Last Stage K



『虚しかろうがなんだろうが、やったもん勝ち。愛! 勇気!』
ありちゃん演じる「女2」の声が、共練に響く。
四月公演と同じで、六月公演も共練で開催するらしい。だから、
(うん、やっぱりこれくらい小さいほうが、私たちには合ってるような気がするな)
出番が少ない私は、四月と同じようにパイプ椅子に適当に腰掛けながら、舞台をぼんやり見てた。
そして、
(自分が気に食わない千代田さんの恋人なのに、ありちゃんは別なんだ)
共練の真ん中にでん、とばかりにパイプ椅子を置いて、ふんぞりかえってる奥井君をチラッと
うかがったりするんだけど、
「はい、そこまで。お前、そういう演技してるけど、お前はそれでいいんだな? ならその演技を貫け。
俺もそれでいいと思う」
(…すごく『いい感じ』の演出じゃないの?)
相変わらず奥井君は、演技しているとき以外は私を徹底的に無視しているけど、好き嫌いは別として
(私はこういう感じの演出、嫌いじゃないけどな)
役者をノラせて持ち上げて、やる気を出させる、っていうのかな? そんな風に、要するに
「楽しくやらなきゃ、意味ねえからな」
彼が一年生に常々そう言ってるみたいに、すごくテンポがいい練習のさせ方だと思う。きっと
彼は、彼なりにずいぶんと演出法について調べてきたんだろう。それに、自分が気に入らない人間っていうなら、
千代田さんの恋人のありちゃんだって、普通は「坊主憎けりゃ」ってとこで出演させたりしないかもなのに、
ありちゃんが出てるのは、ありちゃんの演技がやっぱり上手いからじゃないのかな。
天田さんがついこの間、私に言ったみたいなところも確かにあるかもしれないけど、
『フォーメーション、ヒトデ!』
『インベーダー、オンリー、トゥ、ユー!』
それに今回は、ちょっと開き直ってヒトデみたいなフォーメーションをするっていう風に
三枚目を演らなきゃならないけど、
(面白いよね、このホン)
悪くない、改めてそう思う。それに、奥井君は練習の合間に晩御飯を食べに行った時でも、
誰よりも早く食べて席を立って、そして共練で皆が戻って来るのを待ってる。そうすると、
奥井君がそうさせてるってわけじゃないけど、やっぱり皆もなるだけ早く休憩を切り上げて
稽古をしようって気になって、その分他のこと…演技の話し合いとか、メイクのやり方とか、
もっと他の、演劇に関することにも時間を回せるもの。
比べちゃ悪いんだけど、「ちょっとダラダラしてたかもしれない」加藤さんや千代田さんとはまた違って、
本当に演出としての義務をちゃんと果たそうとしているんだなって分かって、また私は奥井君を見直した。
それに練習が終わった後も、
「よし、今日はここまで! 時間があるヤツ、部室に集合! このホン演ってる劇団のビデオ、借りてきたから、
見られるやつは見て、一緒に研究してくれ」
(すごいなあ)
劇団のビデオ、なんて、よっぽど有名な劇団でないと、一発で探せるなんてそうそうない。
きっと大学がひけてから、T駅の近くのTURUYAで片っ端、探したんだろうな。
そして、バイトがある子達は別にして、皆でぞろぞろと狭い部室へ入っていく。
その中には、今日も「遊びに」来ていたぼのさんや坂さんもいて、
『スクリーン一杯の星空でフルコンプ』
(あれ? これ、坂さんがあの時に一人で演ってた芝居だよね)
そんな芝居の題名がテレビ画面に浮かび上がると、皆が食い入るように画面を見つめた。
『某月某日、今日はターミネーター4を観に行く…』
前野君演じる「男1」の役者さんが出てきて台詞を話し出した。前野君も今回の「主役」で、
当たり前だけど、覚える台詞が一番多いから大変だろう。
それに今回は、彼が一番最初に出てきて膨大な台詞をしゃべらなきゃいけない。
そして映画を見に行った帰りに「大したことねえよこんなの」というほかの観客の言葉を
聞いた「男1」は、その観客に後ろから「とび蹴り」を食らわしたい気分になり、
果ては『ひょっとすると自分もとび蹴りを食らわせたいと思われているかもしれない』
なんていう結論に何故か達した挙句、
『…誰か俺を助けてくれ! とび蹴りの相打ちを止めてくれ!』
と、頭を抱えて叫ぶ。するとそこへ美帆ちゃん演じる「女1」がようやく登場し、
『どうしたの? 一体何があったの!?』
『なんだ、お前かぁ』
『なんだじゃないわよ! あっちで見てたら、訳のわかんないことをしゃべった挙句、頭を抱えるから
何かの病気だと思って』
とかなんとか、それこそ『訳の分からない世界』に、観客は無理やり引きずり込まれていくのだ。
無理やり始まった『ドラマ』の世界に、「悪役」も登場。それが私演じる「女1’(ダッシュ)」を
含む「アナザー集団」なわけで、男1〜3、女1、2のそれぞれの「敵」ということになっている。
男1の敵、男1’を演じるのは美帆ちゃんの恋人、今村君。
『貴方だけの侵略者。つまりインベーダー・オンリー・トゥ・ユウ。略して「イノチュー」』
『酒の名前みたいだ、わはははは!』
笑う男1へ、だけど女1は真剣な顔で、
『笑い事じゃないわよ、コバヤシ隊員! キャップ!』
と、男1と北君演じる男2を振り向くのだ。
そして『イノチュー菌』という、まことに妖しげな菌に冒されて倒れた女2。対する女2’は何故かオカマで、
『やだ! なんだってこんなところに醤油が零れてるのよっ! もうヤンヤン!』
…茂木君が演じることになっている。
で、その女2’が不用意に漏らした台詞で、「イノチュー菌」には、何故か醤油が効くのだということが
男1を初めとする「地球防衛軍」に分かってしまい、
『申し訳ありませんでした! あんなところに醤油が零れているなんて、さすがの私も!』
敵側の隊長である男1’へ平謝りに謝る女2’に向かって男1’が言ったのは、
『何がさすがだ! オカマのくせして、何がさすがだ!』
ここで演じていながら、私たちも何度も爆笑している。それをあくまで真面目に、自分を捨てて
演じることが、今回の芝居のキーポイントなんだろう。
(…奥井君「らしい」芝居だなあ)
とにかく面白そうなことが好き、っていう彼が選ぶ芝居らしい。劇団の人たちが演じるのを見ながら、
私たちも何度も笑った。
「…何かの参考になりゃいいと思ってさ」
観終わった後、「ほうっ」なんてため息を着いてる私たちを見回して、奥井君は言った。
「ま、お疲れ。これで今日は本当に解散。俺はもうちょっとここにいるから」
それで、私は部室を後にしようとしたんだけれど、
「美帆ちゃん、今日も帰ってこないんだ?」
私の従妹がまだそこに残っているのを見て、私は尋ねた。すると彼女は「えへへ」なんて笑って、
「だってけんちゃんがいるもーん」
「…それはいいけど」
今村研、っていうのが彼のフルネーム。その下の名前を呼んで嬉しそうな顔をする彼女へ、
私はちょっとため息を着いて、
「伯母ちゃんにさ。何て言ったらいいわけ? 昨日だって私、電話かかってきて誤魔化すの大変だったんだからね。
それに今村クン家に電話内容を教えるのも手間なんだから。いい加減にしときなよ?」
それだけを言い置いて、今度こそ本当に外に出た。
私の言うことへ耳を傾ける従妹じゃないってことは、昔から良く知っていたし、だからあまり
くどくど言ったって意味がないのだ。
(恋を挟むと『女の友情』は脆いって本当だよねえ。さて、伯母ちゃんにどうやって言い訳しようか)
今夜辺り、また電話がかかってくるかもしれない。
もう一度ため息を着きながら外へ出たら、頬にぽつぽつと雨が当たった。
(公演の時は晴れたらいいけどな)
日本全体はもう梅雨の時期に差しかかってる。だけどT市は風が滅茶苦茶強くて、傘をさしてると
冗談ごとじゃなしに風に身体を持っていかれそうになるくらいだし、実際にT市のA鉄橋から、
汽車だって崖下に落ちたことがあるくらいだから、大学のキャンパスにいる人は、これくらいの雨じゃ傘をさしたり
しないんだよね。
「川上さん、ちょっといいですかね」
明かりが消えた学館へ続く坂道を登っていたら、後ろから前野君が声をかけてきた。
「はい、何?」
「あまり赤井にくどくど言わないほうがいいんじゃないかって思うんですけど」
「…くどくど言った覚えはないよ。美帆ちゃんに説教めいたことを言ったのは、さっきのが初めてだってば。
それにあんなの、説教のうちにも入らないでしょうが」
「いや、あの、そういうことじゃなくて」
ちょっとムッとして私が言葉を返したら、前野君は頭をかいて、
「今村がね。鬱陶しがってるんです。川上さんにあまり介入しないで欲しいって。だって、
親戚がそばにいるってだけで、あいつらの交際を監視してるみたいじゃないですか?」
「…あっそ。はいはい、分かりました。もう何も言いません」
一言言っただけでそれか。最近の若いのは…なんて、たった一つ年下でしかないけど…思いながら、
私も素っ気無く続ける。
そもそも伯母ちゃんから電話があったらすぐ教えろ、なんて言ってたのは美帆ちゃんのほうなのだ。
美帆ちゃんってば、伯母ちゃんからの電話には絶対に出ないから、伯母ちゃんも伯母ちゃんで私のほうへ
電話をかけてきて、「元気にやってるのか」なんて尋ねたりするんだよね。
「だったら、伯母ちゃんから電話がかかってきたら、もう誤魔化さないから。っていうより、
もう誤魔化せないから。何度も『今、風呂入ってるから』とか、『今、トイレだから後で電話させる』
とか言えないし、私だって好き好んであの子らが「いちゃついてる最中」に美帆ちゃんの
ケータイに電話入れたくないよっ。私が鬱陶しいってんならアリバイ作りくらい、
自分らでやりなって言っといて。私はあんたらの電話番じゃないって」
「いや、それは川上さんが赤井や今村に直接言ったほうが」
「私が鬱陶しいんでしょっ!?」
伯母ちゃんが「あっちゃん、美帆ちゃんのこと、面倒見てやってね」なんて言ってるけど、
帰って来ない人間をどうやって面倒見たらいいっていうんだ。それによく考えたら、多分
カレの部屋でその…もごもご…してるだろう人間のアリバイ作りをしてやるってことまで、
私が面倒を見る義理はないんだよね。それに、
「いずれ男の部屋に入り浸ってるのがバレて、いきなりこっちに来た伯母ちゃんにねじこまれても、私は知らないってさっ!」
実際、あの伯母ちゃんならやりかねないのだ…たおやかな外見なんだけど、実はものすごく気が強いんだよね。
言葉に詰まった後輩をうっちゃらかして、私は坂を登る…うわ、年下に何てこと言ったんだろ、私。
(すっごい罪悪感…)
ちらっと後ろを見たら、前野君はちょっと途方にくれたみたいに、雨の中、私を見送ってた。
彼に怒ったって何にもならないんだってこと、よーく分かってるし、
(私もカレとか作ったら、美帆ちゃんの気持ちがちょっとは分かるのかなぁ)
思って、自分に呆れながら私は空を仰いだ。空はますますどんよりと曇ってきて、雨も本格的になりつつある。
(作ってみようかな、カレ。だけどまあ、女友達を粗略にするようなことはしたくないな)
ていうか、「カレを作る」っていうことを考えたのはこの時が初めてで、そこまで考えられるようになった
自分にも、私はすごく驚いていたんだけれど、もしも恋に落ちたら、私も美帆ちゃんみたく相手のことしか
見えなくなるかもしれないし、友達のわかめやさちこのことなんてこれっぽちも考えなくなるかもしれない。
どっちにしても、
(ま、私には当分無縁だよね)
やっと男の人と普通に話せるようになった。友達も数人だけど出来た。まだまだ男の人を異性として
好きになるのはこれからだ、なんて自分に言い聞かせていたら、
(教育学部、か。あれ?)
ようやく正門が見えてきて、そこでふと私は足を止めた。ピアノ室にはまだ一つ、明かりが着いていて、
(こんな時間にまだ誰かいるのかな)
そこからかすかに流れてくる曲に耳を傾けていたら、
(『別れの曲』だ)
やっと普通に男の人と話せるようになったあの日、天田さんが私に弾いて聞かせてくれたあの曲だった。
(ちょっとだけ)
雨は少し本降りになりかけていて、傘を差さないで帰るなら今のうちなんだけれど、なんだか少し
立ち去りがたい。少し濡れている芝生横の階段を上がっていったら、
(天田さん、だ)
やっぱり、って思って嬉しくなった。私の背よりもちょっと上にある窓からそっと覗いてみたら、
そこにあったのは天田さんの「ちょっと髭の濃い」横顔で、私が窓をそっと叩いて手を振ったら、
天田さんは「あれ?」なんていう風に口を開けて、笑ってくれた。
「そっち、行きます」
だから私も嬉しくなって、入口のほうを指差しながら彼に告げる。彼が頷いてくれたのを見てから、
私は駆け足でピアノ室へ向かった。
「やあ」
「こんばんはー」
そしたら天田さんは、その部屋を開けて待ってくれている。相変わらず優しいな、なんて
思いながら、私も狭いピアノ室へ、
「お邪魔します」
「はいどうぞ」
言いながら入ると、天田さんは後ろで扉を閉めた。
「やっぱさ、小学校教員を目指してるわけじゃない男がピアノ弾くって、
変じゃないかなって思ってさ。ちょっと恥ずかしいから、今の時間にこっそり弾いてるわけ」
私が入った時に吹いた風でめくれてしまった楽譜を開きなおしながら椅子に座って、天田さんは
照れたように笑う。
「そんなことないですよ。私は、ピアノ弾く男の人ってかっこいいと思いますよ?」
「はは、ありがとう。で」
天田さんは、座っていた長いすの半分をずらして私へ「どうぞ」なんて座らせてくれた後、
「今夜のリクエストは?」
いたずらっぽく言う。
「元気の出る…うん、『軍隊ポロネーズ』がいいです。弾けます?なあんて」
「はい、分かりました」
「え、弾けるんですか? あんなに難しいのに」
「弾けます」
ちょっと冗談っぽく言ったのに、天田さんは平気な顔をして、ちょっと自慢げに
鍵盤の上へ指を伸ばす。
途端、ピアノなのにお腹の底まで届きそうな素敵な和音がそこから響いてくる。
雨はとうとう本降りになってしまったけど、
(このまま、聞いていたいな)
静まり返った教育学部のピアノ棟。私たちのいる部屋だけに灯る明かりが
窓の外で降り続ける雨の粒を映し出していた。



to be continued…

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