Re-production H




「背後にも気を配れ! 暗いところに踏み込むな!」
先頭に立って緑の集団を追いかけつつ、田垣は時折火炎をそれらへ向かって吐き散らす。
その都度、蔓をこちらへ伸ばそうとしていたそれらはひるみ、さらに奥へと、意外な
素早さで逃げ続けた。
それを、美佐の手を引っ張りながら、田垣もまた素晴らしい速さで追いかけていく。
が。
「二尉…!」
「どうした!」
一行の後部で田垣を呼ぶ悲鳴が上がり、全員が一斉にそちらを振り向いた瞬間、
一行の最後尾を走っていた隊員の姿が、再び緑に包まれた。
「くそ…っ!」
どうやら少しでも暗がりがあると、それに乗じて活動が旺盛になるらしい。
田垣も焦りと恐怖を含んだ叫びを小さく上げて、そちらへ火炎放射器を振り向ける。
しかし、それより一瞬早く、緑の蔓がその隊員を解放した時には、その中に包まれたはずの
隊員の姿は『一欠けらも』残ってはいなかった。
「…走れ!」
そして気がつけば、その方向からさらに何かがざわめく音がする。肩で息を着いていた
田垣が再び叫んだ。もはやその声は金切り声に近い。
(…真紀子さんたちは大丈夫なんだろうか)
恐怖と焦燥で、時折足をもつれさせそうになりながら、美佐は田垣について必死に走った。
ライトに照らされる洞窟の床には、やはり緑の体液が吐き気を催すほど大量に落ちている。
それははっきりと、とある方向へ向かって伸びていて、
「何かが回ってる音がするぜ」
とある場所で、田垣はふと足を止めた。そこは道が斜めに左右に分かれていて、緑の液体は
右へ向かって点々と落ちている。『音』は、どうやら反対側の左から聞こえてくるらしい。
「…行ってみるか?」
彼の言葉に、美佐はこっくりと頷いた。あれだけ大量の緑の液体が落ちているのだから、
少しの『寄り道』をしても後は追える。そして、
(山川君…!)
左の道の先は行き止まりになっていて、そこにはぽっかりと穴が穿たれていた。
その中には、つい先ほどまで人のいた気配がしている。それに何よりも、『部屋』の
中に置かれた大きな机の上に横たわっていたのは、
「…死んでんな」
田垣がぽつりと呟くように、青白い光を放つ山川の死体だった。
「首、に、何か鋭いモンで着られたような痕と、締められた痕。こいつは多分」
自衛隊員に『入口』を警戒するように言ってから、田垣は山川の死体を厳しい目で
検分し始める。
「首を絞められて意識を失った痕で、切られた。そんなトコだろ。教授センセイの弟子か?」
「…死んでる、ん、ですか」
「ん…ああ」
呆然と呟く美佐へ、気の毒そうな目をして田垣は頷いた。
「どうして…」
「アンタにも想像つくだろ、お嬢さん。しっかりしろ」
床へヘタヘタと崩折れそう彼女の腕を取り、支えながら、彼は逆に厳しい声で、
「一番最初に俺ら発見した『研究室』の中の血は、多分コイツのもんだ。コイツは、
人間に首を絞められて、切られた…殺された、それは確実だ。そしてを殺すことが出来た
『人間』は? 酷な言い方だけど、そいつは一人しかいないじゃねえか」
「…」
(…お父さん!)
田垣に腕をとられたまま、美佐は思わず両手で顔を覆った。
(あれだけ気に入っていた山川君を、どうして)
美佐は何も言わなかったが、父もいずれは山川を美佐の『婿』にしてもいいと、そう
いう目で見ていたに違いないのに、
(どうして)
「お嬢さん。お取り込み中悪いんだが、こいつも見てくれ」
冷徹とも思える田垣の言葉が、こういう状況の中では反ってありがたい。とりあえず
大きく深呼吸をして目を開けると、田垣は遠心分離機の中を覗き込んでいる。それは今も
かすかな音を立てて、中の物を忠実に回転させ続けており、
「動力源とか、まだあったんだな。旧日本軍のを転用したのか…?」
田垣が珍しそうにそれを見ながら言う。美佐が中を覗き込むと、そこにあるのは六本の
試験管で、
「…血…」
「やっぱりそうか」
美佐が呟いた言葉に、田垣もまた確信を得たように頷いた。
どうやら『処置』を施されてかなりの時間が経っているらしい。美佐は震える手を伸ばして
そのスイッチを切った。
「…俺が取り出してもいいか?」
「はい」
しばらくして回転を止めた機器の中へ、手を伸ばしながら田垣が言う。美佐が頷くと、彼は
さらにその中へ手を突っ込んで、試験管の一本を取り出した。
乏しい明かりの中にすかすと、試験管の中の液体は透明な部分と赤い部分とにほぼ分離されている。
「こりゃまた見事に分かれたもんだ」
ふざけたように言う田垣の表情は、しかし依然厳しい。
彼もまた、今はその血が誰のものであるかを十二分以上に知っているわけだが、
「何に使うつもりだったんだろう」
呟くように言うように、その『用途』は美佐にも分からない。が、
「…ここで待っていれば、父はまた戻って来るでしょう」
美佐が呟いたように、それだけは確実に言える。
入口の左手には、『研究室』で見たのと同じような大きな瓶が、それこそ壁面を覆うばかりに
並んでいる。その反対側には粗末な机と、椅子にかかっている見覚えのある白衣があって、
(お父さん…)
娘の恋人を殺したのは、紛れもなくその父なのだと、嫌でも美佐も認めざるを得ない。
「そうだな。てめえの研究室なんだから、戻ってくるだろう。だが、その前に」
田垣もその、少し分厚い唇を歪めて、
「燃やせ。壊せ。跡形もなく消滅させちまえ」
ずらりと並んだ瓶を指差して、隊員へ号令をかけたのである。
途端に、隊員たちその瓶へ火炎放射器を向けた。一斉にその先から激しい炎が噴出して、
ガラスの割れる凄まじい音がする。中から飛び出してきた緑のものが苦悶する姿が見える。
その有様と、『燃えカス』を隊員たちが軍靴で踏んで消滅させているのを、美佐はぼんやりと
眺めていた。
(…こうするために、私はここに来たはずなのに)
父の研究の成果。それはこの世にあってはならないものを生み出すためのものだった。
それを止めるのは娘の自分の役目だと、田垣にも言ったし自分でも決意していたはずなのに、
(お父さんの、研究が)
妙な寂しさに襲われたのもまた事実。田垣たちが『後始末』をしているのを、ただぼんやりと
美佐は眺める。
「…とんでもないことをしてくれたね、君たち」
そこへ、入口から突然声がかかった。美佐を除く全員が、はっとしてそちらへ目をやると、そこには、
「お父さん…?」
うつろな目をぼんやりと向けた美佐が、怪訝そうに尋ねる。あれだけ「おしゃれ」だった父が、
変わり果てた姿でそこに立っているのだ。
「なんだ。誰かと思ったら美佐か。どうしてこんなところまで、お前がわざわざ」
その人物のほうも、自分の娘を認めたらしい。喉の奥で「ククッ」といった笑いを漏らしながら、
「私のことなら心配は要らないと言っているだろう。いつものことじゃないか」
言ったのは、まことに微笑ましい言葉である。しかし、今の状況において、
「私のことは心配要らない。今すぐ日本に帰りなさい。いいね?」
やけに『普通の』その言葉は、逆に、
(…狂ってる…?)
その人物…日野教授の精神が、すでにまともではないことを暗示していた。
「お父さん…」
父の背後から、あのおぞましいざわめきが聞こえてくる。足の隙間から、時折ちらちらと見える
緑のものに戦慄しながら、
「お父さんは、山川君を」
美佐は乾いた口の中へ何度も唾を流し込みつつ、ようやくそれだけを言った。
「ああ、彼か。彼には気の毒なことをしてしまった」
すると、返ってきた言葉はこれである。田垣を含む自衛隊員たちも、今更ながらこの高名な教授の、
尋常ではない言葉に思わずすくんだ。
「だが、私は彼をすぐに生き返らせた…君たちが壊した大きな瓶は、いわば山川君そのものとも言えるんだ。
そして今、私の後ろにいる彼らもね。人間に怯えて逃げ回るだけの、動く植物。新種の生き物かと思っていた
それを捉えて、動物ではない彼らを発見した時は驚いたよ。だが、私はすぐにそれを制御するすべを発見した。
今や彼らは、私の思うとおりに動いてくれるのだ」
一体、彼は何を言っているのだろう。娘や自衛隊員を前に、まるで大学の講義を展開しているような
口ぶりで、教授はむしろ嬉々としたように話し続ける。
「ほら、そこの遠心分離機」
教授の少し太い指が、彼らの背後を指し示した。思わずそちらへ目をやる彼らの方へ、
「山川君の血を分離して、血漿からDNAを取り出した。タミフル耐性患者の遺伝子を含む血漿を、
彼らから抽出した成分と混ぜ合わせてみたら、思った以上の成果が出たんだ」
教授は一歩、踏み出しながら、
「自分で栄養分を作りだしながら、意志を持ち、なおかつ自力で動く…そんな生き物へ、人間も
進化するべきだ。そうすれば、くだらない食物争いも起こらず、温暖化が進むこともない…ただ、
誤算だったのは」
遠心分離機から試験管の一つを出し、田垣がしたように明かりの中にそれをすかした。
「唯一の誤算だったのは、それらが反光合成をするということだった。太陽の光の中で光合成をしないと、
意味がない。『人間』はやはり基本的には昼間、活動する生き物だからね。さて」
そして彼らなどいないかのように背を向け、床に散らばった無残な生き物達の焼け跡へ目を落とし、
「また一から作り直しか。山川君の血液も、もうこれで最後なんだよ。もしや君らの中に」
再び顔を上げた彼のその目は、ぎらぎらと光り輝いていた。
「君らの中に、山川君と同じタミフル耐性患者がいたら」
「お父さん!」
美佐はたまらず、父へ抱きついてその名を呼んだ。
アマゾンで発見した、光合成をしながらかつ動ける『植物』に、父は自分が手を下した山川のDNAを
注入し、進化させたのだ。その結果、出来た生き物は…。
「おい! もういい、仕掛けろ!」
田垣が、油断なく美佐と教授を見つめながら、隊員たちを促す。たちまち散らばった隊員たちは、数人で
教授を抑え、残った人数で爆発装置を仕掛け始めた。
白いゴムのようなものを室内のあちこちへ張り始めて、そこへ電気の導線のようなものを接続させるのを見て、
「こら、何をする! 私の研究を、まだ邪魔するつもりか!」
教授は、手足をじたばたさせながら叫んだ。科学者の狂気は、もはや留まるところを知らないらしい。
「お前達、私を助けなさい!」
そして教授は叫ぶ。
「教授から離れろ!」
田垣が美佐をもぎ放しながら、かつ隊員たちへも叫ぶ。
美佐や隊員たちが教授から離れるか離れないかといった瞬間に、教授の背後から大量の緑の蔓が一斉に伸びてきて、
「悪い、お嬢さん! 俺を恨むなら、後でたっぷり恨め!」
田垣はそれへ火炎放射器を向けた。出力を最大にしたそれは、勢いよく帯状の炎を教授と緑の蔓へ向け、
「お父さん…!」
「今だ、出ろ!」
緑の蔓は、一斉になりを潜める。顔を抑えながら悲鳴を上げて仰け反った教授を抱え上げ、もう一方の手で
美佐の手を引っ張りながら、田垣は走り始める。
「爆破していけ!」
「はっ!」
つられて走りながら美佐が振り向くと、隊員たちは白いゴム状の起爆剤を、彼らの後ろへつぎつぎに
投げつけていく。
それは地面へ打ち付けられた衝動で、そのたびに小規模な爆発を起こした。揺れ動き続ける鍾乳洞の中を、
走っているうちに、
「田垣君、美佐ちゃん!」
どうやら出口付近まで出てきていたらしい。辺りの様子は先刻見た建物の中に変わっており、真紀子が叫ぶ声がして、
「一尉、爆破の用意をお願いします!」
美佐の手を離し、教授の体を地面へ放り出すようにしながら田垣が叫ぶのへ、真紀子も頷いた。
いつの間にか、外はうっすらと明るくなってきている。夜明けが近いらしい。
爆発にも怯まずに彼らの後を追ってこようとしていた緑の生き物達は、山の向こうから射し始めた
眩しい光に怯み、建物の中へ蔓を引っ込める。
その隙に、外に残っていた真紀子を含む隊員たちが、建物の壁に手早く起爆剤を装着し、
「全員、退避! スイッチ、オン!」
見守る美佐の前で、『旧日本軍研究室』の建物は、跡形もなく崩れ去った。
細かい石の粒が辺りに舞って、思わず美佐は強く目を閉じる。
やがて、
「…ま、これが一番いい方法じゃないかと思ったもんで」
「そうね」
田垣と真紀子が、苦笑しながらする会話を耳にし、美佐は再び目を開けた。
「後でまた別の隊員を派遣してもらって、コンクリート詰めにでもしてもらえば完璧じゃないかしら」
(…終わったんだ。終わったんだよね?)
大きく息を吐きながら、ふと地面へ目をやると、父は気を失ったまま、そこに転がっている。
「お父さん」
美佐はそっと声をかけながら、その側に膝をついた。
思わず顔をかばったせいで、両手に火傷をしたらしい。だが、それ以外は擦り傷程度といった軽いもので、
(帰ろうね、一緒に)
心の中で話しかけていると、空からかすかにヘリコプターの音が聞こえてくる…。

…to be continued.


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