Last Stage O




そして四月と同じように「合宿」は始まった。
いよいよ皆が寝不足でピリピリして、そして二限目からしか出られない「公演一週間前」
がやってきたというわけだ。
さすがにその時期になると、いつもは「実験で忙しい」を言い訳にしていた千代田さんも
とりあえずは毎日顔を出して、でも自分の担当の大道具をそこそこ作り終わったら
すぐに演劇部から帰っていってしまう。
まあ、今回は奥井君も言ってるように、
「あんまり金、かけてない舞台だからな」
衣装代だって、皆の自腹だし、大道具っていったって「舞台の上の雛段」だけだし、
だから別に奥井君も千代田さんに何も言わないんだろう。
ていうか、三回生になったから、実験やアルバイトとの両立で忙しいのは仕方ないかもしれないけど、
一応部長なのに、
「ちょっといい加減かもしれないよね…」
「まあ、な」
稽古の合間、部室でコーヒーを飲みながら、私は尾山君と言い合って苦笑したものだ。
「卒業した先輩達も、打ち上げに来るんだ?」
「ああ、飛び入りでな。四月のときは、皆も入社したばかりで余裕がないんだよ。だけど、
六月くらいになったら、遊びに来る先輩もいるから、その人の分もちょっと余裕を見て
座席を決めなきゃ行けないんだよな」
「…ふ〜ん」
頷きながら、私もどこか「他人事」みたいに聞いていた。だって多分私には、「舞台監督」なんて
大変な役目、回ってきそうにないと思っていたから。
「あ、メール来た。ちょっとごめんね」
そこで、ケータイが鳴った。見たら天田さんからで、
「おう。もうすぐ稽古、はじまると思うから、ちゃちゃっと済ませて戻って来いよ」
「うん。ありがと」
尾山君へ答えるのもそこそこに、私は部室を出て共練から少し離れた場所へ行った。
『…今、バイト先です。夜の漁師やってます』
学生会館へ続く坂道。そこに申し訳程度に光ってる水銀灯の下で、それを見た途端、
私は思わず吹き出す。
『こないだのカレイ、どうでしたか? 公演、必ず観に行きます。色々あるだろうけど、頑張れ』
(こんな小さなことで、元気って出るもんなんだなぁ)
寝不足も、一気に吹き飛んだような気がする。明日ある講義だって、毎週繰り返しうけてるのに
一体どんなだっけ?なーんて思っちゃうほどの連日朝五時までの稽古の中で、
『メール、ありがとうございます。元気です。今休憩中。打ち上げはK駅前の大門になりそうです』
天田さんへメールを打ち返しながら、ホッと一息がつけるこんな瞬間、
(大事にしたいな)
心から思う。
この間、演劇部に新しく入ってきた一回生の子に親切にしていたら、奥井君からは
「アイツは『川上派」を作って、サークルの輪を乱そうとしてる」
なんて言われてるって、美帆ちゃんがポスターを塗りながら教えてくれた。そのことにも地味に
(『派』って何? 私、別に派閥なんて作ろうって思ってないよ)
…かなりヘコんだけど…第一印象って、最初が肝心って本当だなって、初めて出会って半年経った
今も、「今更ながら」つくづく思うけど、
「あっちゃん! 稽古始まるよ〜、って、へへへ〜」
「へへへ〜」
ありちゃんが声をかけてくれるまで、天田さんからのメールを見てニヤニヤしてた私の肩を、
ありちゃんが冷やかすみたいに笑って突付く。こんな瞬間を大事にしたい。
「誰? 誰からのメール?」
「内緒だよ」
じゃれあいながら戻った共練の中は、照明のスポットのせいか、立っているだけで熱い。
四月と同じように、共練の周りに開いている窓をダンボールでふさいで、黒い布で覆ったその中での稽古は、
「奥井、マジ、暑くないか? ほら、俺の汗、飛んでくぞ、ほらほら」
尾山君が汗でベトベトになったTシャツの裾をはたきながら言うほどに、ハードだった。


というわけで、「鬼のような暑さ」の中、いよいよ本番の日はやってきた。
いつものごとく、ワカメやさちこっていう友達に、一枚100円のチケットを捌いて、
落語研究会や奇術部も使う、小さな小さな劇場の席は、やってくるお客さんで埋まり始める。
「…お客さん、一杯笑ってくれるといいな」
「うん。そうだね」
たかまでさえ「あっちゃんと赤井って、遠くから見たらそっくりなの」なんて笑った私と美帆ちゃんは、
その様子を見ながら舞台の袖でうなずきあった。
顔立ちは全然似てないはずなんだけど、
『わあ、一杯出てきた!』
『こんにちはー!』
私たち「アナザー」が登場したところで、私と美帆ちゃんが台詞を交し合うと、
「わ、そっくり!」
「見分け、つかないんじゃね?」
「ちょろちょろ動かれたら、どっちがどっちか分かんねえよな」
客席からは、笑いと一緒にそんなヒソヒソ声さえ聞こえる。お客さんの反応がダイレクトに伝わる、
これが舞台の醍醐味なのだ。
『フォーメーション・ヒトデ!』
今村君の掛け声で、
『インベーダー・オンリー・トゥ・ユウ!』
私たちアナザーが「キメのポーズ」を取った途端、客席から沸き起こる大爆笑。
(舞台は、役者だけで作るもんじゃないんだよね)
こないだの『デート』の時、天田さんが私に言った言葉が、舞台に立って二回目でやっと分かったような気がする。
お客さんを引きずりこんでこそ、の芝居なのだ。お客さんも舞台の一部なのだ。
『ピコーン、ピコーン』
『フォーッフォッフォッフォ、フォーフォッフォッフォ!』
前野君と今村君が二人、舞台の上でウルトラマンの「掛け合い漫才」をやってる時も、客席からは
絶え間ない笑いが起こってる。
(あ、天田さんだ)
その中に、「カレ」の姿を見つけて、私の顔に血が上った。演劇部のOBなんだから、OBとしても
遊びに来るのは自然なことなんだけれど、
(やっぱり恥ずかしいよ…自分を捨てきれない)
かなり開き直れたつもりだったけど、今回は「ばっちり三枚目」っていう役が役だけに、
近しい人に見てもらうとなると恥ずかしくてたまらなくなってしまうのだ。一緒に演じるのとはまた、
訳が違う。
だけど、私の『敵』の美帆ちゃんは嬉々として演じているし、
「あっちゃん、頑張れ」
「ん」
自分の出番を終えて袖に戻ってきたありちゃんが、励ましてくれたし、ってなわけで、
『あっけない。これじゃあまりにもあっけなさ過ぎる。可哀相だから、もう少し脚色してやれ』
「醤油弾」を開発した地球防衛軍の前に、次々倒れていくアナザー軍団。その一員である
女1’つまり私が、女1である美帆ちゃんに、あっけなく倒されてしまったところを受けて
男1’が言うのへ、
『…アナザー・レディは』
安藤君扮する男3’は語り始める。
『暁のウエイトレスと剣を激しく交えて戦った後』
その後ろ、二段になったひな壇の上で、私と美帆ちゃんは剣を交える…格好をする。やがて私の剣は
折れて飛んだ、という「パントマイム」をして、
『力尽き』
私は、美帆ちゃんの前にがっくりと膝を落とすのだ。
そして私は、折れた剣の先を拾うふりをして、それを自分のお腹へ当て、
『介錯をお願いします』
『よい覚悟じゃ! とあ!』
美帆ちゃんがそう言いながら、私の上へ剣を振り下ろすのと同時に倒れるのだ。
それを男3’が、
『…雄々しく自害なされました』
と、〆る。
『よーし!』
男1’が満足げに叫んだ途端に、客席からどっと笑いが起こる。「よーし」じゃねえだろうよ、ってなヤジも飛ぶ。
そして男2’、男3’、あのオカマの女2’も次々に倒れ、最後は男1’と男1との最終対決になるのだ。
パントマイムの銃と銃、そして剣と剣が激しく入り乱れて…そこは観客の想像に任せるしかなくて、
もちろん私たちもそんな風に想像してもらえるように稽古はしたけれど…やがてついに男1’は
男1の渾身の攻撃で倒れる。
『本当は僕は、宇宙刑事です…派遣されたのです。悪を破滅させるために』
『そうだったのか…』
…最後の最後まで馬鹿馬鹿しい設定だったこの芝居も、
『アナザーはいつでも、貴方の側に。明日は貴方の番かもしれない』
男1と女1が声を合わせて言う台詞で、幕を下ろすのだ。
「…お疲れ」
「あ、はい…」
そして一回目の公演は無事終了。共練の外へ出て、ホッと息を着いていた私に、天田さんが
話しかけてくる。
「笑った。面白かった。やっぱり『さすがは奥井』っていうべきなのかな」
「そうですよね…」
今回の公演でお客さんが笑ってくれたのは、シナリオがとにかく喜劇だった、っていうだけじゃない。
演出の奥井君が、役者をノセて「その気」にさせて、とにかく楽しく楽しく稽古をやってきたからだ、
私もそう思う。
「よ、川上さん。悪い悪い。ほとんど部活に出て来れなくて」
「千代田さん」
私たちが話しているところへ、千代田さんも入ってきて、頭をかいた。
「実験ばかりで話にならなかったんだよ。でも、まあ」
そこで彼はほろ苦い顔をして、
「奥井がいるなら、大丈夫だろ…俺がいなくても」
共練の中を見やる。そこには裏方さんと一緒にパイプ椅子の乱れを直している奥井君がいて、
その様子を新しく入ってきた獣医学科の女の子…三木真理子ちゃんが写真で撮っていた。
それへフザケてピースサインをしている奥井君は、本当に楽しそうで、
「…今回の芝居では、色々と言いたいこともあるけど、それはまあ、反省会で、だな」
「はい…」
私が頷くと、千代田さんは私の肩を二つ叩いて、共練の中にいる自分の恋人、ありちゃんのほうへ
近づいていった。
(言いたいこと、か…)
先輩としての『文句』なんだろうか。千代田さんはぼのさんと違って、あまりそういった「ケチをつける」
ことをしない人だけれど、
(なにがいけないんだろう)
「千代田のヤツ、これで引退するんだって。後は奥井がいるからって」
「そう、ですか」
天田さんの言葉に、私はちょっと寂しくなって頷いた。
確かに、今回の芝居でほとんど出てこなかった、というよりも裏方にすら顔を出せなかった千代田さんは、
一応部長なのに、かなり影が薄くなってしまったって言えるかもしれない。
部長なのに、自分の居場所がない。自分と同期の、頼りになるはずの三回生は他にいない…辛いだろうな。
「俺も、いてやれたらよかったんだけどね」
「ああ、それは」
天田さんが自嘲気味に言うもんだから、
「『それは言わないヤ・ク・ソ・クよ♪』なんちゃってぇ」
その場をほぐそうとして私が返したら、天田さんは一瞬驚いたような顔をして、
「ありがとう」
それから声を上げて笑いながら、そう言ったのだ。

それから三日後。例のごとく「反省会という名前のつるし上げ」が行われる日がやってきた。
さすがにもう、そこにはぼのさんや坂さんはいなかったけど、
「僕的に、もうちょっと恥を捨て切れたらなって思いました」
「いまいち舞台感覚がつかめなくて」
初めて舞台に立った一回生の言葉に、奥井君はいちいち頷いて、
「いいんだいいんだ。初めてなんだから、いいんだ。見ていてもお前ら、よくやったと思うぜ?」
って、褒め言葉しか言わなくて…それがまた、私には「いいな」って自然に思えた。
そして一渡り、役者の反省が吐き出された後、
「…今回はさ。客はそりゃ笑ったけど」
苦い顔をして出席していた千代田さんが、口を挟んだ。
「最初にこの芝居のビデオ、見ちまってたじゃんか。それをほとんどなぞってるみたいだった。
プロが演ってんのをそのまま演じたんだから、面白いのは当たり前だよ」
(ああ、このことかぁ)
前のやりとりを思い出して、私は密かに頷いていた。
だけど、
(プロが演ってんのをそのまま演じたって、そんなことないのに)
そうも思った。だって私と美帆ちゃんの、あの「介錯のシーン」は二人で考えたものだし、
美帆ちゃんの「女の子の力ではやっぱりダメ、ね」なんて言いながら、「アイーン」のポーズを
するってのも…そりゃビデオの中でも何らかの俳優さんのリアクションはあったけど…
美帆ちゃんが自分で考えたものだ。
続くありちゃんも、
「役者の個性っていうのが潰れてたんじゃないかな? 今回は、『10人の奥井君』が
演じてたっていう気がする」
…要するに、奥井君が舞台を彼の思うままに「支配した」って言いたいんだろう。
(そんなこと、ないと思うけどなあ)
ありちゃんは確かに友達だけど、そこらへんのところが納得行かなくて、ちらっと皆を見回したら、
(うわあ)
皆黙り込んじゃって、ぶすっとした顔をしていた。特に奥井君や尾山君なんかは、腕を組んで
モロに「気に食わない」って顔をしている。
で、そんな空気が耐えられなくて、
「そんなことない、と、思う」
私はつい、口を出してしまっていた。ハッと思ったときはもう遅くて、皆が私を注目していたから、
「他の人たちはどうか知らないけど、私は奥井君から何のアドバイスももらわなかった。
私は、私なりに考えてあの役を演じたし、他の皆にも奥井君は『お前がいいならそれで演れ』としか
言わなかったよね。それは、奥井君が舞台を奥井君のやりたいようにした、っていうのと
全然違うと思う…んだけど、な」
最後のほうはちょっとボソボソ声になっちゃったけど、とにかく、
「上手く言えないけど、私は、奥井君の演出、いいと思った。…以上、です。ごめんなさい…」
音を立てて、顔に血が登ったけど…言い切った。
いたたまれなくなるような沈黙がしばらく流れて、それから、
「…えー…っと、意見は、それだけか?」
奥井君が、ぽつりと言う。
「なら、今回の公演についてはこれでもうおしまいだ。反省会、終了! お疲れさん!」
ホッとして私が顔を上げたら、奥井君はぶすっとした顔をそのままに、
「…まあ、ありがとな」
ぶっきらぼうで、だけどどこか照れくさそうな、感謝の混じったような顔で私を見てそう言ったのだ。



to be continued…

MAINへ ☆TOPへ