Last Stage J



二回生の部 その2 〜スクリーン一杯の星空でコンボ連発

「はい、これでもう今回の芝居については終わり」
(…今回もやっと終わった)
引退した先輩達や私の知らない、卒業したはずの先輩達、Yキャンパスの医学部の先輩たちも
何故か集まってきた打ち上げ終了後、11月にも行われた「反省会」っていう名前の「つるし上げ」
(言葉はものすごく悪いけど)はやっと終わった。
案の定、私は声が出なかったことを責められたし、その他の人たちもカツゼツが悪いとか、
演技がワンパターンだとか、色々言われてすっかりクサってしまってる。
そして反省会が催された学館六号室には何故か、引退したはずのぼのさんまで当たり前みたいにいて、
「分かってんなら何とかしろ」
「お前の演技、キレがない」
とかなんとか、悪いんだけど、
(相変わらず言いたい放題だなぁ)
って思ってしまったのだ。個人的には反省会っていうよりも、「いじめ」に近いんじゃないかとすら
思えてしまう。本人も分かってて、直そうとしてるところを「上から目線」でチクチク言うのって
どうなんだろう。
実際、反省している場所を述べている人に向かって文句みたいなのを言ってるのは、ぼのさんや、
今回の演出をした…だから、こっちは言って当たり前だし、言える権利があるんなんだけど…、
千代田さんだけで、
「飲みに行こうぜ」
千代田さんが、前みたいにありちゃんと一緒に出て行って、しのちゃんもそれにくっついていった後、
奥井君は憮然として尾山君やたかまへ誘いをかける。
それを潮に、私もため息をつきながら立ち上がった。
「川上さん、帰るの?」
「あ、はい。今日はちょっとこのまま帰って寝ます」
天田さんが声をかけてくれるのへ、苦笑しながら私は答える。まだ二回目だけど、「反省会」の後は
どうしても頭が痛くなっちゃう。この部屋にいるもんか、とさえ考えてしまうから。
「…そうか。ま、そうだよな」
すると天田さんも苦笑して、
「俺も途中まで一緒させてもらおうかな」
「はい。もちろん」
というわけで、私たちは大学正門まで一緒に帰ることになった。
今回の反省会には、当然ながらまだ一回生は加わっていない。それが何よりの救いだけど、
六月の公演では一回生も加わるんであれば、
(可哀相だよね)
まだまだ要領が分からないのに、あんな風につるし上げられたらたまらないだろう。
「川上さん、具合でも悪い?」
私が色々考えて、つい黙ったままなもんだから、天田さんが心配して話しかけてきてくれた。
「あ、いえいえ、そういうことじゃなくて。あの、全然私、健康です」
私は慌てて、天田さんを見上げて両手を振る。
「天田さんは、もう引退しちゃうんですよね」
そして誤魔化すみたいにその話題を振ったんだけど、天田さんは軽く苦笑しただけで、
「そうだね。いい思い出になったし。一年の時から散々舞台には立たせてもらったから、
もう十分だと思って。専門課程に移るから、これまでみたいな活動も出来なくなるしね」
「そう、ですか…」
午後七時。少しずつ日は長くなってきているけど、キャンパスにある外灯にはもう明かりが
付き始めていて、天田さんの横顔も段々はっきりと見えなくなってきている。
「あれ? ひょっとして寂しいとか思ってくれてる?」
「そりゃ思ってますよ! 坂さんや加藤さんが引退する時だって、短い付き合いだったけど
寂しいって思いましたもん」
私が慌てて心から言ったら、
「そっか…そっちの『寂しい』か。ま、いいや」
(…あれ?)
何だか知らないけど、天田さんってば変に寂しそうに笑って、訳の分からないことを言う。
「実を言うとね」
歩きながら話していたら、いつもは遠く感じる大学の正門もすぐだ。天田さんは頭を
ちょっと掻いて、
「俺も先輩として、君が…君らが心配です。俺や千代田がいなくなったあと、尾山やありちゃんたちと、
それから奥井…あの中で、君が一人でちゃんと自分の意見を言えるのかって」
「え? えっと、あの、意見くらいはちゃんと…だってもう私、尾山君ともちゃんと友達ですし」
真面目な顔をして、まるでお父さんみたいなことを言われたもんだから、とても照れてしまった。
なのに、
「そうじゃないんだ」
そんな私の頭へ片手を置いて、軽く二つ叩きながら、
「俺が言いたいのはね。君が傷つかずにちゃんと自分の言いたいことを言えて、それが果たして奥井に…ああ、
余計な心配だったね。ごめん」
「それ、どういうことですか?」
「いや…」
天田さんが言ってくれていること、いまいち良く分からない。だから尋ね返したら、彼は言葉を濁して、
「それよか晩飯、一緒にどう? 俺の『演劇部卒業』を祝ってよ。奢るからさ」
いつもみたいにニコニコしながら、私を誘ったのだ。

(うーん…やっぱりよく分からないなぁ)
そして千代田さんを除く三回生の先輩達や沖本君が、軒並み去ってしまったGW明け、
「今度の演出は俺で。台本はこの『スクリーン一杯の星空でフルコンプ』ってことで」
今度は美帆ちゃんを含む一回生たちも顔を揃えて、神妙に台本を受け取りながら、奥井君の言葉に
耳を傾けている。
今度の「お芝居」は、入部したばかりの一回生を、いわばデビューさせるためのものだから、
美帆ちゃんたち三人の他、あれからポツポツ入ってきた北君や茂木君、伊藤君、安藤君とかいう
男の子達にも何らかの役が与えられるってことになってるらしい。
これでT大演劇部の現役部員は、先輩達が出て行く前に戻って十四人。
「賑やかになって良かったよね」
「そうだな」
沖本君まで抜けてしまって、一時はどうなることかと心配していたらしい尾山君へそっと話しかけると、
尾山君も安心したみたいに頷いた。
だけど、
(あの時、天田さんは何を言おうとしたんだろう)
もうイメージで配役を決めてきたのだという奥井君が、ホワイトボードへ書き出していくのを
ぼんやりと眺めながら、私はそのことも考えてた。
奥井君と私の間に、相変わらず冷たい空気が流れていることを心配してくれている、っていう
だけじゃないらしい、ってことだけは分かった。
だけど、
「おい、ちょっとこら、川上。何ボーッとしてんだよ」
「あ、ご、ごめんごめん。何?」
そこでイライラしたみたいな奥井君の声が響いて、私は慌てて我に帰った。
「今度の配役! 女1´の役さ、ホントはたかまに演ってもらうはずだったけど、たかまは
バイトで忙しいっていうんで、今回も照明なんだって」
「あ、うん」
ま、そのことは聞いていた。私を快からず思っている奥井君なら、私を役者として使うはずが無いし、
そのことに対して別に今更傷つくっていうもんでもないから、ちょっと前に
「お前、小道具な」
なーんていう、今回の劇にはほとんど使わない、必要のない裏方「小道具」担当にさせられても…要するに、
暗に「お前はこの舞台になるべく関わるな」って言われてるんだって分かってても、別に何とも思わなかったんだけど、
「だから、お前、今回の女1´、演ってくれ」
「ん、いいよ」
イライラしたみたいに言われたら、やっぱ少し傷つくかもしれない。
「…で、音響は…」
それだけ言って、次の議題へ移る奥井君を見ながら、
(あれ?)
私は思わず首を傾げてた。
千代田さんが「大道具」で…唯一残ってる先輩なのに、こんな扱いでいいのかってことと、
「ねね、どうしてしのちゃんの名前が無いの?」
鈴木信、っていう名前がどこを見てもないことにふと疑問を感じて、私はこっそりたかまに尋ねた。
そしたら彼女はちょっと苦笑して、
「…バイトで忙しいんだって。私も今回は相当無理してるんだ。照明だって本当はちゃんと
やれるかどうか分からないの」
唇をゆがめる。
「ふうん…」
その時は私もつい納得して頷いてしまったのだ。確かに一回生のための舞台なんだから、一回生を
全員出す、っていうのは分かる。実際、二回生で奥井君演出の今回の舞台に出るのは尾山君と
ありちゃん、そして「仕方なく」役を回された感じのある私だけだし、それはそれでいいと思っていたけど、
(おかしい、よね)
いくらバイトだからって言っても、演劇が何より大好きなあのしのちゃんが、ノータッチでいられる
わけがない。それに千代田さんが大道具って…、
(ああ、なるほどね)
そこまで考えて…深読みかもしれないけど、やっと私は天田さんが言った意味が分かったのだ。
(ここまで仲が悪かったんだ)
奥井君は今回の舞台で、彼の…はっきり言ってしまえば「気に食わない」人間を、なるべく
使いたくないのだ。
だから私も最初は役者の候補に入っていなかったし、小道具なんていう、今回の舞台にはまるで必要のない
裏方に回されていたのだってこと。
(だって、台本のどこを見ても小道具が必要な場面なんてないものね)
そしてそれを察して、自分が傷つかないように、というよりも、一回生の前で奥井君と喧嘩になることを
避けるために、しのちゃんは「バイト」という口実を使って、今回の芝居には一切参加しないことに決めたのだ。
そして多分、何故かは分からないけどたかまだって、心の中では奥井君よりもしのちゃんのほうを
より優先させているに違いない。だからこそ、恋人が演出する予定の劇なのに、協力できないで
「私はバイトに専念したいのに、無理してるの」なんていう冷たい言葉が出てくるのだ。
「あっちゃん! 私さ、今日は今村君のところに泊まるから。もしもお母さんから電話があったら…ね」
「あ、うん」
演劇部の会議は今日はこれでおしまい。明日から台本の読みあわせをするってことで、皆がぞろぞろと
学館の小会議室を出るところで、美帆ちゃんが私に話しかけてきた言葉も右から左、
(天田さんに会いたい)
その時の私、そればかりを考えていた。会って、考えれば考えるほど、手足がずんずん冷えていくような、
そして心まで凍り付いていくような、この冷たさをどうすればいいのか…私に何が出来るのか教えて欲しい。
私の隣の部屋に下宿しているはずの美帆ちゃんは、大学に入学してから「帰ってきた」ことなんて
滅多に無くて、今村君のワンルームに入り浸っている。だから、
「君が一人で、あの集団の中で」
天田さんの声を思い出して、大学に入って初めて(寂しい)って、心から思った。
(部室、覗いてみようかな…)
奥井君も、今日は「バイト先の面接に行かなきゃだめなんだ」なんて言ってたから、部室には
誰もいないだろう。
誰もいなくてもいいから、
(あの部屋の椅子に座って、じっくり考えてみたい)
先輩達の思いが一杯詰まった、これまでの公演のポスターが所狭しと貼られた、あの素敵な部屋に行って、
もう一度、演劇について考えてみたい、そう思った。
(あ)
学館からクラブハウスへ続く坂道を降りている途中で、雨が降ってきた。
(帰ったほうが良かったかな)
すぐやむかと思っていたけど、その雨は少しずつ強くなっていく。ちょっと苦笑しながら
それでも部室へ向かったら、
「天田さん」
そこには明かりがついていて、今一番、会いたいと思っていた人がいる。
「…お疲れ。はい、コーヒー」
「あ、ありがとうございます。あの、天田さんはどうして」
差し出されたコーヒーを受け取りながら言い掛けたら、
「すいま、せん…」
不覚にも、涙が滲んだ。
「…俺、ね」
しばらく黙ったまま、私が落ち着くのを待っていてくれた天田さんは、私の頭を軽く二つ叩いて、
「実はさ、千代田と一緒に、先輩から受け継いできた『でいこん座』、別に作ろうと思ってるんだ」
「え…」
缶コーヒーを握り締めたまま、俯いてしまっていた顔を思わず上げたら、天田さんは少し笑った。
「つまりあの、それって、T大演劇部をもう一つ作るってことですか?」
「最悪、の、話だよ」
思わず責めるような口調になっていたに違いない。天田さんは苦く笑って、
「今はまだ大丈夫だと思う。ただ…」
『まだ』って、どういう意味だろう。それに、
「ただ?」
「このままだったら、坂さんたちが守ってきたものが軽く見られそうな気がして…ああ、うん…いや」
そこで、天田さんはそのごつい手に持っていたコーヒーを一気飲みした。
「君のこともね。奥井演出の芝居で、どういう扱いをされるのか、大体は予想が付いていた。だから、君が傷つく前に
どうにかしたかった。だけど、やっぱり俺なんかが言うのはお節介だと思って控えてた…やっぱり言うべきだった」
「あ…」
どうでもいい、と思って考えないようにしていたことが、改めて指摘されてしまって
とうとう言葉に詰まってしまった。
「たとえ自分の考えに合わないからって、自分の考えに反対する人間を舞台に使わない、なんてこと、許されないと思う。
自分の考えに反対する人たちとはやっていけない、T大演劇部を私物化するっていうのなら、そこから排除された人間の
受け皿は必要だろう。だからもう俺も、今の演劇部じゃ演劇を楽しめない。そう思ったから演劇部をやめた。
これが本当の退部理由」
「天田、さん」
穏やかでにこやかな、イメージ的には冬眠から醒めた熊、みたいなほのぼのした天田さんの口から、
次々飛び出す激しい言葉に、私は涙を拭いながらただ頷くしか出来なかった。
「川上さん、でもとにかく、もしも役を与えられたのなら、その役作りに専念するべきだよ」
雨は、プレハブ小屋の屋根を叩きつけるみたいに激しく降っている。その天井を見上げて苦笑しながら、
「100円とはいっても、観客はお金を払ってる。お金をもらったなら、それだけの演技を見せないとね。
それが役者ってもんだと、俺は思うから」
「…はい、そうですね」
頷きながら、私は手の中の缶コーヒーへ視線を落とした。
「君が一番心配だった。だから今日、会えて良かった」
そして天田さんは椅子から立ち上がり、部室の扉を開ける。
「雨、少しはマシになったみたいだから、どうする? 帰る?」
「帰ります」
「うん、じゃあ、昨日みたいに」
「はい、お願いします」
私たちは苦笑いしながら、部室を出た。
「また何かあったら、聞くよ。だけど今度は君から話して」
「はい、本当にありがとうございます」
雨はまだ、しとしと降ってる。だけどもう、さっきまでみたいな凍りつくような寒さは感じない。
きっとそれは、天田さんと交換しあったケータイの電話番号のメモが、カバンの中にある
おかげだろう。
「じゃあ、またね」
「天田さんも気をつけて」
わざわざ下宿先まで送ってきてくれた天田さんの、本当に熊みたいな背中が消えてしまうまで見送って、
私はホッと息をついた。自分の部屋へ戻ろうとして、そこでようやく気付く。
…雨は、いつの間にかやんでいたらしい。


to be continued…

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