Last Stage A




「いい? あっちゃん。ここで、さっきのこれ、流して」
「う、うん」
戸惑いながら連れて行かれたのが、『共練』こと共同練習場。そこは、演劇部のほかに
奇術部や落語研究会なんかが共同で使っている小さなステージみたいなもので、
「…隣のトメじゃ」
「トメ」
「人の名前を呼び捨てにするんじゃない!」
舞台の上で、主役である坂さんと奥井君が練習しているのを、真正面においたパイプイスに
腰掛けながら、今回の演出で、農学部三回生の加藤さんが真剣な顔で眺めてる。同じようにパイプイスへ
腰掛けるように促されながら、
「あそこで、照明器具を操作してるのが『ぼの』さん。私たちと同じ農学部で、三回生だよ。
今回は裏方で、照明係をやってくれてるんだ」
たかまが教えてくれるほうを見たら、
(わ…ぶっとい。これもごっつい人だな)
男の人か女の人か分からないくらい…背は奥井君と変わらないのに、失礼だけど
「ものすごくぶっとくて」真ん丸い人が、楽しそうに何かの機会のスイッチをいじってた。
髪の毛だって短めで、二重顎で、目が細くて…ただ「太い」っていうだけじゃなくて、何か
そのテの運動みたいなのをやってるっぽい「太さ」だったから、
「極真カラテ、やってるんだって。頼りになる先輩だよ」
「へえ」
なるほど、なんて頷きかけて、
「本名は、清水由紀子さん」
…そう続けたたかまの言葉に、私は思わず目を丸くしてその人を見つめてしまったものだ。
てっきり男の人だと思ってしまっていたから、
(女の人、か)
秋の半ばでかなり涼しいのに、汗さえかいてるその人が、
「よう、新入部員? よろしくね、アタシ、清水ってんだ。お前は?」
これまた「男の人」の言葉遣いで私に話しかけてきたときには、すっかりビビってしまっていた。
「は、はい、川上です。川上亜紀」
きっと「体育会系」に違いない。椅子から飛び上がるみたいに立ち上がって、私は「彼女」へ
ペコペコ頭を下げた。
「そっかそっか。川上ね。分からないことがあったらなんでも聞きなよ。一応、音響のほうも
ちょっとはかじってっかんね、アタシは」
がははは、なんて笑いながら、『ぼの』さんは私の肩を丸っこい手でバシバシ叩く。
それから、
「おい、ちょっと加藤!」
ちょうど一場面の練習が終わったらしい。休憩、なんて舞台の上の部員達へ呼びかけた加藤さんへも
『呼び捨て』で、
「彼女の分のコーヒー、まだある?」
さすがにこういうところは「体育会系」の気配りだな、とは思えた。
「…部室のほうのダンボールに、まだ二つ三つ残ってたと思う」
そしたら、さっきまでの真剣な顔はどこへやら、のぼーっとした顔を加藤さんは私たちへ向けて、ボソボソ答える。
「ん、了解。そういうわけだから、ほらほら、取りに行ったり行ったり」
「あ、ありがとうございます!」
「それから、たかま」
ニコニコして私とぼのさんの会話を聞いていたたかまと一緒に、私が『共練』を出ようとしたら、
「彼女にも発声とカツゼツ、教えてやんな」
「はーい」
(…発声…カツゼツ?)
どうも初めて聞く言葉ばっかりで、戸惑ってばかりだ。
「発声ってね」
少し離れた部室へ戻る途中、たかまはクスクス笑いながら教えてくれた。
「アナウンサーの人とかもやってるんだけど、ほら『あ、え、い、う、え、お、あ、お』とか、
大きな声でいうヤツ。あと、カツゼツっていうのは、それを早口で、口を大きく動かして言うの。
ほら、ダンスもしたり、激しい動きもするでしょ? だから舞台の上でマイクなんかつけられないし、
大きな声ではっきり、後ろのほうにいるお客さんにもちゃんと台詞を伝えなきゃ、話にならないもの」
「へえ…なるほどねえ。確かに」
説明されてみれば、確かにその通りだ。
「だから、あっちゃんも。今は裏方さんでも、これからいつ役が回ってくるか分からないから、
しっかり練習しておかないとね」
「うん」
私はもう、素直に頷いていた。練習風景を見ていると、皆が本当に『演じること』が好きなんだなって、
それに何よりも楽しそうだって言うのがビンビン伝わってくるから、
(許されるなら、ここにいたいなあ)
男の人とまともにしゃべることが出来ない、少しずつ慣れて行く努力をするのを許してもらえるなら、
この小ぢんまりした弱小の…現役で活躍してる三回生が三名、二回生三名、そして私たち一回生が
やっとこ七名…っていうT大演劇部にいたい、心からそう思った。
「本当はさ。引退しちゃった先輩も含めたら二倍くらいの部員数になるんだけどね」
「…そうだろうねえ」
部室へもう一度入って、何気なく見上げた天井。そこにはびっしりと「歴代部員」の名前が書かれてある
小さな看板が貼られている。そこには今、計算すると三回生のはずの人たちの名前もあるから、
「皆さ、実験とか、バイトとか忙しいってやめちゃうんだよ。特に二回生から三回生に上がる時」
「うん」
たかまが、ダンボール箱をごそごそといじりながら話してくれる「演劇部の由来」へ耳を傾けながら、
(だけど、坂さんや加藤さん、それとぼのさんが残ってるのは、やっぱり演劇が好きだからなんだろうな)
今更ながら、そう思った。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
「あっちゃんも、遠慮しないで。これ、私たちのファンだって言ってくれてる駅前の肉屋さんからの
差し入れなんだから、ね? こういうのは、遠慮してるとすぐになくなっちゃうよ」
「あははは、うん。それじゃ、遠慮なく」
気が付けば、いつもだったら下宿でテレビを見ながらご飯を食べてる時刻をとっくに過ぎていた。
お腹だって減ってるはずなのに、ちっともそんな感覚がしない、というよりも気が付かなかったってことは、
「…楽しいね、このサークルって」
プルトップを開けながら、私はしみじみたかまへそう告げていた。そしたら、
「うん、そう思ってくれたら私たちも嬉しい、ね? 沖本君」
『共練』で大道具を作っていたはずの工学部一回生、沖本君も入ってきて、笑って頷いてくれたのだ。

「はい、ここでフェイドアウトするっぽく音を絞る」
「は、はい」
「ほらほら、左手も! ぼさっとしない! アンタにあわせて照明だって落としたりするんだからね?」
「す、すみません!」
そして私の『演劇部生活』は幕を開けた。毎晩遅くまで音響の機械をいじって、それから
演出の加藤さんに言われるままアタフタして、隣で照明をいじってるぼのさんの「しごき」を受けてビビッて、だけど、
『舞台』に立ってる同い年の『役者』の演技を見るのは本当に楽しい。
「そういう時に言う、特別な言葉があるんですよ」
「グッドナイト、じゃなくて?」
男性の主役を演じる坂さんと、ヒロインを演じる教育学部二回生の倉田さんが、最後のシーンで掛け合うところで、
「この音楽、流して。これ、最後のほうに行くとどんどん大きくなるから、ボリュームは絞って
おいて、後はそのままでいい」
「はい」
加藤さんに言われることを、台本へ書きとめて私は頷いた。
「それは、眠れる時のお休み。僕が伝えるのは、眠れない時のお休みです」
「まあ、なんていうんです?」
「…ハッシャ、バイ」
坂さんが台詞を言い終わって退場すると、舞台は倉田さんだけになる。それと同時に、ゆっくりと
照明が落ちていって、
「はい、今流す」
「はい」
加藤さんの合図で私はそのテープをデッキへ入れて、「再生」のスイッチを押した。
途端、
(へえー…)
ぼのさんが照明をさらに落とす。その音楽は舞台へ優しく流れて、倉田さんの存在感が一気に増す。
音楽一つ、照明一つでこんなにも舞台は変わるんだって、
(はは、感動してしまった)
ちょっぴり自分に照れながら、「エンディング」へ向かう舞台を見つめていたら、
「はい、お疲れ様。今日はここまで。解散してくれていいから。あ、機器はそのまま。明日もまた
使うし、どうせそんな重いの、誰も盗らない」
加藤さんがボソボソと「稽古終了」を告げた。
(誰も盗らないって…)
その言い方がなんとも加藤さん「らしく」て、思わず微笑がこみ上げてくる。加藤さんも
演劇が大好きで、これまでに三回も演出を担当していたっていう、
(ちょっと意外だよね)
のぼーっとした、言っちゃ悪いけどちょっと頼りない外見からは想像できない『情熱』の持ち主なのだ。
言われるまま、私がカセットテープだけを片付けて、小さな籠に入れていたら、
「あっちゃん、結構やるじゃんね?」
「はは、そう、かな?」
今回の「影の主役」で、サークルの中では演技が上手だって注目されてる有田さん…ありちゃんが
話しかけてきた。
「うんうん。今回はね、本当は私が音響、やりたかったんだー。だけどホント、人が足りなかったからねー」
するとしのちゃんも話に加わって、
「あっちゃん、声だって結構出るようになってきたじゃない」
「はは、ありがとう」
「なのにどうして男の人にはダメなの?」
しのちゃんは、いつだってストレートだ。
「あー、えー、それは」
(何でだろうね)
このサークルに入って二週間。近頃では私も、なんで男の人が苦手だったのか忘れてしまうくらい、
なのに男の人に対しては声が出ないのか、自分でも不思議に思えてしまうくらいだった。
「…六年間、女子高だったからかな」
だけど、私はそういってとりあえず「無難」な答えを返す。
「そうなの?」
「私たち、ずっと共学だったから分からないけど、そういうもんなのかな」
そしたら二人は、ちょっと要領を得ないっていう顔を見合わせた後、頷いた。
「お疲れ様! また明日ね。亜紀ちゃん? 気をつけて」
その後ろを、倉田さんがにっこり笑って通り過ぎていく。彼女もなんだかとても「可愛らしい」感じの
女性で、サークルの人たち全員から好感を得ているっていうのが、とても分かる気がする。
「はい、また明日」
だから私も、ぼのさんへ対する時とはまた違ったホッとした気持ちで、彼女には挨拶ができるのだ。
「気をつけて帰れよ?」
『のっぽで細い』尾山君も、私を見て声をかけてくれる。
(話しかけてきてくれる分には、かなり平気になったんだけどな)
そう思いながら、
「え、っと。うん。ありがとう」
私はやっと、それだけを口にした。その隣で大道具を作ってる奥井君は、だけど私には
声もかけてくれなくて、
(仕方ないよね)
私は苦笑した。尾山君が声をかけてくれるのは、きっとそれが彼の性分だからだろう。
尾山君は『優しい』のだ。私がまともに男の人と話が出来ないっていうのを彼は知ってくれていて、
なのにそんな彼とも私が辛うじて話せるのは、こういった「挨拶」程度で、
(変えなきゃ)
沖本君はハンサムすぎて、こっちが話しかけるのも申し訳ないくらいだし、奥井君は私のことを多分
嫌っているし、
(なんとか…変わらなきゃ)
焦ったところで、長年培ってきた自分自身をすぐに変えるなんて出来っこないのは分かってる。
坂さんも、二回生の男性先輩の天田さんや千代田さんも、私に気を遣ってくれてるのも分かるから、
(なんとかしないとね)
「加藤。俺、もう少しここんとこ練習していくからさ。見ててくれよ」
ため息を着きながら共練から出る時、坂さんの声がして、私はふとそっちを振り向いた。そこには、ぼのさんが
楽しそうに坂さんをスポットで照らして、
(舞台映えする人だなぁ)
そんな坂さんの周りに、奥井君や尾山君、そして千代田さんや天田さんたちも集まっていって、
結局また、
「まとめて買った古道具の中の一つだったんですよ。私が知っているのはそれだけです!」
「みーんみんみんみん」
「つくつくぼーし、つくつくぼーし!」
「ま、ママ、落ち着いてよ! 一体どうしちゃったの!?」
…傍から聞いているだけじゃ、一体何の劇なのか分からない台詞が響いて、楽しそうな練習の繰り返しになる。
それがとても羨ましくて、
(いつか、私もあの輪の中に入れるかな…)
そう、いつか『自然に』入れるようになりたい。そう思いながら、私は練習場を後にしたのだ。

to be continued…

MAINへ ☆TOPへ