Last Stage F



どうやら、美帆ちゃんの入試は無事に終わったらしい。一科目だけの試験が終わって、
農学部校舎から吐き出されてくる受験生の中、彼女の姿を見つけてその肩を私が叩いたら、
「あっちゃん! ありがとう」
彼女は目を輝かせて私へお礼を言った。
「お疲れ様。やっと終わったね。ほら、おいでよ。案内するからさ」
「うん」
農学部は、T大正門から一番奥のところに位置している。
「汽車の時間とか、お昼ご飯の時間とかが無くなっちゃうから、部室の案内までは
少し出来ないけど」
そっちへ向かって歩きながら、私は美帆ちゃんへ向かって「あれ、工学部」「こっちが
教育学部」なんて指をさす。
そんな私たちに、
「あっちゃん!」
「あき!」
学祭実行委員会、つまり大学の生徒会みたいなことをやってる二人が声をかけてきた。
「お、わかめ! さちこも一緒?」
「うん。受験生を励ます会っていうのをさちこが企画してたから、応援」
わかめはサークルに所属していない代わりに、あちこちのサークルの「助っ人さん」みたいなことを
やっているらしい。だから、今日も『実行委員』のさちこの助っ人をするために大学へ
来ていたんだろう。
「あ、こっちね。私の従妹。農学部を受験したんだよ」
私が美帆ちゃんを紹介すると、
「おお! ってことは、やっぱりO県から? こんな遠くまでわざわざお疲れ様!」
「ほんと、お疲れ様だよね! あっちゃんの従妹さんだったら、絶対受かってるよ!」
二人は口々にそんな言葉をかけてくれた。美帆ちゃんも、それにうれしそうに「はい!」なんて
頷いたりして。
二人はそのまま「忙しいから、ごめんね! 今度また、おしるこでも食べよう!」なんて言いながら
学館のほうへ走っていってしまったけど、
「…いいね、T大って。皆優しそうで、すごく親切そうで、それから」
正門を出ながら、美帆ちゃんはしみじみと息をつきながら、私を見て笑った。
「あっちゃんと同じ、ぼーっとしたいい人ばかりだね」
「何をぅ!?」
ふざけあっていると、そこへタイミングよくT駅前へ行くバスがやってくる。それへ一緒に乗り込んだところで、
(あ、雪だ)
西のほうに沸いていたな、なんて思っていた黒雲が、みるみるうちに東のほうへも広がってきた。
それと一緒に雪もちらほら降り始めて、
(最後の雪、かな)
そんな風に思いながら、私は彼女をホテルで待つ伯母のところへ送り届けたのだ。

それから二週間後。どうやら無事に美帆ちゃんはT大に合格したらしい。そして、
「…うん。それじゃ、今回の新入生歓迎公演は尾山のでいくか」
『共練』の中で、新部長になった千代田さんの声が響く。
坂さんやぼのさん、加藤さんといった現三回生だけじゃなくて、なんと倉田さんも、
三回生になったら忙しくなっちゃうからって、演劇部を引退するらしいから、
(部員、凄く減っちゃうねえ)
共練の中に差し込む、少しずつ暖かくなってくる春の日差しへ目をやりながら、私はそっと苦笑いした。
倉田さんの引退を、皆が惜しんだ。実は次の副部長にすら皆がなって欲しいって
言ってたのに、倉田さんが言うには、
「絶対に、嫌っていうわけじゃないんだけど」
大学研究室との両立が無理だと判断したから、っていう理由で辞めるんだって、苦笑していた。
三回生になったら、いよいよ大学を卒業するまでのことを考えなきゃいけない。四年間なんて
多分あっという間で、だけど、
「皆がやって欲しいって言ってるのに」
いつもにこやかなあの坂さんでさえ、ちょっと険しい顔をして倉田さんにそう言ったものだ。
農学部や工学部、そして医学部っていう「理系学部」とは違って、教育学部って文系だから、
理系とは違って少しは自由になる時間がある。それを坂さんは言いたかったのだろうけど、
こればっかりは本人の意思の問題だもの。
それはともかく、新しく入ってくる一回生のための公演、つまり「新入生歓迎公演」は、
ここ『共練』で、なんと土日を通して五回、催されるらしい。
倉田さんは引退するって言っていても、今度四回生になるはずのぼのさんは、相変わらず
演劇部に入り浸っていて、
「アタシだってホン(脚本)書いてきたのになあ、っちぇ」
なーんて舌打ちしたりもしている。
失礼だけど、多分彼女が性別不明だって思ってるのは私だけじゃないに違いない。相変わらず
縦にも横にもごつい『彼女』が書いてきたという脚本は、『狂騒狂想曲』っていう題名で、
『あまりにも頑固すぎる自分に嫌気が差して家出した孫娘のことを思い、ついに寝込んでしまった
貴族のおじいさんのために、とある変人研究家たちが作った「孫娘型ロボット」と、その孫娘の
世話をするために作られた「ルル」というメイドさんロボットが引き起こす、悲喜こもごもの』
物語、ということらしいけど、どうやら千代田さんを含め、男性陣の軍配は、尾山君が書いてきた
『夢の中と現実とを自由に行き来する機械、R-3を開発した変人Dr.ゼロと、彼の機械の
噂を聞きつけてやってきた、先天性盲目の女性とその両親』
のほうへ上がったらしい。
「尾山、これ、ホン形式で書き直して持ってきてくれ」
「はい」
演出をやることになった千代田さんが、尾山君が書いたノートを彼に返して言う。
(どんな配役になるんだろう)
いよいよまた、新しい芝居の幕が開く。こういう時にいろんな意味でドキドキできるって、
とても素敵なことだよね。
「うーん…だけどさあ、尾山君のって、細かいギャグのところは、あっちこっちのプロの劇団のシナリオから持ってきて
完成させたやつだよね」
新しい芝居の台本が決まったところで、三月定期テストが終わったばかりの日に開かれた『会議』は終了。
先輩達がぞろぞろと出て行くのに習って、私も学生会館のその部屋を出て下宿へ帰ろうとしたところで、
しのちゃんがそんな風に言う声が聞こえた。
だから、私も立ち上がりかけた椅子へもう一度座る。
「…オリジナル、とは言えないよ」
「まあまあ、しのちゃん」
先輩たちが出払った後は、一気に静まり返る。普段からはっきりと物を言うこの友達へ、
たかまやありちゃんも少し苦笑して、帰る支度をしていた奥井君もぴくっと眉を上げたし、
当の尾山君も、
「悪かったな」
なんて言いつつ、苦笑いした。
「ま、掛け合いのところは、ちょっと転用させてもらったのもあるけど、大筋は俺がちゃんと
考えたぜ?」
すると奥井君も続けて、
「…お前が言うな。お前が『信奉』してるぼのさんの書いたホンだって、ありゃ古典劇の『コッペリア』
そのものじゃねえか」
呆れたみたいに言うもんだから、そこでやっと私も納得したのだ。
(ああ、やっぱり。どっかで見たことあると思ったんだよね)
しのちゃんは、どういうわけかぼのさんが大好きで、ぼのさんのほうもそんなしのちゃんを「愛でて」
いるらしい。だから、今回の脚本を決める時だって、しのちゃんはぼのさんの台本のほうへ手を上げたわけなんだけど、
「あからさまにやるとマズいだろうよ。そりゃ、古典劇だから著作権料はないみたいなもんだけど、
現代風にそのまま書き直したモンを上演して、それがオリジナルだって言われて、客が納得するか?
演劇っていうのは、ある程度その道を知ってて、研究してる人間も観に来るんだ。そういう客に、
コッペリアを現代風に焼き直ししただけ、って言われてお前、悔しくないのかよ」
…しのちゃんは黙ってしまった。
言葉はキツいかもしれないけど、確かに奥井君の言うことは正論に近い。だから、しのちゃんには
悪いけど、私はちょっぴり奥井君を見直したような気分になったものだ。
私たちのやってることは、確かに学芸会の延長みたいなものかもしれない。だけど、皆、やっぱり
演劇のことをすごく一生懸命考えていて、公演の一つ一つを大事にしたいって思って、
その分思い入れだって深いのだ。
そうやってちょっと奥井君を見直しかけた私だけど、
「それとさ、お前、今回『音響』やりたいって言ってたけど…他に別に考えてることってないよな」
「奥井君! なんでそんなこと言うの? 私だって照明…裏方やりたいって言ったけど、それは
バイトとかで時間の都合が付かないから、っていう理由があるからで、それはしのちゃんだって
同じだって前も言ったじゃない」
彼が言ったことへ、恋人であるはずのたかまが食って掛かるのに、ものすごく違和感を覚えた。
(しのちゃんが他に考えてることって)
…どういう意味なんだろう。尾山君は黙って苦笑してるし、しのちゃんは詰まったような顔をしてるし、
それに何よりも…前から思ってたことだけど、カノジョの癖に、たかまって変に奥井君には
冷たいような気がする。
そう考えて、ふと思った。これが、『不協和音』なのかもしれない。
個性がキツすぎる連中だから、どうしたって「自分が」「自分が」アピールだって強い。
演劇っていう世界の中に作られる空間を、自分で一度は演出してみたい。誰だってそう思ってしまう。
私はどちらかっていうと演出なんてめんどくさいし、そんな人たちをまとめられる能力だってないから、
(人に使われてるほうが楽だけどね…)
だけど、奥井君としのちゃんは違うのだ。しのちゃんは多分、ぼのさんを心から尊敬していて、
ぼのさんのやり方を受け継ぎたいと思ってる。一方で奥井君は、「自分たちのやり方で」演劇を作りたいと
思ってる。どっちが間違ってる、なんて言い切れないけど、
(仲良くやれないのかな)
立ち去るタイミングも少し逃してしまったらしい。たかまやしのちゃん、そして奥井君の「言い争い」
は何となく続いてしまって、微苦笑しながら尾山君をちらっと見たら、尾山君も微苦笑して
私を見てた。多分私たち、同じ表情をしているに違いない。
「ともかく! 先輩は先輩。俺らは俺らだろ? ぼのさんだって引退しちまってんだから、
俺らだけで新しいのを作っていくほうがいいじゃねえか!」
「私たちだけじゃ、絶対に間違った方向へ行くって! だから、時には経験者の言うことにも
耳を傾けたほうがいいって言ってるだけだよ!」
…いたたまれなくなって、私は目で「帰るわ」なんて言いながら、こっちを微苦笑しながら見てる
尾山君やたかまへ軽く頭を下げる。二人も頷いてくれるから、二人の好意に甘えて、私はその部屋を出た。
あの部屋にいたところで、私に出来ることはない。だって私は、私が入部する前の皆のことを
何一つ知らないんだから。
ため息を着きながら学館から出たところで、
「お? 川上さん」
「あ」
バイト先へ顔を出すから遅れる、っていってた沖本君に出会った。
「何? もう会議終わったの?」
「え、ええ、まあ…」
「まだアイツら、いる?」
「うん。一階の6番に。あの、だけど」
私へお礼を言ってそっちへ小走りに向かいかけた彼を、私は引き止める。
「だけど?」
「あの、こっちから見たほうが」
言いながら私は彼を手招きして、学館の外側をぐるりと回った。その部屋の外側からそっと
覗くと、中ではちょうど奥井君が腹を立てて部屋から出て行くところで、
「…なるほどねえ」
沖本君は、それを見ながらため息を着いて「仕方が無い」っていう風に笑う。
「ま、いつものことだけどさ。で、ホンは誰の?」
「尾山君のに決まったよ」
「そっか。ま、ならそれでいいや。それじゃ俺、ちょっと部室へ寄るから」
「あ、うん」
ちょっと手を上げて部室へ向かう沖本君へ、私も手を振った。
…いつものこと。
沖本君の言った言葉が、妙に心の中に突き刺さる。
ああやって言い争うことが、いつものこと。なら、
(壊れてしまったら…ものすごく恐い)
多分今、私が奥井君のこともちゃんと認めてる、って言っても、彼は信じないだろう。だけど私にとっては
しのちゃんも奥井君も、ちゃんと「演劇を愛する仲間の一人」なのだ。仲間なんだから、友達なんだから、
仲良くやっていきたいっていうのは、ただの感傷なんだろうか。
(わ、寒い)
気がつけば、太陽はとっくに沈んで辺りは真っ暗になっていた。
(…帰ろ)
そして私は知ってる。こんな時は眠るに限るのだ。あれこれ考えていたら、美帆ちゃんの言うように
「ぼーっとしている」私は、思いつめすぎてパンクしてしまうっていうのも自分でよく分かっているから、
(わ、まだ明かりがついてる)
それぞれの学部の校舎にこうこうと灯っている明かりを眺めながら、私は自転車置き場へ向かった。
一昼夜っていう時間のかかる研究だってあるらしいから、大学が不夜城なんて言われるのも良く分かる。
この間、美帆ちゃんを送って行ったのと同じルートで向かった正門近くで、
「あれ? 川上さん。まだ残ってたの?」
「天田さん…あ、千代田さんも一緒だったんですか?」
二人の先輩を発見して、少しだけ顔が強張った。
「今さ、天田と話してたの。尾山の脚本で、お前がDR.ゼロ演れって」
「俺、あんなブッ飛んでないよ」
「おいおい、演出命令だぞ。ちゃんと聞けよ?」
私の前で、先輩達は屈託無く笑って、
「で、川上さんは、ヒロインの『お母さん』ね」
千代田さんは言った。
「ええ? 私が『お母さん』なんですか?」
「そう。で、奥井が『お父さん』」
(…うわあ)
さっきまでの「経緯」を知ってるもんだから、私の顔は余計に強張った。
私と奥井君…一体どんな『夫婦』になるんだ…。
「そんでさ、助手は沖本。ヒロインはありちゃんで。目の見えない女の子のこと、ありちゃん、ちゃんと
研究しろって言わなきゃ、はっはっは」
「はいはい。その続きは飲みながら聞くって。良かったら川上さんもどう? 俺、奢るからさ」
「はあ…」
めったやたらハイテンションな先輩たちに引きずられて、私はその日も居酒屋へ行く事になったのだ。
「…さて」
そして居酒屋へ入って案内された席で、私の向かいに座った千代田さんはすっと真面目な顔をした。
「…川上さんは、いわゆる『障害者』を持つ親御さんの気持ちって、どんなのか考えたことある?」
「生まれつき目の見えない人の気持ち…その人が夢の中で視力を得て、初めて色のある世界を知った。
千代田の演出だと、その機械の開発をしたのは『俺』だっていう設定になるんだけど」
と、そこで私の隣に座った天田さんは少し苦笑して、
「そのことが本当に彼女と周りの人間を幸せにしたのかどうか。尾山もなかなかいいホン書くよな」
これまた同じように真面目な顔をする。
「そう、ですね…」
そんな先輩達にすっかり圧倒されてしまって、私はただ頷くばかりだったのだ。


to be continued…

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