Re-production F



「っち、やっぱりもう電波は届かないか」
そんな美佐を尻目に、田垣は舌打ちをして自分の携帯をポケットへしまった。
おそらく、日野教授の「研究室」が、電波の届くぎりぎりの範囲だったのだろう。うっそうと
茂る密林の中を再び歩き始めて、
(マナウスから少し離れただけで、もうこんな)
時折、足元をヘビや大きな虫が通り抜けていくのを見ながら、美佐は大きくため息を着いた。
日は刻一刻と西へ移動していき、
「ヤバいな。スコールが来そうだ。どうします?」
田垣の言葉に気がついて空を仰げば、なるほど、日が移動していく方角から雲が湧き上がっている。
スコールそのものは日本の夕立と似たようなもので、ほんの数時間ほどで止むのだが、
「視界が効かなくなる…そんな時にアレに襲われたらヤバいですもんね」
「そうね」
田垣が振り向いて話しかけると、真紀子も歩きながら頷いて、少し首をかしげた。
本当にあるのかどうか定かではないが、地図が指し示す「旧日本軍研究所」までは、地図上の
距離であと二キロ。
「無理して行けない距離ではないけれど?」
と、真紀子が美佐を見ると、美佐も頷く。そこへ、
「来た」
ぽつり、と、大粒の雨が田垣の肩を打った。ごつい手のひらを上に向けて、彼が空を仰ぐ。
みるみるうちに空を黒い雲が覆い隠して、まだ昼間だというのに、辺りはまるで夕暮れ前のような
暗さになった。
「ライトを。…進むわね?」
「はい」
指示した真紀子が確認するように話しかけるのへ、美佐もまた再び頷いた。
「左右及び前後の警戒を怠らないように。それから、美佐ちゃんは私の側から離れないように」
てきぱきと命令をする真紀子に従って、自衛隊員たちが動き始める。どしゃぶりになった
スコールの中、小型サーチライトが幾つも照らして、
「これでちょっとは安心できるかもしれないけど」
彼らの周りだけ、昼間の明るさが蘇る。再び歩き出しながら、田垣が呟くように、
「…ヘリを襲ったのも、やっぱりアレの仕業なんでしょうかね」
「そうだと思っておいたほうがいいわね」
真紀子も「ふーっ」などと息を吐きながら言う。
「緑色の粘液状物質が、ヘリの動力部を溶かして大破させた。村田さんや残った隊員たちを襲ったのも
その液体でしょう」
二人の会話を聞いていると、美佐の脳裏にもそれらの出来事が鮮明に浮かび上がる。
「おそらくそれは、『研究室』の中にあった瓶を、中から破って出てきた個体。壊れた瓶は三つ
あったから、一体だけではない」
「残りの瓶は、一尉がおっしゃるように始末しましたけど…三体もいるのか」
「不完全個体なら、瓶から出るだけで消滅させられる。だから瓶を地面に叩きつけて、素早くその場を
離れたら、それで良かったんだけれどね。美佐ちゃん」
と、そこで真紀子は、右肩に担いでいた荷物から何かを取り出して、
「あの『植物』の、乾いたサンプルよ」
「…採取できたんですか!?」
「溶けて消えるかと思ったんだけれど、繊維部分だけは残ったらしいわ。うっかり触れても大丈夫。
乾いてミイラ状態になってしまっているから、これなら安心して分析できるでしょう」
その長細いものは、白い紙に包まれている。おずおずとそれを受け取った美佐へ、
真紀子は微笑んで、
「ま、先生に会えば全部がはっきりでしょうから、サンプルを採取するまでも無かったかも」
言い掛けた途端、隊の後列から悲鳴が上がった。
思わずそちらへ目をやると、隊員の一人の腕に、その近くにいる緑のものが蔓らしきものを
絡ませている。地面には電球の割られたハンドサーチライトが転がっていて、
「来やがった! 早速だな、コイツら! 一尉、俺の後ろを頼みます!」
「了解」
待ち構えていたらしい田垣が、火炎放射銃を構えて彼女たちの前へ立ちふさがる。
「ライト! 照らせ!」
彼の怒鳴り声で、我に帰った自衛隊員たちが一斉にそれへライトを向ける。すると
緑のものは、たちまちひるんだように、その隊員の腕に絡めていた蔓を解いた。
藪の中へ逃げようとするそれへ、田垣が銃を向け、火炎を放射する。
するとキイキイといった風な悲鳴を上げて、それは火の中で人が悶え苦しむような様子を見せ、
やがて地面へハタリとくず折れた。
「…無事か? 命までは取られてないみたいだな」
「…はい…」
田垣が話しかけると、右腕からジュウジュウと煙を立ち上らせながら、その隊員は答える。
その場所に付着している緑の液体は、服の袖部分どころか隠されていた腕の皮膚をも
瞬時に焼いたらしい。
「ちょっと痛むけど、辛抱してね。水! それと、消毒液と包帯を早く」
真紀子もまた、硫酸をかけて出来た火傷のような、赤くただれたその傷から目を逸らすこともなく
てきぱきと指示を下す。
腕の皮膚に付着している緑の液体は、付着場所を未だに溶かし続けているらしい。
隊員たちがそれへ水を流しかけ、消毒液や薬を塗布するのを眺めながら、
「骨まで行くとコトだわ。美佐ちゃん、大丈夫?」
真紀子は空を仰いで大きく嘆息し、美佐を振り返った。
「…大丈夫、です」
すると彼女もまた、隊員の無残な傷跡から目を逸らさないまま、健気に頷く。
(もしもこれが、お父さんの研究の結果なら)
真紀子から渡された「サンプル」へ一瞬だけ目を落とし、再び治療を受けている隊員へ目をやって、
(見届けなきゃ…後始末は私の義務だから)
美佐はぐっと口を結び、そのありさまを見つめ続けた。
「まさかライトを狙ってくるとはな。歩けるか?」
「はっ!」
田垣の問いに、その隊員は白い包帯を巻いた右手で敬礼をして答える。
「あの、ごめんなさい」
再び『行軍』は始まった。美佐の前になって黙々と歩き続ける田垣へ、美佐がおずおずと
声をかけると、
「お嬢さんのせいじゃないだろ。それよか、黙って歩け。あんなのはまだ二体もいるんだ。
話しているとそっちに気を取られて、いつアイツらが来るか分からなくなる」
「は、はい…」
「謝るなら、俺にじゃなくて、さっきの川島に謝ってやれ。俺に謝るのは筋違いもいいとこだ」
彼の言っている事はもっともであるが、少し口調が強すぎる。思わず首をすくめてしまった
美佐の肩を、
「さ、もう少しよ。『見届ける』んでしょ。だったら前を向きなさい」
真紀子が励ますように二つ叩いた。
それへ頷いて、美佐はもう一度、手の中の『サンプル』へ目を落とした。
基本的に、植物の成分を分析するのは、含まれている水分を全て蒸発させてから、つまり、
乾燥させてからである。乾燥させても抜けるのは水だけであり、その他の栄養分、例えば
デンプンやコルチコイド、核などといった生物の基本要素が破壊されるわけではない。
よって、きちんとした研究設備さえあれば、この「生き物」の成分を分析し、かつ
核を抜きとって培養するということも可能なのだ。
極端に言えば、遺伝子情報を伝えるDNAさえ無事なら、いくらでもクローンを作ることが出来ると
いうことで、
(DNA…ひょっとしたら、お父さんはDNA操作をして)
美佐がそう推測するのも無理はない。古くは「ポマト」という植物も、遺伝子組み換え技術を
利用して作られたものだからだ。
二本で形成されている二重らせん構造の片方を、別の遺伝子と組み替えてやれば、理屈上では
また違った新しい個体が出来る。『研究室』の瓶に並んでいた個体は、おそらく日野教授がそうやって
作成したものではないか。
タミフル耐性を持つ患者のための、新しい薬品成分を持つ植物。日野教授ほどの技術があれば、
そんな植物を作るための遺伝子組み換えなど、簡単な設備さえ整っていれば朝飯前だろう。
(多分、その研究の途中で突然変異が起こった…とか)
植物繊維にも、核は残っているのである。だから、美佐がもしもこれを大学へ持ち帰って
核のみを取り出せば、培養することも出来る。だが、培養するためには無菌操作の出来る
設備が必要で、無菌状態でなければ他の胞子やカビが、培養しようとしている植物に取って代わって
培養液の中で成長してしまう。
(私だって、それで何度か試験管の中にアオカビを生やしたこと、あるものね)
よって、
(失礼だけど、こんな…カビとか細菌がうようよしてそうな密林の中で培養出来た、なんて
とても思えないもの)
雨は以前、激しい。頬を指先で乱暴に殴られている、と形容すべきか。下手をすると目の前の
田垣の背中すら見えない、そんなスコールの中を黙々と歩き続けていると、
「もう少しで抜けそうだ。頑張れよ、お嬢さん」
「え?」
田垣が前方を指差しながら、美佐を振り返った。
「スコールも林も抜けるってこと。ほら、見ろよ」
「ほんとだ」
見れば雨の降っている範囲が明らかに違う。今歩いている林が、ちょうど途切れたところには
太陽の光が差している。
「そこで休憩して、一尉の包帯とか取り替えなきゃ…お嬢さん!」
安心したように呟く田垣の顔は、しかし一瞬にして引き締まった。美佐の腕を取ろうとした
彼と真紀子の手は宙を掻き、美佐は驚きのあまり声も出せないまま、
(なに…これ)
背丈は美佐ほどくらいだろう。だが、先ほど見た緑のものよりもよほど大きく見えるそれの
蔓が腰に巻きついて、たちまちそこからはジュウジュウといった音と煙が立ち上り始める。
「くそ。ライト! それとナイフだ!」
美佐の体がふわりと宙に浮いた。焦りと苛立ち、そして恐怖の入り混じった声で田垣が叫ぶと、
自衛隊員たちも一斉に、美佐を捕らえたそれへ向かう。
が、
(…あ、あれ?)
しかし、その緑のものは何を思ったか、美佐を再び地面へ下ろした。そしてそのまま、巻きついていた
蔓を解いて、驚くほどの素早さで茂みの中へ姿を消したのである。
「お嬢さん!」
「美佐ちゃん! 大丈夫? 傷はっ!? なんともないのっ!?」
「…なんとも…はい、なんともないみたい、です」
田垣や真紀子、そして他の自衛隊員が一斉に駆け寄ったのへ、美佐は半ば呆然としたまま答えた。
実際に『被害』を受けたのは、美佐のズボンのベルトだけで、しかも溶けた範囲はその表面だけである。
「触れないでね。動かないで…今、ナイフで切るから」
「は、い…」
真紀子がナイフを取り出して、そのベルトを切り始めるのを、美佐はやはり呆然と見ていた。
(あの植物は、どうして)
どうしてあの緑の生き物は、彼女を襲わなかったのだろう。
溶けたベルトを切り離して、真紀子はそれを汚い物を捨てるように地面へ放り投げる。
田垣はそれを見ながら、
「…なんだかアイツ、お嬢さんのことをちゃんと認識してるみたいだったな」
「どういうことよ。美佐ちゃんが襲われたは事実でしょう。私達は美佐ちゃんを守れなかったのよ」
珍しく強い口調で真紀子が言うのへ、
「違う、違いますよ。そういうことじゃなくて」
田垣は苦笑して、なだめるように両手を挙げた。
「なんていうのかな…お嬢さんを襲った時のアイツ、なんだか『慌ててた』みたいだったから」
「…慌ててた?」
「そうですよ。だって」
睨む真紀子へ田垣は肩をすくめ、
「俺らには容赦なしに手とか足とか溶かすくせに、お嬢さんにはほとんど何もしないで逃げてったじゃ
ないっすか。お嬢さん、体には傷一つついてないっしょ。ね?」
「あ…はい。どこもなんともない、みたいです」
美佐は頷いた。
「…まさかとは思うけど」
すると真紀子は、彼女に似合わずぶるりと体を震わせて、
「あれには意志…つまり、知能はとりあえず備えているってこと?」
「…そこは分析してもらわないと何とも言えませんけどね。つか」
田垣はまた苦笑して、
「早いとこ教授センセイに会って、どういうことなのか締め上げないと。でないと、こっちの
『被害』は大きくなるばかりっすよね」
「…ごめんなさい」
「いいから、謝んなって」
泣きそうな顔をして俯く美佐を見て、田垣はいささか慌てたらしい。
「…歩けるか? 引っ張ってってやるよ」
言ってぶっきらぼうに差し出したその手を、美佐が少し笑って取ると、
「もう少しだ、頑張れ!」
照れくささを隠すように、彼は大きな声で叫んだのである。


…to be continued.


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