Last Stage G



二回生の部 その1 〜夢よ、永遠に

そしてT県へやってきて二度目の春が来て、私は二回生になろうとしている。
本当に少しずつ、暖かくなっていく共練の中で、
『永遠に夢の中へ行って、目が見えるということと愛と、両方を手に入れようというのかい?』
『貴方は私への愛のために機械を操る。私は愛のために夢の中へ行く。これこそ素晴らしい
愛の世界じゃないですか!』
沖本君演じるDr.ゼロの助手と、ありちゃん演じるヒロインの台詞は響き続ける。
『…いいだろう、私は私の愛を貫こう』
『では、いつ?』
『明日の夜、午後十一時…この研究室で』
「はい、そこまで」
演出の千代田さんが手を叩いて、ハイライトシーンの練習は一旦おしまい。
「『お父さん』と『お母さん』、スタンバって! 10分休憩の後、家のシーンを演るからね」
千代田さんの言葉に、私たちは頷いた。
音響のしのちゃんも、流していた音楽を止める。さすがに自分からやりたいって言ってただけあって、
選曲もすごくかっこいい。
ありちゃん演じるヒロインが、夢の世界に永遠に旅立とうとするシーンにそれが使われていて、
(すごいなあ。胸に迫るよ)
台本を読んだだけじゃあまり実感の沸かない「悲惨さ」が、その音楽で、
「なんだかさ、こう胸にさ、『わーっ』と来るね」
「あはは、そうでしょそうでしょ」
私が言うと、しのちゃんは照れながらそう言って笑う。
今回、たかまは裏方の照明さんに回って、ぼのさんに色々とアドバイスを受けているらしい。
私たちが笑い合っている隣で、
「このスイッチはこうで、このスポットは…」
なんて話し合ってる二人を尻目に、奥井君と沖本君ときたら舞台の上で、
「あなた! どうして私を捨てたの! あの頃の優しかったヒロトに戻って!」
「別れに涙は禁物さ」
なーんて、何だか訳の分からない「三分劇場」を展開してるし。まあ、今回のシナリオはところどころにギャグが
入ってるっていっても、本当にシリアスで、アドリブもあんまり効かせられないんじゃないかってくらいだから、
「とにかく楽しいのが好き」な奥井君なんかはその分、かなりストレスが溜まってるらしい。
「パンパラパンパン、パンパンパ〜ン」
「…こらこら、奥井。悪ノリ、悪ノリ」
たかまが照明調整している時は、舞台の上を照らすスポットの色が次々に変わる。それがピンク色に変わった時、
なにやら妖しげな音楽を口ずさみながら舞台に座って、「うふ〜ん」なんてシナを作り始めた奥井君へ、
千代田さんは苦笑してたしなめてるし、天田さんはお腹を抱えて笑ってる。
(やれやれ)
これじゃまるでストリップだよ、なんて思いながら、私も笑うのを必死に堪えてた。
そこへ、
「いよーっす。ノリノリじゃんか」
共練の重い扉が開いて、坂さんが顔を出す。賑やかな稽古場が、一層賑やかになる。
「あれ? 川上さん、ちょっと元気ない?」
もう引退してしまったけど、坂さんが気配り上手なのは相変わらずだ。シナリオを片手に
ちょっとしかめっ面をしていた私に、目ざとく話しかけてきた坂さんへ
「…難しいんですよね、この役」
その台本をパラパラとめくりながら私は言った。
「生まれつき目の見えない女の子を持つお母さん…どんな思いで彼女を育てて、見守ってきたのか。
そして夢の中でだけとはいっても、彼女の世界を広げることが出来て、どれだけ嬉しかったのか…」
「うん」
すると坂さんも頷いて、
「当たり前だけど俺ら、子供を持ったことないもんな。だけど、川上さんのお母さんの気持ち、
想像してみたら少しは分かるんじゃないかな」
「私の母親ですか…」
「そう。千代田にも相談してみなよ。てか、アイツが『演出』なんでしょ? だったら俺に相談するのは
スジが通んないよ、ね? 天田だっているしさ」
そこで坂さんはにっこり笑って、「頑張んなさいね」なんて私の肩を軽く二つ叩いて、奥井君の
ほうへ行ってしまった。
(そう、だよね)
舞台の上で、まだストリップ劇場を展開している奥井君へ、坂さんは「よっ、あと一枚!」なんて呼ばわってる。
それを見て苦笑しながら、私はこの間の奥井君としのちゃんのやりとりを思い出していた。
(千代田さんが、演出)
つまり、引退してしまった人間じゃなくて、今一緒に舞台を作っている人間と助け合え、ってことなのだ。
言葉尻は違うけど、言ってることは結局奥井君と同じ。私は、坂さんにじゃなくて、千代田さんに
今の役どころを相談すべきなのだ。
(なるほど、ねえ)
そして私は、やっぱりほんのちょっぴり、奥井君贔屓になってしまっている自分に気付く。
恋したとか、そういうこととは全然関係ないけれど、
(うん、やっぱりすごい)
そういう考え方、というか、一本『スジ』が通っているところ、『かっこいい』と思う。
当の千代田さんは、ありちゃんの相談を受けている。ありちゃんだって「生まれつき目が見えない」
すごい難しい役だと思うから、
「天田さん。今、いいですか?」
千代田さんと同じ考え方を持ってる天田さんなら、そして「夢の中に行く機械を開発した博士」っていう
役どころの天田さんなら、相談に乗ってもらえるかもしれない。彼も男性側の『主役』だし。
「ん? どうしたの?」
やっぱり缶コーヒーを右手、台本を左手に難しい顔をして、台詞を口の中で繰り返しつぶやいてる
天田さんへ近づいていって、
「博士は、どんな思いでこの機械を作ったと思いますか?」
「おっと。いきなり難しい質問だね」
私がした質問に、天田さんは二重瞼の瞳をすっと細めて笑った。
「奥井とは話し合ってみた? 『夫婦』なんだから。目が見えない娘さんを育てるっていうのは、
教育方針が一致していないとかなり難しいよね」
「…はい、確かに」
私が頷くと、そこで天田さんは苦笑しながら、
「ま、君は奥井には話しにくいだろうけど」
すっと私へ顔を近づけて、低い声で耳打ちした。
「はあ」
こっちも、演劇部にいる人間なら知らないはずがない。私がやっと、奥井君以外の男性とまともに
話せるようになったってこと。苦笑しながら頭を掻いたら、
「『俺』があの機械を作ったのは」
台本を側のテーブルの上へ無造作に置いて、天田さんは一言。
「はっきりいって最初は『自己満足』だと思う」
「自己満足、ですか…」
「そう。誰のためでもない、自分のため。自分が夢の中へ行ったらどれだけ面白いだろう、そう
『俺』は思ったから、沖本と一緒に開発した」
「でも、そこにはちゃんとした世界があった」
「そう」
コーヒーをそこで一口飲んで、天田さんは続ける。
「夢の中にもちゃんとした『世界』があって、住人も存在している。『俺』にとってもこれは計算外のことだった」
「…はい」
「だけど、考えてみたら人が夢を見るのは当たり前で、その夢の分だけ世界がある。どこかの学者が言っているように、
深層意識というものが本当にあるのなら、どこで繋がっていてもおかしくはない。夢の世界の『実現』。それが
どれだけ危険なことだったか、後で分かって後悔する…それが俺の役どころだと思う。もちろん、君も、奥井もね」
「そうですね」
盲目の娘に、なんとか『世界』を見せてやりたい。目が見えることで感じる素晴らしいものを、
普通と同じように見せるためには?
人は必ず夢を見る。モノクロの場合も、カラーつきの場合もあるだろう。だけど『目の見える人間』が見る夢に
出てくる物は、必ず具体的な形を取っている。だから、
「目の見える人と一緒に夢の世界へ行って、そこで出たデータを機械にインプットすれば、
目の見えない人にも、現実に存在している物の具体的な形が分かるわけですよね」
「そう。それこそ夢みたいな機械だけどさ。だけど、やっと『それ』を手に入れたら、あの女の子でなくても
もう二度と目の見えない世界には戻りたくない、なんて思っちゃうよね」
「そうですよねえ」
『行ってはだめ、戻るのです!』
『もう一度考え直せ! 行くな!』
そんなお母さんとお父さんの叫びにも耳を貸さず、「目の見える」夢の中へ旅立っていってしまった女の子。
そこには彼女を好きになってしまった夢の世界の住人「ロレンス君」がいるし、というわけで、
「それが尾山だもんな」
「あはは」
ちょっとシブい感じの役かもしれない。夢を見ているロレンス君だって、現実に存在しているんだろう。
シナリオの中では、現実のロレンス君について一切触れられていないけれど、
「はい、今度はロレンスが出てくるところから。助手とヒロイン、準備して」
千代田さんの合図で、夢の中の世界へ入った三人の稽古が始まるのを見て、
「ありちゃんもいいトコどりだなー、ははは」
「ですねー、ふふふ」
もう一度、私たちはこっそり笑った。尾山君演じるロレンス君も、博士の助手を演じる沖本君も、
ありちゃん演じるヒロインのことを好きになっちゃってー、っていう設定だから、まさに「両手に花」なのだ。
「…ま、固く考えすぎないでさ。自分が親になったらどうだろう?って考えながら演るのがいいんじゃないかな?」
「はい。ありがとうございました」
そこで、どうやら稽古はまた一区切り付いたらしい。
「十分休憩の後、ダンスの練習するから!」
千代田さんが、私たちのほうを見て叫ぶ。途端に天田さんは「うわ」なんて言って、渋い顔をした。
初めて夢の中の世界へ行く場面で、私と奥井君、そしてありちゃんと天田さんに沖本君がダンスを
踊らなきゃならないっていう流れになっているから、
「苦手なんだよね、俺。どうしても踊らなきゃいけないのかなあ」
「あはは、まあまあ、こっちも固く考えすぎないほうがいいんじゃないですか?なーんて」
参ったな、なんて顔をする天田さんへ、私が笑いながら思わずそう言ったら、
「いい顔、してくれるようになったね。良かった良かった。このまま恐がられてたら、どうしようかと思ってたよ」
天田さんは、私の顔を見てしみじみと頷く。
(あ)
思わず赤面してしまった私の肩を、
「奥井にもさ、そんな調子でいいんじゃない? ね」
天田さんは笑って叩いて「やれやれ、ダンスか」なんて言いながら舞台へ上がっていく。
「ほらほら『お母さん』、ぼーっとしてないで!」
「あ、はい! 行きます!」
千代田さんの掛け声に、私は我に帰った。
(さて、気合入れなきゃ)
たかまにも「その時だけは年齢を忘れなきゃ」なんて笑いながら言われたダンス。
「上達が目覚しいね。一度見ただけでそんなに踊れるんだ?」
なんて、初めて踊った時に千代田さんに驚いた風に言われたもんだから、
「高校時代にちょっとやってたんです。ダンス、好きだし」
なんて答えたら、「へえ!」なんてすごく意外そうな顔をされた。
(何も話そうとしなかったもんね)
その時のことを思い出したら、今更みたいに男性と何も話そうとしなかったのが悔やまれる。
私がやっと、「私らしく」話すことが出来るようになったのは、
(だって、皆、優しいもん)
美帆ちゃんの言葉じゃないけど、きっと皆が「ぼーっとしていて」優しいからだ。
『本当ですか? 本当にここが、夢の世界…なんですか』
そして夢の世界へ入った時に、開口一番私が言うのはその台詞。
「質問が続いてるでしょ? だから、同じような語尾にしないで、語感の調子を変えてみたら?」
なんてしのちゃんが言ってくれたことを思い出しながら、私は天田さん扮するDr.ゼロを振り返る。
『いや…そのはず、なんですが』
へどもどしながらDr.ゼロが答えると、
『お父さん? お母さん? …見えるわ。見える!』
ありちゃん扮するヒロインが、私たちへ向かって叫ぶ。
そして「良かった良かった」と涙する『お父さん』と『お母さん』。実験は成功だ、と喜ぶ
博士と助手。その助手は、「患者」であるところのヒロインへどんどん惹かれていくけれど、
『そこにいるのは何者だ! どうしてこの世界にいる?』
そこで、尾山君演じるロレンスが登場して、少し微妙な恋の三角関係になっていく。
自分だけが夢を見ている、これは自分の夢なんだって思っていたら、そりゃびっくりするだろう。
だけど、
『僕も同じような機械を発明しているところだったんです。あなた方は、この世界は初めてでしょう?
だったら何かのお役に立てませんか』
そういった彼の提案に、一度はためらうみたいに顔を見合わせたDR.ゼロとその助手は、
『分かりました、お願いしますよ』
と、答えてしまう…。
そして『運命』の歯車は回りだしたのだ。
お父さんとお母さんと、そしてヒロイン。明日はどんな世界が広がるのかと、一人でもう訪ねることができるからと
言うヒロインを、安心と希望の表情で見つめる父母の食卓は、
『お父さんは、嬉しくてたまらないんだ。さあ、食べなさい。食え、食え、もっと食え!』
『お父さん、そんなにも食べられないわよ!』
そういう父と娘の会話で最高潮…になるはずが、
『…お父さんは、嬉しくてたまらないんだ。さあ、「食い」なさい』
(…あれ?)
奥井君が言った台詞で、私とありちゃんは思わず彼の口元をきょとんとした顔で見つめた。
だけど奥井君は私たちの様子を意にも介さないで、
「『食べ!』…だから違うっての!」
…続けてしまったもんだから、そこでまた大爆笑になってしまった。
間近で聞いていた私やありちゃんはもちろん、舞台下で椅子に座って聞いていた天田さんや沖本君、
たかまやしのちゃん、尾山君でさえ、お腹を抱えて笑ってる。
「はいはい、気をつけて。食卓のシーンからもっかいね」
千代田さんも笑いを堪えかねたって感じの震える声で、もう一度指示を下した。
その中で、奥井君だけがちょっと憮然とした感じで、だけどやっぱりくすぐったそうな顔をしている。
「NG特集とかって、記録しておいたほうがいいんじゃね? これ」
「ほっとけ」
稽古が終わった後、沖本君がからかうように言うのへ、苦笑いして、そして私はそんな彼に、
(いいよねえ)
そう思ってた。いつか私も、沖本君やたかまがそんな風にしているように、奥井君と接することが
出来たらな、って。
皆がお茶を飲んで休憩していたその時、また共練の扉が開いて、
「えっと、こんばんはー…ここに、あの、川上亜紀って人が」
「美帆ちゃん!?」
顔を出したのは我が従妹だった。私が近づいていくと
「あっちゃん、一度覗いてみなって言ってたよね。だから来たの」
くるくると大きな目を動かして、美帆ちゃんは屈託無く笑ったのだった。



to be continued…

MAINへ ☆TOPへ