Last Stage N




あいにくと「デート当日」は雨が降ったりやんだり、な天気だったけど、
(楽しかったなぁ)
テトラポッドから二人して一緒に落ちかけそうになったり、天田さんの釣り竿さばきに
見惚れたり、っていうのがとても楽しくて、
「…あれ?」
だけど、下宿へ帰ってきて、私の部屋への階段を上がったら、隣の部屋から
珍しく、光が漏れていることに気付いて私は思わず首を傾げてた。
美帆ちゃんなら、「けんちゃんち」へ行って帰ってこないはずだし、なんて
思いながら、
「美帆ちゃーん? 今いんの?」
声をかけながらそっと中を覗いたら、なんとそこには布団を被ってる美帆ちゃんがいて、
「どうしたのっ?」
なんだかうつろな瞳でぼんやりテレビを見てるもんだから、思わずそんな声を上げたら、
「あっちゃ〜ん…」
「何、何? 何があったの?」
何とも心細そげな声がしたもんだから、私は慌てて彼女の枕元へ行って座り込んだ。
美帆ちゃんの部屋…久しぶりに入ったけど、脱ぎ散らかされた服とか、ずいぶん前に食べたんだろう
お菓子の袋が散乱してる。
「…頭とお腹痛いよ〜…計ったんだけど、熱もあるよ〜。風邪、引いちゃったみたい」
「…あのね」
ホッとしたのが半分、「やれやれ」なんて呆れたのが半分。
「風邪なら『寝てりゃ治る』んでしょうが。美帆ちゃんだったら『大したことない』だろうから、
すぐに治るってばよ」
「あ、酷いっ」
「それに、アンタの愛しのけんちゃんはどうしたの、けんちゃんは。あの子に面倒見てもらったら
いいじゃないのさ」
(どっちが酷いのさ)
なんて思いながら尋ねたら、
「…今日からバイト入れたからって…迷惑になっちゃいけないと思ったから、帰ってきたの」
「あ、そーですか。ま、お大事に」
すると美帆ちゃんは、そう言って立ち上がりかけた私のTシャツの裾を掴んで、
「それだけ? あっちゃんだったら何とかしてくれるって思ったから帰ってきたのにっ!
それに、あっちゃんだったら絶対、何か作ってるはずだと思って帰ってきたら、
あっちゃんちの冷蔵庫の中、何もないんだもん! 晩御飯、食べてないからお腹もすいてるんだよー。
何とかしてよー。こんな状態の私を放っておいてさ、どこへ行ってたのよ〜」
「…私がどこへ行ってようが私の自由でしょうが」
(私に迷惑かけるのは構わないのか)
つくづく、この従妹に合鍵をを渡していたことを後悔しながら、
「お腹、痛いんだよね?」
それでもため息を着きながら、私は彼女の枕元に座りなおしたんである。
「だったら、あまり重いものとか食べられないよね?」
「うん…」
「ちょっと待ってなさい。カレイの煮つけとおかゆ、作ってあげるから。リンゴもあるし、
剥いてあげるから、横になってなさい」
我ながら、なんてお人よしなんだろう。自分にも呆れながらそう言ったら、
「わ、嬉しい! やっぱり最後に頼りになるのはあっちゃんだよねっ! 待ってる!」
美帆ちゃんはたちまち顔を輝かせた…つか、熱もあるはずなのに元気じゃないのさ。
(天田さんがくれたヤツ、使わせてもらおう)
ちょっと寒いくらいの梅雨だったせいだろうか、何故か釣れて、天田さんが私にくれた
カレイは、まだ私が下げてるビニール袋の中にある。
「けんちゃんだったら、ここまで出来ないもん。やっぱり男の子だからさ〜」
「分かった分かった。分かったから寝てなさい。作ってきてあげるから」
「は〜い」
全く、こういう時だけは調子がいいんだから。無意識なんだろうけど、こうやって上手に人をおだてて
使うっての、伯母ちゃん似かもしれない。
分かってて使われる私も私だけど、
(えーっと、梅干…)
どうしても美帆ちゃんのことを放っておけないのは、それが私の性分だからなんだろう。
こうして私が、下宿の小汚い共同キッチンで美帆ちゃんと私のご飯を作ってる最中に、
「ちーっす、すいませんっす」
「あれ、今村君じゃん」
背後でカラカラと下宿の扉が開く音がして、そこから「美帆ちゃんのカレ」が顔を出した。
「バイトじゃなかったの?」
「あ、ついさっき終わったんっすよ。で、います?」
「いるよ。布団の中でウンウン言ってる」
苦笑しながら答えたら、今村君は私へ「んじゃ、あの」なんて言いながら私へぺこりと頭を下げて、
とっとと二階へ上がっていってしまう。
その手にはスーパーのビニール袋があって、ちらっと見たところではお菓子が満載。
つか、
(天田さんは絶対に上がろうとしないんだけどなあ)
つい、「私のカレ」と比べてしまって、また苦笑が漏れた。天田さんは、彼の下宿の場所は
教えてくれて、玄関までは入れてくれても、私を絶対にその中にまでは入らせようとしない。
もちろん、私の下宿にも絶対に上がろうとしない。
自分の部屋について、
『だって、自分では片付けてるつもりだけど、多分女の人の目から見たら、かなり散らかってると思うし』
私が尋ねもしないのに、天田さんは照れたように頭をかきながら、
『少しずつ片付けてるところ。もう少ししたら上がってもらえるようにするからさ』
なーんて言ってたっけ。
(『けんちゃん』もそうなんだろうか)
ふと思って、今度はちょっと微笑が漏れそうになった。
(どっちにしても、美帆ちゃんの部屋を掃除してあげないと)
カレイの煮つけとお粥をトレイへ乗せて階段を上がりながら、懲りてない私はまた、おせっかいなことを思う。
「悪い、今村君。ここ、開けてくれないかな」
扉の前で私が声をかけると、中でゴソゴソ動く音がして扉が開く。そして、
「出来たんだけどね。これ」
運ぶから退いて、と言い掛けた私から、今村君はひょいとトレイを取り上げた。
「すいません。後は俺がやりますんで、川上さんは休んでください」
「…分かりました」
「はい、どうもすみませんっす。ありがとうございます。…んじゃ」
そして目の前でまた扉は閉まる。
ていうか…掃除はどうするんだろう。今村君自身は、あんな…失礼だけど、ぐちゃぐちゃの部屋で
気にはならないんだろうか。
(あー、もう、またおせっかいだってば、私のバーカバーカッ!)
リンゴは絶対に剥いてやらない、なんて思いながら、私は晩御飯の後片付けをしたのである。

「はい、腕立て、腹筋、背筋、十回ずつ3セット! 終わったヤツから発声練習!」
そして翌日。講義が引けてからの稽古は再び始まった。
意外なようだけど、演劇って実は体力勝負。ダンスも踊るし、お腹の底から声を出さないといけないし、
ってなわけで、体力がないと一時間半くらいの芝居はこなせないのだ。
「『農元』のレポ、どうやって書けばいいのかなぁ」
「有機化学実験、採ってるヤツ、いる?」
その合間を縫って、なんとも大学生らしい会話が交わされる。必須単位のほかに任意の単位を合わせて、
規定の単位数を取れていないと専門課程、つまり三回生には進級できないわけで、
「生物物理化学レポ、再提出食らったんだよね…」
私もため息を着きながら言ったら、
「あ、それならさぁ。部室に『医進の滝さん』のレポがあるよ。写させてもらいなよ」
たかまが言ってくれるのも何とも心強い。
「うん、じゃあ後で取りに行かせてもらうね」
なんて話をしている間に、
「はい、通し稽古始めんぞ! 男1から女2、スタンバれ!」
奥井君が叫ぶ。私とたかまもアタフタしながらそれぞれの「持ち場」へ散って、
「♪ Come on let's dance yayayaya…」
オープニングを飾る音楽が流れはじめる。たかまが操る照明に合わせて、尾山君が考えた
ダンスをみんなが踊り始める。
ビデオで見た芝居は、いきなり男1の台詞から始まっていたけど、それじゃあんまりだろうと
いうわけで、奥井君は今回、ダンスをオープニングに持ってきたらしい。確かにそのほうが
芝居としては「締まる」。
『某月某日。今日は会社をきっぱりとサボって、ターミネーター4を観に行く。もう何も
言うことはない、ただ観ればそれでいい…』
そして前野君演じる男1の、長い長い台詞でいよいよ芝居の幕は開く。
『…やりますよ、なんてったって『極悪』なんだから』
そしてそんな五人に迫り来る「'(ダッシュ)」軍団。「あなただけの侵略者」つまり「インベーダー・オンリー・
トゥ・ユウ」、
『略して「イノチュー」!』
『酒の名前みたいだ、わはははは』
『笑い事じゃないわよ、コバヤシ隊員!』
というわけで、いきなり舞台は現実逃避の戦隊モノになっていくわけなのだ。
『フォーメーション・ヒトデ!』
そして男1’こと今村君の叫びで、私を含む「’」軍団はそれぞれ、
『インベーダー!』
『オンリー!』
『トゥ!』
『ユウ!』
なーんて言いながら、客席から見るとヒトデの形になるような「組み体操」をする。
その後、彼らは「フン」なんて勝ち誇った表情をしながら舞台を一旦、退場するわけなんだけど、
『…ダサい』
舞台に残った正義の軍団たちは、そんな風にボソリと「呟いて」、苦々しく彼らが去った後を
見送るのだ。
そして場面は移り、悪の軍団がクローズアップされる。フォーメーション・ヒトデの「ダサさ」は、何故か
悪の軍団の中でも問題になっていて、
『やめよう。ちょっとダサいわそれ』
男1’がため息を着きながら言うのへ、他のメンバーたちはそれぞれ新しい「キメポーズ」を
提供するわけなんだけど、
『ひゅぅぅぅ〜ん…ジェットストリィィーム』
安藤君扮する男3’の「提案」に、皆が思わず呆然として彼を見つめる中、
『…遠い地平線が消えて』
『長ぇんだよ! イージーリスニングやってるわけじゃねえんだからっ!』
あくまでも真面目な男3’に、イライラしたように「ビッグ」こと男1’は叫ぶ。
そう、「私たち」はあくまで「極悪非道」の悪の軍団であって、コメディ路線ではないはずなのだ。
ダサくて滑稽な悪の軍団を演じるのは、
(うーん…やっぱり恥ずかしい)
あくまで真面目に、思い切り三枚目にならなきゃいけないから、実はものすごく恥ずかしい。
「おいおい、自分を捨てきれ! 恥ずかしいと思っちゃいけねえって」
それは皆も同じらしくて、奥井君に怒られても演じながらつい笑ってしまう。つまりまだ自分が残っているってことで、
だけど自分を捨てきるって、すごく難しい。
(ヨシモトの新喜劇の人たち、本当にすごい人たちばかりだったんだな)
改めて私は思った。観ているだけなら笑っているだけで済ませられるけど、コメディアンって
実は本当に本当にすごいんじゃないだろうか。
そんな風に通し稽古が幾度か終わった後、
「打ち上げは『大門』でいいよな」
今回も舞台監督をやってる尾山君が、奥井君にそう言ってるのが聞こえた。
「そうだな。先輩達も来るだろうし、その分の席も考えたら、それがいいんじゃないか。
そういうの、お前に任せるからよろしくやってくれ」
「先輩」っていうところだけ、少し顔を歪めて奥井君は答える。そして、
「それよか、おい、皆!」
共練のそれぞれの場所で、看板書きや大学構内に貼るポスターを準備している皆へ向き直って、
「今日はスタッフ会議やるから、裏方のヤツらは部室に集合!」
言い終わった後、タバコでも吸いに行くのか、外へ出て行こうとする。
(ま、私も出なきゃいけないだろうね。一応『小道具』なんだし)
思って何となしにそれを見ていたら、その後をたかまが追いかけて、
「私、今日は会議に出られないから」
…一緒に立て看板の色を塗っていた私と美帆ちゃんだけじゃなく、その場にいたみんなが思わず
ハッとして顔を上げたくらいの「きつい」口調だった。
「前から言ってたよね。私、今日はどうしても外せないバイトがあるって」
「…うん」
もしも私が言っても、奥澤君は素っ気無く「あ、そう」って言うだけだろう。だけど、
「じゃあ、そういうわけだから。皆、私は先に帰るね」
(本当にたかまは、奥井君のことを好きなんだろうか)
改めてそう思っちゃうほどに、きついというよりもむしろ冷たい言い方で、たかまは自分のカバンを
背負って皆へ手を振りながら共練を出て行く。
小柄で華奢なその背中を、奥井君はものすごく寂しそうで、悲しそうな顔で見送っていて、
(ああ、奥井君は本当に、たかまのことが好きなんだね)
そのことだけは、鈍い私にもはっきりと分かった。
「…尾山君、あのさ」
奥井君ががっくりと肩を落としながら共練から出て行った後、私は、大道具を任されていながら
ふっつり出てこなくなった千代田さんに代わって大道具を担当している尾山君へ、こっそり話しかけた。
「たかまってさ、奥井君のこと、本当に好きなの?」
「…お前、案外鋭いトコあんな」
そしたら尾山君は苦笑して、
「奥井から、たかまが好きなんだって相談を受けて、俺がそれとなくたかまに聞いた時にさ」
「…うん」
「たかまは言ったよ。『奥井君の、自分で何でも先走っちゃうところが嫌いなの』ってさ」
「つまり、それって」
尋ねようとした時、共練の扉が開いて、もう一度奥井君が顔を出す。
「新しくウチに入りたいっていう一回生だ」
その後には、男の子と女の子が一人ずつ、照れくさそうな顔をして立っていた。


to be continued…

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