Last Stage C




(さて、気合入れなきゃね!)
なんだかんだで昨日は大忙しだった。
大道具の設置を手伝ったり、小道具や音響材料をそれぞれの部屋へ入れたり、それから
会館での音量を調節したり…なにせ、当たり前だけど「ふれあい会館」っていうくらいだから、
大学の共同練習場よりずっとずっと広い。だもんで私が、
「あのさ、お客ってこんなにも来るわけ?」
「役者としての出番は少ないし、だから暇だし」っていうんで、なにやらチョロチョロ出入りして、
私を手伝ってくれてるしのちゃんにそう言ったら、
「あははは! 来るわけ無いじゃん。そりゃたまーに当日券、買ってくれる人がいないでもないけど」
(…すごい冷静、っていうか辛らつ)
しのちゃんは、あっけらかんと笑い飛ばしてそんな風に言葉を返してきた。確かに300人は収容できるっていう
この座席、二十人足らずの部員がチケットをさばいたところで、来てくれるのはその関係者くらいだろうし、
しかも無名の演劇団なんか、わざわざ観に来る人だってさほどいないだろう。
「頑張って売ったんだけどな」
ちょっぴり残念、ってな風に私がそう言うと、
「偉い偉い!」
なーんて言いながら、しのちゃんはちょっと背を伸ばして私の頭を撫でた。
(あ、奥井君だ)
舞台の上では、本番前のリハーサルをやってる部員達がいる。『裏方室』にも部員達の声は
ちゃんと聞こえてきて、
『成田さん。違うんでしょ! 目覚まし時計じゃなくて、そこはサイレンなんでしょ、成田さん!』
『ピッピッピッピッピ…』
…いよいよ謎が解ける、っていうところで、たかま扮する夢の中の謎の看護婦に「貴方の隠しておきたいことも
夢に全部出てきてうなされてしまいますよ」なんて脅迫されて、怯えてしまって、ずっと眠り続けてる
オカマさん(天田さんの役だ)を起こすためのサイレンを、『普通の目覚まし時計の音』に変えてしゃべる
『心理学者』奥井君は、
『成田さん!』
『探偵』の坂さんに肩をゆすぶられて、
『つくつくぼーし、つくつくぼーし…って、違う!』
…どうやらセリフをうっかり間違えたらしい。シリアスな場面なのに、そこで一転、大爆笑になって、
裏方室にいた演出の加藤さん、ぼのさん、そして私としのちゃんも一斉に吹き出してしまった。
(『五時になったら起こしてくれ、たかまへ』か…)
そんな『面白い』奥井君は、どうやらたかまが好きで仕方が無いらしい。合宿所の伝言板に
残っていたそのメッセージを思い出して、私は何だかとても微笑ましい気分になった。
「はい、もう一度、成田さつき登場のシーンから。落ち着いて」
とてもくすぐったそうな顔をした加藤さんが、マイクへ口を近づけて指示を下す。
舞台の皆も笑いながらこっちを見て、もう一度定位置へ散らばっていく。
(あと一時間か…)
照明、音響、そして演出…最後の打ち合わせをしながら、沖本君がいつものように
近場で買ってきてくれたお弁当を食べて、いよいよ『開幕』の時間が迫ってきた。
裏方室から見下ろした客席は、やっぱり「まばら」で、その半分も埋まっていない。
だけど、
「…スイッチ、オン」
加藤さんの、ボソボソした声の『司令』が下されて、それでも重そうな赤い幕はついに開いた。
半分くらい開いたところで、ダンスの音楽を私が流すと、中から現れた役者さんたちの顔は
皆生き生きしていている。
言っちゃ悪いけど、やっぱりそこは『田舎の大学』。まともにダンスを踊ることが出来ているのは、
女の子たちはまだしも、男のこの方では坂さんや沖本君、そして一応『観られる』のは尾山君、
それくらいのもんじゃないだろうか。他の男の人たちは、皆「必死」ってな風な表情で、
拙いながらも坂さんが教えていた振り付け通りに手足を動かそうとしている。
(まあねえ…男の人はやっぱり身体が硬いし、ごついから)
次の音楽テープの準備を急ぎながら、私はそんな風に思ってた。当たり前だけど女の人のほうが
身体が柔らかい。だから、カクカクした動きはできても、こういった柔軟性を要求される
ダンスはやっぱり、普通の男の人にとっては辛いものなんじゃなかろうか。
『まとめて買った古道具の中の一つだったんです。その中に入っていたんですよ。
私が知っているのはそれだけです、もういいでしょう!』
暴き立てられたくない過去を持っている、『元・教師』の古道具屋。そして、やっぱり
人には言えない過去と心の傷を持つ『心理学者』。母親に虐待されてしまって、
形だけでも男を捨てて、あげく精神病院に入れられてしまい、夢の中の世界で生きる『オカマ』。
(よくよく考えたら、なんてハチャメチャな設定なんだろ)
『成田さん、もう大丈夫ですよ、成田さん』
やがて終盤近く、ようやくほぼ全ての『謎』が解けて、いつの間にか眠っていたという設定になっている
探偵と心理学者は、依頼者の女の人と一緒に目覚めて、
『この帽子、どいつんだ、おらんだ!』
『…いつまでやってるんだ』
『あ、あれ?』
夢の中なのに、その夢に取り込まれまいと馬鹿なことを繰り返していた二人。現実で生きることがこんなにも
苦しいのなら、いっそのこと夢の中で暮らしたほうがいい、というオカマさんの言葉に頷きかけて、
一緒にそのまま、戻ってこられない夢の中にいそうになった二人は、
『ひょっとして現実? 戻ってきたのか!?』
『そうですよ。彼の夢は消えました』
オカマさんの心の中にあった傷も、なんだかんだで解決してしまって、やっと現実へ戻ってきたのだ。
そしてオカマさんの夢と変な形でつながっていた依頼者の『悪夢』も、
『これでやっとグッスリ眠れそうです』
というわけで、全て解消。
『では、これで僕もお別れですね。ところで、英語で言う『お休み』を知ってます?』
『グッドナイト、でしょう?』
夢なのか現実なのか分からない、長い長い劇。それもいよいよラストのラストで、
『それは眠れる時のお休み。眠れそうにない時にいうお休みですよ』
『なんて言うのです?』
『…ハッシャ、バイ』
にっこり笑って『探偵』は言い、退場する。それへ『依頼者』もにっこり笑って手を振り、
(坂さん、かっこいいなあ…おっと、舞台、暗転。テープはこれ)
倉田さんと、『影の主役』ありちゃん登場のラストシーン。流すテープをかけると、
「…お疲れ」
「はい」
加藤さんがボソッとねぎらってくれた。加藤さんは「よくやった」なんて絶対に人を褒めることはしない。だけど、
(照れくさいんだろうな)
ボソッと…あくまでボソッとしゃべるその一言一言に、加藤さんの気持ちというか、こっちに対する
ねぎらいの思いが詰まっているのが分かるから、皆も「加藤さんはそれでいい」って認めてるんだろう。
「まだ後一回あるから。気を引き締めて」
「はい」
夢中になっていて気が付けば、明るくなった舞台の上では役者さんたちが「カーテンコール」をしている。
この芝居に対するそれぞれの思いと、それから観に来てくれた人たちへの感謝の思い…
(だから、皆、舞台が好きなんだ)
皆、テレビじゃ味わえない、こんな臨場感が好きなんだろう。舞台を作っているのは自分たちだけじゃない。
自分たちの演技に笑って、ほろりとして、泣いてくれる…人数は少ないけど、観に来てくれる人たちの
反応がダイレクトに伝わる。それを一度味わってしまったら、もうやめられない。
二回目の公演は4時から。二時間公演の劇だから、なんだかんだでもう後三十分程度しかない。
その間にテープを巻き戻して、台本を見ながらもう一度かける順番を見直して、ってやってたら、
「やほー、あっちゃん、お疲れ!」
「…凄い顔だね」
たかまがコーヒーを渡しに来てくれた。それを何気に受け取って彼女の顔を見たら、
「これ、舞台用のメイクだよ。スポットが当たると顔がはっきり見えなくなるからね」
眉毛の下と、鼻筋、それから頬骨に沿って、ものすごい茶色の『影』が入っていて、
初めてそれを見た私の反応が面白かったのか、たかまはクスクス笑った。
「坂さんだってそうだよー。皆、出て行くお客さんに挨拶して、『凄い顔だ』なーんて
言われるんだ、あははは」
「ふふふふ」
私たちの会話を、加藤さんもうっすらした笑みを浮かべて聞いている。ぼのさんは、Y市にある
T大医学部からわざわざ訪ねてきた同期の友達と、照明部屋で話しているらしい。
「やっぱり照明は『ぼの』だね。テンポがあって楽しいよ」
「おだてるなっての、がはははは」
聞けばその人は、やっぱり演劇部に所属していたらしい。T大ってば不思議なことに、医学部だけは
T市のキャンパスじゃなくて、Y市にあるのだ。だから、医学部の人たちは一般教養を学ぶ二年間だけ
T市キャンパスにいて、後はY市へ移動することになる。
Y市のT大キャンパスにも演劇部はあるらしい。今回、そこから借りた衣装も色々あるらしくて、
「また今度さ、そっちにも観に行くからよっ」
「観に来るだけじゃなくて手伝ってよ、ぼの」
言いながら、笑いあう声が聞こえてきた。
「…そろそろ二回目公演だから」
そこへ、加藤さんが、遠慮がちっぽく私たちへ声をかけてくる。もちろん加藤さんの「遠慮がち」って
いうのは加藤さんの『地』『自然』で、本当は全然遠慮なんかしてないんだけど、
(…得だよねえ)
それが一種の親しみさえ感じさせられてしまうから、加藤さんってホントは一番、得してるんじゃ
ないかなー、とか思っちゃうわけだ。
で、二回目公演。
(…わ、しまった!)
目覚まし時計のテープを流すところで、私はついに『ポカ』をやらかした。
『じりりりりりり!』
その音が流れるはずのテープじゃなくて、舞台には変に穏やかな『ピッピッピッピ』なんていう音が流れて、
舞台にいる坂さんと天田さん、そして倉田さんは、一瞬、素でギョッとしたような顔をした後、
『目覚ましだ…! 急いで目を覚まさないと!』
それでも坂さんは、咄嗟に機転を聞かせてくれた。本当は『サイレンだ!』なんていうはずの台詞なんだけど、
(すみません、ごめんなさい、本当にごめんなさい!)
私は泣きたいような気持ちで、「おいおい」って言いたげな加藤さんへ頭をぺこぺこ下げまくった。
「…いいから早く、次のテープ」
「は、はい」
ボソボソと加藤さんは指示を下す。私も何とか気を取り直して、震える手で次のテープを
装置へ突っ込んだのだ。
それでも、何とか『無事』に公演は終わって…。

「…本当にすみませんでした! ごめんなさい!」
その後、メイクを落としてる坂さんたちにもまた、私は頭を下げまくっていた。
「ままま、良くあることだから。初めてであれだけやれたら、まあまあじゃないの? な、加藤」
苦虫を噛み潰したような顔をしているぼのさんの隣で、坂さんは笑ってそんな風に言ってくれたし、
「うん…まあ…少し焦ったけど、舞台の進行にはさほど差し支えは無かった…と思うから」
加藤さんも、何事も無かったように言ってくれたけど、
「お前、だけど舞台に『穴』を開けたんだってこと、忘れんなよ? アタシも焦っちまって、
思わず手元が狂いそうになった」
「は、はい、ごめんなさい!」
ぼのさんは、やっぱり厳しい。
「まあまあ、ぼの。そんなにいじめるなって。この後、打ち上げなんだからさ。もう忘れろよ。
俺も天田もクラちゃんも、別に気にしちゃいないからさ。川上さんも忘れなさい、ね」
「…ありがとうございます、すみません…」
「ほら、あと片付け!」
坂さんは続けて言ってくれたけど、反って申し訳なく思ってしまう。
(三回生の人たちには、これが最後の舞台…ケチをつけてしまった)
うなだれた私を、ぼのさんが厳しい言葉で促す。
「お前らも、手が空いたら手伝いに来い。以上」
加藤さんと沖本君、それからメイクを手早く落としたしのちゃんが付いてきてくれた。
「あっちゃん、よしよし」
しのちゃんが、私の肩を叩いて短くそれだけを言ってくれたのが余計に心に染みて、
(汚名が挽回できるまで、なんとか頑張らないと)
奥井君にもまだ嫌われたままで、その上でまたミス…このまま『逃げ』たら、私、多分
もっと自分が許せない。他の人への印象は変えられないかもしれないけど、
(せめて自分でも納得がいく『活動』が出来たと思えるまで、演劇部にいよう)
「まあ飲め飲め! 先輩からの酒は断るな!」
その後の打ち上げで、ぼのさんが注いでくれたビールを言われるまま空けながら、
私はそう決意したのだ。
その決意が間違っていたのかどうか…本当にその後、色々な出来事があったけど、
(あの時辞めていたら良かったんじゃないかな)
とは、本当に考えなかったのが、我ながらとても不思議だと思う。
その打ち上げで散々飲まされて足腰が立たなくなった私を、Y市の医学部から参加した
演劇部のOBの誰かが下宿まで送ってくれたのだと聞いて、また私の顔は青ざめたのだけれど。

to be continued…

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