Last Stage E




そして二月下旬。私は私の地元方面からやってくる『汽車』を、T駅のホームで待っている。
ここのところ、ほぼ毎日雪が降っていて、
(冷たい…うわ、寒い!)
雪かきされたホームにも容赦なく風が吹き付けてくる。
(もう一時半なのになあ)
到着予定時間は午後一時十五分のはず。だけど、雪が降っているからとかで、
多分30分くらいは遅れるに違いない。
その汽車には私の伯母と一才年下の従妹が乗っているはずで、
「…間もなく2番線に、スーパーヨーデルTが到着いたします」
そのアナウンスが流れて、心なしかホッとしながら、私は列車がやってくる方向を見た。
灰色の空からは、ひっきりなしに白い雪が降っては積もる。本格的に積もる雪を見たことのない
私には、『積雪』はとても珍しいものだったのだけれど、
(今はただめんどくさいだけだよねえ)
さすがに「住んで」10ヶ月あまり、雪が振り出して二ヶ月あまり経ってしまうと、
大学へ通うのも自転車じゃなくて「歩き」になっちゃうから、いささか食傷気味になっているのだ。
(あ、来た来た)
禁煙車の指定席、っていうから、4両編成のドンケツに二人は乗ってるはずだ。その場所に立っていると、
かすかに右のほうから汽笛の鳴る音が聞こえてくる。
未だに電気が通っていなくて燃料がガソリンだっていう「ディーゼル」に引かれた車両は、
線路の雪を蹴立ててホームに到着した。
列車の中から、ずっとホームのほうを見ていたらしい伯母と従妹は、私の姿を認めて
嬉しそうに手を振る。
小さい頃から仲がよくて、本当の姉妹みたいに育った私の従妹、赤井美帆ちゃん。
乗車率200%の記録なんて、観光シーズンと受験シーズンにしか達成しないだろう。普段はガラガラな、
まさに地元へ帰るT大生のためにある、というのに相応しいその汽車から、伯母と美帆ちゃんは
大きな旅行バッグを肩に下げて、いそいそとホームへ降りてきた。
「…大変だったねえ。AからT塚でこの特急に乗換えとか?」
「違う違う。Oまで出たほうが早いから、一旦戻る格好になったよ」
「なるほど」
1年会わないでいても、1年前の続きみたいに会話は弾む。
彼女とは、高校まで同じだった。もちろん彼女は高等部からの入学だから、私とは違って
中学は共学だったわけで、その分、男の子にも免疫はあるとは思うけど。
「よろしくね、あっちゃん。あっちゃんがいれば安心だわ」
私の母の姉、というから、中味はさほど私の母親と変わらないんだろうけれど、少なくとも
外見上は伯母のほうがよっぽど女性らしくてしっとりしているように見える。そんな伯母へ、
「あはは、やだなあ、伯母ちゃん」
私は少し照れて言葉を返した。
伯母も、小さい頃からいわば私に美帆ちゃんの面倒を「ちゃっかり押し付けてきた」人だ。実は今回だって
「あっちゃんがいるから大丈夫だって」なんていう美帆ちゃんに説得された格好で、家から遠く離れた
T大に下宿して通うことをやっとこ許可したのだという。
明日は、T大の入試。地元から離れてやってくる学生が80%を占めるT大を受験するためには、
もちろん「トンボ帰り」なんて出来なくて、伯母や従妹も私と母がしたように、T駅前の
ホテルニューコタニで一泊することにしたらしい。
「農学部の校舎でやるんだよね? だったら私も付き添うから、ね」
「助かるわ」
何故かT県立西高校の校舎で入試が催された私の時と違って、今年からはT大の校舎で入試は催される。
雪のせいで、いつバスが遅れるか分からないし、受験生ってやっぱりそういうことにもピリピリしてるから、
「私なんかでも、側にいたほうが心強いかなって」
「うん、そりゃ心強いよ! だって経験者だもん」
頭を掻きながら言った私に、美帆ちゃんも大きく頷いた。
「センター試験でも、A判定だったんでしょ?」
「そうだよ」
「だったら大丈夫だよ。自信持ちなって」
「あはは、うん。実は私も、ちょっとした『旅行気分』でここまで来たんだぁ」
そこで私たちは、声を上げて笑い合った。一年前の私も似たようなものだったし、何よりも一応は
日本を代表する都会のO駅からTまで、汽車で4時間10分かかるんだから、そりゃ受験っていうより
旅行気分にもなるだろう。苦笑している伯母の側で、
「試験が終わったらさ、時間あるでしょ? ちょっとクラブハウスとか覗いてみなよ。楽しいから」
「うん! よく電話でも話してくれたよね。それも楽しみだったんだよ」
私たちの話は続く。彼女のいいところは、こういう素直で開けっ放しなところなのだ。
T大へは、受験のためだとかでT市交通のバスが増発される予定らしい。
ニューコタニに取っていた部屋へ引っ込んだ伯母と従妹と、
「頑張ってね! 明日の朝10時だよね。応援しに行くよ」
「うん、よろしくね!」
そんな具合に手を振り合った後、私は一度、T大へ戻ることにした。
私たちは、母親同士が姉妹の従姉妹同士。だけど全然似ていないって…従妹のほうが
断然可愛くて、愛嬌があって、明るくて、モテて…だから中学時代でももうすでに「カレ」がいたって
言ってたな、なんて思い出して…、
(ちょっと羨ましいかな、やっぱり)
「オンナノコ」としては、やっぱりちょっと複雑な気分になる。学力の点はともかく、
私には到底出来ないことを彼女は自然にやれてしまう。そこが小さい時からすごく羨ましかった。
だけど、私は美帆ちゃんが好きだし、これからもちゃんと面倒を見るつもりでもいる。
(…余計なおせっかい、なんて言われるかなあ)
雪かきされた道にも、雪はしつこく降り続いてる。明日、晴れたらいいんだけど、なんて
思いながら演劇部の部室へ向かったら、
「…こんにちは」
「…」
そこには奥井君がいた。ありちゃんやしのちゃん、倉田さんあたりなら絶対にいるだろうと
思っていたのに、
(わ…ちょっと気まずい)
その狭い部室で、苦手な人と二人きり。おずおずと椅子へ腰を下ろしながら、
「え、えと、寒いね…」
「…」
私が話しかけても、やっぱり奥井君はシカトしたまま、
(あ、レポートだ)
私が置いてあったレポートを机の右のほうへ広げて、それを写し取っている。
(…うん、ま、いいや)
ちらっと見たところでは、「再提出」なんてハンコが押されてる奥井君のレポートには、
「三月一日まで」なんていう教授の手書きまであったから、
(邪魔しちゃいけないよね)
旧式の石油ストーブの燃える音を聞きながら、私も黙って、私がいつも読んでいる文庫本を
カバンから取り出した。
そしたら、奥井君は「ふうっ」なんて声を立ててため息を着いた後、
「…おらよ」
そのストーブの上に二つ置いてあった缶コーヒーのうちの一つを、私へ差し出す。
「…熱いから、気をつけろ」
「あ、う、うん。あの、ありがとう」
「…」
私がお礼を言っても彼はまたシカトして、レポートを写すのに没頭し始めた。
(うん…仕方ないよね)
私も苦笑して、そのコーヒー片手に本を読み始めたら、
「…あんま、な」
「え」
「構えンな。お前、ぼのさんじゃねえけど、確かに生意気。何様?って思う。それと、周りの人間に甘えんな。
周りがお前をいつでも構ってくれると思うな」
「…」
…ずばり言われて、ちょっとショックだった。寒かったのに、たちまち頬が熱くなる。
確かに私は、男の人から話しかけてもらう、っていうのと、私のことを暗に誰かに庇ってもらう、っていうのを
期待していた。
だけどそれは結局、自分からはどうやって男の人に話しかけていいのか分からない、っていうせいなんであって、
別にお高くとまってるつもりでもなんでもなかった…けど、
(『そう』見えちゃうのかな)
先輩に対しても、ただ本当にどう話していいのか分からないだけ。クラブにも入れないような、
受験一色の高校時代だったから、先輩後輩っていう関係も築けなくて、だから口を開くと
無礼になっちゃうんじゃないかって、無口になってしまう。
(ただそれだけ、なんだけどな)
だけど、それはやっぱり奥井君の言うみたいにただの「甘え」なんだろう。
「…とにかく助かったことは助かった。…ン」
「あ…うん…」
私のレポートを私の鼻先へ突きつけて、奥井君はもう一度「ふぃ〜」なんて声と一緒に
息を吐き出した。それから、
「…」
黙ったまま、カバンをひょいっと肩にかけて、外へ出て行ってしまう。これから提出しに
行くんだろうか。ざくざくと雪を踏む音がしばらく響いて…それから聞こえなくなった。
(どうやったら変えるってこと、出来るのかな)
一度悪印象を持たれてしまったら、それを変えることって本当に難しい、というよりも
不可能に近いってことくらい、私にだって分かる。というよりも、このサークルに入って
初めて悟った。私は、それほどに、ある意味無神経だったのだってことも。
だけど、それが誤解だって事、伝えたい。私も私自身、変りたいって思っているってこと、
(たかまやありちゃんやしのちゃん…女友達からじゃなくて、ちゃんと)
それこそ奥井君が言ったみたいに、周りの人に助けてもらうんじゃなくて、ちゃんと自分から、
勇気を持って話さなきゃ。それが一番だって事も知った。
だけど、それをどうやったらいいんだろう。どうしたら、私のこと、分かってもらえる?
(せっかく知り合えたのに、ね)
演劇、というよりも「自己表現をすること」の楽しさを知って、それから少しずつだけど、
男の人とも話せて、っていう、「少しは進歩したかも」なんて自分でも思えるこの状況から
もう逃げたくはない。
(だけど、分からない)
それをどうしたらいいのか分からない。美帆ちゃんなら、分かるんだろうか。考えあぐねて外を見たら、
雪はやむどころかより一層激しくなっていた。
(明日は入試なのに)
立ち上がって扉を開いたら、
「よ! ヒマだから来たの。寒いね〜。絶対に誰かいると思ったけど」
しのちゃんが、「ほい、差し入れ」なんて言いながら、学館前で買ったらしい熱い缶コーヒーを
私にくれた。
二本目の缶コーヒーに私は苦笑しながら、
(…こういうことも、私は思いつかない)
自分を認めてくれている誰かのために何かをする、そういうことすら思いつけないのだと、改めて
凹んでしまったんである。

心配していた入試当日は、昨日の雪が嘘みたいにすかっと晴れて、
「あっちゃん!」
農学部の校舎前に行くと受験生の山が出来ていて、その中から私の従妹が私を認めて嬉しそうな声を上げる。
「無事に着いたんだね。良かった良かった。伯母ちゃんは?」
「ニューコタニにいるよ」
「そっかそっか。そうだよねえ」
ま、確かに大学受験の会場に親が付いてくるなんて、常識的には考えられない。
「教育学部の音楽室で、ピアノ弾きながら待ってる。終わる頃には私、またここにいるから。頑張れ!」
「うん。ありがとう」
私が言うと、美帆ちゃんは笑いながら手を振り振り、校舎の中へ姿を消した。
(本当に笑顔の素敵な、明るくて可愛い子だよね)
本人曰く、「ゴワゴワしていて硬くて黒すぎ」な髪の毛を気にしているみたいだけど、それを補って
余りある、大きくてクルクル良く動く丸い目と、これだけは祖父譲りで私も似たような低くて小さな鼻と、
よく笑う口元…つまり「可愛い容姿」。
(ま、頑張れ)
少し苦笑いしながら、私よりちょっぴり背の低い彼女の後姿が消えるまで見送って、私は教育学部へ向かった。
小さい頃から習っていたから、弾き方だけは知ってるピアノ。六年でやめてしまったから、
細かい音楽記号なんてすっかり抜け落ちてしまってるけど、弾くのはやっぱり楽しい。
教育学部校舎へ足を踏み入れたら、
「あれ? 川上さん、こっちで講義あったっけ?」
「天田さん!」
ずんぐりむっくりな影が私へ声をかけてきた。誰かと思ったら天田さんで、
「教員免許に必要な単位とか?」
「いえ、ピアノを弾きに着たんです」
「へえ」
私が答えると、天田さんは意外だといった風に目を丸くした。
「実は俺も弾けるんだ。残念ながら、学部は『教小』じゃなくて『教中』の理科だけどさ」
「へえ!」
その言葉に、私のほうがもっと驚いた。本当に失礼だけど、天田さんとピアノ、っていう図式がどうしても
浮かばない。
ちなみに、『教小』っていうのは、「教育学部小学校教員養成課程」っていう、長ったらしい学部で、
『教中』っていうのは、「教育学部中学校教員養成課程」。どっちも長すぎるから略してそう呼ばれている。
「これからピアノの小部屋へ行くとこ。ほら、学部の奥の音楽室の前、ずらっとピアノが並んでる部屋、
あるじゃない。君もそこに行くんでしょ?」
「あ、はい、そうです」
「うん。良かったら一緒に弾かない?」
もっと意外だったけど、そんな風に言われて、
(ピアノ好きって、意外と近くにいるもんなんだねえ)
本当はとても嬉しい。だから、
「あ、え、えっと」
(構えない、構えない)
そんな風に言い聞かせながら、
「従妹が受験に来てるんで、それが終わるまでで良かったら」
私が答えると、天田さんはにっこり笑った。
「はい、上出来」
「え?」
「いやいや、なんでもない。ほら、行くんだろ? 行かないと時間がなくなっちゃうからね」
「あ、えっと、はい」
何が『上出来』なんだろう。ちょっと要領を得なかったけれど、誘われるまま私は、なんだかちょっと
慌ててるみたいな天田さんと一緒に、ピアノがそれぞれ置いてある、三畳そこらのずらっと並んだ
小さな部屋の一つへ入った。
「君の従妹さん?」
「そうですよ。多分受かるんで、そんで、受かったら」
アップライトピアノの上へ、私と天田さんのカバンが二つ並ぶ。それを見ながら長い椅子に腰掛けて、
私は思わず微笑んでいた。
「彼女が受かったら、絶対演劇部へ入れるんで、面倒見てやってくださいね」
「あはは、うん」
すると天田さんも笑って、ごつい指を白い鍵盤へ伸ばす。
「川上さんは何を弾ける?」
「ショパンが好きですけど、モーツァルトみたいな軽やかな曲も好きですね。天田さんは?」
「俺? 俺はね」
言いながら、天田さんは意外なほど静かに、そのごつい指を鍵盤の上へ置いた。しばらくして
流れてきたメロディは「別れの曲」。
「俺も、ショパンが好きなんだ」
弾き終えて照れながら笑った天田さんへ、私も思わず微笑んでいた。
(うん。これで、いいんだよね)
自分へそう言い聞かせたちょうどその時、入試終了の合図のチャイムが鳴る。
「また一緒に弾こうね。ピアノ弾ける人、意外に俺の周りにいないんだ」
「はい! 私でよかったら」
名残惜しそうに天田さんが言ってくれるのが、本当に嬉しい。私も大きく頷きながら
農学部校舎へ駆け出して、
(これでいいんだ。これで)
奥井君の誤解も、天田さんや尾山君とこうやって話してるみたいに、少しずつ解いていけばいい。
無理する必要はないんだって改めて思ったのだ。

to be continued…

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