
そこでひとしきり笑いあった後、
「でね、マリは赤井、ナオカはまりちゃん。天使のテンコはたかまが演るから。んで、しのちゃんは音響」
ありちゃんは続けた。まりちゃん、っていうのは、六月公演が終わったあとに入部してきた三木真理子ちゃんのことで、
大人しくてしっかりしてる風に見えるけど、実はとってもお茶目でちょっとドジなところもある、優しい女の子なのだ。
「おお! イメージぴったし! よくもまあ、人材が揃ったもんだねえ、なーんて」
「そうそう。だから私、このホン選んでホント良かったと思ってんの。んでもって、トシオは奥井君で、
アキラは尾山君。尾山君さ、今回バイトで忙しいって言ってたから、出番は少ないけどキョーレツな印象を
残す役を回したつもりなんだわ」
「あはははは! いや、ぴったりぴったり!」
「あはははは! あっちゃんも大概失礼だねえ」
そこでまた、爆笑してしまった。今回は本当に、皆がそれぞれ「主役」の舞台だ。ホンを読んでみても、
それぞれにそれぞれの「見せ場」があって、絶対に誰が脇役、なんて言い切れるところがない。
「んでね、あっちゃんにはさ、今回、衣装もやってもらおうと思ってるから」
「ええっ!?」
「あはは、そういうわけなんで、今からでもイメージ、考えといてよ、ね」
「はぁ〜い…」
そこで電話は切れた。
(衣装、かぁ…)
しのちゃんが音響、ってことは、しのちゃんも戻ってきてくれたってことだ。それは喜ばしいことかもしれないけど、
ほとんど無意識にニンジンと玉ねぎを切りながら、私はちょっと重苦しいため息を着いた。
(ホン、また最初から最後までチェックしなおさなきゃ)
「あっちゃん、何ため息ついてんの? あ、お塩入れるタイミング、教えて」
何も知らないお母さんが、能天気に話しかけてくる。
「あー、はいはい。それよか小麦粉とって、小麦粉」
「はいはい」
牛肉の切れっぱしもお鍋に放りこんで、小麦粉とバターと一緒に炒めて、それを水で延ばすように…
(だー!! いかん!)
そこで、衣装のことばかり考えていたものだから、小麦粉の分量がやけに多くなった。
「お母さん! なんで手を止めてくれないのっ」
「だ、だってだって、あっちゃん、合図してくれると思ってたから。お母さん、分からないわよぉ」
「普通は分かるでしょうが…こんな、小麦粉でどばどばにしちゃってっ」
一人暮らしを始めてから、つまり大学に入ってから、それまでやったこともなかった自炊を
やるようになって、私の料理の腕はいきなり上達したらしい。だもんで、お母さんったら
私が帰省するたびに、私に晩御飯を作らせる。
もともと料理があまり好きじゃなかったらしくて、小さい頃から作ってくれた彼女の料理は正直、
お父さんの言葉を借りるなら「クソマズい」。
(そういや、合宿所にも小さな調理場、あったよね)
それで思い出した。今回も合宿所に泊まるようなことがあったら、いちいち下宿にご飯を
食べに行くのも面倒だから、そこで作ってもいいんじゃないかな。
(ともかく、今はこのハッシュドビーフを何とかしなきゃ)
思いながら、私は鍋の中へ目を落とした。これじゃ、ミートソースに変更になってしまう。慌てて余分に
具を足している時に携帯に届いたメールは、天田さんのだった。


(はぁ、やれやれ。やっとこさ戻ってきた)
そしていつものごとく、講義の始まる一週間前にT県へ私は戻ってきた。いつもなら一緒に
「帰る」美帆ちゃんは、夏休み、彼女の家に遊びに来ていた今村君と一緒に帰るとかで、
「あっちゃんだけ先に帰りなよ」
なーんてしゃあしゃあと言ってのけたのだ。
(ほんっと、現金なんだから)
これもまた、いつものこと。眠っていたら汽車はいつの間にかT駅に到着していて、
苦笑しながら私は、網棚に乗せてあったボストンバッグを抱え下ろす。
(あ、いた!)
特急の窓からちらっと見えたのは、こないだのメールで「帰ってくる日にちを知らせてください」
なんて言ってくれた「私のカレ」で、
「ただいま帰りました」
「うん、お帰り」
特急の狭い降車口から吐き出されるみたいにして降りてきた私を、真っ黒に日焼けした天田さんが
にこにこしながら迎えてくれた。
「亜紀ちゃんが帰省している間にさ、K駅前にローソンが出来たんだよ」
「へええ!? ホントですか?」
「ほんとほんと。俺もびっくりした」
天田さんは話しながら、ごく自然に私の荷物を持ってくれる。恐縮して私が差し出した手を、「いいから」
なんて笑って押し戻して、
「俺さ、ここだけ跡が残った」
「あははは! ホントだぁ」
天田さんは、額のねじりはちまきの跡を指差した。彼が言ったように、そこだけが日焼けしていなくて、
見事に真っ白で、
「未来の理科教員らしくないよね」
「そんなことないですよ」
教員採用試験に受かるために、駅前の予備校へも通い始めたっていう天田さんを、私もにこにこしながら見上げる。
「亜紀ちゃんは、卒業したらどうするつもり?」
「卒業したら、ですか…」
まだまだ夏の暑さは残ってる。相変わらずT県は風が強くて、時々吹いてくる突風に目を細めながら、
「多分、地元の大学院に行く事になると思います。私、一般企業に勤めるって向いてないと思うから」
「…そうか」
「はい」
私が頷くと、
「そうだな」
天田さんも真面目な顔をして頷いて、
「君にはそっちのほうが向いてるかもしれない。地元って言うとO県だよね」
「そうです」
「このままT大の大学院に進学するってことは、候補に入ってないの?」
「私は、そうしたいんですけどね…両親が、心配だからって」
「なるほど、そりゃそうだ」
話しながら、私たちはT大行きのバスに乗る。私たちのほかに、帰省したT大生とか
いても良さそうなものなんだけど、全然それらしき人が見当たらないのは、やっぱり
「田舎だからねえ、ここは」
天田さんが言うような理由だからかもしれない。二十歳前後の「若者」って、
ひょっとしたらT大にしかいないんじゃないかっていうくらい、日本一の人口密度の
低さを誇る県だから、
「私、ここが好きですよ」
「俺もだ」
私が言うと、天田さんも笑った。そして私たちは隣同士の座席に座って、初めてお互いに手をつないだ。
(卒業しても、一緒にいたい)
話していたら、時間って本当にあっという間に経ってしまう。バスはもう終点の「T大前駅」に着いて、
(このまま、ずっと一緒にいられたらな)
私はその時、心から思っていたのだ。
(ずっと一緒にいたい)
たった一つだけ年上なだけなのに、無造作に髭を伸ばして、熊みたいな肩幅で「おっさん」みたいな…
安心して頼れるこの人と。


こうして、皆がぼちぼちT大へ「戻ってきて」、秋の公演へ向けての稽古は始まった。
「衣装…衣装…この場面のデザインはこれが…いやそれともこっちが」
講義のレポート提出もそこそこに、休み時間のたび毎日部室へやってきては台本を広げて
唸ってる私へ、
「亜紀さん、はりきってますね」
たまたま休講だったのだという真理子ちゃんが、クスクス笑いながらジュースを差し入れてくれた。
「役者だけじゃなくて、裏方でもさ、最重要の『大役』だもん」
「私もメイク用品と小道具、担当させられちゃいましたよー、あはは」
私たちは、そこで苦笑いして顔を見合わせる。「不肖の従妹」美帆ちゃんは、そのカレの今村君と
一緒に「広報」を担当しているとかで、これも講義が終わったら稽古が始まる午後六時までの間、
T大付近の商店街を駆けずり回って、パンフに載せる「広告代」を募ってる。
どうやらありちゃんは、六月公演では「あまりお金をかけないでね」なんて、奥井君に頼んでいたらしい。
だから、今回は資金は潤沢なはず、なんだけど、
「うーん…白い布が足りん…この十人分の白い天使の服が」
「…あまり思いつめないほうがいいんじゃないですか?」
まりちゃんが心配するほどに、十人分の衣装を揃えるのって思った以上に難しかったのだ。
「それぞれの身体の寸法、測らないとどうしようもないなあ、これ」
なぜだか西部劇の保安官に扮する場面、ってのもあるもんだから、その保安官とお尋ね者の
衣装も必要で、これは北君と奥井君の寸法に合わさなきゃいけない。
なんだかんだでキリがないから、
「とにかく、連絡ノートにそれぞれ必要な物を書いておいて、こっちでそろえられる物は
赤線引いとく、んでもって、役者側でそろえられるものは持ってきてもらう、っていう風でいいかなぁ」
「あ、それいいかも! 私もそのほうが分かりやすくていいです! また言ってもらえたら、
『小道具』のほうで用意できる小物だってあるかもしれないし」
「うん…なら、そうしよう。そうしてもらえたらすごく助かるよ。皆にもちゃんと聞いておかないと」
そこでまりちゃんと私、二人してにっこり笑い合った。私が早速、部室の連絡ノートへ今回の衣装を書き始めるのを、
まりちゃんはそばでじっと見守ってる。
しばらくして、
「…よう。お前らか」
部室の扉が開いて、奥井君がのっそりと現れた。
「うん。こんにちは」
「あ、こんにちはー」
私とまりちゃんが挨拶すると、奥井君は私の座ってる向かい側へどっしり座って、
「へえ…俺、今回はこんな風な衣装、要るんだ。分かりやすいな、こうしてまとめてもらえると」
やっぱり私の手元を見ながら頷いた。その声にはもう、前みたいにどこかツンケンした風な、素っ気無さが
全然なくて、私はちょっと驚いたんだけど、
「ちょうど良かった。奥井君、ちょっと肩、貸して」
それにまだ、ちょっと険悪、かもしれないけど、それはそれ、これはこれだ。衣装はちゃんと作らなきゃ
いけないから、私は立ち上がって彼の後ろへ回る。
そこの引き出しの中にはメジャーがあって、それを取り出しながら、
「ちょっとじっとしていてね。寸法、測るからさ」
「お? おう」
私が言うと、奥井君は戸惑いながらも素直に前を向いてくれた。
「…ん。ちょっと待ってて…肩幅は…よし、ちょっと腕を上げて。腕の長さ、測るから」
「んお? そこまで測んのか?」
「測るよ。上げて上げて」
言ってるうちに、どうやら私、奥井君への「遠慮」が吹き飛んでしまったらしい。奥井君も奥井君で、
「おう、いいぞ」
どこかくすぐったそうな、それでいて面白がってるような、そんな表情で私が測るのを見ていた。
「ん、ご協力、ありがとう。もういいよ、ごめんね」
とりあえず、寸法メモは取り終わった。私が元の席に戻りながら言うと、
「いや…」
奥井君は、照れたように頭をかいて笑ったのだ。
「あと、悪いけど、ここに書いておいた衣装さ。持ってこられる物は持ってきて、書いておいてくれると
助かるな」
「よっしゃ、分かった」
そんな私たちを、まりちゃんがクスクス笑いながら見ている。
「もうすぐ尾山も来るぜ? アイツも測んのか?」
「うん、当然」
「…そっか、そうか」
私が頷くと、奥井君はどこか嬉しそうな顔で頷いた。そんな彼の変化を、私は「あれ?」なんて首をかしげながら、
だけど、
(気のせい、だよね?)
思い直して、続いて入ってきた次の「犠牲者」、尾山君に向き直ったのだ。


to be continued…

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