Re-production G



5:狂宴

空を仰ぐと、日は西へ傾きかけている。まもなく夕暮れだというのに、密林の中は
うだるような蒸し暑さで、
(…疲れた)
見栄も何もなく、美佐は大きく口を開けて喘ぐ。
「…もう少しだ。だから頑張れ」
時折、田垣が振り向いて言うのへも、何も答えられずに彼女はただ頷くだけである。
あれらがいつまた襲い掛かってくるか分からない。周囲が全て緑なのであるから、
それが保護色になって余計に見分けがききづらいから、
(しっかり歩いて、早く密林から抜け出さないと)
「緑の中」へ留まることだけは避けたい。それは誰よりも美佐本人が良く知っているのだ。
「頑張って」
そしてまた一人。彼女を励ましてくれる人物が、その傷の痛みを騙し騙し彼女に同行して
くれている。それもまた申し訳なくて、
「…はい」
ようようその言葉だけを返し、美佐は大きく息を着いた。
道は相変わらずぬかるんでいて、一歩一歩を踏みしめないとすぐに足が滑る。視界の
四方全てに気を配っていないと、蛇や毒クモなど、いつ「あれ」以外の生き物に襲われるか
分からない。
(もう、どうでもいいかもしれない)
体力的にも精神的にも限界に近づいた頃、
「…あれ…ですかね。しっかし、あの前に『いる』のって」
再び、密林が途切れた。先頭を歩いていた田垣の足が止まり、美佐もうつろな目をそちらへ
向ける。そちらはちょっとした岩山のようになっていて、その肌をくりぬいたように、
何かの設備らしきものがあるのが見える。それは明らかに「廃墟」ではない、誰かがつい最近から
内部を整え始めた雰囲気を漂わせているばかりでなく、
(あ…あれって)
力を失っていた美佐の目は、たちまち驚愕に見開かれた。
「…燃やせ」
一瞬息を呑んだ後に、田垣が命じる。
「跡形もなく燃やしちまえ。もうすぐ日が暮れる! でないと俺らがやられんぞ!」
粗末な小屋を観てきた後では、その古臭い、ツタに護られた建物でさえ近代的に見える。
日没が近い薄暗がりの中、その建物を護るかのように前でかすかに蠢く緑のものは、
田垣の声にふと気付いたかのような風情で、こちらへ向かって気だるそうに『頭』をもたげた。
「燃やせ!」
田垣の号令で、隊員たちが手にした火炎放射器が一斉に火を吹く。まるで寝とぼけて
頭がはっきりしていない人間のように揺らめいていたそれらは、たちまち苦悶するように
蠢いて、次々に炎を上げて燃えていった。
岩穴の前で繰り広げられる『殺戮』。美佐の腰の辺りまでしかない緑の生き物が、炎の中で
のたうちながら燃えていくその有様を、
(なんて綺麗なんだろう)
額から滲み出る汚れた汗を手の甲で拭いながら、ぼんやりした目で見ながら美佐は思った。
「…少し残っちまいましたね」
やがてそれは終わった。大部分が無残に焦げてしまった緑の生き物の中の数体は、しかし田垣が
言うように、緑の色のままミイラのように干からびていて、
「水分が抜けただけ、ってな風に見えます。ひょっとすると雨が降ったら復活、なんてことに
なっちまったりして」
「ありえない話じゃないわね」
これが大学の中や、日本での出来事だったら、二人の会話をきっと何かの冗談として
笑い飛ばしていたに違いない。
「徹底的に燃やして。これの始末を終えたら、私達の後を追ってきて頂戴」
真紀子も真面目な顔のまま、二、三の隊員へ指示して、
「行きましょう、中へ。そのためにここまで来たんだものね」
美佐を促した。
すると田垣が、
「いいんっすか? お嬢さんにはここで待っていてもらったほうが…だって、きっと」
同じような言葉を、しかし初めてそう言った時に比べて余程情の篭った口ぶりで、
「中にはコイツと似たようなのがウヨウヨしてますよ。反光合成するんだったら、しかも
岩の中なら太陽光だって射さないし、中へお嬢さんを入れるのはヤバいんじゃ? 
もしもお嬢さんが入るなら、せめて俺らの手である程度始末をつけてからのほうが」
「ありがとうございます、田垣さん」
今では美佐も、心からの感謝の念でそう答えられる。彼へ向かってぺこりと頭を下げて、
「でも、あれは私のことを分かってるんでしょ?」
「おいおい」
言うと、田垣は呆れたように苦笑した。
「そりゃ俺もそうは言ったけど…そんなおとぎ話みたいな確証の持てないこと、科学者の
アンタが言うなよ。中は危険であることには変わりないんだ。逃げたヤツらだっているんだし、
まさか密林ごと燃やしちまうわけにはいかないし」
「だったら、外でも中でも、危険なのは同じじゃないですか」
美佐が笑って続けると、真紀子も思わず微苦笑を漏らす。
確かに、これから日がすっかり沈んでしまうと、外も中も日が射さないという状況は
あまり変わらなくなる。「あれ」らの活動期に入ることには違いなく、
「…一尉。貴女はもう、ここに残っていたほうがいいっすよ」
しばらくして、田垣が大きなため息と共に言った。
「二、三人、ここへ残していきますから、せめて俺らの後を他の『アレ』が追っかけて
来ないように警戒していてください」
「了解。正直、助かるわ」
すると真紀子も苦笑して、右手を己の左肩へ持っていく。薬の効き目はとうに切れている
らしく、時折彼女が顔をしかめていたのを、美佐でさえ気づいていたのだから、
「…気をつけて。残念だわ。もしここにいらっしゃるなら、私も先生にお会いしたかった」
真紀子自身も、このままでは自分が足手まといになると判断したらしい。言葉どおり、少し
悔しさを滲ませて笑う彼女へ、
「行って来ます」
美佐はきっぱりと言い放った。
「もしも中に父がいるんなら、行って、はっきりさせてきます」

…外で人の話し声が聞こえたような気がして、彼はふと顔を上げた。
(気のせいか)
一応、建物の形をしているのは岩肌に面している部分だけで、少し中へ踏み込んでしまうと
もうそこは、まるで戦前の防空壕のように、ただ岩をくりぬいただけのそっけない「研究室」に
変わってしまう。右手の壁には大きな瓶がいくつもならんでいて、
(気のせいだったらしいな)
耳を傾けると、曲がりくねった『通路』からかすかに聞こえてくるのは、いつものように瓶の中に「いる」
植物達が奏でるざわめきばかりのようだ。
(こんなところまで、誰が来るものか)
綺麗に撫で付けていた髪の毛も、いつも手入れしていた小洒落た鼻髭も、今ではもう伸び放題である。
まさに『髭で覆われた』顔を歪めて、彼はかすかに笑い、再び『作業』に没頭し始めた。
『確かに人間は、先生の仰るように地球へ毒を垂れ流しています。ですが』
(そうだよ、山川君。まさにその通りなんだ。だからね)
かつて彼の弟子が彼へ向かって「吐いた」無礼な言葉を思い出し、彼は今度は「ククッ」などと
少し声を上げて笑う。
『先生は、薬の成分を抽出しに来られたんでしょう! そんな恐ろしいことをしに来られたはずでは』
(私にも予想外だったよ。いやしかし、君は重かった)
彼の弟子が、口を利かなくなって久しい…ように思える。ずっと外に出ていないので、今が昼なのか
夜なのかすら、いや、昼夜の感覚だけでなく、時間が過ぎていく感覚すら亡くなってしまったような、
そんな『彼だけの世界』の中で、目の前の机に横たわった彼の弟子は、
(いい『人間』だ。まだ腐りもせずに)
ひんやりとした洞窟の中に置かれているせいだろうか、ただ懇々と眠り続けているように見えた。
(君のDNAは大変に貴重だった)
それから、つ、と背を背け、彼は壁面にずらりと並んでいる器具の一つへ目をやった。
どこかに動力源でもあるのだろうか、その遠心分離機はかすかに耳障りな音を立てながら、セットされている
6つもの試験管をぐるぐると回し続けている。
本来ならば植物液の成分を分離させるために使われるそれは、今は赤い液体を分離させるために使われていて、
「さて」
しばらくその動きを眺めていた彼は、再び弟子へ目をやった。
(ずいぶんと役に立ってくれたが、もはや用済みになった。邪魔だな)
まるでそこらへんのゴミと同じような感覚で思いながら、
(さて、どうやって始末しよう)
「…その前にコーヒーでも…あれらも呼び集めなければ」
呟いて、その部屋から出て行ったのである。その背中を追うように、並んだ瓶の中の生き物達はそちらへ
一斉に向きを変えた。

(中はこんな風になってるんだ)
心配そうに見送る真紀子とその他数人へ手を振って、その建物の中へ入っていった美佐は、
「わ、冷たい」
「鍾乳洞みたいだな」
時折、天井から垂れてくる水滴に悲鳴を上げた。
建物らしき箇所はほとんど岩肌だけで、あとはほとんど洞窟をくりぬいてそのまま使用していた、
といった風情の『研究室』である。しかし、
「単純だが、はぐれるなよ。変なトコに踏み込んだら、一生出られなくなる可能性が高いぜ」
相変わらず美佐の前に立つ田垣が言うように、そこはどうやら天然の鍾乳洞らしく、つい先ほどまで
密林の中にいたとは思えないほど、美佐の肌に冷えが這い登ってくる。
しばらく歩くとちょっとした平たい場所になっており、そこで休憩を取るように皆に言ってから、
「どうだ、お嬢さん」
田垣は美佐へ水筒を差し出した。ほんのりと明るいのは、天井のどこかが空に通じているせいかもしれない。
「はい?」
「センセイがもしもこの中にいるとして…いそうな場所、検討つくか?」
「それはちょっと」
尋ねる田垣のほうも、本気ではないらしい。苦笑しながら言った彼へ、美佐も苦笑で返しながら、
「でも、いるとしたらもっと冷えた場所かも。あ、『検体』を保存するための冷蔵庫みたいなところだと思います」
「ま、ここは全部が天然の冷蔵庫みたいなモンだしな。教授センセイ、よくもまあこんなところを
見つけたもんだ。一体どんな研究をしていたのやら」
「…薬は、冷暗所で開発しないとすぐに成分が変化しますから…」
辺りは不気味なほどにしんと静まり返っている。どこかで水が流れる音がするほかは、田垣と
美佐の会話だけがしばらく洞窟の中に反響していて、
「暗くなってきたな」
見えるはずもない空を仰いで、田垣がぽつりと言った。
「ライト点灯! 各自、火器の用意を怠らないように!」
立ち上がって彼が言うと、隊員たちが一斉にライトをつけた。ほんのりと明るいと思っていた洞窟の中は、
やはり暗かったらしい。目が慣れていたためにそう思えたのだろうか、その眩しさに目を細めた美佐は、
「田垣さんっ!」
叫んで、石灰柱が途中で途切れている場所にいた隊員のほうを指差した。
あっという間もなく、その隊員の姿は「緑」に囲まれて消えてしまう。恐らくその隊員でさえ、
自分に何が起こったのか分からなかったに違いない。
「全員、固まれ! こっちへ来い!」
田垣の叫びに、皆が美佐を囲んで円形を組んだ。銃の留め金を外す音が一斉にした後、戻ってきた静寂の中で、
(…あ…聞こえる)
かすかだが、ざわざわという木の葉ずれのような音が聞こえてきた。
右手から聞こえていたばかりのそれは、やがて彼らの四方から聞こえるようになり、
「ライト! くまなく照らせ!」
田垣の合図で、その一帯の様子がほぼ明らかになる。途端、彼らは一斉に息を呑んで立ちすくんだ。
丸いライトの輪の中で照らされたそこにいたのは、人間の腰ほどの高さのある緑の生き物である。
一体、何体いたのだろう。それらはライトを向けられると一斉に怯み、キイキイと耳障りな音を立てながら
とある方向へ逃げていく。
「追え! ライトを手放すな!」
ライト片手に銃を背負いなおして、田垣が叫んだ。
「お嬢さん、走れるな?」
「はい!」
差し出された田垣の手をつかんで、美佐も共に走り出す。緑の体液を鍾乳洞の床に撒き散らして逃げながら、
それらは時折、反撃のつもりなのか、緑の蔓をこちらへ伸ばしてくる。
「気をつけろ!」
ひんやりとした洞窟の中、田垣の声と彼らの足音がわんわんと響き続けた。

…to be continued.


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