パラレルワールドを追いかけて 5







ACT 5 帝都へ!

「ま。アレじゃ反って足手まといだからなあ」
ダリスは、波打つ金髪をうるさそうにバンダナでまとめ、黒い手袋をはめて、息を吐き出した。
「ですね。やはりここは、まず僕らが先に潜行して、帝都の様子を
探っておくべきでしょう。彼らに与える例の『任務』はそれからでも遅くはないと思います」
ガトリングガンやデザートイーグルの調子を見ながら、ミューゲもそれへ頷く。
「ま、お前らがそう言うんなら」
「こら、何見ながら言ってんだバカ」
ダリスが、大きく開いたシャツの胸元へ、レールガンの小型充電器を入れている。ちらりと見える胸の隙間へ
思わず目をやって、真っ赤になったカイルへ、ダリスは拳を上げて軽くぶつマネをした。
「じゃ、僕は乗り物の手配を」
といいながら、ミューゲが出て行くのを見送ってから、ダリスがウエストバッグからコンパクト・ミラーを
取り出して、ふと、カイルの背中を見やる。
「アンタの準備はいいのか」
「ま、な。俺はこれだけでいい」
「修復できたのか。さすがだな」
「まあ、な。こいつには自己修復機能が備わってるんでね。クランツからもらった、大事なヤツだから」
「ああ、そうだな」
長い黒髪を無造作に首の後ろで束ね、その背中へ、いつかニーズホッグとの戦闘で折れたはずの長い刀を背負っているカイルは、
ダリスが頷きながら口紅を塗りなおしているのを、やはり横目で見やって、窓から空を見上げた。
(不安がっているだろうか、アイツ…不安がってるよな)
自分が、自分の世界へ彼女をつれてきたのは、ただ単に彼女が自分の『育ての親』に似ていたからではない。
(今ならはっきりそう言えるのに)
恵美が笑っている顔ばかりが、脳裏に浮かぶ。
(全然違うよ。ユーリは、あんな風には笑わなかった。あんな風に、弾けるようには…俺の前で笑ってくれなかったよ…)
「おい、いいか?」
「…ああ」
ふと俯いていると、ダリスが背後へやってきて、彼の肩を叩く。
「用意は出来ましたよ! 行きましょう」
ミューゲもまた、窓の下から、ゲートルを巻いた両手を打ち合わせて、2人へ声をかけてきた。
3つのエア・モービルの煙が、晴れた夜空へたなびく。
「お前、免許持ってんのか」
「父のですけどね。大丈夫、運転できます」
甲高い声の答えに、思わず顔を見合わせるほかの二人だったが、
「しゃあねえ、行くか!」
「了解!」
肩をすくめてカイルはそのまま下へ飛び降り、ダリスもまた、それに続く。
やがて流星のように、そのエア・モービルは帝都へ向けて飛んでいった。



静かに、しかし着々と水面下で進行しつつある出来事を、果たして地母神は知っているのかどうか。
聖域の泉は、ただ、まんまんと、立ち枯れた木々の中にその透き通った水を湛えていた。


「あいたぁ」
恵美は、自分の声で目を覚ました。視界が、まるで霞がかかっているようにぼやけている。頭の端が、少しだが痛む。
「牢屋?」
横になっていたベッドから上半身だけを起き上がらせ、恵美は周りを見回して呟いた。
(帝都へ…来ちゃったの、かな)
おずおずと、鉄格子の前へ近づいてみる。冷たい、ひやりとしたその感触は否が上にも現実だということを、
彼女へ思い知らせる。
(ここから、出なきゃ!)
だが、自分が囚われたままでいれば、カイルたちが不利になるのは明らかだ。鉄格子へ取りついて、
その隙間から少しだけ顔を出した彼女へ、
「大人しくしてないと、ダメだよ」
どうやら見張り番をしていたらしいロブが、おずおずと声をかけてきた。
「ロブ!? 傷は治ったの?」
「ああ、うん」
彼女の二度目の問いに、彼は目を伏せる。
「ねえ、お願い、ここから出して!」
「…そんなこと、僕に出来るとでも?」
恵美の懇願に、彼は苦しげに首を振る。なるほど、傷はもうすっかり治っていて、着ているものも
ミネルバ・ゲリラにいた頃より、ずっといいものだ。
「私、ね」
恵美は、あきらめず、彼へ話しかけ続ける。
「ここへ来たのも、多分偶然だけど、自分が置かれたその場、その場で自分で出来ることを精一杯やりたいの。
逃げてちゃだめってことを、カイルやダリスやミューゲが教えてくれた…一生懸命『今』を生きろって。
貴方は?」
「…僕?」
びくりと肩をつぼめ、彼女から目を逸らして、ロブは俯いた。
「僕は…カイルやダリスみたいに『特別な力』を持ってない。ましてやディオに逆らうなんて、狂気の沙汰だよ。君たちは…
シーダに選ばれた人間だから、そんな風に言えるんだ」
「私は異世界の人間だよ?」
その言葉に、ロブははっと恵美の顔を見つめ直す。
「カイルに連れられてやってきた、何の力もない日本人だよ? 知らないうちに、貴方たちの戦いに巻きこまれて、こうやって
捕まって。こっちだっていい迷惑だって言いたい。だけど」
ロブの目に、自分の顔が一杯に映っている。それを見ながら、
「だからって、逃げてちゃいけないって、思うんだ。自分の今を精一杯生きるんだって」
「エミ…」
ロブの手が、つ、と動いて、牢屋の扉が開いた。
「…今なら大丈夫。ここにいるのは僕だけだから」
「ロブ!」
「シッ!」
感謝の叫びを思わず放った恵美を制し、ロブは素早く辺りを見回す。
「これから、どうするんだい? 君なりの、勝算はあるの?」
「もちろんよ!」
…それから数分後、ゴーグルをつけた二人の兵士が、その牢屋部屋からこっそりと抜け出した。



『もうすぐ帝都だ』
ダリスのテレパシーが、頭に響いてくる。
点在する集落の明かりが、大きな河を越えて密集するそれに変わり、やがて前方に大きくそびえるゼノン司令塔が見えてきた。
『武器の準備、しておけ』
ヘルメットが二つ、それへ頷いて答える。
眠らない街へ、まるで流星のように、3つのエア・モービルはぐんぐん速度を増して近づいた。
『あまり近づくと、迎撃システムが怖いからね。ここいらで降りよう。私はアイツらに連絡する』
それに賛成して、司令塔に程近い、とある高層マンションの近くへ静かに音を立てて彼らは着陸した。
「…やれやれ、偶然かね」
ヘルメットを脱いで、懐かしそうにそのマンションを見上げ、カイルが笑う。
「俺の住んでたマンションだよ、ここ。まだ部屋、無事にあんのかな」
「ディオをなんとかして、また戻ってきましょうよ」
「言うじゃないか、先生」
ミューゲの言葉に、ダリスがにやりと笑ってその頭を撫でる。柔らかい空気が流れた次の一瞬、
「そこで何をしてる! 市民は外へ出るな!」
彼らの背後で、鉄の匂いがした。肩をすくめて顔を見合わせながら、それでも両手を上げて、
カイル達は振り向いた。
「念の為だ。市民IDを見せろ」
近づいてくる兵士達は4人。こちらよりも一人多い。瞬時にそう見て取って、
「はい、失礼!」
カイルがまず、先頭の一人のみぞおちへ、拳を入れる。
「なっ…がっ!」
「カッコつけんじゃないよ、全く!」
そしてダリスが、飛びかかってきた兵士の一人の後頭部へその長い足で、回し蹴りを食らわせる。
「こいつらめ! 大人しく…!?」
「そこまで。そちら様こそ、大人しくしないと撃ちますよ?」
他の二人の兵士が、小さなミューゲへ飛びかかろうとしたが、一瞬早く、彼は懐から出したレーザー・ガンをその鼻先へ
突きつけていた。
「座ってもらえませんか? 目線が高くて」
「お前ら、一体何者だ」
バカ丁寧に、しかし脅しの文句を口にする子供へ従わされ、渋々道路へ座った兵士達は、悔しそうに彼らを見上げた。
「この顔、知らない? 結構有名人ですよ」
「ほっとけ!」
「まあまあ、事実じゃないか」
カイルを指差すミューゲの言葉に、彼は顔を真っ赤にして怒鳴る。
それを呆れたようにとめるダリス。その3人を見て、残った二人の兵士達は
「お前ら…この反逆者が!」
と、思わず身体を浮かせて飛びかかろうとした。
「だから、動くなっつってんの」
だが、すかさずカイルの素早い蹴りが繰り出される。そして、
「戒厳令が出されたとさ」
まだしぶとく意識を残していた一人の兵士へ、さいごの一撃をくれ、カイルは埃を払って立ち上がった。
「あら最悪。それで『戻れ』だの、『外へ出るな』だの言ってたわけだ」
ダリスもまた、開いた胸元を気にしながら、司令塔を見上げる。
「ま、どっちにしてもかまわないさ。ここからなら、ひとっ飛びなんだろ?」
カイルも同じように司令塔を見上げながら、ミューゲの肩を叩き、
「頼むぜ、先生」
「任せて下さい。だけど、エミの居場所は…わ!」
ミューゲが言い終わらないうちに、その司令塔の一部分から発せられた大音響が、辺りを揺るがせる。
「…あれだ」
「なるほど」
「分かりやすくていいじゃないか」
カイルは、その煙を指差して苦笑する。同様に苦笑しながら、他の二人も納得したように頷いた。
「では、参りましょうか。しっかりつかまっていてくださいね?途中で落ちても知りませんよ」
「いいから早くしろっての」
「ああもう、うるさいね、アンタたちは!」
ひとしきり騒いだ後、一筋の光が、そこから司令塔へ向かって飛ぶ。彼らが去った後には、
地面へ伸びた4人の兵士達が転がっていた。



「…君、意外と派手だね」
「あはは、自分でもこんなになるなんて思ってなかったけど?」
煙はまだもうもうと上がっていて、司令塔の廊下を黒くしている。
その中を非常口へ向かって駆けていきながら、ロブは恵美へ、呆れたような微笑で話しかけた。
武器庫へ爆弾をしかけて、混乱を誘い、その隙に乗じて逃げ出す。
彼女が立てた『計画』は、さほどかように単純な、おそらくディオやクランツには通じないだろうものだったが、
それでも厳戒態勢を敷いて緊張していた兵士達には、それなりの効果があったらしい。
派手な爆発音が司令塔を揺るがして、途端にがなりだす非常ベルと、警告灯の赤い光の中、
右往左往する兵士達は、彼らがどこへ走っていくのか確かめるどころではない状態だった。
「ほら、あそこ! 出よう!」
丸い廊下の突き当たりに、それらしき扉が見える。ロブが指差して叫び、恵美も一層足を速めた。
が、
「…裏切りは許さぬ」
ぴしり、と、小さな音がして、恵美の足もとの床に穴が開いた。思わず足を止めて振り向く彼女の目に、
仮面で顔を覆った、長い銀髪の男が映る。
「…ディオ」
ロブが震え声で呟くように言い、恵美は改めてその男を見直した。
何の武器も携えていない。白いマントを翻し、長い軍靴の音を響かせながら彼はゆっくりとこちらへ近づいてくる。
「…私の、新しい『女神』だ。無断でどこかへ行かれるのは困る」
「私は貴方の『女神』なんかじゃありません」
恵美がそう言うと、彼が仮面の下で、小さく苦笑する気配がした。だが、それにかまわず、
「それに、もしも私を捕らえて、カイルをおびき寄せるっていうのなら、それも無駄です。
だってカイルは私じゃなくて、ユーリさんを」
言いかけて、息を飲む。
…自分でも気づかないうちに、涙が零れている。
「ユーリは役に立った」
慌てて涙を拭く恵美へ、尚も近づき、ディオは楽しげに言う。
「だが…それだけだ。確たる私の帝国を作るためには少々足りない。
もっともっと、私の『役に立つ』人間が必要だ。私の存在意義を認めて、その上で役に立つ人間が」
「…居場所が欲しいの?」
恵美の言葉に、ディオは彼女へ伸ばしかけていた手を止めた。そんな彼へ、恵美は長い間思っていたことを口に出す。
「貴方の存在意義を認めてくれる人が、って。ひょっとして、貴方は」
「うるさい」
ディオは、思わず狼狽しかけて、慌てて彼女の腕をつかんで引き寄せる。
「…私にとって、私以外の人間は」
怯えて、しかしそれでも精一杯彼を睨み上げる恵美へ、その顎を上向かせ、
「役に立つか、立たないか、それだけだ。だが」
仮面の下で、楽しげな声を取り戻した。
「面白い。ひょっとしたら、君自身が、私が求めていた答えなのかもしれんな」
「エミ!!」
戸惑っていたロブが叫んで、彼女をディオから引き離そうとする。
「甘い」
「ロブ!」
しかし、ディオが言って、手のひらを一振りすると、それだけで彼の体は側の固い壁へめり込んだ。
「裏切りは、許さぬよ。…どうせ長くは持つまい。自分の命が消え逝くのを、その身で確かめているといい」
ロブは、口の端から血を流して、苦しげに咳こんでいる。どうやら、その物音でやっと、ディオの居場所を見つけたらしい。
クランツとセルゲイがあたふたと廊下を曲がって駆けつけて来る。それへちらりと目をやったディオへ、
「貴方なんか!」
叫んで、恵美が空いていた手を振り上げた。
小気味よい音と、床へ仮面が転がる澄んだ音がして、ディオの顔は横を向く。
「…これは手厳しい」
「あ、ああ…う、そ…」
やがて、恵美の手をつかんだまま、ゆっくりとディオは彼女へその顔を戻した。
驚きのあまり、彼女の体がよろめくのをその体で受けとめる。
「か、閣下…その顔は!」
セルゲイも叫び、しかしクランツは何故か観念したように目を閉じて顔を伏せた。
「分かったろう? 私には君が必要だ。恐らくカイル以上にな」
ディオは、その顔で楽しそうに笑い、そして再び鳴り出した非常事態を告げるサイレンの音へ顔をしかめた。
「…他の虫か」
「私が」
ディオの呟きに、クランツが駆け出していく。
「さて、君を聖域へ連れていかなければならないが」
それを見送りもせず、カイルの顔でディオは楽しげに続けた。
「その前に、こちらの虫も退治しておかねばな」
「ひ、あ、閣下!」
恵美の手をぎっちりと握って離さないまま、ディオはセルゲイヘ近づく。
「ど、どうして…俺、いや、私は貴方へあんなにも尽くして」
「腹の中で舌を出していたろう」
「そんな、あ、違…っ」
なおも動くその口を、片手でふさぐように持ち上げて、ディオは笑う。
「…眠れ、良い子よ」
「あ、がぐ!」
「いやああ!」
ばしゅう、と、音を立てて、セルゲイの頭が吹き飛ぶ。初めて見た凄惨な光景に、恵美は思わず目を閉じて
激しく首を振った。

…そして彼らは出会う、彼らが1番慕っていた『兄』と。
「お前らでは相手にならん。俺が引きうける」
下がっていろ、と、手で合図して、彼はこちらへ向き直る。
初めてカイルが『捕らえられた』あの日のままに、ぴかぴかに磨き上げられた帝都司令塔の床へ、
彼らの歪んだ顔がはっきりと映った。
「…どうあっても、ディオの元へ行くか」
「クランツ」
カイルは哀しげに、その顔を見た。カイルたちが通ってきた司令塔の部分は、すでに完膚なきまでに
使い物にならなくされている。けれど、クランツが立ちふさがっている場所から向こうは、あの懐かしい司令部のままだ。
「エミは、どこにいる」
「ディオの元へ行くのなら」
互いに限りない懐かしさと哀しみを覚えながら、しかし1番可愛がっていた『弟弟子』の問いに答えず、
クランツは腰のサーベルを抜く。びり、と、破壊された天井から覗くケーブルが音を立てた。
「俺を倒せ」
「クランツ!」
「ダリス? 久しぶりだな。…お前のことだから、きっと帝都へやってくると思っていた」
輝く金髪の女性へ微笑み、クランツはしかし、すぐに真顔に戻る。
「ムーザの麒麟児もいるか。ならば好都合。俺の手で苦しまずに死なせてやる。せめてもの慈悲だ」
「貴方だって、ディオのやり方が、心から正しいとは思っていないんでしょう?」
ミューゲの言葉で、クランツの顔は苦しげに歪んだ。
「だったら、だったら貴方は敵じゃない!」
「麒麟児よ」
その顔のまま、クランツはむしろ静かな口調で告げる。
「カイルを倒せば、お前たちの組織など霧消するだろう。手出しはしないでもらいたい。カイル、来い!」
「…この剣、さ」
どうあっても『兄』の心は変わらないらしい。カイルは泣きそうになるのを堪えながら、背中に負う剣を抜いて、
「アンタにもらったんだぜ? 俺の…1番大事な剣だ」
その手に生じた光をそれへ移動させる。
「だから、俺はアンタを殺す」
「よく言った」
クランツが答えた途端に、ぴりぴりと空気が引き締まる。固まったように動けないダリスとミューゲの見守る中、
彼らは間合いを測りながら、互いへ殺気を向ける。
刹那。
光が交叉した。互いに互いの位置を変え、背を向けて立ち尽す。
「カイル!?」
駆け寄った二人へ、泣きそうに顔を歪めつつVサインで答えて、カイルはゆっくりとクランツを振り向いた。 
「…大きく、なったな、カイル」
口の端から、つ、と、赤く細い筋を流して、『兄』はやっと心からの微笑を見せている。
「クランツ」
そのまま大きくよろめいた彼の体を、カイルはしっかり支えながら、ついに涙をこぼした。
「わざと、やられたろ?」
「…はは、お見通しか」
ダリスとミューゲが、その会話に驚いたような顔を見合わせる。床へそっとクランツを横たわらせると、
彼は眩しそうにカイルを見つめた。
「ディオを止めろ。力だけでは、人はついてこない。…俺だけはあの人の側にいて、誠を尽くそうと思っていたが…限界だ。
望まれていないものは滅びなければならない、そうだろう?」
「クランツ…クランツ」
「泣くな」
震える片手でカイルの頬をなで、クランツは苦しげに微笑む。
「ディオの行き場所は、聖域。知っているだろう、司令塔7階、4−D脱出口。セルゲイらが捕らえてきた娘と一緒に、
ディオはおそらくそこから聖域へ飛ぶ。止められるのは、お前だけだ…ディオの顔を持つお前だけ」
「え?」
クランツの言葉に、カイルは耳をそばだてた。
「どういうことだよ? 俺の顔、俺の顔が?」
「…気をつけてゆけ、ディオと魂を共有する者よ」
「クランツ! 死ぬな。教えてくれよ。一体どういうことなんだ?」
しかしカイルの叫びには答えず、もう一度ため息をつくように微笑んで、クランツは目を閉じた。
「…急ぎましょう」
そっと彼の体を床へ横たえたカイルへ、ミューゲの震える声が言う。
「なにもかも、ディオに会えばはっきりする。エミも彼とともにいるのなら」
「分かった! よし、行くぜ!」
「…そう、その意気だ」
ダリスが、カイルの肩を叩く。再び彼らはミューゲにつかまって、クランツの残した言葉の通り、聖域へつながる道へ移動する。
もはや帝都の兵士達は、彼らになんの手出しもできず、ただ一連の出来事を見守っていた。



「さて」
そしてディオは、恵美の手をぎっちりつかんで、おもむろに向きを変える。
「出立せねばな」
「は、放してよ! 痛い!」
しかしその叫びには答えず、ディオは床に落ちて鈍い光を放つ仮面を拾い上げ、再びそれで顔を覆った。
「今度こそ、女神の力を我が手中へ。それには君がぜひとも必要」
カツ、と、軍靴がなる。なんたる偶然か、聖域へと通じる脱出口は、ロブがめりこんでいる壁の向こう。
片手で恵美をつかまえながら、そちらへ足を向けて、ディオは無造作にもう片方の手で、断末魔のうめきを上げている
ロブを持ち上げ、床へ転がした。
「や、やめなさいよ! ロブ!!」
「彼奴はもう助からぬ。それに役立たずだ。ただの、肉塊よ」
「あ、貴方なんか、貴方なんか、ただの人殺しだわ」
憎しみに燃える恵美の目を見て、ディオは仮面の下の顔を歪めた。
「…カイルとて同じだ。ヤツはムーザの首領を殺した。違うか」
「違うわ! だって、カイルは…貴方がやらせたんでしょ! ずっと、ずっと、そのせいで苦しんで…」
「…その通りさ」
二人が背を向けていた方角から、新たな声がする。
「クランツは破れたか」
「カイル!」
背を向けたまま、ディオはむしろ楽しそうに言った。
「エミを放せ」
「ならぬな」
振り返って、仮面の下からディオは見る。自分と同じ顔、自分と同じくシーダによって星とされていたもの、
そしてシーダの手から逃れて地上に降りた自分を追うべく、シーダによって封印を解かれたもの。
そして彼が放り投げた肉塊、ロブへと駆け寄る、ダリスとミューゲ。
「君よりも、私のほうがずっと、この娘を必要としている」
「贄、なんだろ! ただの生贄だ!」
その後ろに、ダリスとミューゲの姿も見える。二人とも油断なく、銃をディオへ構えている。
「それがどうかしたか。帝都には」
ぐい、と、恵美を引き寄せて、その苦痛に歪む顔を楽しみつつ、
「私が必要だ」
ディオは言ってのけた。
「カイル! ロブ、ロブを助けて!」
怒りに燃えていたカイルの目が恵美へ注がれ、そこから一瞬殺気が失せる。
「君らに構っているヒマはない」
その一瞬で、ディオはそう言い捨てて、崩れた壁の向こうへ移動していた。
「失敬」
恵美の手を終始離すことなく、そこから馬鹿にしたような声が、笑いを含んでカイル達へ投げつけられる。
「聖域へ行くんだ。追いましょう!」
「待て! ロブから事情を聞く!」
カイルへ訴えたミューゲの肩を、しかしダリスが止めた。
「まだ息がある。助からないが、こいつなら何か知ってるはずだ」
「ダリス…? ごめん」
その声に、うっすらと目を開けて、ロブが苦しげに言う。
「本当に、ごめん。僕は…セルゲイにのせられて、君を裏切った」
「…話せ」
目は開けているが、ほとんど見えていないだろう。その手をしっかり握り、ダリスは励ますように、
床に転がっている彼を見つめた。
「ミューゲとダリス、二人を反目させること…それが、父から受け継いだ僕の役目…君たちは、本当の姉弟だったのに…」
「なんだと!?」
ダリスとミューゲは、愕然と顔を見合わせる。
「まだ、ある」
ロブは苦しげに咳をして、いっしょに血反吐を吐く。だがそれでも、
「カイルは、ディオの半身。神話は事実だった。シーダそっくりの女の子を泉に捧げて、ディオは力を得る。
だけど、力だけじゃ、あの人は『完全』ではないから、いずれカイルも自分の中に取り込んで…」
力を振り絞ってそれだけを言い、目を閉じた。
「…そこの頭のないのは、セルゲイか」
ダリスが、そっとロブの両手を胸の上で組ませて、ぽつりと呟く。
「終わりにしましょう、僕らが!」
「…だな」
ミューゲの言葉に、カイルは哀しげに微笑んだ。
(終わりにすれば、ひょっとして俺は?)
しかし、そんな思いをおくびにも出さず、
「行くか、聖域へ! 行けるよな?」
わざと声を励まして、彼はミューゲの肩を叩く。
そしてその晩、眠れずにいた帝都の人々は、珍しく暗い夜空を見上げて、2番目の大きな流星へ驚嘆の叫びをあげたのだ。



「相変わらず立ち枯れている」
脱出口はきちんと機能していたらしい。
そこから送りこまれて、瞬時に聖域へ移動したディオは、やはり恵美の手を離さないまま呟いた。
つかまれた手の痛みを堪えながら、なんとか自力で大地へ足をついた
恵美も、つられて辺りを見回す。
先ほどまで光っていた月は、現れはじめた黒い雲へ覆われていきつつある。
そのせいで立ち枯れている木々も、より陰惨な印象を深めているのだ。
元は緑豊かな聖なる場所だったのだろう。だが、一旦は復活していたはずのその泉も、再び哀れさを
催させるほど無残に底をさらしている。
(あれ? あれが、ひょっとしてユーリさんの…)
「その通りだ」
恵美の視線を追っていたらしい。ディオは彼女の考えを読んだように頷いて、そちらへ恵美を引きずっていく。
「あれが、君にうり二つのユーリの眠る場所。かつては泉の底だった。だが…」
かつて岸辺だった場所まで来て、彼はぴたりと足を止め、俯いた。
「今は無残なものだ」
「どうして」
「決まっている」
恵美が思わず呟いた言葉に、ディオは笑って、
「新しい贄が必要だからだ。ユーリでは10年も保たなかった。だが、異世界の住人なら、君ならあるいは?」
ぐい、と、恵美を前へ引き寄せる。
「カイルが送られた異世界で見つけたという君なら、あるいは」
「い、やだ! カイル!」
「ヤツが来るまでには、事は済んでおるよ」
仮面の下で、ククッ、という笑い声をもらしながら、ディオは再び彼女を引きずって湖の底へと降り始めた。
「ご覧じろ。まさにうりふたつだ」
そして棺の側までやってきて、彼女をつかんでいた手を乱暴に離す。
思わずよろめいて棺に尻餅をついた恵美は、その下に、変わらぬ姿で横たわっている、自分と同じ顔の女性を見てぞくりと身震いした。
「怖いことは無い。君も私の力となるのだから」
「…なるもんですか! 私はユーリさんじゃない!」
ディオが近づいて、彼女の首へ両手を伸ばしてくる。辛うじて身を交わす
恵美と、楽しげにそれを追うディオの上へ、いつしか細かい雨が降り始めていた。
「あ!」
そして彼女は、湖の底の石につまづいて、尻餅をついた。
「…精霊と地母神シーダの名において」
ディオは、楽しそうに言葉をもらしながら近づき、彼女の首へ両手を回しかけた。
「私の新たな力となれ…君をこれからも、『愛する』ことを誓う」
だが、そこへ、
「あいて! お前なあ、俺になんか恨みでもあんのか!」
「人を酷使するからですよ! 2人も運んだから目測が狂ったんです。それに恨みはあっても今は昔の話ですよ」
「冗談言ってる場合か、おー、いて」
突然、ドスン!という音が響き、賑やかな声が立ち枯れの森へ響き渡る。
やはり尻餅をついたまま、しばらくは団子状態になっている、懐かしい3人の姿を、恵美は認めた。
「カイル!!」
思わずそちらへ気を取られたディオの隙をついて、彼女はそちらへ走り寄る。それをしっかり抱きとめて、
「エミ! 良かった、無事だったんだな! ディオにまだ、何もされてねえな?」
「う、うん。殺されかけたような気もするけど」
「バカ。それが『何かあった』っていうんだよ! てめえ!」
恵美をその背中へかばい、カイルはディオを睨みつけた。
「また同じ過ちを繰り返すつもりか!」
「…これは『反逆者』の諸君」
ゆらりと立ち上がって振り向き、ディオはゆったりとした足取りでカイルへ近づいてきた。
「『過ち』ではない。これは、大いなる未来への一歩なのだ。
大人しく彼女を渡せ。そうすれば、世界は元のまま、丸く収まる。私もこれ以上、無駄な血を流さずにすむ」
「ほざいてんじゃねえ!」
カイルは、すらりと背の剣を抜き放ち、叫ぶ。
「自分一人で出来る事なんて、そうそう大きくねえんだよ。てめえ、何様のつもりだ? ユーリを殺し、自分の命令に従わない
人を殺し…神にでもなったつもりか!」
「それは違うな」
するとディオは、その両手を広げて答えた。ぽう、と、かすかな音を立てて、その手のひらにひとつずつ、炎が灯る。
「神にでもなった『つもり』、ではない。なぜなら」
ディオの仮面の下から言葉が紡ぎ出されるたび、その炎がさらに大きく燃え盛る。
「私は、『神』に等しい存在だからな」
「くそっ!」
ディオが言い終わった途端に飛んできた二つのその炎を剣で断ちきり、カイルは恵美をダリスやミューゲの
ほうへ押しやっりながら、ディオへ向かって跳躍した。
「お前はよ、いつだって!」
長い剣をディオへ振り下ろしながら、カイルは叫ぶ。
ひょい、と、それを避けながら、ディオもまた、跳躍する。
「俺らにそのツラを見せないで来たよなっ!」
「カ、カイル!」
思わず足を踏み出した恵美を、しかしダリスが抱きとめて、
「今、出るんじゃない。私らが出ても、アイツの足手まといになるだけだ」
「だ、だけど、だけど!」
「…待て。まだ機会は到来しちゃいない。待つんだ」
ダリスは、あくまで恵美を抑えて、謎のようなことを言う。剣と、炎のせめぎあいの音だけが、静かな森に響いている。その中で、
ダリスは明らかに何かを待っている。
「何を待つの? 待ってたら、カイル、カイルは死んじゃうよ」
もはや涙ぐんで彼女を見上げる恵美へ、微苦笑をもらしてダリスは懐から携帯電話を取り出した。
「私だ。急げ…ああ、完了したか」
どこかへ連絡を取っているらしい彼女は、そして電話を切り、
「カイル! 仲間からの連絡が来た!」
小雨に濡れた金髪を、鬱陶しそうにかきあげて、カイルへ叫んだのである。
「…よっしゃ!」
その叫びを聞きとめて、カイルはさらに勢いづき、ディオへ剣を繰り出す。
「何をした?」
ディオが動揺した様子が、かすかにだが確かにカイルの剣先へ伝わってくる。それへにやりと笑ってみせ、
「ユーリはもう、てめえのモンじゃねえ!」
カイルは右手の先へ力を込め、そのままその力を移動させた剣をディオへ思い切り振り下ろした。
「だ、だめ! カイル!」
「エミ?」
恵美はしかし、カイルの行動へ向かって叫ぶ。ダリスやミューゲが、不審気に彼女の顔を見つめたその時、
カラン、と、澄んだ音を立ててディオの仮面が地へ落ちた。
カイルの剣先が、彼の攻撃を髪の毛一筋で交わしたディオの、その仮面をかすったのだ。
…さらさらと、細かな雨はディオへも降り注ぐ。
顔にかかった長い銀髪をさらりと跳ね除け、彼は、剣を構えなおして自分を睨んでいるカイルを静かに見つめ返した。
「…ああ…そういう、こと、だったのか」
凍りついたような沈黙の後、カイルはようやく声を絞り出す。
「そこの勇気あるお嬢さんは知っていた」
静かに笑みを浮かべ、ディオは露になった素顔で、立ちすくんでいる
恵美と、彼女を守るように立っているダリスやミューゲをちらりと振り返る。
「まこと、君には惜しい女性だ。私の頬を打って、私のこの顔を見たのだから。格好の私の『力』となり得る。カイル、君も」
言いながら、再び両手にひときわ大きな炎を生じさせ、
「彼女ともども、私の『力』になるがいい。…失われた私の半身は、君が私の中へ戻ることで蘇る。
そして私は、完全な存在になる」
「…させるかっ!」
カイルもまた、自分と同じ顔をしたディオを見つめ返して叫ぶ。
「ユーリはなあ。もうてめえのモンじゃねえ! 俺だって、エミだって、てめえの思い通りにはならねえ!」
「…はは、これは」
小バカにしたような笑みのまま、ディオは一歩、カイルのほうへ踏み出した。
「また謎のようなことを言う。ユーリが私のものでないと? どういうことなのかな」
問いかけざま、両手の炎をカイルへ向かって投げつける。
それを驚くべき素早さで左右へ振り払い、
「ダリスの手下がな」
にやりと笑い、カイルはディオの懐へと大きく踏み込んだ。
「地面を掘って、泉の底から、ユーリの棺を運び出したんだよ!」
「な…に!?」
ディオは真偽が分からず、カイルの剣先をよけながらも、しかし確実に動揺した。
カイルの繰り出す剣が彼をかすめ、ビッ、と、小さな音がして、ディオのマントが裂ける。
カイルはなおもそれへ剣を振るいながら、
「ゲリラの役得ってやつだよな? 持つべきモンは友達だぜ!」
「馬鹿言ってんじゃないよっ! 全く!」
ダリスの呆れた叫びにも、にやりと笑い返した。
「…私は負けぬよ」
「うあっち!」
その一瞬の隙を見逃さず、ディオは怒りを込めた力を、カイルへ向かって投げつける。辛うじてよけたものの、
思わず尻餅をついたカイルへ、ディオは無表情に、しかし怒りをたぎらせて近づいた。
「ユーリの眠る棺を勝手に動かした…重罪だな」
ぐっと握り締めた両手は、その場に居合わせた全員の目を射抜くようなまばゆい光を放ち始める。
「死ね」
ディオは、拳を開いて合わせた両手を振り上げる。その瞬間、
「カイル!」
ミューゲやダリスの脇をすり抜けて、恵美が飛び出す。
「エミ!」
カイルが叫ぶ。ダリスとミューゲが慌てて駆け寄る。
…ゆったりと、スローモーションを見ているような動きで、恵美の体が宙を舞い、どさりと音を立てて地面へ投げ出された。
「エミ…エミ!」
彼女の側へ駆け寄り、その体を抱きしめてカイルは呼びかける。
駆け寄ってきたダリスやミューゲも、思わず地面にへたりこんで、瞳を閉じた恵美の様子をただ見守るのみだった。
「…手間が省けた」
とっさの出来事で、さすがにしばらく呆気に取られていたらしいディオは、それでも気を静め、彼らのそばへ近づいていく。
「そこを退け。…彼女は私の『新しい力』だ…何度でも言おう。君には過ぎた女だ」
「…んだと?」
彼女を抱きしめたまま、カイルは立ち上がって、近づいてくるディオを睨みつける。
「何故分からねえんだよ!」
「…また謎のようなことを」
ディオは彼の言葉に、目を閉じて笑う。それを睨みながら、恵美の体をそっと
ダリスへ預け、カイルは涙を流す。
「てめえはな、そうやっていつだって、てめえの心の中の大事なものまで
無くしてきたんだぞ…なんで分からないんだ!」
「な…!?」
思わず足を止めたディオへ、
「…おおおおっ!!」
カイルは叫ぶ。その体から生じた光は、辺り一帯をまぶしい光で覆い尽くした。


…続く。

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