Last Stage
プロローグ
学生会館のその部屋は、静まり返ってしまった。
いつもだったら、年に一度の秋季公演へ向けての練習で、活気に溢れているはずの部屋なのに、
「…俺の考えについてこられないやつは、演劇部を辞めろ。今すぐこの部屋から出て行け」
(…言っちゃった…奥井君)
学部は違うけれど、私と同期の…私のことを最初は嫌いながら、最後には認めてくれた私の「友達」は、
細くて鋭い目を余計に厳しくして言い放つ。
演劇部の部長だから、そういう風に言える権利は確かにある。演劇なんてやってる「個性のきっつい」
連中をまとめられるだけのカリスマも、彼には確かにあった。
なのに、
「今出て行けば、除名だけは勘弁してやる」
(勘弁してやる、じゃないでしょ)
もともと田舎の大学の、少人数のサークル。だけどそこには確かに先輩から引き継いできた、
大事な大事な「歴史」がある。それを言ってしまったら、多分今、彼に反発を抱いているほとんどの後輩達が
辞めてしまう…「演劇部」として成り立たなくなる。
「川上。お前はどうなんだ」
奥井君は、三回生の中で自分のほかに唯一、まだ引退せずに残っていた私へ声をかけてきた。
「…」
だから、私は黙って立ち上がる。
私の後を追うようにT大農学部へ入学してきた私の従妹が、私を見てハッとしたように息を呑んで、
慌てて立ち上がる。
私を慕ってくれていた『奥井派』じゃない、他の大多数の後輩も、私が立ち上がったのを見て
同じように立ち上がり、扉を開けた私を追うように『学館』のその部屋を後にした。
T大演劇部。本当に少人数だったから、総勢やっとこ十五名くらい。
(ともかく、下宿へ戻ろう)
大学正門へ続く道をしばらくもくもくと歩いてふと振り返ると、ここから見えるあの部屋に
残っていたのは奥井君と、彼を慕っていた私の従妹と同い年の『恋人』である二回生と、
一回生の中で唯一、奥井君を慕っていた一回生、その三人だけ。
(『奥井派』か…)
二回生になった時から、奥井君がしばしば口にしてきたその言葉。たかが田舎の弱小サークルで、
(『川上は、自分の派閥を作ろうとしてる』…って)
派閥も何もないもんだと思っていた私のことを、彼はそう誤解していた。
(私はただ、『小さい子には親切に』を自分なりに実行していただけなのにな)
苦笑しながら見上げた空は、今日も風が強いせいか変に澄んで見える。
「川上さん。あの、あんまり気を落とさないで下さいね」
「仲村君」
思わず大きなため息を着いた私を気遣って、一回生の仲村君が後ろから声をかけてきた。
「どうしてあんなこと、言っちゃったんだろうね、奥井君は」
「意地ですよ、奥井さんの」
「意地? …ああ」
仲村君ですら知っていた、奥井君のプライドの高さと頑固さ。言われただけで頷けてしまって、
「…飲もうか」
苦笑しながら振り返って私が言うと、私の従妹を含んだ後輩達もまた、苦笑して頷いた。
(ラストステージ、か)
三回生として、これが最後の舞台になるはずだった、T市ふれあい会館で催すことになってる劇。
とうとう上演も出来ないまま、私の大学生活最後の舞台は幕を引くことになったのだ。
一回生の部 その1〜眠れない時の『お休み』
「ねえ、あっちゃん。どこにも所属してないなら、うちのサークルに入らない?」
「そうだねえ」
私の席の後ろに座っていた、高田昌美こと通称『たかま』が、大学の講義の合間にこっそりそう言った。
それが、T大に入学した一回生の秋のこと。大学では、「一年」「二年」なんて言わなくて、
「一回生」「二回生」なんていうんだって、そんなちょっとした違和感にもすぐに慣れた。
「配役はもう決まっちゃってるんだけど、音響さんがいなくてね。手が足りなくて困ってんの」
「へえ」
(そういや、半年前の入学の時にも勧誘チラシ、もらってたなあ)
思い出して、私は二つばかり頷く。演劇、っていうのにさほど興味があったわけじゃないけど、
なんとなく面白そうだな、とは思ってた。
ただ私は、
(男の人、あまり多くないといいけどな…)
中学、高校と女子高だったせいで、男の人とうまく話が出来ない。自然にやればいい、って
言われるけれど、その『自然』っていうのがそもそも分からないから、せっかく共学の大学に
入ったのに、農学部っていう、男の人がほとんどの学部にも入ったのに、半年経っても一度も
男の人とまともに話したことがないのだ。
(女の子となら、リラックスして話が出来るのになあ)
お父さんもお母さんも、それを心配して、わざわざ実家から遠くはなれたこの大学に入れてくれたわけだし、
(いっちょ、やってみますか)
『荒療治』っていうのが必要かもしれない。それにサークルでなら、『自然』に話を出来るように
なれるかもしれないし、
「じゃあ今日さ、講義が終わってからでも覗いてみようかな」
「わ、そうしてそうして!」
私が言うと、たかまは嬉しそうに頷いた。
友達付き合いって、本当にひょんなことから始まる。縮れっ毛を気にしている、私よりも一回り背の低い
小柄なたかまは、だけど顔も小さくて笑うととても可愛らしい。
(それに、とてもしっかりしてるんだよね)
もともとは私の友達でもあるサチコの友達だった。親元を離れて独り暮らししてる学生が8割くらいの
『地方の田舎大学』だから、みんなどこか寂しがりで、すぐに仲良くなれるんだよね。
その時、
「あっちゃん、あっちゃん、ほら、当たってるよ」
「わ、ごめん! えと、すみません、いますいます! 川上亜紀、ここにいます!」
隣の席に座ってた私の大の親友の一人、「わかめちゃん」が突付いて教えてくれて、私は慌てて立ち上がる。
出席だけとって抜け出す生徒もいるから、教授だってそこのところは心得ていて、返事をしないと
すぐ欠席扱いにされてしまうのだ。
「ヴィー ハイセン ズィー? イッヒ ハイセ…」
だもので、私は第二外国語にしているドイツ語の教科書を持って立ち上がり、指定された場所を読んだ。
一講義九十分の、退屈でたまらない授業。だけど、高校のときみたいに『受験のためにいやいややってる』
わけじゃないから、皆は意外だっていうけど私は本当に楽しかった。
そう、つまり私は、男友達がいなくても、特にサークルに入らなくても、大学生活を
「そこそこにエンジョイ」していたのだ。
だから、運命って本当に良く分からない。
T大のいわゆる「クラブハウス」は、学生会館と食堂をかねてる建物の裏手にあって、
春には桜の咲く緩やかな坂を下った先。
「ここでね、新歓コンパとかやったんだよ。桜が本当に綺麗だった」
「へえ。いいなあ」
私と並んで歩きながら、たかまが懐かしそうに目を細める。秋の夕暮れだけあって、講義が終わったら
辺りはもううっすらと暗い。
クラブハウスというよりも、ただのプレハブ小屋が二棟ならんだ、一番左端へたかまは歩いていって、
「連れてきました。見学者の川上亜紀さんです」
そこの扉を開けて、心持ち私を前へ押し出すようにした。
「お? 新入部員? 歓迎するよ」
「たかまと同じ農学部? そういえばそんな匂い、するねー。よろしく! 私らと同期だよね?」
途端、中にいた二人…男の子と女の子一人ずつ…が、読んでいた台本かな?を閉じて立ち上がって、
わざわざ戸口まで出てきてくれる。
男の子のほうは、
(わ、おっきい…)
頭が扉の上につっかえそうなくらいに背が高くて手足が長くて、おまけにものすごく『細い』。
なのにその、眼鏡をかけたショートカットの女の子のほうは、
「入って入って。遠慮しないで」
たかまよりもさらに背が低い。二人があまりにも対照的過ぎて、悪いけど思わず吹き出しそうになった。
「紹介するね。二人とも工学部なの。で、こっちが鈴村信(しのぶ)。しのちゃんって呼んでる。
この、背のおっきいほうが尾山君。背があるから舞台映えだけはするんだよね」
たかまが言うと、「ほっとけ」なんて言いながら尾山君は笑っているし、鈴村さん…しのちゃんも笑う。
しのちゃんはともかく、尾山君のほうにはちょっとやっぱりなれなくて、「はあ」なんて言いながら
私は引きつった笑顔を浮かべていた。
「今、『共練』のほうに誰かいる?」
「沖本と清水さんがいるんじゃないかな?」
だけどたかまは尾山君とごく『普通』にしゃべってる。
(うらやましいな)
そこに男の子がいる、っていうだけでビビッてしまって口も聞けないでいる私とは大違いで、
それがとても羨ましかった。きっともう、三人はちゃんと「友達」なんだろう。
だけど私には男『友達』なんて、きっと特別なものなんだって思い込んでいたから、
「おうぃ。疲れた疲れた」
いきなり後ろからまた声がかかって、私は思わずビクッと肩をすくめてしまった。
「お? 見慣れない顔。ひょっとして新しく入ってくれるって? 俺、奥井。工学部生応科一回生。
よろしくな」
「あはは、入ってくれるかどうかまだ分からないよ、奥井君。ねえ、あきちゃん?」
「は、はあ…」
…皆、『同い年』なんだ。だったら私も「タメ口」きいて大丈夫なんだろうけど、
「よろしく、あの、お願いします…あの、川上、亜紀で、えっと、農学部、で」
「お願いしますって何よ。んで名前は? そんなボソボソ言われても聞こえないって」
私がボソボソ答えると、奥井君はちょっとしかめっ面をした。
「え、えと、あの」
背は尾山君よりは低い。体型だって中肉中背。だけど眼鏡の奥に光る目は鋭くて細くて…
(わ、恐い)
ただおろおろしていたら、
「ともかくこれ、入部するつもりあんなら書いて。俺、ここの部の『総務』やってんの。だから
部員名簿も作らなきゃいけないんだよね、つーわけで」
イライラしたみたいに言いながら、私の手へ一枚の紙を押し付けて、
「俺、ちょっと『共練』行くから」
髪の毛を短く刈った頭をふりふり、奥井君は部室を出て行った。
「まあま、『あき』ちゃん」
一部始終を見ていた『しのちゃん』が、苦笑いしながら私の背中をぽんと叩いてくれる。
「奥井君は、いつも『ああ』なんだよ。ね。今はほら、公演を控えてるから、余計に頭に
血が上ってんの。恐い風に見えるけど、しゃべってみたらさほどでもないよ? リラックスリラックス」
彼女が言いながら他の二人を見ると、たかまも尾山君も苦笑しながら頷いていたけれど、
(しゃべってみたら、って)
ただでさえ「恐い」っていう、とても失礼な第一印象を抱いてしまった。
それはきっと向こうも同じで、私のことを、
(まともに目もあわせない、しゃべろうともしない失礼なヤツ)
なんて思ってしまったに違いないから、奥井君ととても『普通に』しゃべることなんて出来そうにない。
「でね。はいこれ、今、練習中の脚本」
なのにいつの間にか、私は演劇部に『入部』することになってしまっているらしい。たかまが
当たり前みたいに台本のコピーを渡してくれるのを、私もついすんなりと受け取ってしまって、
「…ハッシャ、バイ?」
そこには、眠れない時に言う「お休み」を意味する英単語が書かれていた。
「うん。『劇団四次元空間』って知ってる?」
「知らない」
「だよねえ」
たかまに尋ねられて私が首を振ると、しのちゃんが後を引き取って、
「だよねえ。演劇にあまり興味がないと知らないかも。結構そのスジじゃ、有名なんだけど」
ま、座りなよ、なんていいながら、私へ丸椅子を勧めてくれた。
「東京のY大演劇部が十年前に立ち上げて、そんで今じゃプロの劇団になってるんだよ」
「へえ」
そういうことには確かに疎いけど、パラパラとめくってみるだけで、この「芝居」が面白そうだっていうのは
なんとなく分かる。
だけどこれはいわば「現代ドラマ」みたいなもので、
「…真夏の世の夢、とか、そういう古典劇みたいなのはやらないんだ?」
私が尋ねると、
「そういうのは、ねえ」
「なあ?」
「要望はあるんだけどね。予算と人員の都合ってヤツ。大道具にもものすごくお金、かかるでしょ」
三人は苦笑した。
「だから、部費だって一ヶ月千円も取ってるの。それだけやっぱ、衣裳代や舞台装置にもお金が
かかるからね。だけど、ここにいる皆がうちのサークルにい続けてるのは、演劇がそれだけ好きだからだよ」
「ははあ」
たかまの言葉に私は納得して大きく頷く。そこへ、
「おいーっす、やっと実験、終わったよ。ごめんな」
言いながら、また別の男の人が入ってきた。
「坂さん!」
「こんばんはー」
他の三人が一斉に嬉しそうな声を上げる。釣られて私もヘコヘコと頭を下げたら、
「お、新入部員? よろしくよろしく! 坂正弘です。一応、演劇部の部長やってます。
工学部の生物応用三回生。で、君は?」
「あ、えっと、あの」
「私と同じ農学部の川上亜紀ちゃんです」
言いよどんだ私を庇うように、たかまが答えてくれた。すると、背は奥沢君と尾山君の
中間辺りで、顔立ちだってハンサムとは言えないかもしれないけど、どこか甘い雰囲気を
漂わせてるその『先輩』は、
「川上さん? 音響、よろしく」
からからと笑って片手を差し出してくる。
…その手を思わず握り返してしまったことで、私の『演劇部入部』は確定したのだった。
to be continued…
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